第18話 エロ本長者には成れない 8
「うぼあー」
俺はいつも通り、看板娘みーちゃんの宿でだらだらと時間を過ごしていた。
数ある部屋の中でも、一等に良い質の部屋を借りて。ふかふかのベッドにごろりと横になりながら、何をするでもなく奇声を上げていた。
「うぼあー」
《そんなに呆けているのならば、最初からやらなければよかったのでは?》
「うう、そんなこと言うなよー、オウル。俺は別に、秘宝を使い切ったことを後悔しているわけじゃないんだよ。うん、それだけは絶対に後悔していない」
俺は瞼を閉じて思い出す。
秘宝を使うことによって、俺は数多の物語を生み出せた。その時に出会った人々の笑顔、決意の言葉、喜びの涙、それら全てを俺はきちんと覚えている。
後悔なんてしていない。
例え、何度同じ場面をやり直したとしても、俺は変わらず秘宝を使うだろうという確信もある。あの時、あの場所で、あれが俺にとっての最善だった。
誰かのために、では無くて、俺が善いと思うことのために、俺は行動したのだ。
だから、俺は後悔なんてしていない。むしろ、誇らしげな土産話として、周囲に自慢して回りたいぐらいである。
「ただ、それはそれとしてなー。がっつりと儲けた分ががっつりなくなると、こう? 妙な虚脱感があるというか」
《元々、かかった費用はエロ本分だけと考えると気が楽になるのでは?》
「んんー、ま、それもそうかー」
今のご時世、良質なエロ本を揃えるのにはそれなりに苦労したのだが、うん、流石に秘宝とは比べられない。そのように考えてみれば、少しは気が楽になる。確かに、元々のコンセプトはそんな感じだったしなぁ。
「あーあ、それでも結局、わらしべ長者みたいにはいかなかったぜ」
《わらしべ長者とは、あの物々交換で長者にまで成り上がったラッキーボーイの事ですよね? あの後絶対、金の使い方が分からずに破産することが確定していそうな》
「昔話でそういうリアリティを持ち出すのは止めなさい、オウル。それを言ったら、桃太郎だってただのハックアンドスラッシュになっちゃうだろ?」
《昔話を参考にして、お金儲けをしようとしていた人の言葉とは思えませんね?》
「うぐっ」
《しかも、思いっきり失敗していますし》
「うぐぐぐっ。だ、だってしょーがないじゃんかよぉ。わらしべ長者に例えると、わらしべがいきなり長者屋敷に変わった気分だったもんよ」
《そのままゴールしてしまえばよかったのに。ああ、けれど、そうできない理由があったのでしたね?》
「何事も儲け過ぎは良くないという教訓だったわ」
現実は昔話みたいに、とんとん拍子には進まない。
むしろ、昔話を凌駕する勢いでとんでもない出来事が起こることもあるし、逆に、驚くほど退屈で順当にしか進まないこともある。
けれど、自分で自分の物語を作っていくことぐらいは出来る。
今回、俺の物語は成金野郎が浪費の果てにすっからかんになるような喜劇だったのかもしれないが、俺は俺なりにこの結末に納得していた。
何故なら、俺の懐は寂しいことになっているが、それでも、胸の中にはたくさんの思い出や、形にならない価値ある物が詰め込まれているのだから。
「うむ、これからしばらくはこつこつ地道に仕事をしようと思うぜ」
《そうしてください、ミサキ。けれど、光主からの依頼もとっくに達成しているので、まずは依頼主から探さないといけませんね》
「ん、言い忘れていたよ、ごめん。光主からの追加依頼があるから、まずはそれをさっさとこなす感じになるね」
《はい? そんな話――――ああ、なるほど。『天上の間』では私との通信が遮断されていましたね。その時にでも新しい仕事を請け負ったのですか?》
「まー、今回、光臨兵士たちの仕事を横から掻っ攫ったからなー。その分の埋め合わせというか、世界一周の成果が妙なところで出たというか」
俺は『天上の間』での光主との会話を思い出す。
創世の時から、ずっと光の勢力を管理する人類の守護者との会話を。
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そこはこの世界のあらゆる建物よりも高く、否、空を揺蕩う雲よりもさらに上層に位置する空間だった。
天井は無く、見上げれば、夜でもないのに空に浮かぶ星々を確認できるほどの高度。
足元には真っ白なミルクにひと匙、灰を混ぜたかのような明るい銀の床が続いている。だが、広さはそれほどではない。精々、教室一つ分ぐらいか、それ以下の広さだ。
「なるほど、お話は分かりました」
そして、俺の眼前で『どこかの会社のオフィスにあるような簡素な机』に肘を着き、同じく簡素な椅子の背もたれに体を預けている男が居る。
二十代中盤ぐらいの若さの男で、くたびれたサラリーマンのように色あせたスーツ姿をしている。顔つきは特にこれと言った特徴の無い優男であるが、目元には軽く隈が浮かんでおり、その所為で不気味で不健康な印象を抱かせる。
この、明らかにファンタジーな世界には場違いで、疲れ果てた社畜のような姿の男こそ、この世界に遍く加護をもたらし、人類全てを照らす信仰対象――――光主と呼ばれている、絶対なる支配者だ。
「そちらのご要望通り、『奈落魔女』の呪いの件については貴方にお任せします」
「ふむ、いいのか? かなり我侭なことを言っているという自覚はあるが」
「いえいえ、むしろ、こちらとしては有難い限りです。異界渡りの貴方に全て費用を受け持ってもらい、部下の一人を助けていただけるのですから」
「…………アンタがそれでいいなら、俺は何も言うことは無いが」
