第166話 見崎神奈の人間関係 8
例えば、恋愛ジャンルのハーレム系主人公が居たとする。
主人公の周りには可愛い女の子がたくさんいて、その可愛い女の子たちは、それぞれ、いろんな問題を抱えている。主人公が、女の子たちと交流していく内に、その問題を主人公が解決まで導いてあげて、次第に、女の子たちは段々と主人公の事が好きになっていく。
複数の女性が、一人の男性に好意を寄せる形式。
これをハーレム系と呼ぶ。
ただし、あくまでハーレム系だ。恋愛系のジャンルでは、例え、ハーレム系の主人公だったとしても、最終的にはヒロインの中で一人を選ぶ必要がある。
恋愛系では無く、異世界冒険譚とか、一夫多妻を実現している国という設定ならば、複数いるヒロインの中で一人を選ばず、皆幸せに――欺瞞を抱いて――過ごせるかもしれない。
大雑把に言えば、多数のヒロインの中から一人を選べる主人公は、誠実とも言える。
大雑把に言えば、多数のヒロインを纏めて娶る主人公は、大物とも言える。
されど、己の心は偽れない。
どれだけ誰か一人を愛していようが、周りに魅力的な女性が居れば、心のいくらかは奪われ、好意を抱くものだ。例え、一番に及ばなくとも、そういう想いを抱いてしまう。だって、人間の心は……あるいは、最近の機械でさえも、複雑なのだから。
同じく、どれだけ大物であり、愛に溢れた人物であったとしても、複数の女性を平等に愛することは出来ない。平等に扱うことは出来るかもしれないが、心の内に秘めたる想いだけは偽れない。また、そういう秘めた想いに限って、女性側はよく気付くのだから、仕方がない。
「じゃあ、お前は? 見崎神奈は? 見崎神奈が、一番愛している他者は誰だ?」
夢の中で、己が問う。
狐の面を被った、女性体で問う。
欺瞞は許さず、正答のみしか認められない。
己同士の問答。
「決まっている」
俺は、さほど迷わずに答えた。
「オウルだよ」
共に居て嬉しい人でもなく。
愛弟子でも無く。
後輩でも無く。
誰が一番と問われれば、俺はさほど迷わずに答える。
相棒である、と。
「俺は、オウルを一番愛しているのだろうさ。だから」
様々な人間関係を結んでいる俺であるが、一番深い関係は恐らく、オウルだ。
俺のために造られ、俺と共に在ることを至上と考える、相棒である彼女を愛しく思う。
何故、ここまではっきりと言えるのか。
その根拠は実に明白だ。
「オウルがきっと、俺と共にあって、一番苦労する」
オウル相手にならば、俺は遠慮なく我儘を言える。
誰かの為に在る、英雄存在ではなく、自由気ままな異界渡りとして生きられる。
共に生きて、時には、共に命を賭けろと言える間柄。
それが、俺とオウルの相棒関係だ。
比翼連理と呼ぶには、あまりにもオウルに負担を強いる関係。
俺はオウルが死んでも生きていけるが、恐らく、オウルは俺が死んだら存在理由が崩れ、人格を保てない。
あまりにも、不平等な関係。
オウルも災難だと思う。
いい加減、いつか、見放した方が良いと思う。
俺には愛することぐらいしか、オウルの献身に報いるが出来ないというのに。きっと、これからも俺はオウルに苦労をかけ続けてしまうだろう。
だから、だから、いつの日か、オウルが俺の下から羽ばたく、その時が来たら、俺は何も言わずに見送ろうと思う。
呆れたと。
愛想が尽きたと。
吐き捨てるようにオウルが俺に告げて、ここではない大空へ羽ばたくことを俺は願っている。
愛しながらも、恐れながらも、願っている。
破滅が約束されている俺の下を飛び去って。
愛しいオウルが、広い大空を飛んでいくことを。
●●●
《昨晩はお楽しみでしたね?》
「だから、お前はどこからそういう知識を付けてくるんだか」
《無論、自己学習の賜物です》
「勤勉なサポートAIが相棒で頼もしいよ」
《ええ、存分に頼ってください》
休暇は終わった。
博士や、『港』に従事する旧レジスタンスのメンバーなんかからは、もう少し休めば? と気を遣われたが、流石に、そろそろ仕事を始めなければならない。
意識を切り替えて、意図的に気になる点を忘却して、きっちり精神をリフレッシュすることが出来た。ならば、そろそろ嫌な現実と向き合う時間だ。
というわけで現在、俺は『港』の一室を借り受けて、大戦時代のデータを色々と漁っている。無論、肉体は男では無く、機械天使の物だ。様々な理由から、仕事をする時はこちらの肉体の方が便利で、やりやすい。
「じゃあ、遠慮なく――――音声データを照合した結果は?」
《ほぼ100%の精度で合致しました。無論、偽装の可能性も考えられますが》
「あの時、あの場所でわざわざそんな偽装を吐く理由が薄い。それに、あからさまな嘘ならば、俺はあんなに無様な隙を作らなかった。だから、恐らくは事実だろう」
《では、常闇の魔王を脅し、[に:11番]世界の管理者を行動不能にさせ、世界存亡の危機へと陥れた黒幕。『導師』と名乗る存在は、やはり?》
「ああ、俺たちの世界に超越者共を引き入れた張本人だ」
あの隠者、『導師』と名乗っていた超越者クラスの術者について思い出す。
最後の最後に、告げて来た言葉の内容を考える。
大戦を引き起こす原因となった存在。
されど、事が起こる前に仲間割れで排除され、結局、正体不明のまま終わった間抜けな黒幕。
