第142話 見崎神奈と最弱の王 3
虐殺に付き物なのが、疫病だ。
縦横無尽、容赦なく住民を殺せば、当然、その死体は残る。死体を片付けるための費用や手間を考えられる存在が行った虐殺でなければ、死体はそこら辺に転がり、腐敗し、伝染病が蔓延し、何もかもが土に還るまで、病魔を振りまくことになるだろう。
それを防ぐために、世界樹の超越者が行った対策がある。
即ち、死体を媒体として用いた、強制植林だ。
「……まるで、文明崩壊後の未来にタイムスリップしたみたいだぜ」
崩れ落ちた建物。
ひび割れた道路。
暴動の爪痕が色濃く残る廃墟の中で、雄々しくそびえ立つ木々が存在している。まるで、森林が突如として街を食い破り、そこに顕現したかのように。
「これが、世界樹の主が持つ、権能の一端ってか? まったく、末恐ろしいぜ」
世界樹の超越者は主に、自らの核が存在する『世界樹』を生物系の頂点として、ある程度、文明を原初へ戻そうとする自然主義者だ。
そのため、獲得した領土は全て、このような形で植林を開始し、多くの自然を蘇らせて、科学を衰退させてある。
恐らく、この領地も侵略のために植林した物だろうが、国の住人を虐殺した『博愛』の超越者が闊歩しているから、手を出せないでいるのだろう。
だからこそ、この俺を派遣して、『博愛』の超越者を無力化。そして、この領地を獲得するつもりなのだ。
「ま、同盟相手の勢力が拡大するのはいいことだ。こっちの戦力は元々少数精鋭の奇襲特化だし。どれだけ戦力を増大しようが、超越者クラスに数の暴力はほぼ無意味だし」
様々な思惑が渦巻いているだろうが、『博愛』の超越者を殺すために派遣されている俺には、特に関係ない。まず、己のやるべきことをやるだけ。
「ふん、こっちか」
千尋が作り上げた魔導具を使い、『博愛』の超越者の居場所を感知。
木々の根っこがコンクリートの路面を掘り返している悪路を、俺は慣れた足取りで踏破して、目的の場所まで急ぐ。
普段であれば、超越者クラスとの接敵前など、緊張と恐怖できりきりと内臓が握りつぶされるような重圧を感じるだろうが、マクガフィンの異能を最大限まで使用している時の俺には、そんな物は欠片も感じない。
信念は揺るがず。
目的はぶれず。
ただ、己の利益のために超越者を殺す。
黒羽を握り、いつでも戦闘に移行する心構えで、俺は超越者の姿を探し、そして、
「しくしくしく……僕なんか、僕なんか死ねばいいんだ……」
「えぇ……」
何故か、涙を流しながら首つり自殺を試みている超越者に出会ったのである。
俺は肩透かしを食らった気分になりながらも、とりあえず、挨拶代わりとばかりに抜刀して、黒羽の刀身を超越者の胸元へ突き刺す。
「ぐぇ!?」
絞められた鶏の断末魔に似た声を残して、超越者があっさりと刃に貫かれた。
「うう、ひどい……なんなのさー?」
「あ、やっぱり生きてやがる」
だが、心臓を貫かれてもなお、その超越者は生きていた。
ここまでは良い。不死だと知っていた。だからこそ、殺すために様々な手段を持ってきたのだ。幸い、この超越者に戦闘能力は無いらしいので、俺はあらゆる方法で超越者を殺しきるため、手段を模索していく。
殺して、殺して、殺して、考えて、殺して、殺して、殺して。
「ところで、君の名前は? 僕に何の用? その作業が終わったらさ、良かったら色々話を聞いてもいいかな?」
大体、百二十四通りほど致命傷を与えた頃だっただろうか?
