第157話 人よ、夜明けを目指せ 13
常闇の魔王は強くない。
圧倒的なスペックであるが故に、製造年数の割に戦闘経験が少なく、真っ当に同じ力量の存在としのぎを削ったことなど無い。
けれど、弱くも無い。
圧倒的なスペックもそうであるが、常に余裕を崩さぬ態度は敵対者に対してプレッシャーとなり、加えて、本人の意思に関係なく、存在するだけで勝手に発動する概念魔術などは厄介極まりないだろう。
「人が闇を恐れるのは何か? それは、見えないから。そこに何があるのか、見えないから。そう、闇の恐怖とは未知の恐怖なの。分からないことが、怖い。今の自分の表情すら確認できず、無明の闇の中を彷徨うのは、誰だって怖いもの。ましてや、世界創造以前に存在する原初の闇、混沌の欠片に取り込まれれば、意思を保つのも辛いはずよ」
常闇の魔王が発動した概念魔術によって、三人は戦闘不能の状態まで陥っていた。
オウルは端末に残存魔力を集中させて、辛うじて意識レベルを保っているが、行動は不可能。フシは意識不明。唯一、黄昏の血族である、そう、常闇の魔王の血を引いているリズだけは、耐性があるのか、黒剣で闇を振り払い、戦闘状態を維持していた。
「はぁ、はぁっ…………大婆様、どうしてこんなことを?」
切っ先が揺らぎながらも、リズは戦意を落とすことなく、常闇の魔王に訊ねる。
今更ながらも、訊ねる。
何故、と。
「リズ。敵対者に理由を求めるな、と教えたでしょう? 理由なんてものは、相手を殺した後に考えればいいの」
「相手の理由がどれだけ上等でも、戦わなければいけないから……ですよね?」
「うんうん、そうそう。ちゃんと覚えていて偉いわ、リズ。お勉強の時間を抜け出して、家の裏でこっそりと木の棒を振り回していたおてんばとは思えない。まったく、いつの間にか子供はちゃんと成長するのね」
「誤魔化さないで、大婆様。敵対者に理由を求めてはいけない。それは分かるよ? でもね、大婆様は敵対者じゃない! 私の家族だ! 家族だから、理由を求めているんだよ!」
リズの体力は概念魔術を祓ったことにより、虫の息だ。
本来であれば、このような問答に時間を費やすべきではないし、叫ぶという行為なんて無駄でしかないだろう。少なくとも、戦闘を生業とするプロたちならば、そのような真似はしない。無駄な行為など、絶対にしない。
されど、リズは戦闘のプロでもない、未熟な剣士。
そして、常闇の魔王の身内である。
だから、例え、無駄だと分かっていても、問わずにはいられなかった。
「ふふふ。ねぇ、可愛い私のリズ――――――家族だから、言えないこともあるの」
常闇の魔王は強くない。
今更が、図々しく己の身を嘆く真似なんて出来ない。突如として訪れた理不尽に怒りを示し、抗うなんて真似は出来ない。
それでも、常闇の魔王は決して、弱くない。
「意地があるのよ、これでも」
「…………大婆様」
そう、弱くなどないのだ。
常闇の魔王は最初から、導師という隠者が仕掛けた術式に抗い、衝動を抑え続けていたのである。
本気で戦う、戦わない以前に、常闇の魔王は戦闘を強制されている。
人類を滅ぼすことを、命じられている。管理者権限を奪った存在に、それを命じられれば、舞台装置に近しい彼女は実行しなければならない。
例えそれが、愛する者を害する行動だったとしても。
「さぁ、来なさい、リズ。その黒剣を背負い、試練に抗いなさい。今の人類では、少し荷が重いかもしれないけど、貴方には協力してくれる人がいるのでしょう? なら、やり遂げて見なさい」
「でも、私は!」
「――――リズ」
常闇の魔王は抗う。
殺せ、滅ぼせ、と脳内に響く、殺意を強制する声を無視して。
無意識に紡ぎそうになる、殺戮を為す魔術の数々を抑えて。
かつて、リズと共に在った時の自分であるように。不敵な笑みを浮かべて、如何にも余裕綽々という態度で、言うのだ。
「夜明けを目指しなさい。いつまでも、暗い夜に迷っていては、駄目よ」
その言葉で、リズは黙った。
黙って、黒剣を握る手の力を強めた。ぎゅっと、切っ先が定まるように、夜を切り裂き、全てを終わらせるように。
そして、
「この瞬間を、待っていた」
黒剣ではない、刃が、背後から常闇の魔王の胸を貫いた。
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愛を知った彼女の行動は変わった。
