第20話 そして、剣は振り下ろされた 2
突然であるが、[に:11番]世界の野菜はとても美味しい。
俺の故郷の野菜は、品種改良を重ね、より病気に強く人間の味覚に合うように作られている物だ。だから、必然と美味しい。品種改良を重ねるだけの科学力がある世界は、文明が駄目な感じに滅んでいなければ、農業も必然と発達しているので、安心して野菜を食べることが出来る。
そして、この[に:11番]であるが、未だ、遺伝子組み換えなどは一部の魔術師以外は手を出すことが難しい領域にある文明レベルだ。家畜などは良質な物同士を掛け合わせて、段々と品種改良を重ねてはいるが、まだまだ他の発達した文明世界には劣っている。
だがしかし、野菜だけは別だ。
まず、[に:11番]は光主の加護の付いた陽光が降り注いでいるので、野菜の栄養や旨みも自然と強化される。加えて、基本的にこの世界の住人の生活スタイルは街単位で自給自足だ。
何故かというと、この世界には国という組織は存在せず、最大でも都市レベルの自治体が人類組織の限界となっている。そこから上には、光主とその部下が存在しており、災害や闇の勢力への対処などは、大まかに光主の部下が担当しているのだ。何か、個人レベルで解決してほしい内容の仕事があるときは、主に冒険者などに依頼する決まりである。
そんなわけなので、基本的にこの[に:11番]は大体の人間が農家だ。農家ではあるが、自分たちで食べる分と街に収める分などの分だけ作り、空いた時間で己の趣味や副業に時間を使うという生活スタイルが一般的だ。
光主からの加護があるため、昼間の人類は驚くべきスピードで労働をこなす。なので、基本的にこの世界の住人は、誰しも働き者。それでいて、少し疲れても日に当たっていれば大体の疲労はすぐに回復するので、己の趣味や副業に対しても意欲的に取り組むことが出来るのだ。
そのため、意外とこの世界の人間は多趣味というか、文化人が多い。芸術を嗜む人間や、空いた時間で勉学に励む人間も多いので、世界全体での人間の教育水準は決して低くない。むしろ、芸術方面では平均的な世界基準よりも、抜き出ているまである。
…………大分話がずれてしまったが、結論に移ろう。
この世界の人間は大体兼業農家なので、農業が発達していて野菜を作るのが上手だ。しかも、陽光の加護があるので、自然と品質良くなる。
つまり、そんな最高品質の野菜はとてつもなく美味しい。
さらに言うならば、そんな野菜が取り立てで食卓に出されたのならば――――やはり、当然の如く美味いのだ。
「んんー、瑞々しい。いいねぇ、いいねぇ、噛んだ瞬間に爽やかな酸味と旨みが含んだ果汁が、口の中に広がるねぇ。最高だな、このトマト」
「あっはっは、こんな田舎の適当な飯で喜ぶなんて、アンタはよほどの都会モノだねぇ」
はい、そんなわけで俺は現在、とある農家で朝食をご馳走になっている。
理由は簡単だ。徹夜明けの仕事を終えて、肉体的にはまだまだ余裕なものの、精神的に疲労している俺はとにかく、ご飯が食べたかった。太陽樹の加護による魔力供給を受けているので、飲まず食わずでもこの肉体は動き続けられるのだが、だからと言って何も食べないのは体に悪い。しかし、残念ながら仕事が終わったのは早朝であり、まだ宿は開いていない時間帯だ。食堂も同じく。
なので、早朝ながらも畑で農作業に勤しむ元気なおばちゃんを見つけて、即座に交渉。最初から仮面を外して、魅力マックスの状態で朝ご飯をご馳走になっているという次第である。
仮面なんざいらねぇ! 飯の時間だ、ひゃっはぁ!
