第184話 終幕を切り裂いて
彼は最初から限界だった。
【殺せ、壊せ、砕け、呪え、笑え、刻め、喰らえ、全てをっ!!】
脳髄に直接響いてくるような声は、魂に刻まれた憎悪の記憶。
破壊神に至るまでの轍。
恐らくは、破壊神とはその魂に刻まれた憎悪の全てであると、彼は推測していた。だからこそ、最初から彼の敗北は決まっていたような物である。
何せ、総量が違う。
桁が違う、というレベルですらない。
文字通り、次元が違うという領域の憎悪が身を苛むのだ。
どれだけの益荒男であったとしても、自我を保つのは容易いことではない。ましてや、七日間ほど、それを続けるのは至難の業を通り越して、奇跡に近しい。
だが、彼は奇跡と呼ばれるそれを、並外れた精神力で成し遂げていた。
全ては、一つの未練の為に。
親友に殺されるために。
親友を殺すために。
恐らく、最良は相討ち。己の魂は、輪廻のさらに下で眠りにつき、親友は永劫に囚われることなく、消え去ることが出来る。
――――こんな、最低の考えしか思い浮かばないのが、彼にとっては屈辱だった。
周囲が言うように、彼は、自分が主人公ではないかという万能感に酔いしれたことがある。けれど、それは大戦が始まるまで、だ。
沢山の大切な人達が殺されて。
沢山の仲間を犠牲にして。
ようやく未来を掴んだかと思えば、自分は世界を繋ぎとめるための楔に。戦友たちに、未来を繋ぐことを託すしかない有様。
日々眠り、ただ、待つだけしかできない苦悩。
それすらも乗り越えて、親友が自分を解き放ってくれる算段を付けた時は、とてつもなく嬉しかった。柄にもなく、一人、涙が出てしまうほど笑い狂った記憶がある。
だというのに。
挙句の果てが、自分自身が全世界を砕く破壊神の礎にならなければならないと自覚した時の、絶望はどれだけだっただろうか?
何度、頭が焼けつくほど思考しただろうか?
何度、神を呪っただろうか?
何度、諦めないと絶望を噛み砕いて、立ち上がっただろうか?
しかし、しかし、彼は聡明であるが上に、八方ふさがりであることに気付いてしまった。絶対的な破壊。それを防ぐ手段は無いと。
ならば、ならばせめて、どうにか出来ないかと藻掻いて、藻掻いて。
「その果てが、これかぁああああああああああああっ!!!?」
現在、彼は戦友の首を抱きかかえながら、慟哭していた。
流れ出る涙を拭わず。
あふれ出る破壊の力をそのままに。
喧しく鳴り響く憎悪すらも塗り替えて。
彼は――石神春渡は怒っていた。この理不尽な運命に対して。
「くふふ、愚かだねぇ、破壊神の転生体。かつての英雄。君がもうちょっと我慢してくれたら、話は簡単に済んだのに。まぁ、これも試練という奴さ、カンナ君」
無論、何物にも捕らわれぬ道化師に対しても、怒っていた。
例え、どれだけの力を込めようとも無意味な、無敵存在に対して、彼は世界を億千万ほど纏めて屠るほどの威力を持った破壊を振るおうとして、
「さぁ、逆転の時間だ。格好良く、全てを掻っ攫って行こう」
道化師の姿が、瞬く間に掻き消えたことで、それは止まる。
「…………は?」
二度目の疑問。
あっけに取られて、破壊神の衝動すらも何処へやら。
ただ、呆然と、理解不能のまま周囲を見渡そうとして、ふと、気付く。
「よぉ、ハル」
抱きかかえているはずの親友の頭がいつの間にか消えて。
代わりに、すぐ傍らに、黒髪の少女が出現したことに。
「君、は」
美少女と呼ぶには、少しばかり間の抜けた外見だった。
けれど、その三枚目の笑みは不思議と、彼の心を鎮める。懐かしい、かつての日々を思い出す。大切な親友を思い出す。加えて、その少女の服装はほとんど、ミサキが纏っていた異界渡りとしての姿格好そのままで。
「もう大丈夫だ、安心しろ――――俺が、俺たちが居る」
だから、少女に体を抱きしめられた時、身を委ねるのに、抵抗はなかった。
そして、彼はようやく微睡む。
破壊神として覚醒してからずっと、眠れていなかった彼は、ようやく、安心と共に眠りについた。
●●●
死ぬ。
死んだと、俺は確実に理解した。
同時に、輪廻に落ちていく前に、上の方に引っ張られていく感覚がある。
なるほど、これが契約による縛りなのだと、納得していると、どこからやら不快な笑い声が聞こえてくる。
『く、くくくく、くふ、ふふはっ』
クロエの笑い声にも似ていたし。
自分の笑い声にも似ていた。
だが、自分を嘲笑っている事だけは確かだったので、苛立ちのまま手を伸ばして――――そのまま、『何か』の胸倉……っぽい場所を掴む。
『――――えっ!?』
「ちょうどいい。テメェも来いよ、クソッタレの運命神。テメェに、見崎神奈を見せてやる」
急速な浮上。
