第158話 人よ、夜明けを目指せ 14
報いと呼ぶには生温い物だけれど、これでよかったのかしら? と彼女は首だけの状態で思案した。
高速化される思考は、走馬燈の証明。
くるくると、衝撃に飛ばされるまま薄闇の中を回転する彼女の頭部は、グロテスクかつ、奇妙な美しさ示していた。
殺されるために、生きて来た。
こういう時のために、己は生きていたのだと、彼女は確かめる。
今まで人類を蹂躙して来た魔王が、愛しい者の手にかかって死ぬのだから、まだ上等な部類の死に様だな、と彼女は走馬燈の中で納得した。走馬燈の中で、散々弄んで殺した者たちに比べれば、まだまともな死に様であり、それだけに、少しだけ彼女は申し訳なく思った。
罪悪感と呼ぶにはあまりにもささやかな物だけれど、とんでもない悪である自分が、概ね満足できる殺され方で逝けたので、今までの悪行を少しだけ悔いていたのである。
もっとも、多少悔いたところで、依然、彼女は彼女のまま。
我侭で、醜悪で、人類の敵対者である、常闇の魔王。
故に、このまま死ぬのが、誰にとっての最上の結末だと、彼女は考える。
そりゃあ、出来るのならばリズが真正面から自分を打破してくれればよかったのだけれども、大きな怪我をしなかったので、結果オーライということで。
未練というか、悔しいと感じるのは、いくら己自身を抑えつけていた状態とはいえ、個人的にはさっさと殺してくれと願っていたとはいえ、まんまと矮小なる人類の刃によって完全に動きを止められたのが、彼女としては業腹だった。
流石に、ここで『なんと見事な不意討ちだ、人よ』などと、大物ぶって余裕を見せらえるほど、彼女は心が広くない。もしも、こうして首を飛ばされなかったら、逆に殺して――いや、リズの知り合いらしいので、半殺しで勘弁してやったことは確実なぐらい、悔しかった。
悔しくなるぐらい、見事な不意討ちだった。
口が裂けても、そんなことは言いたくないけれど、お礼なんて言うつもりなんてさらさら彼女には無いのだけれど、それでも、声が出ればきっと、彼女は言っていただろう。
――――これで、よかった、と。まるで、一人の老人が看取られていく寸前のように、万感の思いを込めて、呟いていただろう。
さて、長かった走馬燈もこれでお終い。
僅かに保った意識も、地面への衝突と共に、あっけなく消えてなくなるだろう。
その先には、光があるのか、闇があるのか、彼女には預かり知らぬところであるが、どちらで在ろうとも、関係は無かった。
家族が居ないのならば、どんな場所だって、そこは――――
「ほいっと。うまくいけば、いいねー?」
地面に激突したにしては、やけに柔らかい感触が最後にあって。
彼女の意識は、途切れた。
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蘇生の手順について、語ろう。
まず、一番重要なのが、魂だ。魂は死んだ瞬間から、世界の下方位地へと沈み、輪廻の円環に送られることになるので、魂を確保するのが最重要である。きっちりと、専用の術式を使い、魂を現世に留めておくのが、蘇生のポイントだ。
次に、肉体を用意しよう。
可能であれば、魂が入っていた元の肉体が望ましい。
何らかの事情によってその肉体が使えない場合は、出来る限り元の肉体に近づけた物を用意しよう。
ただ、基本的に元の肉体を離れてしまえば、蘇生の難易度は途端に急上昇する。
何故ならば、人は、魂と肉体と精神、この三つが揃って初めてまともに動く存在だからだ。肉体を損ない、精神もあやふやな状態ならば、魂がどれだけ上等に保存されていても、蘇生は難しい。
故に、発想を転換させよう。
最重要なのは、人格と記憶の引継ぎ。その連続性だ。能力や、その他あれこれに関してはこの際、一切消えても構わない。
そして、人でないのであれば、多少なりとも荒々しい術式に耐えられるはず。
少なくとも、常闇の魔王とさえ呼ばれた存在であれば、その魂や精神の在り方は特異だろう。何せ、無形である闇を統べる存在だ。多少、自分の肉体が別の物になっていたとしても、違和感は少なく済む。
後は、そう、蘇生を補助することに適した存在が居れば、もしかしたら、驚くほど何事も無く蘇生は成功するかもしれない。
例えば、魂の状態で動くことに特化した憑依の特性を持つ者が。
例えば、『マクガフィンという異能を分け与えられた、人格の端末』があるという奇跡などが起これば、きっと。
「…………あら?」
殺害後の、速やかなる蘇生ならば実現させることも可能だろう。
「お、大婆様ぁ!!」
「ふー、せいこうなのですー」
「まったく、手間を掛けさせるわね!」
「やー、ここで失敗したらどうしようかと。折角、端末の先輩を犠牲にして蘇生したのですから」
