第163話 見崎神奈の人間関係 5
俺と【黒色殲滅】との因縁は深い。
異能に覚醒したての俺が死にかけたのも、そもそも【黒色殲滅】が居たからであるし、俺の友達を根こそぎ殺したのも、【黒色殲滅】だ。
しかも、【黒色殲滅】は機械天使の中では最強の戦力を持つ存在。
ハル相手だったとしても、ほぼ互角。むしろ、ハルが劣勢の時が多く、辛うじて撃退するのがやっとの戦況の方が多かった。【黒色殲滅】を抑えられる戦力はハルしか居なかったし、実際、【黒色殲滅】がまともに名前を憶えているぐらいの興味を持っていたのは、ハルだけだった。レジスタンスの中でも、機械天使たちの中でも恐らく、ハルと【黒色殲滅】の戦いの結末が、戦況を左右するのだろうと、思っていた。
だからこそ、俺の暗殺が実によく効いたのである。
マクガフィンの異能を用いた俺による斬首で、【黒色殲滅】は一度、殺された。
けれど、その時は完全に殺しきったわけでは無かった。研究材料にして、機械天使たちの対抗策を作れないか? という博士の案に渋々従い、仮死状態のまま、生かされていたのである。いつか、戦況が落ち着いたら殺しきってやろう、と俺はその時、密かに思っていた。
「あの【黒色殲滅】を死蔵しているのですか? もったいない、私の権能を使って一部の行動に制限をかけて有効活用しましょう。え? そんな感情的な問題で、戦力を無駄にする猶予があると思っているのですか? ふふ、でも、私はそういう非効率的な選択肢が大好きなので、尊重します。そうですよね、例え、レジスタンスの半数が死に絶える結果になろうとも、貴方たち人間には通すべき意地が――――あ、そうですか、はい。じゃあ、洗脳してから起動しますね、はぁーあ」
機械天使の裏切り者にして、レジスタンスへの最大の協力者である【緑の群生】による進言により、【黒色殲滅】の蘇生、及び、洗脳運用が開始された。
無論、俺は大反対したし、【緑の群生】もノリノリで俺の意見を尊重してくれたのだが、【緑の群生】は人間の意地とか、弱者が劣勢で這い上がる姿が大好きな機械天使なので、俺の意見をノリノリでオッケーしたということはつまり、俺の行動はとてつもなく非効率的だということで。
「くふふ、私はどちらでも構わないよ? 【黒色殲滅】と肩を並べた君が、複雑な表情で戦うのも。【黒色殲滅】を運用せずに、意地を通した所為で仲間が死んだ後に後悔するのも。そう、どちらでも」
ついでに、クロエに煽られれば、俺は、自分の意地を飲み込まざるを得なかった。
それから俺は、短くない時間を【黒色殲滅】と共に戦場を駆けることになる。
何せ、最強の機械天使だ。
しかも、生意気なことに、クソムカつくことに、身の程知らずなことに、【黒色殲滅】はハルに対して、好意のような物を抱いているらしく、洗脳によって強制せずとも、機械神以降の、超越者との戦いは積極的に参加の意思を示していた。
「クソッタレな事だが、戦功を考えると、そうせざるを得ない」
「面倒だけどね、仕方ないのさ、神奈」
【黒色殲滅】はよく働いた。
ああ、認めよう、認めざるを得ない。あいつが居たからこそ、俺が生き延びられたという場面は多く、また、俺も【黒色殲滅】を助けなければいけない機会は多かった。
憎しみはまだ、尽きない。
されど、奴への感情が憎しみだけではなくなったのは、確かだった。
そのため、戦後、【黒色殲滅】はその肉体を接収。以後、監視下の下で、護身程度の戦闘能力しか与えられていない肉体に魂を宿し、暮らしている。
俺の仇敵は、まだ生きている。
そして、残念なことに殺せない。
色んな意味で、殺せなくなってしまったから。
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「死ね。出来るだけ惨たらしく死ね」