「しっかし、いいのかい? こんなありふれた飯で」
「いやいや、こういうのでいいんだよ、こういうので!」
恰幅の良い農家のおばちゃんが作ってくれた朝食のメニューは三つ。
一つ、結構固いけど噛めば噛むほど味わいを感じるライ麦パンっぽいパン。
一つ、とれたて野菜を丸ごと置いた、新鮮過ぎる取れたてサラダ。またの名を、丸ごと取れたてトマト。
そして、メインディッシュを飾るのは黄金色の野菜スープだ。
じっくりことこと、野菜とキノコの干物で取った出汁はとても優しい甘みを感じる出来となっている。これが塩だけで味付けされているのにはもちろん、理由があるらしい。
「ああ、これかい? これはね、朝に一日分のスープを作っちまうんだよ。んでもって、沸かし返しの時に、色々と具材を追加していくのさ。ここいらだと、一般的なスープの作り方だよ、珍しくもない」
そう、照れ臭そうにおばちゃんが説明してくれたが、なるほど、確かに理に適っている。
薄味ながらも、しっかりと味わい深いこのスープが根底にあるからこそ、あらゆる変化を受け入れることが出来るのだ。
しかも、このスープ付けて食べるパンがまた美味い。
固いパンを良く味わって食べるのも楽しいが、スープに付けてある程度ふやかして食べるのもまた、楽しい。その合間に、取れたての新鮮トマトを丸かじり出来るなんて、これはこれでかなりの贅沢ご飯だ。お金はかかっていないかもしれないが、なんというか、感謝の気持ちとか、手間暇とか、そういう大切な何かがたっぷり詰まっている朝食だ。
「ふぅ、ご馳走様でした! とても美味しかったぜ、おばちゃん」
「はいはい。まったく、えらい美人さんなのにうちの子供みたいにご飯を掻っ込むんだから、微笑ましいったらありゃしないよ」
「あっはっは、お恥ずかしい」
俺は言われた通り、子供のように頬を膨らませながら朝食を掻っ込み、あっという間に食べ終えてしまった。腹も膨れて、心も安らぐ、良い朝食だった。汚れ仕事を終えた後の朝食としては、最上と言えるだろう。
いやほんと、精神が疲労している時には優しい手料理が一番だよ。
「おばちゃん、何か困っていることはないかい? 朝食のお礼に、俺が何か手伝うぜ?」
「いやいや、別にいいよぉ、そんなの。お腹を空かした子供みたいな相手なんだ、こっちに余裕があるなら、ご飯を食べさせてやるのは当然の事だよ」
「むむぅ、その気持ちはとても尊いし、有難いが、それでは俺の気持ちが収まらん。さぁ、なんでも言ってくれ」
「んー、そうかい? そうだねぇ」
おばちゃんは律儀なのか、腕を組んでううむ、と唸って考え出す。
「農作業の人手は足りているし、特に足りない物は無いし……強いて言うなら、最近、猟師の爺さんがぎっくり腰で調子を悪くしているから、鹿が増え始めてねぇ、地味に被害が。ああ、でも鹿の相手は猟師や冒険者じゃないと――」
「それだ! 害獣駆除、任せてくれよ!」
どん、と俺が胸を叩いて見せると、おばちゃんは訝しげに俺を見つめた。
「ええと、無理は禁物だよ? 言っとくけど、大人しそうに見かけて元気が良いからねぇ、鹿共は」
「はっはっは、心配ご無用」
だから、俺は得意げな笑みを浮かべておばちゃんへと言葉を返した。
「これでも、狩りは得意なんだ。何せ、今日も徹夜で『害獣』を狩って来たばかりだからね」
そう、ちょいとばかし小賢しい知性と能力を身に着けた、魔人と言う名の害獣を、ね。
●●●
《では、リストにあった七体全てを殺したんですか?》
「おうともさ」
《一晩で?》
「そうともさ!」
《…………よりにもよって、相手が活性化する夜の内に?》
「オウル。俺の場合は、そっちの方が暗殺の成功確率が上がるんだよ。相手も、活動時間外の昼間に奇襲して来るならともかく、まさか惜しみなく全力を発揮できる夜に奇襲して来るとは思っていないみたいだからな。もっとも、相手がどれだけ警戒していようが、俺にとっては大して意味を為さないんだが」
