第27話 そして、剣は振り下ろされた 9
《ミサキ、理解しているでしょうが、カインズの話には欠落があります》
「ああ、だろうな」
《カインズ本人も言っていたことですが、カインズがローブ姿の少女の前に姿を現したところから、治療院のベッドの上で寝ている所まで、記憶が飛んでいます。そして、不可解な点が一つ。カインズの両親を殺した犯人は、どうしてカインズを殺さなかったのでしょうか?》
「確かに、な。両親も殺したのなら、子供も殺して口封じした方が確実だ。カインズの顔の傷痕は恐らく、犯人に付けられた物だろうが……態々傷つけて放置するぐらいなら、最初からその場から逃げていればいいだけの話、ってことだろ?」
《はい。私はその点を不可解に思います。合理的ではありません。そもそも、カインズの両親の保護を受けたのですから、そのまま利用すればよかった。よしんば、カインズの両親が『言葉通りの対応』をしないことを仮定しても、大人二人を瞬く間に殺せる能力があるのならば、もっとタイミングがあったはずです。いえ、それ以前に瀕死の所を助けられたのですから、例え、どのような意図を持っていようとも、その場で殺されることは無いと推測できるはずなのに。どうして、その少女はあのような愚かな対応をしたのでしょうか? それとも、カインズが知らないだけで、もっと何か裏があるのですかね?》
「はっはー、辛辣だなぁ、オウル。だがね、そんなに複雑に考えなくていいぞ」
《と言うと?》
「間違っているかもしれないが、ある程度の推測は出来るさ。多分な、そのローブの少女は、怖かったんだよ」
《カインズの両親が、ですか?》
「カインズの両親から施された善意が、だ。そして、幼い子供を殺すことも怖かったんじゃないか? だから、つい殺してしまったし、つい、見逃してしまった」
《…………愚かすぎます。何一つ、賢明ではない》
「さぁて、何かしらの理由でもあったんじゃないか? 理由も無く瀕死だったわけでもないだろうし。それなりの扱いを受けて、それなりに人を信じられなくなった。けれど、外道に振り切れるほど、酷くはなかった」
《だから、情状酌量の余地はあると?》
「いいや? 理由があったところで、殺した事実は変わらない。俺がカインズの立場であれば、何の躊躇いも無く殺すさ。ただ、俺はカインズじゃないから、カインズがどのような判断を下すのかは、わからん」
《はて? 彼は迷わず殺すと思いますが。それだけの憎悪が、彼にはあります》
「そうだな。確かに、復讐を遂げるだけの憎悪はある。けれど、問題はそこじゃない。あいつは、カインズは――――強すぎるんだ、心が。だから、復讐をするのには、向いていない」
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復讐を遂げる上で、俺が最も重要視している要素がある。
それが、『情報』だ。
どれだけ力があったとしても、憎むべき仇の居場所を知らなければ、その力を振るう事すら出来ない。加えて、真実を知らなければ、仇の存在を勘違いして、滑稽な悲劇を生み出すことにも繋がるのだから。
そして、仇の情報を知れば知るほど、どのように殺すのが相手にとって最も苦しいのかを考えることが可能となるのだから。
情報はとても、大切だ。
しかし、困ったことに、カインズの仇の情報はほとんどない。皆無と言っても良い。何せ、カインズの両親が殺されたのは六年も前の事。黄昏の民で、当時は少女だったという証言はあるが、六年も経てば少女が女に変わる。さらに言えば、黄昏の民であるという点を考えると、安息の土地を得ているかどうかも不明瞭だ。世界各地を転々と暮らし、挙句の果てに、こちらが復讐を果たす前にくたばっている可能性すらある。
この前提から、カインズの復讐相手を探すのはとても難しい。
砂漠の中から、一粒の砂金を探すような物だ。
カインズは一生を費やすと言っていたが、それでも、まだ時間が足りないかもしれない。怪しい人物に当たりを付けて、しかも、相手を間違えないように確証を得るまで地道に調べるとなると、さらに時間がかかってしまう。
まさしく、絶望的だ。
絶望的な復讐だっただろう――――この俺が、カインズの師匠になっていなければ。
「カインズという少年の、両親を殺した相手を調べて欲しい、ですか? この私に」
「ああ、アンタなら簡単だろ?」
場所は天上の間。
眼前に居るのは、光主。
粗末な椅子に座りながら、疲れ切った笑みの中に困惑を混ぜて、こちらに視線を返している。
「生憎ですが、この私は人類全体を管理する者です。なので、いちいち、個人レベルの事情に精通しているわけでも無くて――」
「アンタなら、閲覧できるんだろう? この世界の、過去ログを。管理者が作り上げた、眷属であるアンタなら」