最初の頃は「痛い痛い!」や「もうやめてよぉ!」などと悲鳴を上げていた超越者であったのだが、途中で「つかれたー、あきたー」と呟いてからは、まな板の上の鯉状態。こちらに対しての攻撃に特にリアクションを返さず、だらだらと殺され続けて、そこで、ようやくこちら素性を尋ねてきたのだった。
「…………俺は、ミサキ。アンタを殺すために派遣された暗殺者だ」
「へぇ、そうなんだ。僕はチャイム。チャイム・ベル・レインコール。何もしないことをしている人だよ、よろしくね?」
考えうる限りの殺害方法を試しても、全て無意味。
肉体を消滅させる系の魔導具を使って、全細胞を残らず虚無に叩きこんでも、次の瞬間、何事も無かったかのように俺の隣に出現する。
封印手段も、まるで効かない。
機械天使ですら一定時間、閉じ込めて置ける特製の魔導具を使っても、「よいしょ」という掛け声と共にあっさりと抜け出されてしまう。
殺すことは不可能。
自由を奪って、封印することも、現状は不可能。
だから、同格である超越者が態々『無力化』という言葉を使ったのか、その時の俺は、嫌というほど理解できた。
こいつを、『博愛』の超越者を武力で排除することは不可能なのだと。
「あー、やっぱりユグドラシルからの依頼だったんだー。へぇ、あの子も懲りないなぁ。ま、いいよ。僕も死ねるなら、死にたい気分だし」
「…………だったら、最初から他の超越者に身を委ねればよかったんじゃないか?」
「やー、基本、僕の周りに長時間居ると大体死ぬし」
「そっかぁ」
「だから、君も早く逃げた方が良いと思うよ? 正気を保っている間に」
故に、俺は心底安堵していた。
この『博愛』の超越者――チャイムが、俺に対して殺意を持っていないことに。何度も致命傷を受けたとしても、平然としてその事実を受け入れ、許してしまう器の広さに。あるいは、無痛症染みた、精神の破綻に。
「アンタを殺すための情報を集めるのが、俺の仕事だ。今更、引くつもりはない。無論、死なないための対策はしてある」
「ふぅん、そっか。でも、無理はしないようにね、ミサキ」
「そこで、どうして殺そうとしている奴を心配するんだよ、アンタは?」
「え? だって、僕が殺されたら、皆、幸せになれそうだし。それもいいんじゃない? 僕もそろそろ、この無為な人生に飽き飽きしていたし」
仮に、チャイムが諦観に塗れた博愛主義者でなければ、俺の命は危うかっただろう。それほどまでに、何があっても死なず、封じることが出来ない存在というのは厄介なのだ。
正直な話、精神異常耐性に異能を使っている現状で、自爆特攻を何度も繰り返されると普通に死んでしまう可能性があったのだ、俺は。
「そんなわけで、君が僕を殺すか。君が狂って死ぬまでの間、よろしくね、ミサキ」
「…………ああ、こちらこそ、よろしく、チャイム」
このような感じで、思いのほか好意的に俺の殺意は受け入れられ、チャイムの下で、試行錯誤の殺人を繰り返す日々が幕を開けたのだった。
それがどれだけ、未来の自分にとって苦痛を伴う物なのか、当時の自分は知る由もなく。
ただ、揺るがぬ信念と殺意だけが、俺の胸に灯っていた。
●●●
一日目。
あらゆる殺害方法を試した。
二日目。
あまりにも無為なので、殺害よりも封印に重点を置いて試行錯誤を繰り返した。
三日目。
試行錯誤を繰り返して、繰り返して、そろそろ飽きて来た。
四日目。
殺すのも封印するのも諦めた。これは無理だ。俺の異能をそれに特化すれば出来るかもしれないが、やろうとした時点で相手の理に飲まれて、死ぬ。
五日目。
殺すのも封印するのも無理だと判断。当初の予定通り、チャイムの情報収集に専念。他の場所に逃亡しないように、適度にコミュニケーションを行う。
六日目。
そろそろ、逃げた方がいいんじゃないかと、切実な顔でチャイムに忠告を受ける。一応、改めて自己分析を行うが、正常。問題無し。
七日目。
クロエが「そろそろ死んだ? そろそろ死んだ?」と愉快そうな声で尋ねて来た。死なない。まだ契約を果たすべき時ではない。
――――八日目。
チャイムが号泣しつつ、抱き付いてくる。
物凄く鬱陶しい。
「うぐ、ひぐっ、よかった。よかったよーう!」
「鬱陶しい!」
「ぼ、僕と一緒に、一週間以上居て平気な人が居るなんて! しかも、あの道化師みたいな、人の精神を凌辱するのが趣味の人格破綻者じゃないなんて! これが奇跡か……!」
「とても鬱陶しい!」
どうやら、七日間を超えて共に居る人間と出会うのは久しぶりだったらしい。
久しぶりと言っても、その年数は果てしないらしく、少なくとも五千年以上は七日以上、共に居た人間は居なかったのだとか。
五千年以上か……五千年以上も生きていて、この人格なのか。
普通はもっと老成していたり、精神が摩耗して無機質になっているんじゃないかと思うが、そこは超越者という存在の特筆すべき点なのかもしれない。意思の力で、世界すら滅ぼす存在だ。年数で朽ち果てるほど、精神構造は弱くないのだろう。
「ミサキ! 僕の親友になってよ!」
「嫌だよ、この大量殺戮者が」
もっとも、どれだけ親愛を寄せられても、俺は異能の都合上、拒絶するしかないのだけれど。
何せ、拒絶しなくなったら、その時が俺の命が尽きる時だ。
そこまで考えて、俺はふと気づく。
己を慕う者は、狂って死ぬ。
己を嫌う者しか、隣に居られない。
チャイム・ベル・レインコール。
『博愛』を司る超越者。
彼が見る世界が、どれだけ残酷な生き地獄であるかに、俺は気づいたのだった。