第175話 導く先に、光あれ 2
思い出す。
俺は思い出す。
全力を尽くした、喧嘩の結末を。
「お、おおおおっ!」
深度3という、マクガフィンの現状の限界。
俺が俺で居られる限界の地点まで異能を使い、全力を尽くした。
吠え猛り、ありとあらゆる異能を『黒羽』で切り裂き、破壊神として覚醒しかけているハルと互角の勝負を繰り広げた。
されど、だから何だというのだろうか?
これは喧嘩。
殺し合いでは無い。
俺にはハルを殺せない。
どれだけ気力を充実させて、異能を行使しようとも、その事実は変わらない。
「無駄とは思わない。無意味だとも思わない。だけどね、神奈。これじゃあ、何の解決にもならない。僕を叩きのめしたところで、僕が仮に、生存を願ったところで――――どうにもできないことは変わっていないんだよ」
考えていた。
あの時の俺は、機械天使の電脳が狂ってしまうほどに考えていた。
何か一つでも光明は無いのか?
漫画の主人公のように、用意された選択肢以外の活路を見い出せないのか? 何度も、何度も考えて、しかし、答えは見つからない。
「くそっ、くそっ、くそがっ!」
幾度も、数多の異能による殺戮のコンビネーションが用意されても、それを潜り抜けて。無敵のヒーローの如く、ハルの横っ面に拳を叩きこんでも、何も変わらない。
《ザザザッ――ミサキ、撤退を――――ザザザザッ――逃げて――》
相棒を酷使しても。
喧嘩には勝利しても。
仰向けに倒れるハルの姿を見下ろしても。
何の光明も見えなかった。
深度4を行使して、自分がこの絶体絶命の事態を解決するための存在に変貌することも考えたのだが、不可能だった。何故ならば、俺自身がそれを確信できないから。破壊神の魂の呪縛から、ハルを解き放つための確信が無いから。
「…………くそ、が」
俺の異能、マクガフィンは万能にもなれる異能だ。
されど、不安定だ。
自分だけの願いでは、大きなことは為せないだろう。
自分一人が犠牲になったところで、本当に全世界が救えるのかも自信が持てない。ハルが縛り付けられている呪縛を砕くということはつまり、全世界の運命を覆すということ。
駄目なのだ。
なんとなくでは、マクガフィンは意味を為せない。
雑魚の蹂躙ならばともかく、その場しのぎならばともかく。
親友と、それに連なる全世界を救って見せるのであれば、具体的な『方法』を見出さなければならない。
マクガフィンは、その『方法』を実現させるためならば、どんな道具にもなれる異能であるが、確信を持てない『方法』では、曖昧な考えでは、何物にもなれない。
「ありがとう、神奈。君の想い、嫌というほど伝わって来たよ。まったくさ、この状態の僕を、ばかすか殴ってくるのは君ぐらいだね、親友」
足りていない。
この状況を打開するために必要な何かが、致命的に足りていないと感じていた。
さながら、フラグを立てることなくストーリーを進めて、バッドエンドを迎えてしまう主人公のように。
あるいは、親友を殺すという、シナリオライターが定めたエンディングを認められず、間違った選択肢を選んでしまった主人公のように。
…………俺は、間違っているのだろうか?
「ありがとう。ごめんね。さようなら。僕の大好きな親友。ああ、もっと僕が強かったら。破壊神になんて押しつぶされない自分だったら、こうならなかったのに」
ゆっくりと、ハルが立ちあがる。
絶望で膝を着く俺とは対照的に。
ゆっくりと、ハルの右腕が上げられる。
空気が弾ける音と共に、ハルの右腕に紫電が纏う。
――――親友を殺したくないということは、そんなに間違いなのだろうか?
《――ザザッ――強制、転移を――》
何が足りないのだろうか?
…………ああ、少なくとも一つだけは見つかった。
時間だ。
もしも、あの時。クロエの話を聞いて逸らなければ。
冷静に考えて居れば。
他の誰かに相談していれば、こんなことにはならなかったのだろうか?
