第147話 人よ、夜明けを目指せ 3
恐るべき魔女という存在が居る。
百年以上前から容姿が変わらない美少女であり、神出鬼没。それでいて、光主の側近クラスすら手が負えないほどの大魔術師であり、気まぐれ。
時に、人を魔物から助けて。
時に、魔物を人から助けて。
時に、人も魔物も嘲笑い、地獄に叩き落とす人格破綻者。
けれど、自分の血を引く一族の娘にはそれなりに優しい……そんな魔女なのだとか。
「実は、もう二度とミサキさんと会えないことを覚悟していたのです。だって、ミサキさんはまるで渡り鳥みたいに自由で、捕らわれない人だったから。私一人の愛で、鳥籠の中に閉じ込めておくのは駄目だって、思っていたんです。でも、もしも、ミサキさんが男の人だったら、せめて、愛された証を残してもらえるのにって、そんなことをずっと思っていて。だから、その、えっと、よろしくお願いします……」
そう、忘れていたが、リズは、自分の気に入った男ならば、黄昏の革命者だろうが、凄腕の傭兵だろうが、記憶を消してまで物にするという女傑の子孫である。
どれだけ健気で可愛らしく見えていようとも、その女傑の血がしっかりと受け継がれているのだ。
…………うん、平手の十発ぐらいは覚悟していたけど、まさか、こういう感じで攻めてくるとは思わなかったぜ。
「あー、その、リズ? 大丈夫か? えっと、その場合、俺はこの肉体じゃなくて男の肉体に魂を戻すことになるが」
「大丈夫です、ヤれます」
「そ、そうか」
「でも、性欲を高めるために、セックスの前には一時間のフリートークを重ねたいところです。これでも雰囲気を重視したい乙女なのですよ」
「分かった、そちらの要求を飲もう――――じゃなくて! ちょっと待とうか。リズの想定だと、俺ってナチュラルに托卵するという前提なの!?」
「え? 違うのです?」
「違うよ!」
リズからナチュラル屑扱いを受けている……何故に……?
「けれど、旅商売をやっている男の人というのは、大体そんなものだったりしますよ? 相手の生業を考慮すると、町娘との恋路は概ねそんな形になったりします。この場合、どちらの要望で子供が欲しいかによって、養育費について色々話が変わってくるのですが」
「そういう物なのか?」
「はい!」
ううむ、異文化交流の難しさよ。
この世界は妙に文明力が高いから油断していたけど、なんだかんだ言いつつ、神話の時代だからなぁ。こういう価値観が一般的なのだろうな、うん。
「リズ。まず、聞いて欲しい。俺は『子種が欲しい』と言われれば、そちらの要求を飲む準備はある。もちろん、養育費だって全額負担だ。きっちり大人になるまで面倒を見るとも。それに、父親になるのであれば、ちゃんと隣で一緒に育てていきたいと思う」
「そんな! 私、ミサキさんをそこまで縛るつもりはありません」
「うん、肉体関係を持った女性に対して托卵しているという事実ほど、俺を縛る物はないよ。それに、いざとなったら分裂するから大丈夫」
「分裂!?」
「最近、本格的に検討し始めていてなぁ」
自分の人間関係を綺麗に清算するには、やはり、分裂しかないのでは? と真面目に検討したくなるから困る。
相棒のオウルが《やめなさい。それをやるぐらいなら、潔くハーレムを目指しなさい》と窘めてこなければ、本気で分裂していたかもしれない。
「そんなわけで、子種云々は大丈夫。子供が出来たら、きっちり育てる準備もしよう。けれど、その、な? 俺たちさ、まだお互いを良く知らないわけじゃん?」
「ミサキさんは、私を祖先の呪縛から解き放ってくれました。あの美しい夜明けを私に見せてくれました。だから、私はそれだけで貴方の事が大好きなのです! えへへ」
「ぐ、う……し、しかし、これから子供を産んでもらう女性に対して、自分の良い面ばかりではなく、悪い面もきっちりと把握してもらいたいのが男心。まずは、俺がどのような人間なのか、具体的にどんな駄目な所があるか語るので、それを聞いてからもう一度検討してくれ」
