第155話 人よ、夜明けを目指せ 11
魔王という存在が居る。
魔王。
魔の王。
魔物を統べる王。
あるいは、魔物を生み出す王。
古今東西、どの世界線でも、勇者や魔王という存在が出現することがある。
大抵の場合、それはファンタジー世界における、定番の流れというか、とてつもなく強大な敵対者を統べる王が魔王で、人類側の希望が勇者、という形になる。
けれど、高度に発展した文明における魔王とは、無人の超巨大兵器の名称だったり。
獣と共に在る、人類の文明が未発達の世界では、恐ろしく強大な野生動物だったりする。
魔王と勇者。
待ち構える者と、打ち倒す者。
魔王の定義とは、強く、恐ろしい存在。秩序に対する、敵。
勇者の定義とは、強く、勇気ある存在。魔王を倒すための、特記戦力。
そして、大抵の物語において、魔王とは――――――勇者以外には、『資格ある者』以外には、打ち倒せない存在を指す。
それは、この常闇の魔王も例外では無い。
「外世界から持ってきた兵器というのは、とても恐ろしいわね。まさか、光主でも手こずる私の防壁を力任せで破壊してくるのだから。ふふ、おかげで本拠地がまるで、火炎魔術でも使われた後みたい。でも、ね?」
「ぐ、う」
「いきなり、敵の親玉を轢き殺そうというのは、ちょっと贅沢が過ぎるんじゃない? ねぇ、異界渡りの相方さん」
闇が、オウルの端末を拘束していた。
突撃と共に、破壊したはずの、常闇の魔王の肉体は、人のそれからガス生命体の如き、闇の集合体になっている。かろうじて、壊されていない顔と左半身の部分だけ生身。しかし、それ以外の部分は、自在に魔王が操る闇の具現だ。
「超音速での襲撃。魔力を充実させて、概念防御ごと相手を貫く思いきりの良さ。戦士としては合格だけれども、暗殺としては落第ね。ちゃあんと、私は教えていたつもりだったのよ? 黄昏の刃でなければ、私は討てないって」
常闇の魔王が扱う力、それは闇を統べる力である。
闇、それは光すら捕らえる原初の要素。
例え、どれだけの魔力を込めて超振動しようとも、自在に性質を変える闇は、粘着質のある泥のようにオウルの肉体に纏わりつき、身動きを封じる。力任せに脱出しようとも、力比べでは、この世界の半分の要素を担う常闇の魔王相手では、分が悪い。
「私の闇は、光すら捕らえて離さない。たかが超音速程度で、翻弄出来るとでも?」
「う、ぐぐぐ、ぐ」
「壊れなさい、外の世界の人形よ。どうせ、バックアップとやらは取ってあるのでしょう?」
一つの文明を破壊する、大鷲の翼を持つ、最終兵器。
確かに、戦闘力は随一であり、数多の世界でも、オウルが全力で扱う端末よりも戦闘能力が高い人形兵器は少ないかもしれない。
されど、敵対者は世界の半分と言っても過言ではない、太古より存在している常闇の魔王だ。
黄昏の刃が無ければ、不死不滅を命じられている常闇だ。
故に、オウルでは倒せない。
名だたる異界渡りの相棒だったとしても、常闇の魔王は倒せない。
《――――なるほど、案外、実戦経験は低いように見えますね? 常闇の魔王様?》
そんな簡単な理屈を、冷静沈着なオウルが見逃しているはずがない。
当然の如く、陽が昇り、夜が終わるかよりも当たり前に、策は容易されている。
「「光よ!」」
ばばばばんっ、という光石が幾重にも炸裂する音と共に、常闇の魔王の視覚に光が満ちる。光の加護のある閃光が、オウルを掴む闇の塊を消し飛ばし、拘束から解放する。
「あら、やっぱり不意討ち?」
己の肉体の一部が消し飛ばされても、常闇の魔王の余裕は崩れない。
黒剣が振るわれ、下半身と上半身が分かたれたとしても。
黄昏の刃が、己の身を守る闇と不死性を易々と斬り分けて、己の命に迫ろうとも。
「格上の相手と戦う時は、どんな卑劣な手でも使え! 負けて死んだら、どんな信念を持っていようとも愚かしい! ですよね? 大婆様」
「ヒャッハー! 今回の私は援護に徹してあげるから、さっさとぶち殺しなさいな、リズ!」
黄金の全身鎧をまとい、黒剣を振り抜くリズ。
光石をたっぷり詰めた革袋を背負い、そこから次々、手りゅう弾の如く投げつけてけん制するフシ。
二人の敵対者に加えて、解放されたオウルが再び、超振動で常闇の魔王の肉体を破壊しようと目論んでいる。
控えめに言っても中々の窮地。
それでも、常闇の魔王の笑みは崩れない。
何故ならば、
