第141話 見崎神奈と最弱の王 2
「カップラーメンは人類が造り出した、偉大な発明だと思うんだよ、僕は」
灰色の少年は、カップラーメンにお湯を注いだ後、感慨深く、そう呟いた。
「今までいろんな世界を回ってみたけど、やっぱり、僕はこれが好きだな。[い]の世界線は基点に近しいから、カップラーメンが手に入り易くて凄く嬉しいんだ。特に、君の故郷産の物はとても美味しくて凄いと思う」
わくわく、という擬音が背景に浮かび上がってきそうなほど、楽しげな表情。
たかが、カップラーメン一つを作っているだけだというのに、ここまで楽しめるのはもはや、一種の才能だと思う。
「僕はね、このカップラーメンを食べる時が最近の中では、一番の幸せなんだ」
「そうかい。んじゃあ、幸せついでに忠告だが――――かやくを中に入れ忘れているぞ、お前」
「うひゃあ! 折角のカップラーメンが! あ、後から入れても大丈夫かな?」
「大丈夫じゃね? 多分」
「よ、よぉし…………あっつ!?」
「何やってんだか……流しに行って、水で冷やしてこい」
「はぁーい」
灰色の少年は微妙に肩を落としながら、洗面所へ行って手先を流水で冷やす。
…………仮にも、超越者である存在がカップラーメンに注いだお湯でダメージを負うなよ、と思うが、仕方あるまい。
何せ、あの灰色の少年は『最弱』なのだから。
多分きっと、純粋な戦闘力では誰にでも劣る。ひょっとしたら、幼稚園児と喧嘩しても負けるかもしれない。そんな、弱々しい奴なのだ、あいつは。
「治ったー」
「そうか、良かったな」
「うん! あ、前に友達に聞いたんだけどさ! カップラーメンに色々具材を付け足すと美味しくなるんだって! 試してみようよ!」
「あー、味噌ラーメンに牛乳を混ぜると、豚骨ラーメンになるとか、そんなん?」
「そうそう」
「やめておけ。お前じゃ、失敗するのが目に見えている」
「えー、何事もチャレンジ精神だよぉ」
「んじゃあ、何を入れようとしたのか、試しに言ってみろ」
「一口チョコ!」
「はい、アウト」
「あるぇー?」
そもそも、この状況からしておかしい。
超越者でありながら、灰色の少年が住まう場所は、どこかの集合住宅の一室。辛うじて、大戦の影響を受けず、自動的にライフラインが整っているだけの場所。ワンルームで、辛うじて寝床とキッチンの仕切りがある程度の、慎ましい住まいだ。
しかも、食事は基本的にインスタント。
カップラーメンをこよなく愛し、にこにこと不平不満も無く、嬉しそうに割りばしを割って、麺を啜る。そんな冴えない動作が、この上なく、灰色の少年には似合っている。
「ず、ずるるるー。うん、やっぱりシーフード味は最高だよ! スープまで美味しいから、ごくごく飲めちゃうね! あ、餅を解凍して、スープの中に入れてかさまししようかな?」
「…………なぁ、アンタさ」
「つーん」
「…………『チャイム』はさ」
「うん! なぁに、ミサキ?」
「もうちょっと、まともというか、インスタント以外の飯は食べねぇの?」
「食料調達できない! 後、料理も!」
「………………わかった。俺がやってやるから、せめて、きちんとした飯を食え」
「ええー、カップラーメン最高だよぉ。それに、今日はいつもより格別に美味しいんだ」
灰色の少年はちょっとはにかみ、照れ臭そうに俺へ告げた。
「だって、君が一緒にご飯を食べてくれるからね、ミサキ」
実に嬉しそうに。
まるで、十年来の親友へ向ける言葉みたいに。
最弱の超越者は俺に告げたのだった。
自らを殺しに来た、暗殺者であるはずの、この俺に対して。
「よくもまぁ、一度、食事に毒を盛った人間に対してそんなことを言えるな?」
「ふへへへ、だって僕、それくらいで死ねないし」
「…………はぁ。何をどーやったら、お前は死ぬんだ?」
「え、さぁ?」
最弱にして、最悪の王。
そして、『不死』の超越者は、まるで敵ではないと言うように、親しげな態度を崩さないのだった。
●●●
さて、どのようにして俺と超越者の奇妙な共同生活が始まったのかというと、始まりはあの依頼からだったと思う。
『単刀直入に言おう。超越者殺しの人間よ、君にとある『超越者』の無力化を依頼したい』
そう、アジア方面を支配する『世界樹』の超越者からの、特別依頼。
内容はシンプルにして、困難極まりない。
たった一週間で、とある大国の住人を、老若男女問わず、皆殺しにした恐るべき『超越者』の無力化だった。
もちろん、俺たちレジスタンスはそんな要求など飲める余裕などなかった。ただでさえ、機械神を殺した傷が癒えていない時期だったのだ。そんな時に、さらにもう一体の超越者を倒せ、などと言われても、やりたくでも出来ないのが本音である。
むしろ、戦力に余裕のあるテメェらがやれよ、と電話越しに言葉を返した記憶もあった。
『いや、それは不可能だ。この世界で現存する超越者では、奴を無力化することは出来ない。それどころか、時の運が悪ければ、我々でさえも為す術無く葬られてしまうだろう。もっとも、奴にはそのような『敵意』など無く、普段通りに過ごしているだけなのだろうがね』