後悔は尽きない。
こんな物が俺の末路だとは認めなくなくて、それでも、振り下ろされる紫電の右腕は止めることなんて、誰にも――――
「悪いが、使命でな、破壊神。その結末、先延ばしにさせてもらう」
誰にも止められなかったはずなのに。
まるで、救いのヒーローみたいに現れたそいつは、俺の命を救って見せたのである。
ご都合主義みたいなベストタイミング。
思わず、胸が高鳴りそうな、ギリギリの救出劇。
…………問題があるとすれば、俺を見事に助け出して見せたその救いのヒーローの正体が、俺にとっての怨敵だったということだろうか。
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「基本的に、家畜は野生の動物よりも味が良い。当たり前だ。野生の動物を飼育して、管理しやすいように、より、美味く育つように改良したのが家畜なのだから。故に、下手なジビエなどよりも、家畜の肉を買った方が美味いのが道理だ。けれど、ごくたまに、それらの理屈を無視して、上等の肉を持つ生物が存在する」
じゅうじゅう、と肉が焼ける音が心地よく響く。
肉は、大部分が赤身だけれども、僅かに脂身が入っている新鮮な物。肉を焼くために使われているのは、家庭用よりもごついフライパン。中華鍋ぐらい、がっつりと鉄という感じで、けれど、フライパンの形状が近い何か。いや、そもそも、鉄だろうか? 何か、ヒヒイロカネとか、特殊な金属を使っていても、『導師』の持ち主だから不思議じゃない。
「それが、精霊種だ。実体と霊体の狭間の半実体というのが、肉を食うにはちょうどいい。仕留めて、加工する際、こちらの術の影響を受けやすいからだな。それに、臭みも少ない」
『導師』は見事な手際で肉を焼きながら、何故か、俺に色々と知識を教え込んでいる。
まったく、何の気まぐれかはわからないのだが、教えてくれる知識というのは、意外とためになる物が多いので、聞き流さずに学ぶことにしていた。
「精霊種は、肉体に特殊な効能を持つ物が多い。例えば、人魚の肉は肉体の再生を高め、不老の効果がある。妖精は、薬草と一緒に砕いて混ぜると、万病に効く薬になる」
「あの、食事前にグロい話題は止めて貰えませんかね?」
「人魚も、妖精も人類からしてみれば害獣だろう? 奴らは、半端に知性がある分、面白半分で船を沈めたり、子供の内臓を引きずり出したりするぞ? 少なくとも、貴様ら人類が観測している世界線ではそのパターンが多い」
「知性が半端にあって、見た目が人間に近しい奴を材料にするのはちょっと」
「ふむ、わかった。次から考慮しよう。だが、焼いてしまった物は仕方ないので、食うがいい。どうせ、貴様が食わなければ捨てるだけだからな」
「うわぁーい、察していたけど言わなくていい情報を言いやがったな!?」
『導師』は博識という言葉で収まらないほどの、知識と、異界渡りとしては万能と呼んでも過言では無いほどの技術を有していた。
「とある世界線では、知性のある物しか食べる価値が無いという世界が主流だ。つべこべ言わずに、食うがいい、美味いぞ?」
「美味そうだけど、精神衛生的にさぁ」
「魔力の回復が早まって、貴様の相棒の復帰が早くなるだろうな」
「いただきます」
サバイバル。調理。狩猟。調合。医療。機構修理。
俺が確認しただけで、これだけの技能を世界有数レベルの技術者ぐらいの域で極めていた。その内の、どれか一つでもその域で極めていれば、異界渡りとしては一流を名乗れるぐらいの技術の持ち主。しかも、引き出しはまだまだある上に、一番卓越した技能はそれでは無い。
「う、うまぁ……噛むと肉汁がじゅわーって。それでいて、嫌味な匂いが全くしなくて。それでいて、がっつりと香草とソースの香りが食欲を掻き立てる。しかも、一口、一口、噛みしめて飲み込む度、力が湧き上がってくるようだ……」
「そうか。それはよかった。この山の主を狩った甲斐があったな」
「え? 山の主なの、この肉? あの、しかも精霊種で知性があるって、相当やばい奴を狩った肉なんじゃ?」
「案ずるな。私の結界に入って来られないレベルの有象無象だ。報復される心配は無く、また、食材や薬の材料があっちから勝手に寄ってくるので、合理的だ」
「前々から思っていたけど、現地民とか、その世界の環境とかまったく気にしないよな、お前は!」
「そのような精神性を持ち合わせていたら、貴様の世界を侵略しようとは思わんだろうが」
「はっはっは、そうだったな、死ね!」
「うむ、後でな」
魔術。
魔力を扱い、様々な事象を引き起こすという点において、俺はこの『導師』の右に出る者を知らなかった。管理者ですら、比較対象にもならない。世界の管理権限を持っている物ですら、この『導師』に対して、魔術の分野では一歩劣るだろう。
そう、まるで、この『導師』こそが全ての魔術の開祖であるかのように、ありとあらゆる術に精通しているのだ。
ただまぁ、間違いなく強いし、規格外の敵対者ではあるのだが、殺そうと思えば殺せなくも無いので、現在の脅威としては破壊神よりも明らかに下になってしまうのだが。
「貴様が世界を救えたら、殺させてやろう」
「はっはっは、その言葉、よく覚えておけよ?」
本来であれば、隣に居ることすら奇跡の敵対者同士。
されど、今だけは目的の一致による停戦中ということで。
俺は、負傷を回復するまでの間、『導師』と奇妙な共同生活を過ごすことになった。