「お前が死になさい。後、もうちょっと肉体は丁寧に扱いなさい。何で、毎度毎度、ナノマシンですら回復しない傷を負うのですか?」
「仕事だからしかたねーだろ、死ね」
「語尾なのですか? お前にとって私の死を願うのは語尾なのですか?」
「一日中言っても飽きないね。それはそうと、何しにここにいるんだ、テメェは」
「見て通りの買い物ですよ、分かりませんか? やはり、元の肉体に戻ると、お前の知性は随分と劣化しますね?」
「俺に不意を突かれて殺された奴よりは、まだ賢い自信があるぞ? ああ?」
「ほーう、ではやりますか? 学力テストでもやりますかー?」
「IQテストだろうが、受けてやろうじゃねーか、ああん?」
俺と【黒色殲滅】は出会いがしらの罵倒から、いきなり罵り合いを始めてしまった。
周囲の人間が、「なんだ? なんだ?」と様子を見に来るが、俺と【黒色殲滅】の会話の内容や、容姿を見てから、ただの痴話げんかの類だと思って離れて行く。
まー、高校生と中学生ぐらいの子供同士の罵り合いだからな、うん。互いに武器を持ち出して、構えているわけでもあるまいし。
問題が起きないのは歓迎であるが、こういう勘違いのされ方はとても不満である。
「あ、あの、ミサキ師匠? この子は?」
「ん、ああ、すまない、カインズ。今回はお前と遊びに来ているのに、ついつい感情が暴走してしまった。安心してくれ、今、殺意を抑える」
「…………ひょっとして、この子が、ミサキ師匠の仇敵だったりするのですか?」
俺が特殊な呼吸法で殺意を抑えていると、今度はカインズの殺意が膨れ上がる。
おいおい、俺を慕ってくれるのは嬉しいけど、そういうのは止めて欲しい。目が完全に据わっているし、周囲に目ざとく視線を行き渡らせて武器になる物を探しちゃっているし、まったく、こいつは。
「ほーら、眉間に皺が寄ってるぞー。折角、可愛い美少女に変身したんだから、もうちょっと可愛らしく演じてみろー。そういう臨機応変も、異界渡りには必要だぞー」
「わふっ? あ、ちょ、そんな、乱雑に頭を撫でられると、オレは、オレは……わふぅ」
俺はカインズを多少強引に引き寄せて、わしわしと頭を撫でてやる。
ついつい、男子の時と同じ要領で頭を撫でてしまったが、カインズが満足そうなので問題は無い。後で、ちゃんと髪を整えてやろう。
「お前、随分と懐かせているのですね?」
「ふん、これが人徳ってやつだ、テメェとは違うんだよ」
「生憎、人の気持ちなど、機械天使の私は分かりませんので」
「ミドリはちゃんと理解していたけど?」
「あいつは、あいつは例外なのです! というか、何故、あの裏切り者はきちんと本人が名乗った名前で呼ぶのですか!? 私はずっと、【黒色殲滅】と呼ぶ癖に。私を忌々しく、名前で縛って力も奪った癖に」
「何もかも、そういう所だぞ、【黒色殲滅】。だから、お前はハルに相手すらされないんだ」
「うぐ…………ま、まるで私が奴に懸想しているような物言いですが、そのような物的証拠は一つたりとも――」
「んじゃあ、ハルが解放された後の打ち上げにお前は呼ばなくていいよな? あ、もちろん、ミドリは呼ぶけど」
「ぐ、ぬぬぬぬ」
カインズの頭を撫でながら、【黒色殲滅】を口で言い負かす。
そう、こいつは基本的に脳筋なので、冷静になれば、口でいくらでも勝つことが可能なのだ。問題は、ほぼ確実に、第三者が居ない二人きりの場所だと、何時までも罵り合ってしまうほどに、俺たちは冷静ではなくなってしまうということだろうか。
「素直になれよ、【黒色殲滅】……そうすれば、打ち上げの件、考えてやらないことも無い」
「ぬぬぬ、わた、私は――」
「もっとも、俺が幹事じゃないから、俺に言ってもしょうがないんだけどな?」
「私はお前を殺す」