けれど、返って来た言葉は割と切実な物だった。
『奴が司る理は『博愛』だ。どのような存在であれ、奴には親しみを抱かずにはいられない。意志あるほぼ全ての存在は、奴には敵わない。奴と傍に居続ければ、やがて、その理に魂を犯され、逃れられぬ死を与えられるだろう。そう、たった一週間で滅んだあの国のように』
詳しい事情を聞くと、その超越者は『一週間』という時間の中で、国家全ての人間を魅了し、その挙句、精神を狂わせ、殺し合わせるという残虐な手段で絶滅させた恐るべき存在らしい。
超越者単体での戦闘能力は皆無であるものの、その存在を認識した時点で理が自動的に発動、博愛を向けられた存在は、例え、超越者であるとも『資格』が無ければ攻撃することも出来なくなるのだとか。
んじゃあ、意識無き機械兵器とか、遠距離から認識せずの盲打ち爆撃で処理すればいいのでは? というこちらの意見は、更なる恐るべき超越者の特性によって封じられた。
『奴を認識できるのは、意思ある存在が介入した結果のみ。意思無き兵器では、捕らえられない。加えて、盲打ちの爆撃で殺したとしても――――奴は不死であり、寂しがり屋だ』
その超越者を探し当てるには、意思ある存在が介入していないといけない――つまり、意識無き自動機械の類だと補足出来ない。機械越しに操縦者が居た場合は、認識した瞬間、魅了されてアウト。
認識外からの攻撃を受けても、不死だから意味がない。
そして、寂しがり屋なので、『攻撃を与えた存在の意識を察知』して、攻撃者の居る場所へと転移して、自らを認識させてくる。
おいおい、詰んでるじゃねーか、と俺たちは当然ツッコミを入れた。
というかそもそも、お前ら超越者にどうにか出来ない案件を、人間である俺たちにキラーパスして来るのは、どうなの? という疑問すら抱いていた。
『いや、弱点の無い存在など、有り得ない。それは例え、超越者である我々であっても、だ。奴の不死には何かしらの秘密がある。それさえ解き明かせば、私が一撃で決着を付けよう。だから、君たちには、出来る限り奴と触れ合って情報を収集して欲しい。何? 殺す気か? いいや、確かに、並大抵の異能者ならば問答無用で魅了されるだろうが、居るでは無いか。我々ですら手が出せない、『無敵の超越者』と同類の異能を持つ、英雄存在が』
疑問に対する答えは、他ならぬ俺自身だった。
俺の異能、マクガフィンはあらゆる存在に対しての代替を可能とする。
そう、自分自身を制限付きとはいえ、自在に変化させることが可能な異能だ。
無論、魅了を一切受けない鋼の精神を持つ存在へ、己を変化させることも。
『英雄ミサキよ。世界樹の主たるこの私が、契約を提示する。君が彼の超越者を討つ手助けをするのならば、私は半年間、全面的に君たちへあらゆる支援を行おう。物資を補給し、負傷者を受け入れ、戦力増強を施すし、君たちに対して攻撃を行わない。これを、絶対的中立者である嘲笑の道化師の下で、誓おうではないか』
この提案で、レジスタンス内では意見が真っ二つに割れた。
あからさまな罠であり、将来的な敵対者と手を組むことを認められないという組。
このままではじり貧なので、相手の提案を飲まざるを得ないという組。
レジスタンス内での会議は紛糾し、とてもではないが、どちらかを多数決で選ぶなどという空気ではなくなってしまっていた。
「んで、君はどうするのさ、カンナ」
「もちろん、超越者はぶち殺すさ。それが俺の役割だからな」
けれど、最終決定権は俺たち三大英雄にあったので、俺の意見が尊重された結果、この提案を飲むことにしたのである。
単独で超越者の無力化に挑むのは、危険極まりない行為だ。けれど、その対価としての見返りは計り知れない。クロエという中立の立場の超越者が立ち合いをした時点で、契約を破るという行為はクロエに対して致命的な隙を見せるということと同意味なので、『騙して悪いが』という罠を心配する必要は無くなった。
ならば、後は俺がこの超難易度の依頼を達成させるだけ。
失敗すれば、最悪死ぬ。
成功すれば、無謀な反乱にも希望の兆しが少しは見えてくるだろう。
だから俺は、覚悟を決めてマクガフィンの異能深度を3に移行。
考えうる限りの性能を、対精神防御につぎ込んで、超越者が居ると思しき場所へと向かった。
どのような相手が出て来ようとも、決して動じない精神で挑もうと、最大限の警戒を重ねて、勝負の瞬間を待ち構えていたのである。
「しくしくしく……僕なんか、僕なんか死ねばいいんだ……」
「えぇ……」
もっとも――――俺が殺すべき対象が何故か、木に縄を括りつけて首つり自殺を図っている姿を見ると、少しばかり肩透かしの気分を味わってしまったけれど。
これが、俺と博愛の超越者――チャイム・ベル・レインコールとの出会いであり、奇妙な共同生活の始まりだった。