第179話 旅の果てに、君と 1
「クロエ、聞きたいことがあるんだが、良いか?」
「…………」
「クロエ? おーい、道化師? 嘲笑の超越者ぁー?」
「…………」
「あの、何か不満があるなら、言っていただけませんか、クロエさん」
「…………」
はい、だめぇー! 無視しているんじゃなくて、こちらの言葉にどうリアクションしていいのかわからず、戸惑っている感じの駄目さ加減だぞ、こいつは。
大体、何なのだろうか、その弱気な顔は。
いつもは『なんでもお見通し』みたいな、不遜な表情でこちらを見ているというのに、今ではすっかり、怯えた少女の顔だ。
…………はぁ、まったく。
「クロエ。返事ぐらいしろ」
「…………ん」
「なぁ、お前は一体、何をそんなに怖がっているんだ? 言っておくけど、俺は別に、お前に対して怒っていたりはしないからな? そういうのは今更だし、何より、そういう部分もお前だからな。契約者としては仕方なく、受け入れてやるさ」
「…………契約」
「んん?」
クロエは何かを躊躇うように言いよどんだ後、観念するように言葉を吐き出した。
「契約、解除は、できない。悪いけど、これは、私の方からも、解除できない。君の死後、君を我が物にする契約は、ほどけない。私からでも、無理。だから、その……ごめんね」
「お、おう? や、別に契約を解除したいとかそういう話ではないぞ? つーか、何? どういう思考の順番でそうなったの?」
「………………永遠はさ、本当に辛いものなんだよ、カンナ君」
お菓子のつまみ食いを咎められた子供のように。
壮大なる殺人計画がバレた、黒幕のように。
クロエは俺に、告解する。
「時間の流れに果てが無いっていうのは、何もしても無意味であると同じなんだ。なんかね? 何もかもがね、ずーっと引き延ばされて、希薄になって、より強い刺激でしか、感情が動かなくなるのさ。そのため、長生きしている知性体は大抵、脳が焦げ付く様な刺激を求めるか、悪趣味な愉悦を求めたりする。そうしないと、自分が保てないからね」
「ふむ、お前は後者だな」
「そうだねぇ、うん、そうだ。役割上、仕方なくという面も無きにしも非ずだけど、こちらの方が性に合っている。あー、それでね、カンナ君。君の親友が言っていた通り、私は永遠を生きる者だ。破壊神が定める終わりすら乗り越えてしまった、超越者。あるいは、完全に消えることが出来ず、ただ、現世を彷徨うジャックオーランタン。それが、私なんだ」
声のトーンに張りがない。
まるで、人生に疲れ果てた老人のような、枯れた声でクロエは語りを続ける。
「だから、道連れが、欲しかったのさ。共に、共に永遠を苦しみ、悪態を吐きながらも離れることが出来ない相手が欲しかった。自分だけが、自分だけがこんな苦しみの中に居るのが、耐えられなかったから。だから、一番、隣に居たら飽きないだろうと思う相手を選んだ。君を選んだ。君は、私と似ていたし、何だかんだ好かれる奴だから、長い年月を共に過ごす間、飽きることは中々無いと思っていた。でも、結局はそれでも、最後に後悔する。永遠の前では、どんな想いも風化する。無限の希釈に、生物の精神は耐えられるように出来ていない。それを、分かっていたはずなのに、私は……」
ぶつぶつと、整合性があるんだか無いんだかわからない、ただ、自らの思考を口から垂れ流しにするだけの行為。
らしくない。
ああ、とてもクロエらしくない行為だ。
どうやら、そういうことをしてしまうほどにまで、クロエの精神は凹んでしまっているようだ。原因は恐らく、ハルによる糾弾かね? うん、まぁ、泣いていたしなぁ、絶対そうだな。
…………あのハルが、俺を殺そうとするまでの事態だ。確かに、そりゃあ、この道化師はひどいことを俺に対してやらかそうとしたのだろうさ。うん、それは契約した時から、ろくでもないことになると知っていた。少々、予想外の部分もあったというか、規模が段違いな所もあるが、でも、まぁ――――問題ない。
何せ、俺は見崎神奈だからな。
