第181話 旅の果てに、君と 3
例えば、見ているテレビのチャンネルがいきなり切り替わる感覚。
映画館で流れている映像が、知らない内に違う物にすり替えられているような違和感。
けれども、違和感を覚えながらも、それを受け入れざるを得ないという心境。
さながら、夢の中で突飛な行動を強いられても、夢の中だから仕方ないと、納得してしまうような、あの不思議な感覚。
それを、とある少女は味わっていたらしい。
『何故だ!? 何故、私はこんなにも……弱いんだっ!?』
少女はその時、とある女剣士だった。
人生を悲劇として、幕を閉ざされてしまった、憐れなる天才剣士だった。
『女だからなのか? 女だから、私は弱いのか?』
幼い日の約束。
天才の名を関する少年との闘い。
時間が経つにつれて、弱くなっていく自分の体。
かつて、少年にとって強敵であった自分は、いつの間にか女としか見られていなかった。
『男であれば、私はお前と並べたのか?』
かつての天才少年は、幾度の戦いを経て英雄へ。
女になってしまった少女は、遠くからその武勇を耳にするだけ。
許せなかった、自分自身の弱さが。
許せなかった、女として生まれてしまった自分が。
だから、だから女は――――悪魔の手を取ったのだろう。
『彼と並び立つ力は与えましょう。ですが、貴方がその力を手にすれば、憎悪に飲まれて、彼を殺してしまうかもしれません。後悔しか残らないかもしれません、それでもよろしいですか?』
『構わない。それで、彼と並び立てるのならば』
かくして、女は悪魔の力を得て、修羅となる。
柔らかく美しかった肉体は、化物のそれに。
剣を扱うために、最適化された偉業は、剣士から見れば芸術の如く美しく、されど、人として見れば、ただの異形に過ぎない。
それでも、それでも、女は憎悪に飲まれながらも、残った理性で英雄と相対を果たす。
借り物の力かもしれない。
本来の実力では無いかもしれない。
だが、それでもよかった。自分が化物と成り果てても、焦がれる彼と、かつてのように並び立つように戦えるのならば。そう、例え、彼に斬り殺されたとしても。英雄の覇道の轍になるのならば、本望だったのだ。
『――――――なん、で?』
けれど、勝ってしまったのは女だった。
化物と成り果ててしまった女が、英雄を斬り殺して勝利した。
何故? 理由は簡単。されど、悪魔に唆されて、憎悪に飲まれてしまった女には気づけない。
英雄が、女を斬れなかった理由を。
剣が鈍ってしまった、その理由を。
女として愛されていた事実を、化物は気づけない。
『魂がより、上位へ至れるように。適度な絶望を。適度な希望を刻むのが、悪魔の役目。されど、ああ、我が創造主よ。貴方はいささか、残酷すぎる。それほどまでに、同胞が欲しいのか』
化物が最後に聞いたのは、嘆く悪魔の声。
その声を最後に、化物は理性が消え去り、身も心も完全に怪物になってしまう。
これが、三つの国を滅ぼし、七人の英雄たちの尽力によって討たれた剣魔の末路。
破壊神へ至る轍の一つ。
エンブリオへと押し上げるため、破壊神が人類に干渉する際、無意識の間に垂れ流す魂の記憶だった。
『――――――憎い、憎い! 己の愚かさも! 悪魔も! 英雄も! 何もかもが!』
燃え上がる憎悪。
破壊神に捧げられる、憎しみの一つ。
触れられてしまえば、資格なき魂は共に、憎悪に焼かれるしか道は無い。
そう、世界を滅ぼす存在へ作り替えられるしかないのだ。
破壊神の権能に、人類は抗えないのだから。
故に、この記憶へ強制的に触れさせられている少女もまた、他の知性体と同じく、全世界を砕く爆弾へと変えられる。
「こんなところで、なーにを呆けているんだ、ミユキ。ほら、さっさと起きろ」
魂に同居する、愛しい者の声を聞かなければ。
「…………え?」
気づけは、少女――――ミユキは、とある映画館に居た。
薄暗く、がらんどうの映画館。
流されている映像は、先ほど共感させられた剣魔の悲劇。
此処は、誰かの心象風景――――その境界線上。
混ざり合った魂であるミユキだからこそ、到達できた領域である。
「こ、ここは?」
「なんだよ、寝ぼけているんだよ、ミユキ。ほら、さっさと現実に帰るぞ、馬鹿」
「……なんか、力が抜けて、立ち上がれねぇ」
「んもー、しょうがない奴だなぁ、お前は」
「わ、わわっ、おまっ、このっ!」
「魂が混ざり合った仲なのに、今更何を恥ずかしがっているんだか」
ミユキは、誰よりも美しい女の姿をしていながら、馬鹿みたいに強い『男』に背負われて、映画館から出ていく。
上映されている悲劇なんて、気にも留めずに。
軽々とした足取りで。
「なぁ、ミサキ」
「なんだよ、ミユキ」
「あのさ、あれ。あのクソみたいな、悪趣味な悲劇。一体、何が悪かったんだろうか? どうすれば、良い感じになれたんだろうな?」
