第156話 人よ、夜明けを目指せ 12
常闇の魔王は強くない。
オウルは、冷静に、客観的に常闇の魔王を観察した結果、そのような結論に達した。
「あららら? 腕が取れてしまったわ、もう。やんちゃねぇ、リズは」
「ぐ、うぉおおおおおおおおおおおっ!」
「はいはい、そうね。よくお喋りする相手には、問答無用の一撃を。確かに、そのとおりだわ」
魔術の腕は世界有数。
闇がある限り、魔力が尽きることも無く、呼吸をするように大魔術をぶちかますことが可能な、戦略兵器レベルの火力。
黄昏の血脈でなければ、命に届くこと無き不死不滅の特性。
そのどれもが十分、脅威に値する点なのだが、『強い特性を備えているということが、すなわち、強い戦士であるとは限らない』のだ。
「連携を閉さず、相手の攻撃の出足を潰します」
「了解したわ! さぁ、魔王対峙の始まりよ!」
魔術の腕は世界有数。
されど、近接戦闘に持ち込まれている現状、使用できる魔術の種類は限られる。
無尽蔵の魔力に、戦略兵器レベルの火力。
そもそも、攻撃をさせなければ、それでいい。
不死不滅の特性。
――――そのための、リズだ。
「せいやぁっ!」
リズは黒剣を振るう。
躊躇いなく、勢い良く、常闇の魔王の肉体を切断する。
剣士としてのリズの腕は、悪くはないが、達人未満。本来であれば、数千年の時を生きる常闇の魔王には、テレフォンパンチさながらの避けやすい軌道の剣でしかない。
だが、そこにフシが怪力で投擲する、光の魔力がたっぷりと詰まった光石による、デバフ。オウルの高速軌道による、行動制限。
当たりにくいのであれば、当たる様に敵を動かせばいい。
幸いなことに、オウルは本来、ミサキをサポートするためのAIだ。誰かの動きを補助するという行為は日常茶飯事。
フシも、常闇に及ばずとも死にづらい特性の持ち主であるので、己の損傷を恐れず、常闇の動きを封じることが出来ていた。
「んんー、悪くない、悪くないわ」
常闇の魔王の口調は軽い。
幾度も肉体を切断され、黒い靄すらも黒剣に切り裂かれ、まともな形を保つことは出来ていない。間違いなく、ダメージは与えられている。けれど、急所という概念が無いのか、どれだけそれらしい場所をリズが貫いても、致命傷は与えられない。
何故ならば、常闇の魔王は人では無い。
普段、人の形を取っていたとしても、人として生まれたわけではない。
形無き闇として生まれ、世界の敵対者として存在づけられたのだ。
「悪くは無いけど、もうちょっとペースを上げないと、回復しちゃうわよ? 私」
なので、常闇の魔王に弱点はあるが、急所は存在しない。部位によって、致命傷を受けることは無い。ダメージを与える効率が上がる属性はあるが、部位は存在しない。
よって、常闇を殺すために必要なのは純粋なる火力である。
「うあ、あああああああっ!」
何度も、何度も、何度も、リズは黒剣を振るう。
気合いの掛け声を出して、鎧の下で滝のような汗を流しながらも、己にしか出来ない役割を果たそうと、己の身内に対して剣を振るう。
その精神的な苦痛はいかほどだろうか?
兜の下で、リズが泣いているのか、それとも、勇者の如き決意を秘めた表情を浮かべているのかは、誰にも分らない。リズ本人でさえも。
ただ、この時点で分かっていることがあるとすれば、一つだけ。
「…………はぁ、タイムオーバーね。リズ、他の子たち。とりあえず、防御しなさい。そうすれば多分、死なないから」
常闇の魔王の意思とは関係なく、ダメージを受ければ受けるほど、戦場に満ちる闇の魔力が増大しているということ。
神話の中で、主神の一部が変異して新たなる神が生まれたように。
とある救世主の血を吸った槍が、世界を左右する魔導具となったように。
あるいは、毒竜を討伐した英雄が、その血煙を吸い、病を得てしまったように。
常闇の魔王から零れ落ちた力は、新たなる災厄を呼ぶ。
「まったく、管理者権限というのは厄介な物よね。それが、本来、持つべき者以外に渡っている時なんて、最悪の極みだわ――――加減することも、出来ないなんて」
常闇の魔王、本人の意思すら関係なく。
地の底に満ちた、闇の魔力が渦巻く。
管理者権限を奪った、恐るべき隠者が施した仕掛けが、試練の一部が発動する。
【恐れ・立ち止まり・竦め・未知なる闇へ】
それは、世界管理者が許可しなければ、使用できない概念魔術。
この世界の人類に向けてではなく、世界存亡がかかった外敵に対して、初めて使用が可能となるはずの魔術だ。
発動には声すら必要なく。
魔力を扱う必要すらない。
ただ、世界に常闇の魔王が存在している限り、その魔術は必ず発動する。
「結局、私はただの舞台装置。だからね、リズ。私を超えなさい。私と世界の思惑を超えて、遠く、遠く、手の届かない所まで……」
それはオウルの突撃を受けても、フシの怪力を受けても、リズの黒剣を受けても止まることなく、発動された。
