第143話 見崎神奈と最弱の王 4
俺にとっての戦いというのは、常に命のやり取りだった。
機械眷属共は、壊さなければ止まらない。
意志ある機械だろうが、所詮は機械。上位存在からの命令に忠実であり、停戦交渉やら、和平交渉などは出来ないからだ。
もっとも、一部を除き、ある程度の自由権を持っている上位眷属や機械天使も、頭のおかしい奴らばかりだったので、基本的にどのような交渉をしても「うるせぇ、死ね」と殺してくることが多いので、必然と、こちらも言葉より刃を用いることが多くなった。
だから基本的には、相手と言葉を交わすよりも、こちらの刃を届かせることを重点として置いており、仮に、言葉を交わすことがあったとすれば、その時点で俺はもう既に大分不利なのだ。俺の適性はあくまでも、戦士では無く、暗殺者であるが故に。
「ミサキぃー、ねぇ、対戦ゲームしようよー。ねぇ、暇でしょ? ねぇー」
「…………」
「遊ぼうよー、暇なんだよー、暇で死にそうー」
「うっさい、死ね! 暇という死因で死ねるなら、さっさと死ね! そして、俺は現在、見ての通り昼食を作ってんだ、馬鹿! ゲームは食後!」
「はぁい」
なので、チャイムとの日々は俺にとって困惑そのものだった。
一週間という区切りを超えた時、チャイムの態度が明らかに軟化……というより、俺に対して明らかな好意を向けて、懐いて来た時点で俺の役割はほぼ終わったも同然だった。
完全に殺せれば、最上。
けれど、あくまでも依頼内容はチャイムの無力化である。
周囲に博愛をばら撒き、カリスマによって無意識に扇動し、一週間という区切りで狂死させてしまう能力の持ち主であるチャイムを、一つの場所に留めて置けば、それでいい。
よって、俺がチャイムの相手をしていれば、それだけで疑似的な封印処理を施せている状態であり、依頼を遂行しているという証明になるのだ。
この結果には、世界樹の主である超越者も驚いたらしく、
『ううむ。実を言えば、駄目で元々の依頼だったのだが、まさか、本当に無力化できるとは。人間の可能性とは末恐ろしい物だな』
などと感嘆を表現するメッセージを送ってくれる始末。
なお、俺はこのメッセージを見て、いつか絶対、この世界樹の主をぶち殺してやろうと殺意と決意を新たにした記憶がある。
『……超越者の理すらすり抜け、平然と隣に居る存在……このまま成長すれば、我々と同格まで至れるかもしれないな。いや、あるいは――――ふっ、今はあえて言うまい』
ちなみに、世界樹の主はよほど暇なのか、俺がチャイムの情報を報告する度、意味深な言葉を呟く癖があるので、その度、ふつふつと殺意が湧き上がっていたということも覚えている。
今から思えばあれば、年寄りが若者と会話したがるような物だったのかもしれないな。
何か、役に立ちそうな、世界の真実の一端みたいなことを言っていたような気がするが、俺の精神がぶれなさすぎて、覚えていない。普段の状態だったら色々考えて、それなりに覚えていただろうが、何しろ、深度3で精神耐性特化すると、並大抵の出来事は完全スルーしてしまうデメリットがあるので、仕方ないのだ。
「ぬ、ぬあああ!? 今の、今の何!? ばしゅーんって! ばしゅーんって! 一撃で死んだんですけど!?」
「超必殺技だ。説明書にコマンドが書いてあるだろう?」
「なにこの、わけわからない呪文。え? 邪神でも呼び寄せるの?」
「格闘ゲームに慣れれば、大体、それなりに出来るようになるぞ?」
「マジで!? うわぁ、人類って怖い」
「人類からすれば、単独で国を滅ぼせるお前の方が怖いわ」
世界樹の主から、妙に殺意が沸くメールが届く以外は、チャイムとの日々は概ね平穏だった。
いや、空が割れたあの日から今までの非日常に比べると、チャイムと過ごした毎日はまさしく、俺たちが取り戻そうとしていた『かつての日常』だった。
「ご飯! ご飯! いやぁ、ミサキが来てから食料が充実して嬉しいよ! 僕が単独だと、基本的に木の皮とか、そこら辺に生えているキノコを食べて死んでいるからね!」