「あ? んなもん、決まっているだろうが」
あっけからんと。
実に、あっさりと。
「素直に、一緒に居て欲しいって言えば良かったんだよ、馬鹿が」
身も蓋も無い言い方で、悲劇を罵倒して見せたのだった。
故に、ミユキはエンブリオへと変化しない。
『――――――ああ、そうだったんだ、私は』
破壊神の魂に刻まれた記憶。
愚かな剣魔自身が、己の憎悪を手放してしまったのだから。
かくして、たった一つの例外が、ここに生まれたのである。
●●●
「……そんな感じで、いつの間にか現実に戻ったんだけど、いや、驚いたぜ。だって、アタシ以外、何か変な黒っぽい卵になってんだもんなぁ。てっきり、超越者からの攻撃だと思って、慌ててミサキに連絡しても、音信不通だったし。その、心配したんだぞ、馬鹿」
「やー、それに関しては何も言えねぇわ、あっはっは!」
「笑いごとじゃねーよ!」
『港』で何とか博士を宥めて、ある程度の状況説明義務を果たした後、俺は一端、自宅に戻っていた。目的は休息……ではなく、秘密裡にミユキを呼び出して、話を聞くため。
そう、運命に選ばれた資格ある者たちでないのに、破壊神のエンブリオ化から逃れたことに関して、俺はミユキから聞き込みをしているのである。
「言っても無駄かもしれねーけどさ、無理はするなよ。アタシは、その、アンタともっと、こう、な? 色々、愉しいことをしたいんだよ……オウカと一緒に、異世界を旅したり……たまに、二人っきりで……な?」
結果から言えば、ミユキから聞き込みした情報は非常に有用な物だった。
いや、有用なんてレベルでは無く、はっきり言って、光明だ。袋小路に迷い込んで、何もかにも闇の中に閉ざされてしまいそうな俺の思考を照らす、雷光の如き荒々しい光明。
はっきりと言おう。
俺はこの場で、全世界の救済方法を、ハルを助け出す方法を見つけ出すことが出来た。
バッドエンドを叩き返して。
運命を覆して。
ハッピーエンドをこの手に掴むチャンスを、俺は得ることが出来たのである。
「あー、ミユキ?」
「なんだよ?」
「その、な? どうして、俺の太ももに手を伸ばすんだ?」
「すべすべで気持ちいからだ」
「ん、確かに。確かに、この肉体は超美肌だけど? そうじゃなくて」
「アタシは、したい。ミサキは、違うの?」
「ん、んんんんっ」
それはそれとして、何故か現在、顔を真っ赤に染めたミユキに迫られているのだが。性的な意味で。うん、実際にこういう状況だと、ギャグにもならねぇ。
『オウル! オウル! なんでこうなったの? 理由をプリーズ』
《行方不明の想い人。不安を打ち明けたメッセージの返信がやっと返って来た。自宅に呼ばれて、二人きり。普段、パンツルックで動きやすさ重視の自分が、可愛らしさ重視で、かつて想い人が褒めてくれたワンピースを着ている……導き出される答えは?》
『メニュー画面から、回想シーン一覧に追加されそうな奴だ』
《はい、その通りです。というわけで、抱きなさい。幸いなことに、貴方は女の肉体なので、妊娠したい派のリズに責められることは無いでしょう》
脳内会話でオウルに説明を求めた結果、全てを理解した。
これ、あれだ。最終決戦前のあれな感じだ。
「なんとなく、わかるんだ。アタシの中にはアンタが居るから……だから、アンタが今、何か凄いことを決意しているってことぐらい、分かる。でも、でもさ、不安なんだよ。置いていかれるんじゃないかって、アタシ……」
しかも、駄目だ。
普段、気丈に振舞うミユキが涙を浮かべて、俺に抱き着いてくるのだから、駄目だ。
全世界を救うとか、親友を救うとか、色々やるべきことはあるのに、今だけは、ミユキの涙を拭うことを優先したくなるから、駄目だ。
「ミユキ」
「ん、あっ」
俺はミユキの体を抱き寄せて、そのままぎゅうと、適度な力強さで抱きしめる。
「大丈夫だ。お前の不安なんて、俺がいつでも笑って蹴飛ばしてやる。いつだって、最悪を覆して、最高を証明して見せる」
「み、みしゃきっ」
「緊張してんなよ、馬鹿。お前から手を出して来たのに。でも、安心しろ。俺だって精一杯なんだ、実は。だから、一緒に触れ合うことから始めよう」
「ひ、ふ、ん……あ、んんんっ」
そのまま、ゆっくりと押し倒して。
はしたなく。
変態的で。
非生産的かもしれないが。
自分が名前を付けた、可愛らしい女の子と温かい触れ合いを始めた。
『オウル、検索だ! キーワードは女の子同士! セックス! 初体験! リード!』
《ミサキ、二度目でしょう?》
『この体では初体験だから、色々勝手が違うんだよぉ!』
ミユキの幻想を崩さないように、精一杯格好つけて。
されど、裏では水面下の白鳥の如く足掻きながら。
俺は、決戦前の、最後の日常を楽しんでいた。