俺はリズに対して、出来る限り客観的に俺の欠点を述べた。
まずは安定性。
異界渡りという仕事に付いているので、将来に関しての安定性が欠けている。そりゃもう、トラブルには毎回巻き込まれるし、命を賭けた戦いをすることも少なくない。まぁ、大きな仕事を終えたばかりだし、しばらくはそういうのは大丈夫だと思うけれども。
「問題ありません! 元々、私がお金を稼いで子供を育てる予定でしたし!」
「いや、渡すよ? たくさん渡すよ、養育費。むしろ、前払いで払っても大丈夫なぐらいの資産はあるので安心して欲しい。最悪、光主に色々保証してもらうから」
「光主様に保証してもらえるのならば、これ以上ない安定性では? 少なくとも、子供を育てるのに何の不足を感じません……それに、ミサキさんはきっと、ちゃんと帰ってきてくれる人だと思っていますから」
「ぐぬぅ」
次に、人間関係。
俺はその、あれだ。異界渡りという職業…………とはまぁ、関係あるのかな? 無いのかな? うん、とにかく、女性との接触が多い。少なからず好意を寄せてくれる相手も居る。そして、それに応える義務が俺には多少なりとも存在するのだ。けれども、もしもそれが気に入らないというのならば。誰か一人を真摯に愛して、それ以外を全て切り捨てるべきだと言うならば、もちろん、俺は苦しみ抜いてその作業をやろう。それが誠実であるということなら、俺はそれを為そう。だが、その場合、俺は君からの罰を受けることを拒否する可能性も――
「あ、そういうのは大丈夫なのです。競う相手がどれだけいたとしても、ミサキさんと私の間に子供が生まれるという事実で私はとても幸せなのです。例え、貴方の一番が私でなかったとしても」
「…………リズ」
「子供との未来を保証されているという点において、私が大幅にアドバンテージを握っているのは事実ですし! 異界渡りという職業に就いているミサキさんのお知り合いということは、同業者の可能性も高い訳ですし、結婚して共に子供を育てるという環境を作るのは難しいはず。そして、私からの要求を受け入れているということは、そこまでする相手が現時点では居ないということ。だから、大丈夫です、ミサキさん! 私は『愛して欲しい』と涙を流す弱者ではなく、貴方と愛を育む強者なので!」
「り、リズさん?」
…………最後に、契約。
まさか、前提条件二つがあっさりとクリアされるとは思わなかった。
俺はてっきり、人間関係のあれこれで難色を示したり、泣かせてしまったりするのを予想していたのだが、リズはあっさりとその上を行くから驚きだ。
選ばれなくて無く乙女では無く、愛を育み、もぎ取っていく強者。
真顔で子供を要求し、ぐいぐいとペースを掴んで離さない、強引な主導権の確保。
共に冒険をしていた時に薄々気付いていたが、このリズという少女は強いらしい。いや、とても強くて、真っ直ぐな人だ。
だからこそ、俺は最後の欠点を、致命的な問題を提示する。
「リズ。俺は子供が出来たら、恐らく、子供のために出来る限りのことをしてやりたいと思うだろう。そして、実際に色々やると思う」
「ふふふ、親戚のおじさんと思われない程度に顔を出してもらえるだけで良いのですよ?」
「いや、出来る限りのことはやるさ。何せ、俺は――――悪魔よりも恐ろしい相手に、未来を担保にして契約を交わしているからな。時間が、どれだけ残っているのか、わからないんだ」
そう、嘲笑の超越者クロエと交わした契約について、死後の魂を預ける契約に関して、リズに説明する。
誰を愛そうが、何を為そうが、決まり切ってしまった、俺の末路について。
罪を懺悔するかのように、俺は説明した。
