第14話 エロ本長者には成れない 4
あるところに、一人の青年が居た。
青年は真面目に畑を耕し、毎日毎日、堅実に働く善人であった。
しかし、青年は善人ではあるものの、彼は寡黙で強面。黙々と仕事をこなす青年の事を、周りは尊敬していたようだが、中々友人と呼べる存在は出来なかったらしい。
それでも、彼は不貞腐れることなく真面目に己の仕事を続けた。
人の三倍畑を耕し、誰かが用事で休む時も、仕事を快く代わってやることもあった。それでいて、決して見返りは求めず、短く言葉を返すのみ。
「人間、助け合いだ」
その言葉こそが、彼にとっての信条だった。
今は亡き父の口癖であり、病気で死んだ母にも、事あるごとに言い聞かせられた言葉。
人は一人では生きていけない。だから、周りの人間と助け合いながら生きていくんだよ、と。その言葉を、青年は忠実に守って生きていた。
だが、青年は誰かを助けこそすれば、誰かに助けられることなんて滅多に無かった。
何故ならば、青年は愚直なまでに真面目に生きる好青年。
日々を真面目に働いているので、生活に困るようなことは無い。毎日を規則正しく生きているので、病気にかかることなど無い。寡黙な強面であり、毎日農作業をしていて筋骨隆々であるので、悪人は青年に近寄りもしない。
だから、青年は今まで誰かを助けてばかりで、誰かに助けられたことなど無かった。
「…………む?」
そして、その時も、やはり青年は何かを助けていた。
ある日、彼が助けたのは一匹の野良猫だった。その野良猫は、真っ黒な毛並みを持つ黒猫であり、この世界では『魔物』の姿に似ているから、不吉の象徴として遠ざけられている存在だった。
「む、むうう?」
『にゃああ……』
恐らく、何処かの乱暴者にでも石を投げつけられたのだろう。その黒猫の足にはひどい打撲痕があり、青年が見かけた時には、茂みの中で悲しげに鳴いていたのである。
「…………うむ」
青年は動物にも優しい気性の持ち主だった。
傷ついた黒猫を、当然のように家に持って帰り、傷の手当てをしてやったのである。
「外見で遠ざけられるのは、お互い、しんどいものだな」
『なーう?』
「は、ははは、お前に言っても仕方ないか」
それから黒猫の怪我が回復するまで、青年はかいがいしく黒猫の世話を続けた。周囲は、よりにもよって黒猫を飼う青年を気味悪く思うことはあれど、普段から助けられることも多かったので、特に何か言われることは無かった。
「ううむ、お前は何を好む?」
『にゃあ!』
「……わからん」
青年は真面目な人間だったので、当然、動物の世話にも全力だった。
黒猫の生態について調べて、何を食べさせればいいのか? 何を食べさせてはいけないのか? どのような環境を用意してやるのが、快適なのか?
色々調べている内に、次第に青年は段々と黒猫の事が気に入って来た。
最初はただ、己の信条に従って助けただけだったのだが、世話をしていく間に愛着が芽生えて、共に居たいと思うようになったのである。
そして、それはまた黒猫も同じだった。
怪我が治った後も、黒猫は青年に寄り添い続けるようになったのである。
青年と黒猫は、周囲から敬遠されつつも、仲良く、平和に暮らすようになった。
――――それが崩れたのは、とある嵐の晩だった。
「う、うあぁああああ! 魔物だ! 魔物の群れが街の中にぃ!?」
「くそ、篝火はどうした!? ちゃんとガラスで囲っていただろう!?」
「そ、それが! 風で飛ばされてきた何かにぶち当たって、割れてしまったらしい!」
「は、早く冒険者を呼べぇ! 光石を持っている奴は、手あたり次第に辺りを照らせ!」
街を守護する篝火の防衛、その一角が、偶然崩れてしまったのだ。
本来、絶え間なく照らすことにより、夜の魔物を防ぐ篝火の結界。
その解れを、憎悪に狂う魔物たちは見逃さない。
『ぐるるるるるっ!』
放たれた矢の如く、光に隙間を縫うように、野犬の如く魔物は疾走する。
一人でも多く、光に属する人間どもを無明の闇に引きずりこむために。
「うあぁああああ!!」
「助けて! 誰か! 冒険者、冒険者はどこにいるんだぁ!?」
太陽の加護を受けられない人間たちの大半は、闇の眷属たる魔物に太刀打ちできない。冒険者と呼ばれる、あらゆる環境下での戦闘に慣れた荒くれ者でなければ、戦いと呼べる状況に持ち込むことすら困難だ。
「お、おおおおおおおおおぉ!!」
だからこそ、躊躇うことなく青年はその困難に挑みかかった。
本来、畑を耕すはずの鍬を、がむしゃらに振り回して、襲い掛かる魔物を次々と追い払っていく…………否、追い払えては居ない。むしろ、青年に対して敵意を剥き出しに、次々と青年へと標的を定めて襲い掛かっていく。
「ぐ、が、あ……だが、これで、いい!」