「カインズ。本体と同期しているので、パーソナリティに欠如はありませんよ?」
「そうですけど、なんか嫌でしょう?」
水底から浮かび上がるかのような感覚を得て、常闇の魔王――もとい、恐るべき魔女の意識は覚醒した。
「え、ええと?」
恐るべき魔女とはいえ、死んでから復活したのは初めてなので、流石に状況を把握しきれる混乱しているらしい。体の奇妙なだるさに包まれており、背にしているのがベッドとは比べものにならないほど固い地面であったとしても、当分、動きたくないと思ってしまうほどの倦怠感。いっそのこと、このまま寝直してしまいたい、というのが彼女の正直な感想だった。
けれど、傍らにリズの無事な姿を見かけると、彼女は安堵して、何か声を掛けようと口を動かそうとして――――何か、大切なことを思い出したとばかりに目を見開いた。
「い、いけないわ、リズ! 早くお逃げなさい……私が、私が死なない限り、あの導師は――」
「そのことであれば、問題ありません、恐るべき魔女よ」
混乱する彼女を押しとどめたのは、冷静沈着なオウルの声だった。
「貴方は先ほど、リズの一撃で死に、再び蘇りました。これで、『黄昏の刃が常闇の魔王を討つ』という条件は達成されたと考えられます。事実、地上では段々と夜が明け、陽が昇り始めています。また、貴方の言う『導師』というイレギュラーに関しても心配ありません」
淡々と、けれど、どこか誇らしげに、オウルは彼女に告げる。
「ミサキが対処していますので、何も、問題ありません。ええ、きっとすぐにでも私たちの下に駆けつけてくれるでしょう。いつもの如く、とっておきの武勇伝を携えて」
彼女はオウルの言葉に、不思議な確信があることに驚いた。と、同時に不安になる。
異界渡りのミサキ。
世界の理すら凌駕する超越者――――それすら殺す異界の英雄。
彼の武勲は管理者や光主から聞いているし、実際、超越者相手であれば、オウルの言葉を素直に彼女は信用することが出来ただろう。
しかし、彼女が感じている不安の正体は、導師の得体の知れなさから来る者だ。
あの恐ろしくも理解不能な何かに対して、果たして、『分かり易い英雄』である彼が勝てるのか? そんな風に彼女は、不可解であるはずの自分の肉体に関しての違和感を押して疑問に思うほど、あの導師に対して恐怖を抱いていた。
あれは、普通じゃない。
超越者という存在と同等以上に、何か恐ろしいものである、と。
「ん、噂をすれば影ですね。皆さん、我らが馬鹿のお帰りです。盛大に迎えてあげましょう」
「「「「いえーい!!」」」」
ならば、彼を直接見た時の奇妙な感情を、なんと表せばいいのだろうか?
彼女――恐るべき魔女は、彼――ミサキと会うのは初めてだった。
だから、てっきりもっと強い存在だと思っていた。いつでも自信満々で、どんな敵と相対しても、決して怯まない無敵の英雄。
「遅かったですね、ミサキ」
「かっこいいとこ、みせたかったのにー」
「ふん、しょうがない先輩よね! 後輩の見せ場に遅れるなんて!」
「ミサキ師匠! 今回、めっちゃ頑張ったので、褒めてください!」
「み、ミサキさん! 怪我! 怪我していますよ!? 回復! すぐに回復です!」
でも、実際に、やってきたのはボロボロの姿で、慌ただしくこちらに転移してきた心配性な誰かだけ。
しかも、その誰かは狐面の破損した右半分の部分から、不安そうな表情を覗かせており、無事な仲間の姿を見ると、安堵の吐息と共にぽろぽろと涙を零し始める始末。
とてもではないけれど、頼りがいのある英雄には見えない。
ただの、特別では無い一般人の延長線上の誰かのようにしか思えない。
――――だからこそ、恐るべき魔女はミサキの姿を見て、心を動かされたのだろう。導師の底知れぬ不安すらも払拭するような感動を得たのだろう。
「ミサキさん!? どこか痛むのですか!? 涙が出ていますよ!?」
「ほんとだー。ふふふ、あんしんしたのー?」
「私たちが無事で、喜びのあまりに泣いてしまったようね!」
「ミサキ師匠……そんなにオレたちのことを……」
「ち、ちげぇーし! 泣いてねぇーし! これは、その、朝日が眩しいだけだしぃ!」
「ここは地の底、闇の街ですよ? ミサキ」
ボロボロで、情けなくて、思いっきり涙を流しながらも仲間たちにからかわれる姿を見て、恐るべき魔女は、ついついくすりと笑ってしまった。
そして、納得した。
ああ、きっと、あの導師を倒せる奴が居たら、こんな奴なのだろうと。
「リズ。貴方はまた、難儀な人に惚れたわねぇ」
自分の子孫が好きになった人は、こういう奴なのだと。
薄暗い闇の仲。
地の底。
朝日すら届かないはずの場所で、彼らはこうして夜明けを迎えた。