第140話 見崎神奈と最弱の王 1
灰色の少年を思い出す。
ボロボロに擦り切れた若草色のポンチョを着込み、幾つも穴の開いたジーンズへ、慎重に足を通す、灰色の髪の少年。
不機嫌な空の色を集めたような、ミユキのそれとは違う、灰色。
美しさよりも、トンネル掃除で煤けてしまった様子を連想させる、くすんだ、ぼさぼさの髪。
そう、彼の姿はストリートチルドレンさながらのみすぼらしい物だったと思う。
けれど、不思議と彼といざ直面して見ると、『汚い』とか、『憐れみ』だとか、そういう感情がまるで湧いてこないのである。
一目見た瞬間に、湧き上がるのは、奇妙な懐旧。
子供の頃に見た、懐かしいアニメの登場人物と、実際に出会えてしまったかの如き、奇妙な懐かしさと、親しみが、唐突に生まれるのだ。
「やぁ、どうも、こんにちはー」
そして、幼さの残る顔立ちの彼に、呑気な声で挨拶されると警戒心がするりと消えてしまう。
どれだけ殺意や憎悪を滾らせていたとしても、彼の姿を見れば意思が萎え、彼の声を聞けば、親しみが生まれる。十分ほど、他愛ない世間話を交わしたら、既にこちらの気分は十年来の親友に対する物になっているのだから、たまった物じゃない。
「ああ、そういえば、お腹空いたね? どう? 一緒にご飯を探しに行かない?」
やがて、くぅ、と彼がお腹を鳴らせば、彼からそう提案して来るだろう。
もしも、その時、懐に余裕があるのならばきっと、彼と共に居る者は躊躇うことなく誘ってしまう。懐に余裕が無い場合だと、彼と共に、どこかにご飯は無いかと、当てのない旅へ共に向かうことになってしまうかもしれない。
その段階にまで症状が進むと、もはや、彼と共に過ごすことに疑問を持たなくなる。
共に歩き。
共に食べ。
共に寝て。
共に笑う。
彼と共に在ると、その内、安心感のような物が生まれてくるのだ。
それは、一種のカリスマかもしれないが、一軍の将や、英雄の類のカリスマとは違う。人を導く魅力では無く、共に在りたいと思う魅力だ。
そもそも、彼はおっちょこちょいの、鈍間な間抜けなので、大抵の場合、彼は共にある人達の助けを受けて、やっと普通の暮らしが出来るレベルの弱者だ。
されど、幼子のように完全な庇護対象として見るのではなく、あくまで共にある友として見てしまうのは、常に、彼が共に並び立とうとするからだろう。
「むむう、君は凄いなぁ、そんな複雑なことが出来るなんて。僕にはとても難しいよ。けど、もうちょっと待ってほしい。僕も、君みたいになれるように頑張るからさ」
彼はあらゆる能力が足りない弱者であるが、それでも、俯かない。
無力を嘆かない。
共に在り続け、先に進む者がいる限り、足を止めることはない。
呑気な笑顔を浮かべて、何度でも、彼にとっての『難しいこと』に挑戦するのだ。
そんな彼の姿を見れば、不思議と、共に在る者も背筋を伸ばし、彼にとって慕われるべき自分であろうと心掛けていく。
やがて、そんな彼らの在り方を見た者たちは感化され、自分もまたそうあろうと背筋を伸ばし、彼と並び立てる存在であろうとする。
気づけば、彼と共に在ろうと願う人が増えていく。
自らを奮い立たせ、共に並び立とうとする人たちが。
それはきっと、伝説の始まりに見えるのかもしれない。たった一人のか弱い少年を中心に、多くの人たちが『善く在ろう』と集まっていくのだから。
平和な国を築く、希望ある建国物語が紡がれているのだと、見えるのかもしれない。
――――一週間後、彼の周囲の人間が、皆、死に絶えるまでは。
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俺の故郷である国は、縦横無尽に出現する機械眷属の群れによって滅ぼされた。
それは、単純な数式の問題。十人の武装した兵士よりも、百体の機械眷属たちの方が強いという、シンプルな答え。
よって、生き残った俺たちレジスタンスに残された方法は短期決着しかなかった。
機械神デウスによる、無限の眷属補給がある限り、持久戦では勝算はゼロに等しい。例え、どれだけ練度不足だったとしても、異能に目覚めた学生たちが命を削って、乾坤一擲の攻勢に挑むしか、俺たちに勝算は残されていなかったのである。
正直に言おう、楽な戦いじゃなかった。
何度も死ぬかと思ったし、実際、俺の仲間は何人も死んだ。俺が死ななかったのは、俺が強かっただけではなく、単に、悪運があっただけ。敵が慢心していたり、敵が趣味で嬲って来たり、偶然、味方に助けられたり、そういうことを何度か繰り返して死線を乗り越えていく内に、俺は異能を使いこなし、覚醒と呼んでも差し支えが無いほどのパワーアップを得た。