俺は、あまりにもそいつの事について、知らなかった。
何故かそいつは、俺の事を俺以上に詳しそうだったというのに。
「…………今更、何のために顔を出して来たんだか。どうにも、俺に執着しているような様子があるし、気味が悪い事この上ない」
俺は深々とため息を吐いて、手元にあるマグカップを口元まで運ぶ。
マグカップの中身は、ホットココアだ。さほど高級な代物ではないが、ココアの粉を最初、ミルクとちびちび混ぜ合わせながら、丁寧に作ったホットココアだ。
こうして作ったホットココアは、粉がきちんとミルクと混ざり合っていて舌触りが滑らかになり、それなりに美味しい物が出来るのだ。安っぽいインスタントでも、工夫次第でそれなりに美味しくなるという生活の知恵である。
《ミサキ。そもそも、何故、あの『導師』は超越者たちを貴方のホームに招き入れたのですか? それも、十体を超える数を。いくら、基準点に近しい世界線であったとしても、管理者を確実に排除するのであれば、三体ほどであれば足りるはず。いえ、相性が良ければ超越者は一体で管理者を完全に掌握することさえ可能だというのに》
「んんー、そこなんだよなぁ」
大戦を引き起こした理由。
態々、十数人もの超越者を引き連れた理由。
それらを一切明かすことなく、あっさりと黒幕は仲間割れによって消え去ったのである。
「超越者の理由だったら、大体わかるんだがなぁ。あいつらは基本、欲望のままに動くから、例えば『娯楽を生み出す家畜として、人間を飼育したい』とか、『愛されるために試行回数を重ねたい』とか、後は『逆境を与えて、人間の可能性を試したい』とかな」
《クソみたいな理由がほとんどですね》
「超越者になるような人間は、大抵、どこか頭がおかしいからな。そもそも、超越者自体がかなりレアな存在だってのに、どうやって数を集めたんだか」
オウルの言う通り、世界をハックするのであれば、戦力として明らかに余分が過ぎる。
一体、何を目的でそんな真似をしたのだろうか? そもそも、超越者をあんなに集めたところで、すぐに仲間割れを始めるのだから、何を企んでいようが無意味ではないだろうか? そもそも、『導師』とやらは案の定、大戦前に排除されてしまったわけだし。
ただ、それを知る方法が一つだけ存在する。
物凄く嫌だが。
絶対にろくでもない要求をされるだろうが。
恐らく、俺たち以上の情報を握っている存在に、俺は心当たりがある。
「…………クロエ」
「んー? この私に何か用かね? カンナ君」
小さく名前を呟く。
それだけで、クロエは――嘲笑の超越者は、あの時に引き連れられていた超越者の一人は、俺の傍らに姿を現した。
「何か、困ったことでもあったのかい? くふふ、大丈夫、なんでも言ってみなさい。君には私が付いているのだから、何も心配なんて要らないさ」
にやにやと、チェシャ猫もかくやという表情で俺に擦り寄るクロエ。
駄目だ、不安しかねぇ。
《ミサキ、この性悪女に頼ることは推奨できません》
「そりゃあ、俺も出来る限り頼りたくはないが……本当に頼りたくないが、今、訊かないと後悔しそうなんだよ」
クロエは俺の契約者であるが、味方であるというわけではない。
むしろ、潜在的な敵対者ですらあるだろう。何せ、クロエは少なからず俺の死を待ち望んでいるのだから。
けれども、俺を憎んでいるというわけでは無く、むしろ愛しているらしい。そのため、俺に嫌われるのを恐れて…………はいないが、こちらが本気でブチ切れて存在を無視すると、露骨に狼狽え始めたりもするので、本気で嫌われるような真似は控えるだろう。
故に、俺からの頼みはほとんど断らない。
断らない代わりに、後々、ろくでもない対価を求めて来たりするが。
「クロエ、お前は知っているのか? 俺たちの世界に、お前も含む超越者たちを引き連れてきた存在の事を。そいつが、何を目的に動いていたのかを」
「くふふ、そりゃあ、もちろん。私と彼はそこそこ長い付き合いだからね、彼の目的ぐらいは知っているとも」
あっさりと、特にもったいぶるでもなく、クロエは答えた。
「彼の目的は、全世界の救済だよ。あの時は、そのための術を探していたのさ。正確に言うならば、『救世主』を探していた、と言った方がいいかもしれないねぇ」
「は? 『救世主』だぁ?」
クロエの言葉で、俺の脳裏にノイズが走る様に思い出す記憶があった。
あの上空での戦い。
その時、あの『導師』は何を言っていただろうか?
俺に、何をさせようとしていたのだろうか?
俺の何を、測っていたのだろうか?
無数の疑問と共に、どろりと胸中に生まれたのは不安だった。
何か、何か、見落としている。
とてつもなく、致命的な何かを。
「くふふふ、そう、『救世主』だとも。彼は、あれでも必死で探していたのさ。明らかに悪手だったとしても、やらないよりはマシだと思って、あんな馬鹿な真似を決行して、『救世主』を見つけ出そうとしたのだろうねぇ」
そして、その不安を肯定するように、クロエは言った。
「――――何せ、もうすぐ全世界は滅びてしまうのだから」
あまりにもあっさりと。
朝食のメニューでも告げるかのように。
嘲笑を浮かべる道化師は、俺たちに逃れられない滅びを告げたのだった。