「ははっ! 面白れぇ、返り討ちにしてやるよ! …………と、言いたいところだけど、ほら」
「むう?」
今、ここにカインズが居てくれてよかった。
俺はアイテムボックスから素早くメモ帳とボールペンを引き抜くと、手早くペン先を紙片へと走らせる。荒々しくも、なんとか読める乱雑な文字で書くのは、時間と場所の指定。
そして、書き終えた紙片をメモ帳から破り取って、【黒色殲滅】へと手渡してやる。
「幹事じゃないが、集まりのある時間と場所ぐらいは知っている。んでもって、本当に参加したいなら、ミドリに口を利いてもらえ」
「…………ぐ、ぬ」
「おっと、お礼の言葉が聞こえないな?」
「ぐぬぬぬぬ」
「まぁ、別に良いけど。テメェなんぞに、礼を言われたくてやったわけじゃねーさ。ほら、カインズ。この素直になれない脳筋女なんかに関わってないで、さっさと市場を回ろうか」
「はい、ミサキ師匠」
「…………ま、まて、まって」
俺はカインズの手を引き、すれ違うように【黒色殲滅】から離れて行く。
一歩、二歩、三歩ほど歩いた所だろうか? 俺が試しに振り返ってみると、そこには、幼くも整った顔立ちを真っ赤に染め上げた【黒色殲滅】の姿が。
「あ、ありがとう、ございまし、た…………っ」
「ははっ、どうしたしまして」
仇敵が苦渋の判断でも下すかのような表情をしている所を、愉快に眺めた後、今度こそ、俺はカインズと共に買い物へ出かけた。
「ミサキ師匠」
「んー、なんだ?」
「ミサキ師匠はやっぱり凄いです。オレ、オレなら、あんな、怒りや憎しみを全部飲み込んで、あんな、普通に話すことなんてできません。すっごく、すっごく我慢して、ようやく殺さずに話が出来る程度です…………やっぱり、まだまだオレは未熟だなぁ」
「ははっ、そんなことはないさ、カインズ」
少年の時の手よりも柔らかく、すべすべとした、華奢な手を引いて、俺は歩く。
時折、屋台や商店街通りの店頭へと視線を向けながら、カインズと言葉を交わす。
「俺だって、常に限界ぎりぎりだ。さっきだって、カインズの目の前だから見栄を張って格好付けただけで、お前が居なかったら俺は、一日中罵り合いをしたかもしれない」
「ミサキ師匠……」
「それに、俺は一度あいつをぶっ殺しているからな。完全に殺し損ねただけで、一度は殺している。だからまぁ、一度も殺さなかったお前と比べたら、情けないもんさ」
「そんな、そんなことはありません!」
会話の途中、カインズがぎゅっと力強く俺の手を握り、歩みを止めた。
小柄な背丈のカインズは、俺を見上げるように、じっと見つめてくる。
可愛らしい少女の顔で。
けれど、瞳の中にある意思の強さは微塵も揺らぐことなく健在で。
「貴方が居たから、オレは今のオレになれたんです。ずっと、燻ったまま、何も出来ずに腐っていくようだったオレに、貴方が復讐をくれた! 試練をくれた! 未来を、夢をくれた! だから、だから、オレは! ミサキ師匠の事を、誇らしく思います」
まるで、祈る様に俺の手を胸元までもっていき、ぎゅう、と両の手で握るカインズ。
まったく、そんな顔をされれば、情けない弱音なんて言えなくなるじゃねーか。
「そうか、じゃあ、俺はこれからもそうであろう。俺は、お前の誇れる師匠であると、ここに誓うよ、カインズ」
「では、オレも誓いましょう。これからずっと、貴方の誇れる弟子であれるように、尽くすと」
傍から見たら、まるで愛の誓いに見えるかもしれないが、お生憎。
ここにいるのは、外見はともかく、中身は男同士の師弟だ。
だから、これはきっと、後々の人生まで影響を及ぼすような、思い出すごとに顔を赤くしてしまいそうな、こっぱずかしい男同士の約束だった。
俺は、この時の約束を、生涯…………いいや、例え、死んだとしても覚えているだろう。
そう、例え、怪物に成り果ててしまう、その時が来たとしても。