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第19話 そして、剣は振り下ろされた 1

 『奈落魔女』は常闇によって、六十四番目に生み出された『恐るべき子供たち』だ。

 数ある魔人たちの中でも、長命であり、また、長命であるが故に数多の魔術や薬学、呪術に精通している闇の勢力の中でも幹部クラスの存在である。

 そんな『奈落魔女』が常闇から与えられた特殊能力は、『影渡り』という転移術のみ。

 影を媒体として、自らがマーキングした場所であれば、ある程度の距離を無視して、一瞬で転移が可能な特殊能力だ。

 ただし、あまりにも自分よりも格上の相手には効果を為さない。相手の同意があるのならばともかく、相手に抵抗されれば、同格の相手でもかなり魔力を消費しなければ、転移させることは出来ない。よって、この特殊能力は主に、逃亡と格下相手の拉致に使われていた。


「こんな能力では、とてもじゃないけど光臨兵士相手に戦えないわ。こつこつ、時間をかけて力を蓄えないと」


 しかし、だからこそ『奈落魔女』は他の強大な能力を持つ同胞たちとは違い、隠れ潜み、策略を弄することを覚えた。屈辱を堪えながらも、苦渋を舐めながらも、生き延びることを最優先として考え、他者を圧倒できるだけの力を蓄えるまで、ひっそりと地の底で息を潜めて暮らしていた。

『奈落魔女』という呼称は、この頃の行動から、同胞、敵対する光臨兵士たちから名付けられた物である。即ち、逃げ隠れることしか出来ない臆病者であると。


「なんとでも言うがいい。私は、いずれお前たちを蹂躙してやる」


 確かに、『奈落魔女』は臆病者だった。

 隠れ潜むだけの弱者だった。

 だが、『奈落魔女』はそれだけの存在では無かった。


「強く、強くなってやる、私を見下した奴らを全て、嘲笑うために!」


 屈辱を糧に、『奈落魔女』はひたすら努力を続けた。研鑽を重ねた。こつこつと、魔術書を漁り、居なくなっても気づかれないような弱い冒険者を浚い、呪術の研究に明け暮れた。

 慎重に、慎重に、誰からも必要以上の敵意を受けないように。

 そして、努力と研鑽の果てに、ついに『奈落魔女』は他者を蹂躙するだけの力を手に入れた。


「あはっ、あははははははははっ!! 馬鹿ばっかり! どいつも、こいつも! 正義や、信念や、友情や、愛なんてくだらない物ばかりにこだわって! 感情論に振り回される馬鹿ばかり! ほんと、お腹痛くなるほど笑っちゃうわぁ!」


 『奈落魔女』の恐るべき点は、卓越した魔術の腕や、呪術の知識などではない。本当に恐ろしいのは、弱者であった頃に培った忍耐力と慎重な性格、そして狡猾な頭脳だった。

 知っていたのだ、『奈落魔女』はずっと隠れ潜み、人々を観察していたので、誰しも、感情によって動く存在であると、知っていたのだ。時には合理的に動く存在や、秩序に基づいて感情を殺す兵士も居るが、だからと言って、感情が皆無である存在は非常に稀であると。

 だからこそ、その感情を逆手に取り、『奈落魔女』はあらゆる手を使って人類に絶望を与えて来た。

 幸せな未来を望む美しい少女には、汚泥による凌辱を。

 英雄を夢見る将来有望な少年には、有象無象による蹂躙を。

 秩序を守る守護者である兵士たちには、力が及ばぬ呪術による絶望を。

 今までの屈辱を晴らすかのように、『奈落魔女』はあらゆる者を踏みにじった。嘲笑った。蹂躙した。弄び、楽しんだらゴミのように捨てた。

 今まで耐え忍び、力を蓄えて来たのだから、思う存分楽しまなければ損である、と『奈落魔女』は考えていた。しかし、それはあくまでも己の命が害されない程度で。安全策に安全策を重ね、安全圏で他者の絶望を楽しむ、それが『奈落魔女』の生活スタイルだった。

