第177話 導く先に、光あれ 4
時間だけが、彼にとっての絶望だった。
『貴方たちは、全世界の崩壊を防ぐために造り上げられた存在です。さぁ、世界を守るために、破壊神の魂を持つ者を殺しましょう』
概ね、このような命令文が彼の最初にあった。
それ以外の説明はされず、記憶の初期領域になんか分かりづらい映像が幾つも、断片的に揃えられているだけ。
まず、この状況から、彼は創造神に意向を正しく汲み取るまでに、五十年ほどの時間がかかった。何もない、空白の始まりの空間で、他の同胞たちがとっくの昔に旅立った後、ようやく己の為すべき使命を理解したのである。
「…………具体的には、どうすればいい?」
始まりの空間を出ると、彼は適当な世界線の何処かに放り出された。破壊神が人類に潜伏しているので、彼は人類が存在する世界線の何処かに転移させられたのだが、まず、世界座標すら彼は分からない。基礎的な知識や、最低限の社会常識みたいな物は世界に転移させられた時にインプットさせられたたが、それ以外ことは何も与えられていない。
彼に与えられたのは、不老不死の肉体と、感情が欠如した精神だけだった。
「そもそも、破壊神とは何だ? 破壊神を、どうやって見つければいい?」
彼を造った創造神は、大雑把だった。
高次元の存在として、原初から存在していた所為だろう。下位の世界に干渉する際、細かなあれこれが全く足りておらず、また、自分が下手に全知全能に近しい存在なので、どの程度まで説明すればいいのか、というのが分かっていないのだ。
ただ、創造神はそのつもりになれば、彼のような存在を無限に作り続けることも可能なので、一つ一つの個体に対するフォローをしていくよりも、大雑把な試行錯誤を繰り返す方が効率的だと判断したのかもしれない。
ともかく、彼は大雑把な判断の下、適当に何処かの世界に放り出された。
「…………やれる事から、やっていくしかない、か」
彼に感情があったのならば、使命などさっさと放り投げて、適当に現世をエンジョイしていただろうが、幸か不幸か、彼はまともな感情を持たない存在だった。
そして、機械のように生真面目な性格だったのである。
「まずは、己に何が出来るのか、知ろう」
彼は転移させられた世界で、人類の中に潜り込み、あらゆることを知ることから始めた。
社会。
道徳。
武術。
魔術。
その他諸々、ありとあらゆることを、彼は貪欲に学び、成長していった。
彼の肉体は、その世界で一般的な男子の物であり、また、才能も特別な物などない。創造神から与えられた、特別なギフトなど存在しない。
けれど、それが逆に良かったのかもしれない。
結果として、彼は人類の中で、人類と同じような速度で学び、様々なことを知ることが出来た。それは、創造神が特別な力を適当に与えた、被造物では成し得ない道程だっただろう。
そのおかげで、彼は人の事をよく知ることができた。
また、人に近しい己が何を出来るのかも。
「世界を渡ろう。同胞を探し、情報を共有するしかない」
自分自身を知った結果、いくら何でも創造神からの無茶振りが過ぎると理解することが出来たので、彼は最も原初に近しい『異界渡り』として、多くの世界を旅することにした。
目的は、自分と同じく、創造神に造られた被造物。
破壊神の魂を持つ者を殺すために存在する、使徒。
同胞を尋ねる、長い旅を始めたのである。
「無理だよ」
「普通に考えて、不可能では?」
「あー、超越者関連がちょっとそれっぽいかな?」
「我が主に対して、こんなことは思いたくないけど、馬鹿だよね、創造神」
「推定、遊戯。断定、無意味」
「全部全部、二つ柱の遊びだよ、こんなのは。真面目にやるのが馬鹿らしい」
「好きに生きて、適度なところで消えるのが最善だ」
同胞を尋ねる旅は、感情が無いはずの彼をもってしても徒労を覚えてしまうほどの無為を重ねる物だった。
どれだけの同胞を尋ねても、返ってくる答えは同じ。
破壊神の討伐など、馬鹿馬鹿しい。
真面目にやる必要などない。
こんな使命など放棄して、さっさと自己消滅の方法を見つけた方が良い。
感情のある使徒は全て、このような回答を彼に寄越した。
無意味だから、こんなことはさっさと止めた方がいい、と。
なお、彼以外に感情の無い使徒は、どれだけ探しても存在しなかった。理由は不明。あるいは、人間味が無く、不老不死であることを看破されてしまい、異端としてその世界の人類に排除、封印されてしまったのかもしれない。
「それでも、今更止めることは出来ない。例え、後悔することになったとしても」