《たった今、ミサキが腐っても英雄なのだと再認識しました》
「腐ってない、腐ってないよ!」
俺は鹿を手ごろの空間に固定しつつ、鹿をナイフで解体しながらオウルに仕事の報告を行っている。
いやぁ、こういう時は本当に便利だな、空間を支配する権能。狩った鹿の血抜きから、肉の保存のための冷却とか、空間を弄ればあっさり出来るんだから。
もっとも、ちょいとミスをすると鹿がぱぁん、と弾けて悲惨な有り様になるから注意だ。
「まー、これでも大戦を最前線で生き抜いた英雄ですからねぇ。これくらいは余裕よ、余裕。はっはー、俺の手にかかれば魔人どもなど恐れるに足らず。成功報酬分、光主が移民の件に関して有利な条件を付けてくれるから頑張ってみたぜ」
《頑張ってみた、のは良いのですが、何故一晩のうちに完遂させる必要が?》
「いや、思ったよりもあっさり殺せたから、仕事がつまらなくならないようにRTA気分でアサシンしていたんだよ」
《ゲーム感覚で殺すんですか、ミサキは?》
「はっはー、これでも歴戦の英雄だぜ? 今更、殺す相手に感傷を持つなんて、ないない」
手早く鹿の肉を切り分けて別空間に放り込みながら、俺は応える。
作業の合間に、お道化た口調で。
問題ない、そう、何も問題ないので。
《…………ミサキ》
「んんー? なんだよ、オウル。改まった声を出して」
《そろそろ一度、帰還しましょう。精神の変容がもうじき始まりそうですし、何より、今の貴方には休息が必要です》
「……えっと、その、ばれてる?」
《私は、貴方の相棒でしょう?》
作業の手を止めて、思わず俺は苦笑してしまった。
いつの間にか、俺の予想以上に人の心が分かるAIに成長したもんだね、相棒。
「そーだな、そうする。んじゃ、帰ったら存分に甘やかしてくれ」
《具体的には?》
「この俺を存分に褒め称えるか、俺に対する愛の言葉を囁いて欲しい」
《わかりました、では、愛の言葉で》
「えっ」
《ミサキ。貴方が言ったのですから、逃げないでくださいね?》
ふふふ、どうしよう? 思ったよりも相棒の成長が早い、早すぎる。どうする? このままだと俺が、肝心な時に怖気づくヘタレ野郎だということがバレてしまう! もう既にバレているような気がするけど、ええい、これ以上ヘタレ扱いされてたまるか。
なんとか、なんとか都合よくこの話を中断させる何かが――――っと、マジで来たわ。
「悪い、オウル。周囲に気配を感じた」
《…………確かに、こちらへ走ってくる人型の熱源を確認しました。命拾いしましたね、ミサキ》
「あっはっは、なんのことやら。んじゃ、ちょっと警戒するからまた後で」
《はい。しっかり記録して予定を組み込みますので》
微妙に逃げ切れないような気はするが、この場は凌げたのでオッケーだ。
さて、絶好のタイミングで会話を中断させてくれた来訪者は、一体どなたかな? 今の所、敵意や殺意を感じないから心配ないと思うけど、一応、臨戦態勢で。
「ん、んんんっ?」
がざがざ、という葉っぱが擦れ合う音。
規則正しい、呼吸のリズム。
軽やかな足音。
その三つはあまりにもこちらに対して害意の欠片も無くて、思わず首を傾げてしまう。
「――――あ、あのっ!」
事実、荒く息を乱しながら、俺の前に現れたのは一人の少年だ。
まだ十代前半と思しき、幼さが残る顔立ち。ぼさぼさの茶髪。擦り切れたズボンの裾。まるで、どこにでもいるヤンチャな子供のようだが、頬に付けられた痛々しい傷痕が、それらの雰囲気を全てのみ込み、どこか剣呑な何かを感じさせた。
「ふむ、君は?」
「え、ええと、そのっ!」
問う俺に対して、少年が取った行動はただ一つ。
「お願いします」
「ほへ?」
額を割らんばかりの勢いでの、土下座だった。
思わず、俺が呆けてしまうほど、必死な土下座だった。
「オレを、オレを鍛えてくださいっ!!」
まさかこれが、後々まで長く付き合うことになる『一番弟子』との邂逅だとは、流石に、この時の俺では思いもよらなかったのである。




