第164話 見崎神奈の人間関係 6
俺、見崎神奈は童貞である。
そう、紛れもない童貞だ。
意識を失っている所を、逆レでもされていなければ、童貞である。俺の記憶の範疇では、紛れもなく童貞だ。
どうしてこんな予防線を引くかというと、何せ、大戦中は異能と魔法が溢れるトンデモ合戦。ぶっちゃけ、想像の及ばない謎の攻撃なんてものは日常茶飯事だったので、気付かない内に俺が童貞を卒業していることもあり得るのかもしれないのだ。
だが、どちらにせよ、その記憶がないのだから、俺はやはり童貞だ。
美少女姉妹とデートをする予定の前日なんかは正直、胸がどきどきして寝不足になりかけたところを、同居人の攻撃で意識を落とされてようやく眠ったし。
何より、市場にある薬局で『そういう物』を買う時、非常に勇気が必要となった。初めて、銃器を取り扱った時よりも、緊張したと思う。
それが童貞。
男女関係において、明らかにバッドステータスにしかならないであろう、生まれながらの呪い。処女とは違い、神秘性も何もない、クソッタレのステータス異常である。
生まれた時から、背負っているステータス異常とか、これが原罪って奴なのか? と真剣に考えてみた時があるが、その場合、中学一年生の時に、年上のお姉さんを孕ませて退学になった元同級生よりも、童貞を守り続けてしまっている俺の方が罪深いのだろうか? いや、でも、あれだよな、こういう考えてもしょうがないことを、延々と考え続けてしまうところが、俺の童貞たる所以なのだろうさ。
「おまたせですー」
「ふふん、どうやらちゃんと眠れたようね! 私はてっきり、今日のことをずっと悶々と考えていて、眠れなかったと予想していたのだけれど?」
「ボクはそうでもないのですー。ミサキさんは、すいみんやくをつかってでも、むりやりねるひとー」
「そうかしら? 案外、考えがまとまらない間に、他の第三者によって『うざったい』という罵倒と共に、意識を刈り取られたりとか」
「ありえるかもー」
ただ、それも今日までだ。
俺が自ら、童貞を名乗れるのは恐らく、今日までになるだろう。
素人童貞という称号すら、飛び越えて。
俺は今日、とある約定によって、童貞を捨てる。
そう、美少女姉妹との、三人プレイで。
「あー、なんかかってにもんぜつして、ひざをついたのですー?」
「恐らく、これからの展開を妄想して恥ずかしくなってしまったのね! まったく、これだから童貞は!」
「きのうのよるー、しょじょのばかあねはー」
「止めなさい、私の事を追求するのは止めなさい」
…………あの、やっぱり一人ずつにしませんかね? 美少女姉妹さん方。
「「ダメ」」
俺は今日、童貞を捨てる。
恐らくは、二対一という圧倒的に不利な戦いに負けて。
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男には負けると分かっていても、戦わなければならない時がある。
きっと、学生時代の俺がこの言葉を聞けば、何の実感も湧かず、『へぇ、そうなのか』という無責任な達観の下、納得するだろう。
きっと、大戦時代の俺がこの言葉を聞けば、『んなわけあるか、ボケが』と即座に否定するだろう。戦いに勝たなければ、全て無意味であると。
そして、現在の俺はこの言葉の意味を良く理解していた。
これは、意地だ。男の惨めで、情けない意地をよく表している言葉だ。例え、負けることが分かっていたとしても、それでも、逃げることも出来ず、立ち向かうしかないという現状を良く示している。
「むふふー、りょうてにはなですなー?」
「市場の視線を独り占めってやつね! 精々、誇らしく胸を張ると良いわ!」
つまり、現在の俺の状況を良く表している。
「勘弁してくれ……」
俺は美人姉妹にそれぞれ、片腕ずつ拘束されながら、げっそりとした表情で呟いた。
今、俺の肉体は男性だ。
カインズとの楽しい一日を終えた俺は、きっちりとカインズの肉体を戻して、元の世界に戻しつつ、次なる休日の予定に向けて準備を重ね、現在に至る。
つまりは、いつぞやの約束を果たす時が来たのである。
フシとツクモ、二人の美少女姉妹の処女を貰い、俺が童貞を捨てる、その時が。
「さぁ、ホテルに行くわよ、ミサキ!」
当日の朝、高鳴る胸を抑え、気取らない程度の精一杯のお洒落をした俺を、待ち合わせの場所で迎えたのは、フシの元気のよい一言だった。
開口一番、ホテルへの誘導指示だった。
まるで、痛烈なボディブローを食らったかのように、俺はその場で蹲りたくなった。
帰りてぇ。色々な感情が巡る中、はっきりと形に出来たのは、その短い言葉だけ。ひょっとして、俺はとんでもない勘違いをしていたのではないかと、不安になってしまう。
「へーい、ばかあねー?」
「ちょ、何よ、生意気な妹。略してナマウト」
「へーい!」
「おぶぅ!」
しかし、俺の懸念はツクモによるフォローで何とか解消される。
どうやら、姉であるフシは昨日から大分緊張しており、何とか上っ面は取り繕えたものの、俺と会った瞬間、緊張が限界に達して訳が分からないことを口走ったらしい。
よかった。出会って即、ホテルで情事に耽るという、プレイボーイも真っ青な休日にならなくて本当によかったと思う。
