第139話 弟子と後輩 3
大戦前。
俺のホーム、その中でも格段に平和ボケしたと言われている日本という国では、飽食の時代が続いていた。
季節の物でも、温室やら遺伝子組み換えやらを使って、季節外れに食べられる恩恵。
一定以上の品質の食事を出してくれる、チェーン店。
基本的に、値段と比例した食事の美味しさを保証してくれるレストラン。
ちょっと歩くだけで、近場にあるコンビニには、健康を省みなければそれなりの味の物が、多彩なレパートリーで売られている。レジで頼めば、そのまま電子レンジで温めてくれるし、使い捨ての割りばしも貰えるから、食器すら準備せずに食事が出来るのは、間違いなく利点の一つだろう。
けれど、技術の向上によって、どこでもそれなりの物を食べられるようになったからこその弊害という物が存在していた。
例えば、海に面している食事店なのに、出てくる魚料理が美味しくない。
例えば、山の中にある宿なのに、出てくる食事が明らかに冷凍食品など。
地産地消の必要がなくなった、あの飽食の時代では、直ぐ近くに食材の気配があったとしても、それを使わず、あえて安い冷凍食品を客に出すという店も存在するらしいのだ。
これが、かつて存在した飽食の弊害である。
山の中でも海の幸を。
海辺でも、山の幸を。
何処でもなんでも食べられるようになったからこそ、『その場所ならではの食文化』という物が薄れて行っているのかもしれない。
…………まぁ、長々とした前置きで、結局何が言いたいのかというと。
「あー、やっぱり、農村近くの飯は野菜と家畜が美味いよなぁ!」
やはり、この[に:11番]世界の飯は美味い、ということだ。
「んんんー、この若鶏の食いごたえが、たまらん」
じゅう、と音の鳴る鉄板の上に乗せせられた肉の塊を、俺は下品に大口を開けてかぶりつく。
肉の種類は鶏肉。ここら辺の農家が家畜として飼っていた物の中でも、比較的若い鶏を使って作られた物だろう。熟成がやや甘く、肉の固さが残り、粗野な味わいがあるが、それを補うのが肉に刷り込まれた果汁やスパイスの類だ。果汁の中に含まれる酵素が固さの残る肉と反応して、固さの残る肉でも、噛み切れば即座にジューシィな肉汁が口の中に広がる。多種多様なスパイスの調和は、上手く粗野な味わいを独特の旨みに変えて、どんどんと食欲を湧き立たせてくれる。
「もしゃもしゃ、うん、やはり、この世界の野菜は最高だ、一級品だよ」
肉をたっぷり食べたら、当然、野菜も欲しくなるのが必然という物だ。
そこで、鉄板の隣にあるサラダを、思う存分頬張って、しゃきしゃき、という音を鳴らして野菜の瑞々しさを楽しむ。
新鮮な野菜を、鮮度を落とさず提供して、ビネガーの効いたドレッシングを添えて提供する。言ってしまえば、それだけの事なのだが、それを実現させるのがどれだけ難しい事か。
野菜の鮮度は、収穫した時から加速するように落ちていく。
だから、農村近くの宿屋でなければ、こういう美味しいサラダという物を頂くのは結構難しい。生野菜を出すというのはつまり、それだけ鮮度に自信があるという証明でもあるのだ、こういうファンタジー世界では。
「…………ふぅー。そして、このスープも良いね。ほとんど具なんて無い白濁したスープだから心配したけど、無用の心配だったみたいだ」
自然が近いということは、水が清らかであるということだ。だから、水が美味ければ、大抵のスープは美味しいという認識が俺の中にあるのだが、それでも、このスープを出された時には少し、面食らった。
何せ、豚骨スープみたいに白濁した物で、見るからに脂っこそうな代物だったからだ。
無論、こってり系のスープを否定するわけではないが、若鶏の肉と、サラダという組み合わせに対して、こってり系のスープはちょっと合わないんじゃないかと心配していたが、一口、そのスープを飲んだ瞬間、それは無用の物へと変わった。
最初に感じたのは、野菜の甘味。
次に舌の上に広がったのは、肉の旨み。
そこからゆっくりと、二つの美味が混じった優しい味わいが喉まで通っていく。
どうやら、このスープは見た目に反して、野菜たっぷりで体に優しいらしい。
「たくさんの野菜と、内臓を処理した鶏を丸ごと一匹鍋に入れるんです。それを、ぐつぐつ丸一日煮込んで、そこから味付けですかね? 後はどろどろになった具材をこして、スープだけ取り出すんです。先々代が考案した名物料理で、ちょっとした自慢なんですよ?」
俺がスープの美味さに感動していると、宿の手伝いをしているらしき給仕服姿の少女に、そう教えてもらった。
なるほど。確かに名物料理に相応しい一品だ。見た目と味のギャップなど、一度、この宿でこの料理を頼めば、ついつい、誰かに教えたくなるという寸法か。
まったく、こういうことがあるから、異界渡りは止められない。
辛いことはもちろんあるが、こういう、嬉しい発見があったりすると、今までの苦労が報われる気分になるのだ。
「…………んで、お前らは一体、どうしたんだよ? 俺の奢りだぞ? 遠慮せず、もっと食べればいいのに」
「「「…………」」」
俺は、折角の美味しい料理を楽しめず、何やら沈痛な面持ちで、もそもそと料理を口にする三人へ問いかける。
お詫びも兼ねて、今回は俺の奢りにしたのだから、もうちょっと張り切って食べてくれると嬉しいのだが、一体、どうしたのだろうか?