「…………」
光主の笑みが消えた。
何の感情も読み取れない、虚無的な表情が、そこにはあった。
「ご存知でしたか?」
「いや、ただのカマかけさ」
「嘘はよろしくありません。貴方は確かに、確信をもって私に訊ねました」
「嘘じゃないさ。実際、カマかけだったよ。勿論、根拠のような者が一応、あったけどな?」
「…………その根拠とは?」
「ただの勘」
「…………………………なるほど」
十数秒の熟慮の後、光主は無表情で頷く。
「可能性は考えていました。ですが、まさか、と。それでも、やはり、信じられない。見崎神奈様。貴方はもう既に、超越者の領域に手をかけているのですか?」
「はっはー、違う、違うよ、光主。そんなんじゃないさ。本当にただの勘で、そうだな、経験則って言えば気付くだろ? お前みたいなのとは、ちょっと昔に殺し合ったことがあるからさ」
「…………そう、でしたか。邪推をして、申し訳ありませんでした」
「いやいや、気にするなよ、光主。アンタの心配もわかるさ。何せ、超越者に至った奴らは全て、世界を滅ぼす可能性を秘めた存在。放っておくわけにはいかないもんな?」
仮面の下で微笑み、俺は親しげに光主へ語り掛けた。
俺よりも遥に長生きである『大先輩』とまともに交渉をするには、常に優位な立場に居続けなければならない。一瞬でも対等な立場に戻れば、瞬く間にこちらの不利で……いや、交渉自体を断ち切られてしまうかもしれないから。
なので、さっさと結論を急ぐとしようか。
「そんなアンタにご朗報だ。今なら、俺たちの世界で起きた超越者たちとの戦い、及び、超越者に対して有効な戦術、概念武装などのお役立ち情報を格安でご提供。対価はもちろん、先ほど俺が言ったログの閲覧、検索。そして、殺人許可証を発行して欲しい」
「この私に、贔屓をしろと? 人類の管理者である、私に?」
「違う、取引だ。アンタが管理している人類の一部を贔屓するんじゃない。この世界全体の利益のために、アンタが管理しているリソースを使う。それだけの話さ」
「人を、リソース扱いですか?」
「違うのか? 光主。人類の管理者にして、約束された敗北者よ」
「…………」
しばしの間、機械が機能不全でも起こしたかのように光主は硬直していた。無表情を通り越して、瞼すら動かさず、何の意思も感じられない瞳が俺を見つめている。
「マスターに」
「うん?」
そして、ようやく口を動かしたかと思えば、その瞳に戸惑いの色が浮かんでいた。
「この世界の管理者であるマスターに、貴方とのやり取りを報告したところ、『自分で判断しなさい』と権限を与えられました」
「そうか」
「いえ、元々、権限は渡されていました。ですが、それを行使するつもりは無かった。私は、公平で公正な管理者で在りたかった。例えそれが、マスターの意図に沿わずとも」
「そうか」
「いつか、支配を討ち破った人類によって打ち倒される存在だったとしても、そうなるまでは、せめて良き管理者で在りたかった」
「そうか――――それで?」
一拍置いて。
「取引に応じましょう、見崎神奈様。貴方の望む情報を与え、貴方に殺人許可を与えます。これで、人類の運営に影響を及ぼさない限り、誰も貴方の殺人を咎めることはできません」
苦渋も無く、憎しみも無く、ただ、淡々と。
疲れ切った笑みを浮かべて、光主は俺と契約を結んだ。
「そうか、そうか。いやぁ、悪いねぇ、無理を聞いてもらってさ」
「いえ、私はただ、人的資源と貴方から得られる情報を天秤にかけただけに過ぎません。我々はこれからも『対等』な取引を続ける、良き隣人である。そうでしょう?」
「はっはー、もちろんだとも、こっちからの移民を受けて貰えることになったんだし。お互い、上手く助け合っていこうよ」
「もちろん。お互いの利益が、釣り合う限りは」
俺と光主は、笑みを湛えたまま握手を交わす。
とてもとても、薄汚いやり取りだと思うが、これも大人の処世術の一つだ。付き合わせてしまった光主には、申し訳ないけどね。
「それで、見崎神奈様。これは、ビジネスパートナーとしての雑談なのですが。どうして、そこまであの少年のために動くのです? いえ、確かに、広い視野から見れば、私の管理体制を僅かに崩し、多少融通を利かせるきっかけを作る口実にはなったでしょう。ですが、根底にはあの、カインズという少年へ復讐を遂げさせてやるための意識があった、違いますか?」
「んー、まぁ、そうだねぇ。確かに、アンタの言う通りさ。色々考えはあったけど、第一目的はそれだな、うん。んでもって、どうして? と問われたのなら」
一番弟子であるから。
復讐者であるから。
同情すべき相手だから。
色々答えはあるが、やはり、こう答えるのが一番誠実だろう。
「許せないからさ。復讐の刃が、徒労で錆び付くことが」




