第183話 旅の果てに、君と 5
「クロエ」
「くふふ、言わなくても分かっているとも」
「ん、頼む」
「任せておきたまえよ、君。これでも、それなりに長い付き合いだからね。うん、でも、悪くない気分だとも」
「そうか? 俺としては、面倒だと思うんだがな、これ。少なくとも、自由ではなくなる」
「なら、私はこう返そう――――私はずっと、その面倒が欲しかった。自由ではなく、この束縛が欲しかったのだと」
「そうか。なら、まぁ、残念だったな」
「ふむ、何が?」
「俺が最高最上のハッピーエンドを決めたら、面倒は少なくなるからな」
「くふふふっ、そうしたら、残った面倒を愛するよ。大切に、大切に、ね」
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「オウル」
《はい、何でしょうか、ミサキ》
「あー、その、あれだ……んーっとな?」
《はっきりと言いなさい、このヘタレ》
「は、はい。それじゃあ、その、俺と一緒に死んでくれ、オウル」
《お断りします》
「……そうか。よかった、なら、少しだけ安心――」
《頼み方が気に食わないです。命令しなさい、我が相棒よ。死んでくれ、ではなく。傲慢に、人らしく、機械の私に命令しなさい》
「………………ああ、まったく。こんな時まで、厳しいな、お前は」
《優秀なサポートAIですので。駄目な相棒の背中を蹴り飛ばすために存在していると、証明しているのです》
「ん、わかった。なら、命じるよ、オウル。俺と一緒に、死ね」
《了解しました。では、共に黄泉路を参りましょう》
●●●
場所は見当がついていたが、無駄足を踏むのも嫌なのでオウルに探査させた結果、やはり、予想通りの場所だった。
今のハルは非常に不安定だ。
破壊神の魂に刻まれた数多の憎悪によって、押しつぶされそうになっている。
ならば、自我を保とうとするのらば、何処に身を置くべきか? 答えは簡単だ。過去。即ち、俺たちの日常の残滓に浸っているはず。
例えそれが、今は既に廃墟と張り果てた場所だったとしても。
校舎が半壊して、辛うじて崩れていないだけの学校だったとしても。
「やはり、ここにハルが居るのね?」
そして、俺に分かるということは、即ち、事情を知ってさえいれば、同じ立場の人間も辿り着く可能性があるということである。
そう、俺と同じ、三大英雄の一人。
『港』を管理する幹部の一人。
博士という愛称を好む、俺のかつての戦友。
「教えなさい、見崎君。一体、どうすればハルに会えるの?」
久城千尋が、焦燥に駆られた表情で、俺たちの前に現れた。
ちょうど、校門の前で立ちふさがり、俺たちがこれ以上進むのを拒むかのように、動かない。
「教えたところで、どうにもならないぜ、博士」
俺は傍に控えるクロエが動き出しそうなのを、片手で制しつつ、博士と言葉を交わす。
「視点が違う。今のあいつは、俺たちよりも半歩、次元が上なんだ。だから、いくら探しても見つからない。見つかるわけがない。高さが違うんだから……こんなの、俺よりもよほど、頭の良いアンタが思いつかないわけが無いだろうが」
「でも、貴方は会えるのでしょう?」
「資格があるからな」
「資格って何?」
「異能だよ。俺の異能マクガフィンが、破壊神を殺す資格になるらしい」
「殺すの?」
「殺すわけがねぇだろうが、馬鹿が」
「そうよね、知ってる。貴方は、いつも、そういう奴」
呆れるように。
痛みをこらえるように。
博士はほんの少しだけ、笑う。
「無茶をするのでしょう?」
「実行可能だから、無茶じゃない」
「命を賭けるのでしょう?」
「最終的に上手くいくから、問題ない」
「ハルを、助けに行くのでしょう?」
「当たり前だ、親友だぞ」
「…………一緒に、行けなくてごめんなさい」
