第26話 そして、剣は振り下ろされた 8
カインズの父親は自警団の団長をしていた、凄腕の農夫だったらしい。
凄腕の農夫という概念はちょっと理解できないが、要するに強かったらしい。基本的にならず者が多い冒険者たちも、カインズの父親が居れば、大人しくなる程度には。
カインズの母親は、いわゆる肝っ玉母さんという奴だったらしい。
幼いカインズが馬鹿をやれば、容赦なく拳骨と共に叱りつけて、きちんと謝れば笑顔と共に許し、悲しむ時があれば、迷わず抱擁してくれる存在だったらしい。
「理想的な父親、母親とは流石に言えないですけど、でも、俺にとっては最高の両親でした」
両親の話をしている時、カインズは頬を緩めて在りし日の回想をしていた。
かつて、何の憂いも無く、幸福だった日々の思い出を噛みしめているのだろう。険しい目つきが少し綻んでいる。
けれど、直ぐにカインズの表情は元に戻った。
「少なくとも、あんな死に方をするような人たちじゃ、絶対に無かったんです」
それは、恐ろしいほど綺麗な月が浮かんでいる夜の事だったらしい。
この世界の住人は基本的に、夜に弱い。陽光の加護を受けている分、夜は一般人程度にまで弱体化するので、一気に疲労がやってくるのだ。だから、カインズ達家族も、早々に寝入ってしまおうと、寝床の準備をしていた時だった。
真っ黒なローブに身を包んだ少女が、家の周りで倒れているのを見つけたのは。
「最初に、あいつを見つけたのはオレでした。月が明るかったから、窓の外から風景を眺めていたんです。そうしたら、ふらふらと家の周りで動く影を見つけて……見間違いかと思ったんですけど、でも、もしもの事があったら嫌だから、俺は父さん……父親に報告しました」
カインズの父親が様子を見に行くと、ローブ姿の少女は深手を負っていて瀕死の状態だったらしい。なので、カインズの両親は慌ててローブ姿の少女に応急処置を施し、治療魔術の使える医者を叩き起こして、何とか命を繋いだのだとか。
「処置が終わった後、父親はオレを褒めてくれました。『お前が見つけなければ、この子は命を失っていたかもしれない。良いことをしたな、流石は俺の息子だ』って。ああ、嬉しかったな。あの時は、とても、とても、嬉しかったんだ。だから、オレは、そんな誇らしい気分のまま、布団の中に入って、そして――」
強く、強く、カインズが剣を握る手の力を強めている。
剣を握っているその手は再び、憎悪によって小刻みに震えていた。
「夜中に、父さんの声で目が覚めたんです。『おお、目が覚めたか! 君、具合はどうだい?』という、嬉しそうな声でした。その声で、俺は寝ぼけ半分の頭で安心しました。よかった、あの子は助かったんだ、って。でも、次に取り乱したような少女の声が聞こえました。その時は、何かに怯えているだけなんだと、そう思っていました」
カインズは怒りが声ににじみ出ないように、淡々と言葉を紡ぐ。
「父さんは何とか落ち着かせようとしていました。父さんと一緒に起きていた母さんも、優しい声で、喚いているあいつを宥めていたと思います。そんな、言葉の応酬の中で、オレは聞きました。『その赤い目は、君……ひょっとして、黄昏の民なのか?』という、驚いた父さんの言葉を。黄昏の民。この言葉の意味を、ミサキ師匠は知っていますか?」
俺が頷き、肯定すると、カインズは説明を再開した。
「そうです、黄昏の民は、恐ろしくも魔人と人間の間に生まれた者たちの末裔です。光主様の加護を受けられず、けれど、魔物からは狙われないっていう力を持った一族なのです。その性質上、黄昏の民は赤い目をしていました。そして、黄昏の民は大抵、オレたちのような普通の人間からは、敬遠される物なんですよ。だって、黄昏の民の大半は、夜の闇の中を自由に動き回り、街の中で狼藉を繰り返す奴らばっかりでしたので」
カインズの説明が正しいかどうかはさておき、そういう傾向にあることは確かだ。
かつて、とある傭兵と黒竜が作り上げた黄昏の街。その末裔、生き残り。光と闇。人と魔人の間に位置する黄昏の一族は、その性質上、どうしても犯罪者や賊として生きる者が多い。
陽光の加護を受けられない、黄昏の一族は大抵、『劣っている扱い』を受け、実際、加護を受けている民とは働きが数段劣ってしまっているからだ。
そのため、どれだけ真面目に働いても周りとの格差に嘆き、己の特性を活かして賊に身を落とす者が後を断たないらしい。情状酌量の余地はあるかもしれないが、そのような経緯があるのならば、比較的温厚な人間が多いこの世界で厄介者扱いされているのも納得できる。
「オレも正直、がっかりしました。助けた相手が、そんな奴だったなんて。助けなきゃよかった、とか、思っていました。でも、身勝手なことに、父さんには、そういうことは思って欲しく無かったんです。自分が差別した癖に、父さんには、どんな相手でも誇りある対応をして欲しかったんです……オレの願いは、通じました。『安心してくれ、俺たちは君の敵じゃない。大丈夫だ、君がどこの誰だろうとも、傷ついた女の子に変わりない。そして、傷ついた女の子を放り出すほど、薄情じゃないつもりだぜ、俺たち家族は』って、父さんは、父さんは……」