「おい、クロエ」
「はい」
問題、ない、かな? クロエが『はい』って言うの、かなりやばい精神状態だけど、大丈夫かな? いや、大丈夫だと信じて説得するしかねーな、うん。
「言っておくが、俺は今更、お前が契約不履行を申し出ても却下するからな? こちとら、死後はお前に預けるつもりで一生頑張って来たんだ。それを、ここで放り出されても困るんだよ」
「…………ん、でも」
「でも、じゃない。あー、うん、そうだなぁ」
言葉じゃ足りない、という感覚があった。
正しく、これでは駄目だという感覚。そう、さながらエロゲーでバッドエンドルートの選択肢を選んでしまった後、『あー、やっぱりだめじゃん、これぇー』という感覚だ。あれに、似ている。
ならば、伝えなければならない。
俺の想いを、気合いを、自信を。
言葉よりも確かな行為で。
「……はぁ。おい、クロエ。こっち向け」
「ん、何かな、カンナ君―――ん、んんんっ!?」
だから、キスをした。
不意討ちのキスだった。
クロエに対して、果たして、何回目のキスだったかは覚えていないのだが、恐らく、促されもせずにこちらからしたのは、初めての経験だったと思う。
「ん、んんっ、んーんー!」
あまりに突然の出来事だったので、クロエは状況が理解できず、じたばたと藻掻いているのだが、やがて、状況を理解すると静かになった。
「ん、ふっ……んんっ」
こちらが舌を絡ませながら、ゆっくりと頭を撫でると、クロエがとろんとした目つきになって、そこから目を閉じる。
後は、うん、まぁ、あれだ。クロエが満足するまでエロエロじゃねーや、色々やって、うん、その、あれだ。結果から言えば、クロエは元気になりました。
「くふふ、まったく、カンナ君は変態だなぁ。あんな突然に、キスしてくるなんて。しかも、こんな未成熟な私の体を貪るように。くふふふっ、こんな変態さんと末永く付き合ってあげなければいけないんだから、もう、私は今から憂鬱だとも」
とても、元気になりました。
しかも、こう、本格的にデレたというか、なんというか。語尾に、ハートマークが付きそうなレベルで、甘ったるい罵倒をしてくるので、一線を越えて、やってしまったなぁ、という感慨がある。
だが、これは必要な行動だったのだ、仕方ない。
仕方ないけど、うん。いい加減、クロエの好意に対して、一度はきっちりとこういう行為で応えないとと思っていたのは事実なのだから、困る。
クロエの事は、むかつくし、嫌いな部分も多いのだけれど、困ったことに、それでも最後を預ける程度には嫌いじゃないのだ、俺は。
でも、あれだなぁ。
最近の俺は本当に、女性関係があれだよなぁ。
《この女たらし……》
「あ、おはよう、オウル」
だからまぁ、復旧してから、久しぶりに聞いたオウルの言葉がそれでも、納得しないといけないな、うん。
●●●
「結論から言えば、運命神を打倒しようとしても無駄だよ、カンナ君。勝てるとか、勝てないの問題じゃなくて、意味が無い。運命の神というのは、あくまでシステムに付属するおまけ。確率乱数に対する擬人化ならぬ、擬神化かな? あれはただ、願われた結末を決めて、それに向けて『なるようになる』道筋を整えているだけで、余計な干渉は行わない。ただ、サイコロ遊びをして、出た目の結果を嗤っているだけ。この私が、運命の女神からの干渉を受けて、目として存在していることも、単に、俯瞰視点の他に、ライブ感を求めた結果だろうね」
「つまり?」
「『一番悪い誰かを倒して、大団円!』とはいかないってことさ。知っているだろうけど」
「ま、だよなぁ」
話を整理するために、クロエから運命の女神関連の情報を得たが、やはり、結果は予想通りだった。
運命の女神という存在は居ることには居るが、悪辣な運命をわざと設定して、人がもがき苦しむのを楽しんでいる存在ではない。ただ、創造神や、破壊神という存在の願いを叶えるため、求める結果が起きやすい道筋を整えるのが、運命という物らしい。