「謝るな、馬鹿。お前はさ、いつも通りの仏頂面で、俺たちが帰ってくるのを待っていればいいんだよ」
博士の気持ちが、全てわかるわけじゃない。
だが、無念の苦悩は、痛いほどわかる。
大切な人の生死が、自分の届かない場所で決まってしまう理不尽を、俺は知っている。俺たちレジスタンスは皆、そういう痛みを知っている。
だからこそ、こういう時、俺はどういう風に言えば分かっているのだ。
「大丈夫だ、博士。この俺に、見崎神奈に任せておけよ」
「…………その台詞。決め台詞にするには、ちょっといまいちよね?」
「おっと、この最終局面で辛辣なご意見。でも、まあ、いいんだよ、これくらいで。俺みたいなやつはさ、あんまり格好つけると駄目なんだ。少し、間が抜けているぐらいがちょうどいい」
「ふ、ふふふ、なにその、強がり」
博士は、泣かない。
博士はもう、泣かない。
この瞬間、瞳がふるふる震えていて、今にも雫が零れ落ちそうだったとしても、泣かない。
涙を流してお見送りなんて、俺たちの間では湿っぽい。
「じゃあ、行ってらっしゃいな、馬鹿」
「行ってきます、博士」
いつも通りに。
あっさりとしているような挨拶で。
博士は俺たちに道を譲った。
俺は、強がる博士の笑みに手を振って返して――――その直後、博士の姿が真っ黒な卵型の物質へと変化した。
エンブリオ化だ。
「…………時間がない、か」
学校の敷地内に入った瞬間、ぞわりと、世界がずれる違和感を得た。
故に、此処からは駆けだす。
空間転移を使う間隙すら許さず、大地を蹴って。虚空を蹴って。そのまま、目的の教室まで突撃する。
「ハルっ!」
親友の声を呼びながら、俺は教室の窓ガラスをぶち破って中へ。
もう既に、天井も吹き抜けで、床だってまともに存在しない。ただ、壊れた残骸のような有様の教室に、一人、学生服姿の少年が――――ハルが佇んでいた。
「やぁ、ミサキ」
ハルの表情は澄んでいた。
けれど、その手元は夥しいまでの自傷に満ちている。何度も、何度も、正気を保つために、自分で自分の手や腕を掻きむしった後だ。
それでも、ハルの表情は暗くない、明るい。狂気の色も無い。
「僕を殺す覚悟は、決めて来たかい?」
見栄かもしれない。
意地かもしれない。
ただ、一つの事実は、破壊神の記憶に押しつぶされそうな今でさえ、ハルはいつも通りのハルだということ。
その事実を見て、俺は思わず頬を緩ませた。
ああ、こいつはやっぱり、こういう奴なんだな、と。
通りでモテるはずだ、と。
《何を考えているのか推測できたので、ツッコミましょう。貴方も人の事が言えないのでは?》
オウルからの的確なツッコミを受けても、やはり、笑みを抑えられない。
なので、仕方なく、笑みを浮かべながら、俺はハルへ答えた。
「そんな覚悟、決めるものかよ。それよりも、ハル。お前は覚悟を決めたか?」
「君に殺される覚悟なら、とっくの昔に」
「ばぁーか、ちげぇよ」
答えながら、アイテムボックスから、一つの刃物を引き抜く。
黒塗りの刃。
されど、『黒羽』とは違う、取り回しの効く大型ナイフ。
【黒色殲滅】の羽根を加工した、予備の一本。
今までの旅では使わなかったこれだが、今、ここでその役割を果たそう。
「一緒に、最高最上のハッピーエンドを掴むための、覚悟だよ」
躊躇いは既に、置き去った。
ナイフの使い方は、幸いなことに『導師』から既に会得している。
故に、
「さぁ、行くぜ?」
ざしゅっと、思ったよりも簡単に、自分の首を落とすことが出来た。
「…………えっ?」
あっけに取られたハルの声が聞こえると同時に、俺の視界がぐるりと回る。
ぐるん、ぐるんと、視界が何回転かして。
どすんっ、という重々しい音が響いたのが、最後だった。
俺は、見崎神奈は、その生涯の幕を下ろすことになった。