「どうしたもこうしたもねぇよ、『俺』」
「なんだよ、『俺』。文句あるなら、さっさと言え」
俺が首を傾げていると、三人とは別に黙々と食事をとっている端末人形の俺が、呆れたように疑問に答えた。
「食事の前に、俺たちの過去語りなんてすれば、気分が重くなるに決まっているだろうが」
「…………えっ、そんなに?」
「この本体、異能の使い過ぎで、人間としての価値観がおかしくなってやがる」
どうやら俺は、数多の死闘を経て、またどこかおかしくなっていたらしい。
本人……もとい、本体としては、特に変わっていないつもりだったのだが、過去にコピーした人格である『俺』が言うのなら、きっと本当なのだろう。
やれ、自分自身から指摘されたら、言い訳のしようが無いから困るぜ。
●●●
他人からの評価なんて、よくわからない物だ。
どれだけ自分を客観視しようとも、それは主観のフィルターを経た客観だ。どれだけ、自己を排除したつもりで評価したつもりでも、やはり、他人のそれと全く綺麗に重なるということは有り得ない。
それが、価値観の歪んだ異常者であればなおさらだ。
「そうか。そういえば、俺の経歴は結構悲惨な物だったな、うん。忘れていた。すまんな、三人とも。食事時に相応しくない話をした」
俺は弟子と後輩に対して、素直に謝罪する。
まず、自分の事をきちんと説明しようとしたのだけれど、その説明の過程で相手が落ち込むだなんて考えもしなかったぜ。
そういえば、シン先輩の身の上話を聞いた時、割とヘヴィな話だったにも関わらず、俺は特に気分が落ち込むことなく、すんなりと納得していたことを思い出す。
あれは果たして、シン先輩と俺との関係性だからこその反応だったのか。
それとも、俺が異常だったから、そうなのか。
…………まぁ、いいや。異常だろうが、そうじゃなかろうが、俺は俺だ。幸い、やるべき使命も果たしたし、弟子や後輩たちに嫌われない程度に好き勝手やろう。
「だが、紛れもなくそれが俺の過去だ。とある世界で、殺し合いからは程遠い日常を過ごしていたガキが、ある日、超越者たちの侵略を受けて、日常を失った。親も殺された。友達も殺された。許せなかった。だから、残った仲間たちと共に戦って、侵略してきた超越者共を殺したり、和解したり、退去させたり、まぁ、何とか全部無力化した。その過程で、英雄と呼ばれることもあった。だけど、足りない部分があった。その足りない部分を埋めるために、親友が犠牲になっている。その親友の犠牲を俺は許せなくて、どうにかしたいと思って異界渡りとして仕事をしていた。そして」
ぐい、と温くなったエールを飲み干して、俺は言葉を吐き出した。
「俺は、成し遂げた。やるべき使命をつい最近、やっと達成できた。親友を助け出す算段は付けた。俺はもう、英雄の責務から解放された。だからまぁ、なんというか。過去がどれだけ悲惨でも、俺は今、結構幸せだ。憐れむことも、気後れすることもねーよ」
苦笑交じりに吐き出した言葉だったが、カインズは何か感じ入る物があったらしく、元気よく首を縦に振る。
「うん! オレも同じです、ミサキ師匠! オレの過去はクソッタレだった時もあるけど! 今は、こうしてミサキ師匠の弟子で居られるから、結構幸せ!」
カインズはにかっ、と邪気の無い笑みを浮かべて、そう言い切った。
両親を失い、復讐の炎に焼かれ、それでもなお過去を踏み越えた少年は、そう言って見せた。
まったく、これだからカインズは強いんだよ。英雄時代の俺よりも、よっぽど強いかもしれんね。
「それを言うなら、私たちもまぁ、そこそこ幸せよね」
「ごはんがおいしーからね」
「どこかの童貞のおかげで仕事もあるし」
「ねー?」
「おっと、感謝している割には罵倒が聞こえたぞ?」
俺が突っ込むと、美人姉妹は『文句があるならさっさとやれば?』みたいな視線で返してきたので、ここは肩を竦めておく。
いや、だって、『よぉし、使命を果たしたぞ! さぁ、セックスだ!』とかやったら、駄目だと思う。英雄としてじゃなくて、人としてちょっとあれだと思うんだよ、俺は。
「えー、あー、そういうわけで! なんだ、俺の過去について何か聞きたいことがあるなら、遠慮せずに行ってくれ。出来る限り答えるから」
「ミサキはどうして童貞なの?」
「ヘタレだからです」
「おにいさんはー、うえとした、どっちがいいー?」
「その場の流れで」
おのれ、美人姉妹め、即座に言及してきやがって。
こいつら、なんで処女の癖にこんなに強気なの? などと、俺が呆れていたら、いつの間にか、カインズが俺の服の裾を軽く引き、きらきらと目で俺を見上げている。
「ん、なんだ? カインズも何か聞きたいか?」
「はいっ! ミサキ師匠の英雄譚が聞きたいです! ええと、超越者っていう凄く強い奴を倒したから、ミサキ師匠は超越者殺し、っていう英雄名で呼ばれているんですよね? その時の話を聞きたいです!」
「あ、それは私も。今後、超越者と会うこともあるかもしれないし、後学として」
「たいさくには、けいけんだんをきくのが、いちばんです?」
「……ふむ」
弟子と後輩に請われ、俺はしばし、考える。
超越者殺しと言っても、単独で成し遂げたことは少ない。英雄譚として数えるのならば、ハルと共に為した、機械神討伐などが一番盛り上げるだろうが、うん。
――――ここはあえて、逆を語ろう。
最も強い超越者の話では無く、最も弱い超越者を殺した話を。
「わかった。じゃあ、語ろうか。俺が出会った超越者の中でも、とてつもない難敵となった、あの王様を殺した時のことを」
最弱にして、最悪の王。
博愛を司る、超越者との戦いを、思い出してみようか。