 しかし、その愉快な生活スタイルの一部が最近、狐面の異界渡りによって邪魔をされて、完璧に手出しできないように対策されてしまったのである。


「な、なんてひどい事をするのかしら? 私が一生懸命手塩にかけて作り上げた呪いを、よくわからない方法で無理やり! しかも、因果レベルで干渉を封じて来るなんて! ああ、これで私はあいつらの絶望がずっと、絶対に見られなくなった! あんなに、あんなに毎日楽しみにしていたのにぃ!」


 『奈落魔女』にとって、狐目の異界渡りがやったことは、コツコツと下準備をしてようやく完成させた料理を横から掻っ攫われたことと等しい。

 折角の美味(絶望)を味わう前に、何もかもを台無しにされたのだ。まるで、極上の料理に、汚らわしい泥をぶちまけられたかの如く。


「許さない、許さないわ、狐面の異界渡り……っ! 私の努力を! 日々の研鑽を! 嘲笑うみたいに反則染みた能力使いやがって! 思い知らせてやる、絶対に思い知らせてやるわ!」


 だから、『奈落魔女』は絶対に狐面の異界渡りを許さない。

 自分の努力を踏みにじり、今までの準備を台無しにするような真似をしてくれた反則存在を、絶対に許すことは無い。


「そんな反則染みた力よりも! 日々の努力と研鑽を積み重ねた者こそが、最後には笑うのだと、教えてあげるわ! あーっはっはっは! あーっはっはっはっは!!」


 『奈落魔女』は高笑いを上げながらも、頭脳は冷静に狐面の異界渡りを絶望の中で抹殺する、恐るべき策略を練り上げていた。

 必ずや、あの反則存在を打倒して見せると。

 深い、深い、地の底。

 陽光も月光も届かぬ、奈落と呼ぶにふさわしい、薄暗い闇の空間で。

 『奈落魔女』にとっての絶対安全圏で、密かに、狐面の異界渡りへ向かう、恐るべき策謀の刃が研がれていた。



●●●


「そぉい」


 俺は一刀の下、『奈落魔女』の首を刎ねた。

 懐かしい一瞬の手ごたえの後に続くのは、鈍い衝撃。どん、という首が床に落ちた音。ついで、ごろごろと数メートルほど転がり、止まった。


「んんー、久しぶりだからちょっと切り口が微妙だな。大戦中だったら、もうちょっと綺麗に霧飛ばせたのに――っと、ああ、悪あがきか」


 即死したというのに、再生を試みる首と、呪いをばら撒き、周囲の生物を皆殺しにせんとする『奈落魔女』の肉体。恐らく、幾重にも仕掛けられた蘇生の保険を発動させているのだろうが、無意味だ。


「ほいほいっと」


 首は空間凍結して、別空間に保持。肉体は空間ごと滅却して、撒き散らそうとした呪いも全て消し飛ばす。このように、死によって分離した魂は一定時間、肉体と接触できなければ大概の蘇生手段は無為になる。加えて、『奈落魔女』の首は、光主へ死体確認用に見せる物なので、用事が住めばそのまま廃棄予定だ。万が一にも、こいつが生き返る可能性は無い。


「まー、超越者だったらここからでも余裕に蘇るというか、そもそも死ねないようになっている奴が多いんだけど……うん、こいつはそこまでじゃないな」


 俺は改めて、『奈落魔女』が隠れ潜んでいたこの空間を見渡す。

 深い、深い、地の底に存在する、地面をくり抜かれて作られているこの空間は、研究室と私室を混ぜたような混沌とした物の配置となっていた。

 インテリアなどはまるで考えておらず、所々に実験器具や瓶詰にされた何かの臓器が置いてアリ、ベッドが置かれた周りは辛うじて片付いてあるが、直ぐ近くの机には何かしらの錠剤が多数散らばっている。