ぶちりと、何かを掴んだまま一部を引きちぎって持って行くような感覚。
それは、生まれて初めて空を飛んだ時よりも爽快で。
上を目指すための帰路は、光に満ちていた。
『クロエ!』
『おうとも。眷属の願いにより、私は君と共に在ろう。君と混ざり合って、上に行こう』
現世に舞い戻った俺は、契約の通り、クロエの眷属となり――――昇華する。
存在の格を上げる。
破壊神に干渉できるようになるまで、高く。
方法ならば、俺のマクガフィンがある。
あれは、何物にでもなれる可能性の雛型――――つまり、亜種のエンブリオでもあるのだ。ならば、俺が望めば、高次の存在に至るすらも可能だろう。
もちろん、そんなことをすれば、この俺の記憶や精神がそのまま保持されるとも限らない。昇華の影響で、致命的なまでに人格を損なうかもしれない。
そこで、俺はクロエの無敵性を獲得するために、一度死んで、眷属に。
加えて、クロエと俺は溶け合って一つの存在へと変化する。契約しているからこそ、可能な荒業。神に近しい存在であるからこそ、為せる業。
それを為す意味は、ただ一つ。
破壊神の破壊すら、乗り越えたという『優位性』獲得するため。
これにより、俺の存在は破壊神によって破壊されない。
多少ならば、力を抑え込むことも可能だ。
『オウル!』
《貴方の亡骸の中で、準備は出来ていますよ、ミサキ》
次いで、俺の亡骸の中で、機械天使の中で待ち構えていたオウルとも合流。
機械天使の肉体と、クロエの肉体を混ぜ合わせて、新しい肉体を作り出して、新生する。
マクガフィンであり、『何者でもなれる』俺だからこそ、貫き通した無茶。
『くふふ、合流お疲れ、オウル君』
《混ざりきらない内に、私が回収されて何より》
『一つの体に、三つの人格って、騒がしいにもほどがあるな! 嫌いじゃないけど!』
オウルを回収したなら、素早く人格を分割。
魂を混ぜ合わせても、人格を分割すればセーフ。セーフなのか? まぁ、いいや。とりあえずは、この無茶を最後まで遂げよう。
「もう大丈夫だ、安心しろ――――俺が、俺たちが居る」
あっけに取られるハルの体を抱きしめて、俺はゆっくりと安心させるようにハルを微睡みに誘う。
すると、ハルはすんなりと眠りにつき……代わりに、破壊神としての憎悪が浮かび上がってくる。
【壊す、壊す壊す壊す壊すコワスコワスコワスっ! 全テぇ!!】
嘆く人々の記憶。
魂に刻まれた、悲劇を繰り返した輪廻の記憶。
俺は、そこに触れる。
一度死者になったからこそ。
かつて、ハルの異能で強固につながったからこそ、俺は破壊神の魂に触れられる。
その記憶の中へ、潜り込める。
「さぁ、寄り添おう」
無数の悲劇の中へ、俺は身を投じる。
数千、数万よりも多い数に意識を分けて。
全ての悲劇を体験し、傍らで記憶の主と寄り添う。
「お前の、貴方の、君の、嘆きが癒えるまで」
これが、俺の答えだった。
誰かを倒すんじゃない、殺すんじゃない。
嘆く誰がが居たなら、傍に居て、寄り添う。
それが、異界渡りとして見つけた、俺の答えだった。
「破壊神よ。無数の嘆きよ。救われなかった者たちよ。もう既に、過去となった者たちよ。事実は変わらない。過去は変わらない――――それでも、俺はお前たちへ、言おう」
破壊神が、嘆きと憎悪で世界を壊そうとするのならば。
その全てに寄り添って、壊さないようにと願うことが、俺のやるべきことだった。
「待たせたな! 俺が、見崎神奈だ! お前たちが待ち望んでいた、悲劇を覆す者だ! さぁ、望めよ! お前にとってのマクガフィン(ヒーロー)を! 都合よく! 道理も覆して、俺がお前たちを救ってやる」
故に、俺は傲慢だとしても止めない。
数千、数万以上の俺が、悲劇の記憶を覆すことを。
病で愛する人が亡くなりそうな物には、薬を。
力が足りなく、怪物に殺されてしまいそうな者には、共に力を合わせることを。
言葉が足りなく、友とすれ違う者には、喧しく、空気が読めないお節介を。
悪魔に惑わされる者には、悪魔よりも性質が悪く、頼りになる悪党を。
天使に追われる者には、天使すらも食い散らかす、機械天使の群れによる蹂躙を。
ありとあらゆる不足に、ありとあらゆる補充を。
『――――そんなご都合主義が通るとでも?』
だが、そこはクソッタレな運命に雁字搦めにされた悲劇たちだ。
俺の傲慢を咎めるように、運命という縛りが、彼らの記憶を悲劇として決定づけようとする。
「通すさ。他でもない、お前がな! 運命の女神っ!!」
無論、俺はとても賢くて、なんかこう、凄くて、誰からも頼りになる異界渡りなので、こういう時も予め、対策を考えておくものだ。うん、こう、えーっと、ほら思いついた!