いつの間にか、彼には希薄ながら感情が生まれていた。
膨大な時間を、多大に無駄にして徒労を覚え続けた結果、いつの間にか負の感情の大体を得てしまったのである。
創造神に対する、呪いの言葉を吐きながら。
やり遂げると決めてしまった、過去の自分を殺したくなるほど憎みながら。
彼は破壊神を殺し、全世界を救済するため、旅を続けることにした。
いつ、破壊神の魂を持つ者が復活するかすらもわからないまま。
「………………今更、止めることなど」
得た感情すらすり減って、無くなっていくほどの時間が経った。
同胞はいつの間にか、居なくなって、彼だけが唯一の使徒となった。
破壊神が出現する傾向は、未だ、見られない。
「……………………」
長い、長い長い時間が経った。
多くの死を見送って。
多くの世界の滅びも見送った。
次第に、行動することよりも、意識を遮断して時間を耐え忍ぶことが多くなり、いつ来るか分からないその時まで、彼は隠者のように隠れ潜んで暮らしていた。
あるいは、滅びを求めるかのように、超越者たちを集めて、様々な世界で無茶な実験を行うことも多くなっていた。当然、超越者を扱い切れず、死にかけたことも少なくない。
無気力と、破滅思考が段々と、彼を支配していく。
そのままであれば、やがて、彼はどうしようもない失敗を犯して、無様に超越者の理によって消し去られていたはずだった。
「見つけたぞ、超越者殺し」
破壊神の兆しを。
彼にとっての光明を、見つけられなければ。
●●●
不本意ではあるが、『導師』の授業は、異界渡りとしての俺を高めてくれるものだった。
「常に最悪を想定しろ。魔力が尽きた時の戦闘など、その一例に過ぎない」
魔力が欠片も存在しない場合の、戦闘方法。
機械天使という恵まれた肉体を十全に活かしつつも、基本的な体術を織り交ぜると、あそこまで魔力無しで動けるのかと、驚愕した。
「料理は作れて損は無い。基準点に近しい世界ならば、美味と感じる味覚は大よそ同じだからな」
どうしても、大雑把になり易い男料理の矯正。
俺のガサツな部分を、『導師』は丁寧に矯正し、訂正し、そこそこの腕前まで向上させた。
「サバイバル技術はどこでも役に立つ。特に、身一つで遭難した時など、命を繋ぐ命脈になるかもしれん」
身の回りの物を使った、サバイバル技術。
俺も相応にサバイバル技術を収めていたつもりだったのだが、『導師』のそれは、半死半生の状態でも、生き残るために出来るあれやこれやを想定したハードモードのサバイバルだったので、素直に勉強になったと思う。
「魔術? 才能が無い、やめておけ。何? お試しだと? ふん、後悔するぞ」
後悔した。
俺に魔術の才能が無いことを、丁寧に、分かり易く、そう、子供でも分かり易い比喩表現も交えて説明されたので、俺の密かな望みは断たれた。
機械天使の権能の延長線上や、多少の基礎魔術を無理やり魔力で増大するぐらいしか、俺が魔術を使う意味は無いだろう。もっとも、魔術を編むよりも、素直に魔力で自分を強化した方が早いし、オウルが代わりに魔術を使ってくれるので問題ないだろうが。
ともあれ、『導師』との共同生活は予想外に、俺に色々な物をもたらした。
これで、不俱戴天の仇でなければ、素直に師と仰いだかもしれない。
それほどまでに、『導師』という存在はあらゆる分野に精通しており、その一つ一つを極限に近しい域まで修めている。
…………だから、期待していたのかもしれない。
『導師』は、破壊神の覚醒を止める方法は無いと言ったが、それはあくまでも、俺と『導師』が全面的に協力すればあるいは、何か一つぐらいは希望が見えて来るかもない、と。
そんな期待を抱かせてしまうほど、『導師』は教師として有能だった。
「―――おい。なんだ、それ?」
「ふむ。意外と、長く保った方だな」
だから、忘れていたのかもしれない。
破壊神という存在が、どれだけ規格外――いや、次元が違う存在なのかを。
『導師』は、その破壊神の力を振るうハルから、俺を攫い、この世界まで連れて来たのだと。
「見崎神奈。悪いが、私は、貴様が世界を救う瞬間を観測することは出来ないらしい」
ならば、当然――――相応の代償を、『導師』が支払っていてもおかしくない。
「故に、先払いで済ませるがいい。さぁ、貴様の仇は、此処に居るぞ……存分に、殺せ」
俺はそのことを、『導師』の右腕が崩れ落ちた時、やっと理解した。
この仇敵は、俺を助けたその時からずっと、致命傷を隠していたのだと。
『導師』に助けられてから、三日も経って、ようやく理解したのである。