「こいつに一度でも毒殺を試みようとした俺が馬鹿だった」
料理レシピを見ながら、妙に凝った料理を作ろうとして試行錯誤。その果てに、絶妙に美味しくない料理が出来上がって、二人で苦笑したり。
「いえーい! 時間がたっぷりあると、やりかけのRPGとかやりたくなるよね!」
「お前これ、初期の謎解きで終わっているんだけど。レベル1なんだけど?」
「名作RPGだと思って期待していたのに、序盤がだる過ぎてやめたんだ……」
「この謎解きが終われば、面白くなるんだよ。具体的にはディスク2から」
懐かしくも手を付けていなかった長編RPGをクリアしてみたり。
「秘密基地、秘密基地作ろうよ、ミサキ!」
「秘密も何も、この廃墟には俺たち二人しか居ないんだが?」
「違う! ちーがーうーの! 僕はね、そういう答えを聞きたいんじゃないの! 浪漫をね! こう、童心に還るためのプロセスとしてね? 秘密基地をガチで作りたいの」
「一応聞いておく、どのアニメに影響された?」
「失礼な! アニメじゃなくて、特撮だもん! 主人公が秘密基地に住んでいるの! 山の中で、前職である大工の技術を使って、ツリーハウスを作ったんだよ!」
「それはホームレスとか、そういうのじゃなくて?」
木材を背負って、適当な場所に掘立小屋みたいな秘密基地を造ったり。
なんだかんだやりつつ、結局は自宅に戻って、だらだら時間を潰すだけの日々に戻ったり。
「ねぇ、ミサキ」
「なんだよ、チャイム」
「…………僕さ、人生で一番楽しいかもしれないよ、今」
「ふん。馬鹿みたいに長い人生だから、楽しいことを忘れているだけじゃねーか?」
「あははは、そうかも? そうかも、ね」
なんて皮肉だろうか?
殺すためにここに居るはずなのに。
人々が死に絶えて、誰も居なくなった廃墟だというのに。
すぐ隣に、大量殺戮者の超越者が居るというのに。
そんな非日常な環境に囲まれているというのに、チャイムと共に過ごした時間は、平和という言葉が相応しいような、そんな穏やかな物だったのである。
そう、本土で戦うレジスタンスの仲間たちに、罪悪感を覚えてしまうほどに。
●●●
俺がチャイムと共に過ごした時間は、おおよそ一か月程度だ。
ほぼ毎日、チャイムが絡んで来て鬱陶しかった上に、世界樹の主から、度々うざったいメールが送られてきたので、精神衛生的にはあまりよろしくない日々だったと思う。平穏ではあったけれど、その分、戦わずにのうのうと生きている自分の現状に嫌気がさし、罪悪感が募る生活だった。
もっとも、異能によって組み替えられた鋼の精神はそれすら許容して、当初の目的が揺らぐことなく、チャイムの隣に在り続けたのだけれども。
これは、そんなチャイムと過ごした日々の、最後の会話だ。
「ねぇ、ミサキ。僕たち、友達かな?」
妙に晴れ晴れとした青空の日だった。
折角だから、青空の下でピクニックをしたいと駄々をこねるミサキに負けて、渋々、適当にサンドイッチを作って、食事をしていた時の事だ。
整備された順路のある、快適な山を登るならばともかく、ガチの未開の山を登ると英雄とはいえ死ぬ恐れがあるので、ピクニックの行き先は、近場の公園。
周囲の寂れた建物を眺めながら、もそもそと微妙な出来のサンドイッチを頬張っている時、ふと、チャイムが俺に尋ねてきたのだ。
「いや、違うぞ」
なお、俺はもちろん即座にその問いを否定した。
「うわぁ、ひどいね、ミサキ。普通、即答するかな?」
「即答するさ。お前は大量殺戮者の超越者で、俺はそれを封じるためにここに居る。殺せるのなら、殺す。最初からそういう契約で依頼を受けたんだからな」
「相変わらずドライだね、ミサキは」
「当たり前だ。そういうように異能を使っているんだからな」
「んー、それは異能というより、どちらかと言えば――――いや、これを自分で言うのは、いくら何でも恥知らずが過ぎるか、あははは」