一度、息と共に言葉を止めた後、カインズは感情を込めて吐き出した。
「父さんは、気高い人だった! 誇り高い人だった! オレは、そんな人の息子であることを誇りに思ったし、情けないことを考えた自分を恥じたんだ! だから、明日になったらオレもあの子に優しくしてあげようって、そう思って! 思っていたのに……あいつの、返事は聞こえませんでした。代わりに聞こえたのは、何か重い果実が地面に落ちたような音」
憎悪を。
悔恨を。
悲痛を。
言葉では言い表しようとしない混沌としたどす黒い感情を、カインズは言葉と共に吐き出していた。
「おかしいな? って思ったんです。急に静かになったから。でも、有り得ないって。そんなのはおかしいって。だって、そういう感じじゃなかったですし。明らかに、これで一安心! 皆で仲良しだよ! みたいな会話の流れだったのに、なんで? って。だから、オレは、何かの間違いだって思って。ベッドから降りて、ドアを、あの、ドアを開いて――――見たんですよ。二つに分かれた父さんの体と、胸を鋭い何かに貫かれている母さんの姿を」
カインズの両目は、きりきりと見開かれていた。
しかし、そこから涙は零れない。既に枯れ果てているからだ。
「真っ赤で、真っ赤な何かが、床に流れていて。ああ、月が綺麗で。窓から月明かりが、赤い液体を照らしていて。そいつが、右手を人じゃない、何か闇の塊みたいな何かに変えたそいつが、赤い目をこちらに向けて――――――後は、覚えていません。気づいたら、何もかもが終わっていました。治療院のベッドの上で、心配そうに村の人たちが俺を見ていました」
理解できる。
共感できる。
悲し過ぎると、憎み過ぎると、もはや何も出てこないのだ。大事な人が死んだのに。まるで、人でなしみたいに、まったく泣けなくなるのだ。
「悪夢だと、思ったんです。全部、全部、何もかも。村の人たちも、オレが落ち着くまで、なんとか真実を誤魔化そうとしてくれました。でも、本当の悪夢が……眠ろうとすると、何度も、何度も、あの赤い目が、俺を見つめていて。三日間、ずっと眠れなくて、頭がおかしくなりそうで、そこでようやくオレは認めたんです。父さんと、母さんは死んだんだって」
そこまで言うと、カインズの体からふっと力が抜けた。
目を細め、疲れ切った笑みを浮かべたカインズの表情は、色あせていた。まるで、言葉と共に命まで吐き出していたかのように。
「だから、オレはあいつを必ず殺します。両親の仇を討ちます。あいつが、黄昏の民とか、そういうのは全く関係なくて。あいつが、オレの両親を殺したから、オレはあいつを殺します。絶対に、絶対に、ぶち殺します。例え、一生を費やしたとしても」
そして、カインズの声は冷静な物へと戻っていた。
剣を握る手も、もう震えていない。
乱れていた感情を、最後の最後に御しきって、落ち着けたのだ。
「なので、ミサキ師匠。どうか、どうかお願いします。オレはこんな、こんな情けない復讐者ですけど。貴方から見れば、醜い存在かもしれませんけど、それでも、許せないんです、あいつの存在を。だから、だから、どうか――――」
「カインズ」
縋るような声を遮って、俺はカインズへ告げる。
二週間、俺の下で鍛え続けた弟子の誤りを正すために。
「最初の、あの時の答えを、今、返そう…………俺は、お前の復讐を笑ったりしない。復讐が無為であるとか、労力の無駄だとか、そういうことも言わない。何故ならな、カインズ」
狐面を外し、素顔を晒して、出来る限りの誠意で、俺はカインズに真実を告げる。
「俺もお前と同じ、復讐者だったからだ。両親を殺され、友達を殺され、何も出来なかった無力を知っているからだ。どれだけ時間が経とうとも、胸の奥で燻る憎悪の感触を、知っているからだ」
驚き、戸惑う弟子の頭に、俺は優しく掌を置いた。
「お前と俺は、同じだ。似た者同士だ。奪われた者であり、復讐者だ。何も遠慮することは無い。お前の復讐がどれだけ醜い物であったとしても、俺はそれを肯定するよ」
「ミサキ、師匠……」
「だから、遠慮せず、もっと頼ってもいいんだぜ? 分からないことがあったら、どんどん聞くといい。ある程度は大体答えてやれるからさ」
ぐしゃり、と顔を歪めた後、カインズは乾いた笑いを漏らした。
く、くくくく、と喉の奥が震えるような、小さな笑い。
それが一分ほど続いたかと思うと、カインズはいつも通りの元気な笑みを浮かべて、俺へ問いかけてくる。
「じゃあ、一つだけ聞いてもいいですか、ミサキ師匠?」
「おうおう、どんとこい」
「ミサキ師匠は復讐者『だった』と言っていましたが……復讐を終えた時、どんな気持ちだったのですか?」
元気な笑顔をしている癖に、ちょっと切り込んだ質問をしてくるのは、今まで以上に開いてくれた証拠なのだろう。
「復讐を終えた時? んー、そうだなぁ」
ならば俺も、きちんと偽らず、答えてやろうじゃないか。
「何もかもが報われたような、最高の気分だったぜ――――狂いそうなほどに」
もっとも、偽らないからといって、全てを語るつもりは無いのだけれどね。
何せ、俺の答えがそのまま、お前の答えになることは、多分無いだろうからな、カインズ。