「ええと、それじゃ、夕方まで市場や近場の施設を回って、異界渡りとして健全に交流しつつ、ホテルの予約の時間になったら……ということで」
「はい、それでー。ふふふのふー、ミサキさんから、たっぷり、おしごとについて、おしえてもらうのですー。ばかあねー、あたいせんきんのきかいを、わざわざ、すきっぷしないー」
「ナマウト、いきなり姉のボディに拳を叩きつけないでくれる? 不死身だけど、痛いのよ」
「いたくなければ、おぼえませぬー」
とまぁ、最初はこのようなトラブルがあったのだが、デートの始まりとしてはそんなに悪くない物だった。
「それで、このラジオは周辺地域に、人類が異様に少ない時、暇つぶしに最適だ。たかが娯楽、と馬鹿にするなよ? 単調な作業の連続、自分と近しい精神性の生物が居ない寂寥感。お前らは姉妹のコンビだから大丈夫だと思うが、単独で行動した場合、それらが精神を乱して、仕事の妨げになる可能性がある」
「なるほどー、いきぬきのしかた、だいじってことかー」
「何となくわかる気がするわね。私ってば、致命傷でも気合いを入れれば即座に修復が可能なのだけれど、それはそれとして、精神がごっそり削られる気がするもの。肉体的健康だけを維持せず、精神の健康を維持することも忘れない、ってことね?」
「そうそう、物覚えの良い後輩で俺も鼻が高いぜ」
加えて、午前中の市場巡りなどは、俺としても非常に楽しいひと時だった。
基本的に人間という奴は、教えたがりである。
自分しか知らない知識をひけらかし、誰かに驚いてもらったり、感心してもらいたい。そういう承認要求を、誰かしらでも持っている。無論、この俺もそうだ。
正直、美人姉妹に対して色々レクチャーしたり、尊敬されたり、こちらの話に対して様々なリアクションを返してくれる時間は、俺にとって紛れもなく癒しだった。
うん、午前中は間違いなく楽しかったんだ、俺は。
「ではではー、これからは、いちゃいちゃもーどで」
「え?」
「さっきまでは仕事としての付き合いでしょう? これからは、そういうことをする感じの関係のデートとして、色々やってみたいと思うの」
「あ、ああ、それは良いが、なんで少女漫画を読みながら、そんな話を?」
「「参考文献」」
「不安しかない……」
昼食を終えて、午後からは割と生き地獄だった記憶がある。
なんというか、その、あれだ。少女漫画なのだ。フィクションなのだ。そういう、漫画では王道で素敵かもしれないが、現実にあると『ちょっとねー?』というシチュエーションを散々、体験させられてしまったのである。
本来ならば、止めに入る妹の方も、
「えへー、はずかしいけれど、ちょっぴりしあわせー」
などと、どこか満足そうなので露骨に否定できない。
どうやら、ツクモもツクモで、こういうシチュエーションに憧れていた部分が少なからずあった模様。結果、俺は二人分の乙女チックな妄想を満たすために、色々と頑張ったのである。
「あーん」
「ほら、さっさと口を開けなさい」
「……あ、あーん」
恋人専用のメニューをレストランで頼み込み、周囲の視線を気にせぬ苦行を迫られたり。
「ミサキさんー、これはどうでしょうー?」
「露骨過ぎない? それに、高いわよ」
「やすかろー、わるかろー。はだに、わるいのはちょっとー」
「んんー、そうね。安い下着だとその分、肌が荒れる原因にもなるし。デリケートな部分を守ってくれる部分は良い物を使いたいわね。でも、予算が……ミサキはどう思う?」
「男を女性下着専門店に連れ込むのは間違っていると思う」
「そういうのはー、いいのでー」
「ちゃんと先輩として貴重な意見を言いなさいよ」
「…………とりあえず、有事と平時に使用目的を分けて、有事の下着は履き心地の他にも、もしも負傷した際、肉に食い込むと色々厄介な場合があるから――」
ランジェリーショップで、周囲から奇異の目で見られながらも、先輩として頑張った。
そう、俺は頑張った。常に市場を回る時は、二人に腕を取られて自由に動けないし、そろそろ、流石に勘弁してほしいと俺がギブアップの声を上げるのには、充分な理由だったと思う。
だが、この疲労も美人姉妹の計算通りだったとは、俺はその時まで夢にも思わなかった。
「ごめんなさいー、はしゃぎすぎちゃってー」
「ミサキの休憩の意味も込めて、少し早めにホテルに行きましょうか。ん、別にそういうことをするのは、一息ついてからでもいいでしょう? ね、お詫びに少しでも癒してあげたいの」
疲れ切った後、珍しく殊勝なことを言う物だから、俺はすっかり信じこんでしまった。
言われた通りに、部屋のソファーに身を沈め、軽食を口にする。
このホテルは持ち込みオッケーだったので、美人姉妹が買ってきてくれたサンドイッチに、やけにフルーティなジューズを躊躇いなく飲み、そこで俺の意識がぼんやりと蕩けていることに気付いた。
「…………二人とも、正直に答える様に」
「「はい」」
「一服盛った?」
「「はい」」
「毒?」
「「いいえ」」
「……媚薬?」
「「はい」」
「この、馬鹿姉妹」
「だってー」
「絶対に、勝ちたかったんだもの」
どうやら、俺が思っているよりもこの美人姉妹は強かだったらしい。
普通に体力差から考えれば、俺は勝てるはずないのになぁ、と思いつつも、俺は蕩けた思考に身を任せることにした。
まぁ、後はなるようにしかならないさ。