一変した、というほどではないが、それでも、残虐なる魔王ではなくなっていた。
己の血が連なる一族を愛で、育て、守護するようになったのである。
偽装では無い。義務では無い。ただ、本心からの愛しさに従って、彼女は家族を、一族を守り続けた。
子供が育った時は、隠れて笑い。
子供が挫けそうなときは、隠れて応援する。
子供が誰かと共に在ろうとした時は、静かに見守る。
子供が――――子供だった誰かが、天寿を全うして逝くときは、優しく微笑んで見送る。その後、誰も居ない場所で、泣く。
表面上の態度はどうであれ、彼女は己の一族を愛していた。
加えて、一族以外の人間に対する態度も、少しばかり変わっていた。
それまでの彼女であれば、散々弄んだ後に破滅させたり、基本的に、遊んだら壊す様の玩具としか考えていなかった。
しかし、愛を知った彼女は気まぐれではあるが、一族以外の人間を助けるようになったのである。もっとも、優しい助け方では無く、意地悪く、人が苦悩するのを楽しめるように、善意と悪意が半分ずつ存在しているような、奇妙な助け方なのだが。
彼女は、知らない。
彼女は、思いもしない。
自らの血族を信頼し、愛しているが故に、気付かない。
時に、その気まぐれが巡り巡って、己の運命を左右することになることを。
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カインズは紛れもなく、常闇の魔王と戦うメンバーの中では一番弱かった。
フシのように、怪力と不死身の肉体も無い。
ツクモのように、武具に憑依する能力も無い。
オウルのように、地盤を穿つような火力も無い。
リズのように、特別な血筋も無い。
カインズは、ごく普通の少年だ。
ミサキに師事しているだけの、未熟者の剣士である。
そう、『この中で一番違和感なく、存在を認識されなくなっても問題ない』人物である。
「常闇の魔王を討てるのは、黄昏の刃だけ、でしたっけ?」
カインズはずっと、その瞬間を待っていた。
ツクモ、フシ、リズとは別に、オウルとカインズだけにミサキが教えた、保険とも呼べる策を実行するために。
「こ、ふ?」
「それじゃあ――『黄昏の末裔の血をたっぷりと塗りたくった武器』も効くかと思いましたが、よかった。予想通り、効いたみたいですねぇ」
弱者の刃を――――とあるシスターから提供された、黄昏の血で錆びさせたショートソードを、常闇の魔王の背後から突き刺すために。
「加えて、ミサキ師匠が保有していた魔導具の中でも最高ランクの呪物でこの刃を呪いました。折角の贈り物が、色々物騒になってぶっちゃけ使い捨てみたいな感じになっちゃいましたけど、まぁ、仕方ないですよね、うん」
カインズは弱い。
けれど、だからこそ、この中で誰よりも必死で考え、ミサキの策を確実に実行するタイミングを伺っていた。この中の、誰一人として欠けさせないために。
もう、誰も失わせないために。
大切な人の仲間を、助けるために。
そのためだったならば、カインズはどんな手段だって取れる。
未だに、憎くて、憎くて、顔を見れば殺したく仕方ないはずのシスターに頭を下げて、剣に黄昏の属性をエンチャントしてもらうことも。
仲間が戦っている間、安全圏で、ミサキの端末と共に劣化マクガフィンの異能の効果を受けて、見つからないように隠れていることも。
空気を読まずに、遠慮なく背後から不意討つことも。
そして、一つ間違えれば何の保証もなく、一瞬で命を奪われる危険も承知の上で。
「だから、そういうわけで――――リズさん!」
「へ、あ…………はいっ!!」
カインズの突き刺した刃は、常闇の魔王の動きを止めることが出来た。けれど、それだけは倒せない。傷を与えられるが、殺せない。
故に、最後の一撃を担当したのは、リズ。
想像とは違う、結末かもしれない。
思っていたよりも、自分は何も出来なかったかもしれない。
失敗するかもしれない。
だが、それでも、踏み出さなければ何も始まらない。
「せい、やぁっ!」
胸に渦巻く感情を振り切り、リズは黒剣を横薙ぎに振り抜く。
「――――あ」
ざん、と小気味いい切断音が一つ。
それが、この世界の賭けた戦いの決着であり、数千年に渡って人類を脅かして来た、常闇の終わりだった。