同一位相の存在を求めた創造神に対して、エンブリオに魂が至るまでの道筋は整えたが、あくまでも乱数作成。自動作成。結果だけ明確に定めるが、過程がどうなるかは運命の女神本人にもわからない。
高次元に至るまでに必要な魂の記憶が、悲劇の繰り返しなのか、喜劇の繰り返しなのか、それとも、他の何かなのかすらも、運命神は設定していない。ただ、高次元に至るという結末だけが最初にあり、その結果が導き出される道筋が勝手に整えられるだけ。
故に、因果関係として破壊神が創造神を恨むのは正しい。
破壊神の魂に刻まれた悲劇は、不運の結果であるが、その不運を必要としたのは、創造神の願いが元であるのだから。
「恐らく、運命神が定めている全世界に影響を及ぼす『運命』、つまり、エンディングは三つあるだろうね。まず、一つが創造神の願いである『同位相存在』の増加。これは、既に破壊神の誕生によって叶えられているので、運命の優先度は低い。次に、破壊神による、『全世界の破壊』だ。これは、破壊神が自力で何度も叶えているし、運命として設定するまでもないので、優先度は低いね。故に、現在における運命の優先度が高いのは、一番、世界に影響を及ぼしやすいシナリオは、君による破壊神の討伐だよ、カンナ君」
「…………それは、誰の願いによって、設定された運命なんだ?」
「破壊神の願い、だろうね。破壊神の自体、元々は人間の魂だ。故に、怒りによって全世界を破壊しようとする自分と止めて欲しいという罪悪感が、その運命を定めたのだろう。『誰か、俺を殺してくれ!』ってね。ただ、運命と言うのはあくまでも、『順当な結末』に過ぎない。ノーマルエンドということだね。実際はバッドエンドかもしれないが。とにかく、それよりも上位の結末、グッドエンドを用意できるのであれば、運命も覆るよ。そういう風に、出来ている。もっとも、現状、三つ目の運命はそれが出来ず、ずっと不毛なゲームが繰り返されているが」
「ううーん、難儀っていうか、なんというか……もっと簡単にまとまらない?」
「まとめてみようじゃないか」
まとめた結果、こうなった。
・運命の女神は、システムの擬神化。性格は最悪であるが、神よって、願われた結末を定めるだけのシステムに過ぎないので、倒したところで現状は打開できない。無意味。
・運命とは、定められた結末を指す。その過程は乱数による自動発生。結末以外は自由である代わりに、結末に対する強制力が高い。ただ、あくまでも『順当な結末』を定めているだけなので、願いに対して、運命以上の結末を用意できるのであれば、覆る。
・グッドエンド以上を目指すのは、とても難しい。
「つまり、俺が目指すべきは、グッドエンド以上のベストエンド。それを用意できれば、このクソッタレな流れを断ち切って、全世界――ハルを救うことも可能だってことか?」
「そうだね。まぁ、カンナ君なら楽勝だとも、頑張れ」
「…………や、楽勝じゃないから、困っているんだが?」
「いいや、君ならきっと出来るよ、カンナ君」
だって、と愉快そうにクロエは言葉を次いで、俺に告げる。
「君は今まで何度も、運命神の予想を覆しているからね。始まりの世界からずっと、無限という言葉さえ意味を為さないほど長く存在している運命神の予想を――――未来予知(運命)に近しい、運命神の予想を、何度も覆して来たんだ。だから、私が保証しよう。今まで、運命神の目として傍観者であった私が、太鼓判を押そう」
今までの俺の人生を肯定するように、告げる。
「予測不能のマクガフィンである、君よ。どうか、『嘲笑う私たち』ですら、度肝を抜かれるベストエンドを見せてくれ」
それは、期待の言葉だ。
それは、切実なる願いだ。
誰もが飽き飽きしている順当を覆せという、そうさ、『いつも通り』を願われている言葉だ。
ならば、いいさ、いつも通り応えてやろう。
「ああ、この俺に――――見崎神奈に任せておけ」
いつも通り、何の根拠も無いけれど、自信満々に。
後から帳尻合わせて、最後の最後には大団円を実現する、決め台詞で。