幾つもの爪や牙に襲われながらも、青年は後悔などしていなかった。
人間、助け合いだ。だから、己が助けた誰かが、冒険者を呼んで戻ってくるまで、時間を稼げばいい。己は頑丈だから、実に適任だ。
本人としてはとても合理的な判断をしたつもりで、けれど、周囲からすれば呆れるほどにお人好しで、勇敢な行動だった。
そう、無謀と呼んでも差し支えないほどに。
『ぐるぁ!』
「――――っ、ぐ」
魔物の攻撃は苛烈を極めた。
当然、今まで戦いとは無縁に生きていた青年に耐えきれるものではない。辛うじて、急所は腕や足で守っているものの、それも時間の問題だった。
やがて、魔物の牙の一対が、青年の首元に狙いを定める。
全身血塗れで、息も絶え絶えな青年には、それを回避することは出来ない。
「うにゃああ!」
もはやこれまでか、と青年が諦めかけた時、小さな影が魔物と青年の間を横切った。
聞き覚えのある、鳴き声だった。
『がるっ』
「にゃっ……う」
小さな影は青年への攻撃を一時中断させる効果はあったが、それまでだった。直ぐに魔物の爪に薙ぎ払われて、地面に転がされる。
「お、おおおおおおっ!!」
青年は言葉にならない感情に突き動かされ、魔物を振り払おうと暴れる――のだが、意味は無い。どれだけ感情を高めたところで、失った体力は戻らないし、負傷は治らない。
だから…………青年を救ったのは、青年自身が真面目にやっていた『時間稼ぎ』のおかげだ。
「悪い、遅れたぁ!」
「はっはっは、良くもやってくれたな、魔物どもぉ!」
「今日の俺達は寝起きで機嫌悪さマックスだぜぇ!?」
駆けつけた冒険者たちは、頼もしい声を上げると、次々に魔物たちを屠っていく。
時に剣で、時に拳で、時に魔術で。
青年があれほど苦労した相手が、紙切れの如く千切れ、壊されていく。
まさしく、領域の違う戦いだった。この落差を目のあたりにすれば、並大抵の男であれば自信を喪失すること間違いないだろう。
「あ、あああ……」
だが、青年はそんな些事よりも、もっと恐るべき絶望を目の当たりにしていた。
『に、にぃ……』
「やめろ、駄目だ……駄目だ、死なないでくれ……っ!」
青年の腕の中で弱々しく鳴く黒猫は既に、致命傷だった。
血が流れ過ぎているし、魔物によって振るわれた爪の一撃が内蔵の一部を抉っている。もはや、死んでいないだけ、という状態だった。
「だ、誰か……誰か、なんとかしてくれ! 金なら、対価なら、一生かけても払う!」
青年の叫びに、応えられる者は居なかった。
死にかけた生物を癒し、再び命を与えるなんて、お伽噺の魔術師か、光主と呼ばれる太陽王しか出来ないのだから。そして、前者は一生に一度会えれば幸運なほどの稀な存在。後者は有り得ない。太陽王は遍く全ての人間を見守り、そして、見捨てる存在である。たった一人の誰かを助けることなどは有り得ない。
「誰か、誰かぁ! 頼む、助けてくれ! なんでも、なんでもするから!!」
青年の叫びはもはや悲鳴のようだった。
今まで誰かを助け続けた青年の叫びに、誰も応えられない。
助け続けて来た人間が、助けを求めた時に、誰も助けられない。
これは、そんな皮肉な終わり方をする、とてもありふれた悲劇の物語――――
「あれ? 今、なんでもするって言った?」
そのはずだった。
たった一人の馬鹿が――『お伽噺に出てくるような秘宝の使い道を探す』馬鹿が、青年の叫びを聞きつけなければ。
「その言葉、嘘じゃあないだろうな?」
一人の馬鹿が、夜闇を切り裂き、後光の如く陽光を纏ってやってきた。
そして、その馬鹿は狐面を被った、黒髪の少女の姿をしていた。
「ああ、嘘じゃない! こいつが助かるのなら、俺はなんでもする! だから、だから、頼む! こいつを助けてくれ!」
夜空から突然と降り立った、謎の存在。
闇の中だというのに、陽光を纏う神々しい覇気の持ち主。
街の住人はもちろん、冒険者すら軽く畏れを感じる中で、ただ、青年だけはたじろぐことなく己の言葉を叫んだ。
縋る様に、答えた。
「よろしい、ならば――――――俺が、お前を助けてやろう! 好き勝手に、傲慢に、お前の物語(人生)を面白おかしく彩ってやる!」
だからこそ、馬鹿もまた応える。
何処にでもいるような黒猫を助けるために、世界を変えうる秘宝を使うことを躊躇わない。
そう、全ては、馬鹿が思う面白いと思える物語のために。
「さぁ、精霊琥珀よ! 意思無き精霊の肉体よ! 迷える魂を留め、今一度、この現世に姿を現すがいい!!」
これは、とある馬鹿がやらかした事例の一つ。
誰かを助け続けた青年の悲劇を砕くために、一匹の黒猫を『精霊へ転生させた』という、荒唐無稽な出来事だ。
そう、さながらそれは、お伽噺のワンシーンのように。