《肝心な局面でも、こういう所がありますよね、ミサキは》
『そういう所も愛しているよ、カンナ君』
ありがとう、ありがとう!
忙しく働きながらも、俺へのツッコミを忘れないオウルとクロエへ感謝の意を示しつつ、運命というシステムの擬神化へ、言葉で挑む。
「新たなる神として、運命というシステムに命じる! 『誰しも、定められた結末に抗う権利を!』 例えそれが、愚行だったとしても! 不幸になったとしても! 自らの運命に、宿命に抗う権利を与えろ! それが、俺の願いだ、運命神っ!」
『――――無茶苦茶な』
聴覚ではなく、直接に魂に響く意思として運命神の呆れた感情が、聞こえる。
呆れていて、だけど、どこか楽し気な声。
期待と、織り交ざったのは、賞賛の意思。
『けれど、面白い。運命に対して、よりにもよって定めに抗う運命を示せなんて、矛盾が過ぎる。でも、だからこそ、面白い。先がある、楽しみも、愉しみもありそうだ』
だからこそ、試すような意思が、俺の魂へ問いかけられた。
『ならば、貴方はどのような神になるのだろうか? 全知全能に近しい癖に、最も望む友を得られない愚かなる創造神? 全世界を砕き、けれど、本当に砕きたいのは己自身である、破壊神? 貴方の在り方を、運命に示せ。覚悟を示せ。この次元に居られなくなっても、通したい願いがあるのならば、証明しろ』
神としての在り方を。
己の願いを、貫くための覚悟を。
それらを証明するための言葉を求められている。
ならば、答えよう。神様なんて柄じゃあないけれど、問われたならば、答えてみせよう。
精々、威厳たっぷりに。
気取って、格好つけて。
「我が名はミサキ神! あらゆる自由の先触れを示す神である! 定められた何かに抗い、先を目指して進む者にこそ、我が『御先』の祝福は与えられん!」
『――――よろしい、認めよう。自由を与える癖に、誰よりも因縁と宿命、何より、人の繋がりに縛られることを望んだ、矛盾の神よ。運命を覆し、運命すらも味方につける貴方を! ミサキなる、自由への先触れを! 新たなる神として、認めよう!』
俺の答えに、運命が応じた瞬間、全ての意思が光明を見出した。
破壊神の魂に刻まれていた悲劇の数々が、俺たちの意志によって、覆っていく。
もちろん、全てが円満解決じゃない。
憎まれたり、恨まれたり、逆に余計なお世話だと嫌われた場合もあるけれど。
それでも、憎悪を誰かにぶつけて、世界を砕くのは間違いであると認めてくれた。
「…………かん、な?」
だから、ここからさらに、もう一仕事、頑張ろう。
「よう、ハル。いいお目覚めだな?」
「や、いいお目覚めというか、親友が本格的にTSして、神様になっている現状が受け入れられないというか、え? どうするの? このままだと、絶対、怒られる奴じゃん。僕も君と同じく、このままだと高次元に行かざるを得ないというか、世界がもたないし」
「そこは、高次元に行って、創造神を殴ってから考えればいいだろ?」
「うわぁ、後先考えて無いなぁ、相変わらず。でも、まぁ、殴るのだけは大賛成」
「だよな! んじゃ、殴ってから考えるということで――――ハル」
「ん、大丈夫、分かっているよ、神奈」
目覚めた親友の手を取って。
段々と、離れていく世界の次元(高さ)を惜しみつつ。
「「目指すは、完全無欠のハッピーエンドだ」」
俺たちは、まだ先を目指すと決めた。
親友を救い、全世界を救い、それ以上の結末を求めた。
いつかまた、遠くない内に、待っていてくれる皆と出会うために。