光主は、疲れ果てた笑みを浮かべて、俺の言葉を歓迎する。
「是非、お願いします、ミサキさん。私は立場上、部下とはいえ、個人に対して贔屓をすることは出来ませんからね。いやぁ、本当に助かりました、ありがとうございます」
それどころか、易々とこちらに頭を下げて、礼を言う始末。
やはり、この世界に来て挨拶した時もそうだったのだが、まるで威圧感を覚えない。創世の時より、ずっと人類を管理する支配者を目前としているといのに、何の畏れも抱けない。代わりに、ごく普通に、サラリーマンと商談を交わしているような錯覚すら覚えてしまう。
俺は、それが何よりも恐ろしい。
とてつもなく強大であるはずなのに、その存在の圧力をまったく感じさせない、強かさが何よりも恐ろしい。
「しかし、これだけこの世界のために尽力していただいているというのに、こちらから何も無しというのは、流石に心苦しいので、何か謝礼を差し上げたいのですが……申し訳ありません、私は立場上、対価も無く何かを差し出すことも出来ないのです」
「ん、あー、いやいや、お構いなく」
「いえいえ、それでは私の気が収まりません。よろしければ、こちらから『簡単なお仕事』を割り振らせていただき、その成功報酬を出来るだけ高く見積もるというのはいかがでしょうか?」
「…………なるほど、『簡単なお仕事』ねぇ?」
「ええ、貴方にとっては、とても簡単なお仕事です」
疲れて荒んだ目を細め、光主は俺に一枚の書類を手渡してくる。
書類に記されているのは全て、常闇が生み出した『恐るべき子供たち』のプロフィールであり、人類に与えた存在、そして位置情報だった。
「リストの内で最低二名、排除していただければ、こちらとしてもなんの憂いも無く謝礼をお支払い出来るのですが」
「ふんふん、つまり、『融通してやったんだから、こちらの話も飲め』ってことかな?」
「はは、そんな、まさか。たかが一文明の管理者程度の私が、あの名高き『超越者殺し』へ、そのような図々しい真似などできませんよ」
「…………やっぱり、知ってたかぁ」
光主はへらへらとした笑みをこちらに向けてくるが、油断ならない。油断できるわけがない。千年以上、人類を支配し、管理して来た存在に対して、話術や交渉でアドバンテージを取れると思えるほど、俺は己を過信していない。
現に、光主は説明していないはずのこちらのプロフィールを知っていたのだから。
「貴方の御高名は、この辺境の世界にも轟いておりますのでね、見崎神奈様」
「そりゃあ、驚き。知らない間に有名人になっていた気分だ」
「あはは、よろしければサインをいただいても?」
「あっはっは、どう見ても明らかに仕事の契約書にサインさせようとしているなぁ、おい」
「ちょっとした茶目っ気ですよ」
「あっはっは――――うん、やめだ。アンタ相手にこういうことで争っても仕方ない。良いだろう、その仕事は引き受けるぜ。それで、謝礼兼報酬ってのは何だ?」
「仕事を引き受けてから、報酬の話をする当たり、やはり噂通りの傾奇者ですね」
くっくっく、と含み笑う光主。
疲れ切った笑い。
けれど何故か、それが彼にとっての、取り繕っていない素の笑い方だと思えた。
「報酬は貴方たちが最も望む物を――――移民の権利を差し上げましょう」
やれ、本当に、食えない相手だと思う。
こういう大切なことを告げる時は、あっさり素の表情を見せてこちらに誠意を伝えてくるあたり、とても老獪だ。
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「とまぁ、そんなわけで明日から俺は暗殺者稼業です。報酬は街一つ分の移民権利」
《…………望外の成果ですね》
「うん。正直、こちらとしては願っても無いね」
俺はごろごろとベッドの上を転がりながら、光主の話を吟味する。
上手いやり方だ。あちらはこちらの望むことを知っていて、なおかつ、それを報酬として提示することで依頼を断らせなくすると同時に、こちらのモチベーションも上げたのだ。
ううむ、やはりやり手だなぁ、光主は。出来れば一生敵対したくない。
「日頃の行いが良いと、こういうことがあるんだね、びっくりだよ」
《どの口が……と言いたいところですが、本当にそうなのですよね、ミサキの場合は。結局、ミサキ個人ではなく、我々全体への利益になるところが本当にらしいというか》
「そうだね。驚くことに俺の財布は潤わないんだよね、この仕事。ま、金では買えない価値のある権利だから別に良いけど……別に良いんだけど、さぁ」
俺は、エロ本長者には成れなかった。
その器では無かった。
だけど、これで良いんだと思う。俺がエロ本を消費することによって、誰かの笑顔を守れるのなら、誰かの物語が続くのならば。
…………でも、うん、文句があるとすれば一つだけ。
「この経緯を説明すると、俺は故郷の世界で軽蔑されながら尊敬されるという、よくわからない事態になるんだよね」
《実にミサキらしい結末だと思いますが?》
「あっはっは、どういう意味かな? オウル」
《私の好きな三枚目ヒーローの、貴方らしいという意味です》
「おい、急に好意を伝えるのはやめろ、卑怯だぞ」
故郷の世界に帰ったら絶対、しばらくはこれをネタに弄られ続けるだろうってことだけだ。
ああもう、まったく――――――だから、悪ふざけは止められないのさ。
《それと、マスターと協議した結果、ミサキのあだ名はしばらく『偉大なるスケベ野郎』なりましたので、ご報告を》
「うわぁい、普通に不名誉ぉ」
いやでも、やっぱりしばらくは自重しよう、うん。