得た力で、怨敵である機械天使を討った。
親友と共に、決死の覚悟で機械神デウスへ挑み、ほとんど死に体の状態になりながらも、何とかそれを打倒することが出来た。
犠牲は多かった。
苦渋の選択を悔いることもあった。
けれど、俺たちの抵抗は人類にとって『反撃の狼煙』となったらしい。
「おめでとう、カンナ君。君たちは見事、不可能と同意味である超越者の打倒をやって見せた! 実に素晴らしいと思うよ? うん、快挙と言っても過言じゃない。何せ、この世界の人類でそれを成し遂げたのは、君たちレジスタンスが初めてなのだからね」
俺たちの世界に侵略して来た超越者の内、その支配をいち早く突破したのが、俺の親友率いるレジスタンスだった。
ほとんどやけくそのような短期決戦が功を奏したような形になっていたのかもしれない。
けれど、自分たちの生活圏を取り戻した俺たちレジスタンスだが、減った人員は戻らない。国民の八割以上を殺された時点で、俺たちの故郷は国としての体裁を保つことは出来なかった。
そもそも、国家を運営すべき人間が最初の襲撃で悉く死に絶えているので、必然と、国土の百分の一程度を死守することが限界だった。
結果として、その国土を小さく保つ戦略はそこそこ上手くいった。
機械神が敗れたことを知ると、他の超越者たちが手勢を送り込み、放棄した領土で勝手に小競り合いを繰り返すようになったからである。
これにより、俺の故郷は様々な勢力が混ざり合い、削り合う、一種の国境地帯となった。そのため、どの超越者たちも手出しするのを少しは躊躇う程度には、パワーバランスが均衡し、緊張した状況が続き、俺たちレジスタンスにはいくばくかの猶予が与えられたのだ。
「超越者打倒のお祝いに、良いニュースと悪いニュースを教えてあげよう。なぁに、契約者である君のためさ。遠慮せずに受け取って欲しい」
もっとも、僅かな猶予など、俺たちにとっては死刑台を昇るまでの十三階段程度の意味合いしか持っていなかったのだけれど。
「良いニュースは、世界各地にはまだ、君たちのように超越者の支配に抵抗している勢力が居るということだよ。まぁ、今の君たちに比べたら塵芥みたいな物だから、放っておくとあっさりと潰れるかもしれないけどね。そして、悪いニュースは――――現存する人類の95%が、超越者の支配を受け入れていることさ」
戦況は依然、劣勢極まりない。
犠牲を払い、死にかけになりながらも怨敵を倒したとしても、次なる敵が続々と待ち構えている。しかも、脅威はほぼ同格。少しでも気を抜けば、一瞬にしてレジスタンスは全滅してしまうだろう。
その上、自分たち以外の人類がほとんど超越者に屈しているというのだから、やってられない。ふざけるな! と声を張り上げて、何もかもを放棄したい気分になってしまう。
「ふふん、なるほどね。それじゃあつまり、この大戦の主役は僕たちってことだね? 喜ぶといい、神奈。これで勝てたら、僕たちは正真正銘、世界を救った英雄だ」
そんな気分になった時こそ、親友の出番だった。
あいつは俺から得た情報に対して、まるで絶望を関していない様だった。それどころかむしろ、『面白くなってきた』と言わんばかりに笑みを浮かべて、仲間たちに向かって、堂々と宣言して見せたのである。
「さぁ、休まず戦いだ、諸君! 敵は強大! 人類はほとんど裏切り者! いや、現状、僕たちの方が裏切り者扱いだ! けれど、安心して欲しい! 君たちには、超越者すら殺して見せた英雄が付いている! そう――――僕たち三人が!」
「え、俺も?」
「私、裏方だったんだけど?」
「僕たち、三大英雄が必ず、全ての超越者から世界を解放して見せる! だから、皆も僕たちを支えて、力を貸してほしい!」
「「なんか、一括りにされたんだけど……」」
半ば、俺たちを無理やり巻き込むような形だったけれど、あいつは英雄としての責務を誰よりも早く自覚して、果たそうとしていた。
そんなあいつの姿に、俺たちも含めて、仲間は大分鼓舞されて『やってやろう』という奮起した物だった。その分、あいつに掛かる負担が増えることになることは、知らずに。
今から思えば、あいつが『三大英雄』として俺ともう一人を巻き込んだのは、俺たち二人に対する信頼の証だったのだと思う。
一緒に重荷を背負えると信頼していたから、あんな巻き込み方をしたんだ。
当時は上手く察してやることは出来なかったけれど、無意識にそういう信頼を受けていたのと自覚していたのかもしれない。
だから俺は、英雄として、あの依頼を受けたのだ、きっと。
――――――とある大国を一週間で滅ぼした、超越者の無力化依頼を。