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「…………ふぅー。まさか、最後の条件も受け入れてくれるとは思わなかったぜ」
《とうとう、ミサキも年貢の納め時ですね》
俺はふかふかのベッドに体を沈め、大きく息を吐いた。
あの後、俺はクロエと俺が交わした契約について、リズに説明した。その契約はリズにとって望ましい物では無かったと思うのだが、リズはそれを受け入れて、認めた。
ぶっちゃけ、俺でなく、誰かもっと良い奴と一緒になって幸せな家庭を築くのがリズにはお似合いだと思うのだが、ここまで求められてなお、ヘタレで居るのは流石の俺でも難しい。
出来る限りの事はしよう、と俺は今からながら覚悟を決めた。
例え、俺が俺で居られる時間が残り少なかったとしても。
《しかし、子供ですか。ミサキ、貴方はきちんと親をやる自信ありますか?》
「正直に言うと、まったく無い。だって、この俺だぜ? 性別すら不安定なこの俺だぜ? 子供ができたら、お父さんとお母さん、どっちで呼ばれるんだろうなぁ?」
《それに関してはなるようにしかならないので、どうしようもないかと》
「ん、だよな。もう約束したんだから、後は全力を尽くすだけ、だ」
《ええ、その通りです、ミサキ。まずはフシとツクモの美人姉妹と3Pして、童貞を捨てるという初体験を終えてからの、パン屋の看板美少女を孕ませるというスケジュールを、全身全霊で成し遂げてください》
「うわぁ、控えめに言っても屑の所業」
《自覚があるようで何より》
ベッドの上で俺は、うぼあー、と言葉にならない奇声を上げる。
なんなんだろうな、俺は? こう、さ。敵を倒すとか、世界を救うとか、そういう他に余地のないシンプルな問題なら迷わず解決できるんだけど、こういうさ、色々な感情が絡み合った色恋沙汰に弱いのってなんなんだろう? それでも英雄なのだろうか、俺は。いや、英雄として活躍して、華の十代を戦場に捨てて来たから、こんな有様なんだろう。
でもなー、うだうだ悩んでいるけど、リズは可愛いし、気立ての良い素敵な女性だし。結構好みではあるし、何も考えずに「わぁい、結婚するぅー!」と頷ければ頷くんだろうけど、それをやると今度はミユキに不義理というか、あいつは俺が半ば強引に引っ張り上げたようなもんだからなぁ。分割した半身も与えているし、このまま放っておくというのもあり得ない。フシとツクモは好意といえば、好意だけど、結婚とか子供とかは考えていないタイプだからなー。んんー、けどなー、推定初体験の相手がー、んんんんー。
「…………寝る!」
《おやすみなさい。子種が欲しいと言った女の人の家で、お風呂と寝床を提供された我が相棒。多分、夜這いされると思うので、覚悟だけはしておいてください》
「されるの!? 今、女性体よ、俺!」
《元々、ファーストキスを奪われたのはその肉体でしょうに》
「マジかー」
《とりあえず、部屋の鍵は開けておきましょうか》
「うーい」
俺は一旦、思考を打ち切って、微睡に抗わず身を任せる。
考えることはたくさんあるが、幸いなことにまだ時間はある。先延ばしにしても、世界が滅ぶような問題でもない。
もちろん、先延ばしにして良い事などは無いので、ちゃんと決断するつもりだ。
けれど、今の精神状態ではとても決断など出来ないので、一旦、眠って精神を整えてから決断しようという結論に達したのだ。
そう、この夜が明けて、気持ちの良い朝を迎えられたらきっと、俺は迷いながらも、悔いのない決断を下せるはずなのである。
「おやすみ、オウル」
《おやすみなさい、ミサキ》
俺は相棒に眠りの言葉を告げて、意識を落とす。
夜が明け、次なる陽が昇ることに、何の疑いも抱くことなく。
この世界の大多数の住人と同じように、眠りについた。
そして、生存競争の夜が始まった。
痛みと苦しみの夜想曲をBGMとする、長い一夜の戦争が始まったのだった。