「ふんふん、なるほど、睡眠剤ねぇ……よほど、誰かに復讐されるのが怖かったのかねぇ? それでも、他者を踏みにじる愉悦を止めなかったと。やれ、度し難い愚か者だ」


 この空間には幾重にも侵入者を拒む結界が敷かれ、『奈落魔女』以外の者が訪れれば、即座にあらゆる魔術や呪いで命を奪く仕掛けが施されていた。さっきの蘇生の仕掛けといい、偏執的にまであらゆる何かに怯え、あらゆる対策を講じようとする臆病者。

 それが、『奈落魔女』の本質だったのだろう。


「この程度の備えで、一体、何を驕っていたのやら」


 俺は『奈落魔女』という存在の、あまりの愚かしさにため息を吐いた。

 幾重にも張り巡らせた結界? 魔術や呪術による防衛? そんな物は、無意味だ。『今の俺』にとっては、まるで無意味な仕掛けだ。


「どれだけ積み上げても、上には上が居るってのになぁ。もちろん、この俺だってそうさ」


 手に携えた刀を軽く振って、刀身から血を飛ばす。

 大戦の時からずっと使い続けている、俺が暗殺を行う際に使用する得物――黒塗りの刀身を持つ刀、『黒羽』。空間を支配する権能を持つ機械天使が撒き散らした、切断に特化した黒き羽。それを加工して作り上げた、特注の一品だ。


「俺だって何時かは死ぬ。誰だって死ぬ。戦って死ぬのか、理不尽に殺されるのかはわからない。けれど、死ぬまでの間、出来るだけ悔いなく生きることは出来るんだ。なぁ、『奈落魔女』よ。愚かしい臆病者よ。お前の選択は本当に、悔いのない物だったのか? もっと、何か、他に選択肢が――――なんて、死者へ語り掛ける俺も、大概度し難いな、まったく」


 鞘に納刀した『黒羽』を、別空間に収納。

 再度、俺は淀んだ気持ちを吐き出すように、深くため息を吐く。

 やれやれ、久しぶりの暗殺稼業でどうやら、いささか感傷的になっていたらしい。外道をぶち殺したのだから、もっと清々しい気分で仕事を終えられるかと思ったのになぁ。


「やっぱり、暗殺は上手くいっても気分が悪いったらありゃしない」


 殺した『奈落魔女』の姿を思い出す――――幼い少女の姿だった。

 高笑いを上げたまま、俺に首を落とされた『奈落魔女』の顔を思い出す――――恐怖を愉悦で誤魔化した、作り笑いの死に顔だった。

 どれだけ長く生きているのかは不明であるが、少なくとも、『奈落魔女』の素の姿は無力な少女であり、本質もまた、臆病な子供に過ぎなかった。

 恐怖を誤魔化すために、愉悦を味わい、外道に落ちた子供の末路が、『奈落魔女』という憐れな存在だった。


「怖かったのなら、逃げればよかったのに。もっと、ずっと、最初から」


 有り得なかった仮定を思い描き、俺は即座にそれを消し去った。

 見苦しい。暗殺者が、殺した相手の事を考えるなど、あまりにも見苦しい。己の利益のために殺したのならば、せめて、前を向くべきだ。


「…………やめだ、馬鹿馬鹿しい」


口から吐き出される見苦しい慚愧を断ち切り、気分を切り替える。

 まだ、やるべきことは残っているのだから、こんなところで時間を無駄にしている暇などは無い。手早く、スマートに済ませよう。

 暗殺者であるのならば、殺した相手に感情移入などしないように。

 己の感情すらも、殺して、切り捨てて。

 最良、最短の方法で、殺すべきだ。


「次の相手は、もっとうまく殺す」


 俺は転移術式を発動。きぃん、という甲高い金属音と共に、次のターゲットの下へ向かう。

 ――――早く仕事を終らせて、オウルの声が聞きたかった。

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