チャイムは妙に晴れ晴れとした笑顔だった。
「ねぇ、ミサキ。ミサキは本当に、異能の力で僕の理を封じていると思っている?」
「当たり前だろうが。そうじゃなきゃ、俺は最初の一週間で死んでいる」
「前に一度、『あらゆる精神干渉を無効化』する異能の持ち主に会ったことがあるよ。今の君よりもずっと徹底的で、まるでロボットみたいな人でね? 明らかに、現在の君よりは精神耐性に特化していた人だった…………まぁ、その人は一週間で自殺しちゃったんだけどさ」
「…………何が、言いたい?」
ぶれない心は、静かに疑問を浮かばせる。
邪気が無く、悪意も感じず、謀の気配すら皆無のチャイムは、浮かんだ疑問を掬い上げるかのように、単純明快に答えた。
「相性が良すぎるんだよ、君の異能は」
その一言で何かが理解できたわけでは無かったが、何故か、無意識に、ふと心の中にすとんと、落ちたような感触があった。何かを、無意識に納得してしまったような、そんな奇妙な感覚が。
「僕たち『超越者』と、相性が良すぎる。まるで、誂えたみたいに……ああ、いや、そうか。だから、【マクガフィン】なのか。あははは、凄いね、まるで喜劇みたいだ、うん、これは中々笑えるかもしれない。そう、笑えるよ。だって、こんな、こんなにも答えが簡単だったなんて、そんなのさ、笑うしかない」
「おい、チャイム、一体何を――――」
「平和な世界を、作りたかったんだ」
チャイムが、俺の言葉を遮って語り出した。
これは、異常事態だ。何故なら、チャイムはどのような場面であっても、相手の言葉を遮ることなく、まずは聞き入れ、受け入れて、包み込むように肯定する博愛主義者だというのに。
「極めた叡智を失っても。文明を作り上げる力を失っても。ただ、民が幸せなら。誰しも皆、通じ合えて、優しくなれるような世界が欲しかったんだ。無限に広がる多元世界の内、たった一つでも、そんな世界が欲しかったんだ。でも、僕が得た理は結局、誰かを殺すだけの欠陥品。それでも、何度も繰り返せばいつかは成功すると思い続けて、何度も、何度も、死ねない体で挑戦し続けて来たんだ、僕は。たった一回成功すれば、全ての失敗が報われると思っていたのかもしれない。でも、でもさ、やっぱり駄目だね。『怪物』は己を『怪物』だと自覚しちゃ、駄目なんだ。気づいてしまったら、もう遅い」
何一つ要領を得ない、うろんな呟きだったと思う。
伝えるための言葉なのに、伝わらなくていいと思っているのかもしれない。
「ひどい話だよ」
笑っているのに、笑っていない。
晴れ晴れとした表情なのに、とても痛々しく、見るだけで痛みを共感させてしまうような、凄惨な笑顔だった。
「今更、『通じ合えなくても。誰かと共に在るだけで幸せだ』なんて、ありきたりなシチュエーションで、満ち足りてしまうなんて、さ」
その時、俺はチャイムに対して何かを言おうと口を開いた。
だが、結局のところ、開いた口から何か言葉が紡がれることはなく、それよりも前に、最後の瞬間が訪れることになる。
「じゃあね、ミサキ。君は僕の事が嫌いだったかもしれないけど、僕は君の事が嫌いじゃなかったよ。例え、君が僕にとっての【マクガフィン】だったとしても」
最後の言葉が紡がれた瞬間、俺はチャイムがどんな表情をしていたのか、わからなかった。
笑っていたのか、泣いていたのか。
それとも、何かを憎悪していたのか。
分からない。
その瞬間だけ、まるで映画のワンシーンのようにつむじ風が吹いて、思わず瞬きをしてしまったから。
瞬きをしたほんの僅かな間に、チャイムの姿は消え、代わりに灰の塊がそこにあったから。
「……なんだよ、くそ」
だから、俺はその時、自分が吐いた悪態の意味を知らない。
灰が風に浚われて、何もかもが無くなってしまった後でも、俺はしばらくの間、自分が何を言えばいいのか、分からなくなっていた。
ただ、残ったサンドイッチの量は、一人で食べるには多すぎたことだけは、よく覚えている。