原初の闇。
光が生まれる前の、限りなく無為に近い闇が召喚される。
管理者にとっては、絶対なる排除を示す闇が。
隠者にとっては、乗り越えて当然だという闇が。
常闇の魔王に立ち塞がる、愚かなる者たちを、抵抗すら許さずに、飲み込んだ。
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彼女が愛という物を初めて見つけたのは、大分最近の話になる。
そう、ほんの数百年ほど前だ。
とある傭兵王が、黒竜と共に、光と闇を問わずに軍勢を集め、黄昏の国を作ろうとした時である。
実際の所、彼女は期待していた。
いや、彼女だけでは無く、光主も、管理者ですら期待していた。
この傭兵王こそ、神話の時代を終わらせて、人類を次のステージに導く存在なのでは無いのだろうか? 先導者の資格を持つ者が、ようやく人類の中から出て来たのではないのだろうか? そう思ったのである。
だが、結果は惨憺たる有様だった。
奮闘はしていた。
光主と彼女――常闇自身が出陣しなければ、本当に世界を黄昏に統一してしまう程度には、あの傭兵王には覇王としての才覚があったのだ。
しかし、世界の理である光主と常闇を超越するほどの何かは、宿していなかった。
光主が破滅の光を振りまき、常闇である彼女が、尽きぬ闇の軍勢で黄昏の一族を食らい尽す。誰しも皆、傭兵王の下に集い、最後の最後まで抗うことを止めず、希望を諦めず、戦い抜いた見事な者たちだったと、彼女は記憶している。
それだけに、彼女は惜しく思った。
ようやく、数千年の時を過ごして安穏とした退屈を打破できる可能性を持った人材が出てきたのだ、このまま死なすのは惜しい、と彼女は判断したのだ。
故に、常闇である彼女は光主と管理者に提案した。
この傭兵王の血筋を、いずれ起こるであろう『その時』のために、保護しておくのはどうだろうか? と。
「悪くない」
「好きにするがいい」
彼女の提案に対して、両者は好意的な答えを返した。
ただ、光と闇、両方の勢力に喧嘩を売った傭兵王がそのまま、大人しく畑を耕し、平和に子供を作って過ごすとは考えにくい。そのため、彼女はボロボロになった傭兵王の記憶を抹消し、『魔人に殺されかけたところを偶然救った』という体を取って、記憶喪失となった傭兵王に取り入ったのである。
籠絡は難しくなかった。
元々、傭兵王は色を好む気性だったし、恩義には厚い。命を救ってもらった恩は命を賭けて返すのだと、何も知らずに彼女に対して律儀に好意を抱いた。
彼女としても、数千年間ほど人間に混じり、『恐るべき魔女』と呼ばれるほど人々を弄んできた魔性の美少女として、英雄たる傭兵王の伴侶を演じるのは実に楽しかったと記憶している。
一見すると、彼女と傭兵王は理想的な夫婦だったかもしれない。
夫は屈強にして、堅実。多少、美しい女性に目移りするという悪癖はあるものの、結局、妻を一番美しいと思っているので、浮気はしない。彼女は常に笑みを浮かべ、夫を立てつつも、要所ではきっちり夫を助け、共に苦難を乗り越える素晴らしい夫婦。
もっとも、実際は加害者である彼女が、敗北者である彼から全てを奪い取り、おままごとのように理想的な夫婦を演じているに過ぎない。
彼女は、このおままごとを楽しんでいた。
生来、戦士としてすさまじい才能を宿した男を、ただの凡夫――と呼ぶにはいささか異常過ぎたが、戦いから遠ざけて、本領を発揮させず、牙を抜いた番犬の如く弄ぶことを、彼女はとても楽しんでいた。
「は、ははははっ! 見ろ! 俺とお前の子だ! ああ、なんて愛らしい……」
特に、彼女が子供を産んでからの傭兵王――いいや、彼は傑作だった、
それまでの破天荒な態度が一転、子供たちを不自由なく育てるために、より一層畑を耕すようになり、どれだけの美女がその脇を通り過ぎようとも、目を泳がせることはなくなっていた。もう、彼の目に映るのは、愛しい妻と、子供の姿のみ。
結果、かつて傭兵王と呼ばれた男は、『農園王』と呼ばれるほど畑を耕し、子供たちに充分過ぎるほどの遺産を遺して、死んだ。
「…………そういえば、誰かを待たせていた気がするんだが、誰だった、かなぁ?」
最後の最後、傍らに寄り添っていた彼女だけに聞こえるほどの小さな未練だけ、残して。
彼が逝った時、彼女は笑っていた。
ぎゅうと、心臓に爪を立てるのではないかと思うほど、強く胸を抑えて。
「あ、ははははは、はははは」
ボロボロと、大粒の涙を流しながら、彼女は笑っていた。
空虚な笑みを。
悲痛な笑みを。
愚者の笑みを。
そう、笑みを作りながら、彼女は嗤っていた――――己の、あまりの愚かさを。
「そうか。私は、貴方の事を愛していたのね、ヴァイス」
失って初めて、彼女は彼を愛していたことを自覚出来たのである。
これが、常闇と呼ばれていた残酷無慈悲な魔王が、人並みの心と、愛情を持った、始まりの喪失だった。