「いいわね、うん。そのくらいなら、死んであげてもいいかもしれない」
常闇の魔王。
恐るべき魔女。
その他、数多の異名を持つ、太古から存在した世界の敵対者は――――最初から、死ぬつもりでこの異変を引き起こしたのだから。
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彼女は世界が残酷であることを知っていた。
常闇。
光と相反する闇の存在。
幾度も光に焼かれ、幾度もいずれ朽ちる命を生み出して、彼女はようやく己の存在理由の本当の意味を理解したのである。
彼女は、人類にとっての敵対者だった。
光の加護で優遇されている人類が、慢心して、腐らないようにと作られた敵対者。
夜という時間を恐怖の物として、光に対する感謝と、夜を恐れてもなお、先に進もうとする者を選別するための舞台装置に近しい存在だった。
そのことを本当に思い知ったのは、人類を絶滅させ損ねた時の事だろう。
「職務ご苦労。だが、働き過ぎだ――――少し、休みたまえ」
三百年も時間をかけて、密やかなに準備していた人類の撲滅作戦。
特別に強く、賢い魔物の上位個体――『恐るべき子供たち』を幾つも生み出して、少しずつ、陽光に対する対抗力を上げていって、確実に、人類を滅ぼすための計画を彼女は実行した。
彼女の計画は、ある一点を除けば完璧だったかもしれない。
その当時の人類は、未だ鉄を扱い切れず、魔法による理の行使も一部の魔術師しか出来ない。昼間に戦えば、怪力と凄まじい回復能力を持つ人類たちであるが、夜の間は性能の大部分が制限される。つまり、夜の内に世界各地で同時放棄を行い、人類を存続不可能な数まで減らせば、人類は闇の眷属たる自分たちの物なるのではないかと考え、その作戦は実行された。
上手くいった。
上手く行き過ぎた。
もう少しで人類を滅ぼすところだった…………だから、光主が、己が絶対に敵わないであろう存在が出て来たのである。
「同僚よ、働き過ぎは良くない。その時が来るまで、我々はある程度自由だ。お前が望めば、陽光の下でもある程度の自由行動は認められるだろう。故に、諦めろ。どうせ、我々はこのお方の部下に過ぎない」
そこで彼女は、己が生まれて来た理由を知ってしまった。
光主の存在を。
管理者の存在を。
自分の憎悪も、妬ましさも、何もかもが、全て、管理者という名の神様の手のひらの上で、踊らされていただけの予定調和だったことに、彼女は怒りを示した。
ふざけるな、何様のつもりだ!?
彼女は、光主の隣に居る管理者に向けて、怒りをぶつけた。
己の中にある感情を全てぶつけ、この後、管理者によって殺されたとしても、後悔が無い様に、己の全てをぶつけた。
「ああ、はい、まぁ、そうですね。お気持ちは察しますが、仕事なので、はい」
けれど、管理者から返って来た言葉は、超然とした傲慢でもなく、絶対者の正義でもなく、中間管理職のような疲れ切った言葉だった。
仕事だから仕方ないだろ、という、諦めと疲れが同居した言葉。
この言葉を受けて、彼女は絶望した。
光主や己を作り出した、他と一線を画する管理者という存在。
神にも等しい絶対者。
そんな存在が、目の前に居るというのに、まったく恐怖も畏敬の念も抱けず、ただただ、憐れみと悲しみが胸の中に生まれてしまったことに、絶望した。
自分よりも遥に強大であるはずの管理者でさえ、何かに囚われて、やるせない想いを抱えている。自由奔放に振舞えない不自由さに、彼女は絶望して、そして、吹っ切れてしまった。
「もう、いい。その時まで、精々、楽しんで生きよう。どうせ、何もかもが無為な世界なのだから」
己の為すことは全て、何も残らない。
世界運営に関わる、ただの役割でしかない。
だったら、精々、舞台の上では楽しんで踊ろうと、彼女は許された特権を使い、人の中に混じって、散々人を弄ぶようになった。
闇を操り、眷属を生み出す権能を使って。
時には、自身の体を自在に変形させ、絶世の美女として人間関係を滅茶苦茶にして。
遊びに、遊んだ。
人と触れ合い、人の想いを踏みにじり、誰かの嘆きを見るのは、乾いた心を癒す最高の趣味だったと、彼女は自負している。
だからこそ、彼女は次第に、人の世でこう呼ばれるようになった。
恐ろしくも、美しい女。
魔性を帯びて、夜すら悠然と闊歩して見せる超人。
――――そう、『恐るべき魔女』と。