第134話 情けは人の為ならず、と彼は笑った 11
超越者という存在が恐ろしいのは、彼らが保有する強大な魔力もそうだが、何よりも、その質が異常であることを特筆しなければならない。
概念魔術すら上回る、独自法則の押しつけ。
超越者を相手にする時は、この独自法則を的確に見極めることが肝心だ。でなければ、どれだけ強大な力を持った戦士であったとしても、何もできずに術中に嵌ってしまう。
それは、彼の偉大なる鉄腕王すらも例外ではなかったらしい。
「人と人が話し合えば、通じ合うことができるんです。例え、『どうしようもなく違っていたとしても』、きちんと話し合えば通じ合える。私たちは友達になれるんだって、証明したい。多分、それが私が生きている意味です、えへへへ」
王子が燃える王都に駆け付けた時、まず、最初に目にしたのは巨大な怪物だった。
山よりも大きな鉄塊が両の腕となったが如き、鬼面の巨人。
その口からは灼熱の息吹が吐き出され、時折、振るわれた拳は瞬く間に王都の建物を崩していき、大地が唸り声をあげて震えた。
そんな巨人の肩に、王子がいつか助けた少女が乗っていて、何かを周囲に語り掛けている。騒々しい崩壊の音と、色んな物が燃える音が織り交ざっているのに、少女の声はどこまでもよく通っていた。決して大きくない声だというのに、何故か、どこにいても変わらぬ音量で、周囲の人間に――まだ人間だった者に、語り掛ける。
「だから、まずはこの世界の王様に私を理解してもらいました! そうしたら、こんなになってくれて、私、とっても嬉しいです!」
少女の言葉を聞いても、怪物となり果てた父王の姿を見ても、未だ、愚かな王子は状況を理解できなかったらしい。いや、理解してはいけないと、脳が拒絶していたのだろう。それは、愚か極まりない現実逃避に過ぎなかったが、結果として、その現実逃避が王子とその仲間を救った。
これは後々、天才なる博士が命と理性を削って解明したことなのだが、あの少女には特別な力があるらしい。
侵食。
博士は超越者の異常なる能力を、そう呼んでいた。
「あれは、駄目にゃ。そもそも、根柢の所で、我々人類とは別種の何かなのにゃあ。だから、理解し合えない。人と同じ姿形をしても、こちらと同じ言語を操っているように見えても、あれは『動物の鳴き声』と同じだと思うのにゃ。意味はあるけど、完全に理解しようとしてはいけない。少しでも、彼女の価値観と通じ合ってしまえば、交わってしまえば、汚染されて、侵食されてしまう。歪んだ価値観に存在が捻じ曲げられて、異形の怪物となってしまうのにゃー」
理解し合えない物を、理解しようとさせてしまう。
異なる価値観で存在を汚染させて、人間を怪物にしてしまう。
あまりにも世界線が異なる場所からの来訪者。
魔神ではなく、外なる邪神。
どうやら、それが少女の正体だったようだ。
言葉は通じる。
会話はできる。
けれど、どこかが致命的にずれてしまう。
人型であるが、別の生物。
倫理や道徳がずれた、あまりにも違う世界観の存在こそが、侵食を司る超越者の正体だったのである。
「お嬢! さっさと坊を連れて逃げろ! ここは儂が足止めしてやるわい」
「おっさん! でも――」
「がっはっは! なぁに、あのでかいのはともかく、雑兵ぐらいは掃除しておいてやるとも」
王子たちパーティが駆け付けた時には既に、王都は侵食されていた。
偉大なる王は堕ちた。
賢く、強い兄弟たちすらも、侵食者たる彼女の魔の手から逃れられていない。
愛すべき民たちのほとんどは怪物となり果てて、あるいは、怪物となった愛しい者の手によって、怪物へと作り替えられていた。
引き起こされたのは、前代未聞のモンスターパニック。
王都から逃げきれた者は多くない。
幾多の困難を乗り越えた王子たちパーティでも、仲間の一人を――普段は酒くらいでも、仲間の中では誰よりも強かった大剣豪を犠牲にしなければ、逃げ切れる物ではなかった。
「どうして、どうして、こんなことになるんだ……?」
家族を失い、仲間を失い、失意の底で従者に背負われる王子は、小さく疑問の言葉を呟く。
どんな理不尽が起これば、こんな悲劇が起こってしまうのか? と。
――――王子たちは、まだ知らない。いや、結局のところ、最後の最後まで、世界が終わる瞬間まで、王子は知らなかった。
彼女が超越者という存在だということも。
彼女が、【侵食災害】と呼ばれ、多元世界を滅ぼす災厄として、忌み嫌われていたことも。
大多数の犠牲により、ようやく自殺寸前まで追い詰めることができた状態を、王子の不用意な励ましによって再起してしまったことも。
全ては、何もかもが手遅れになってから、彼は知ったのだった。
●●●
王都が焼け落ち、異形なる者たちが昼夜を問わずに跋扈するようになってから、一年ほどの時間が経った。
もはや、世界中でまともな形をして動いている生物は数少ない。
少なくとも、人類と呼ばれる者はたった一人を除いで、全てが変わり果てるか、消え去っていた。
「…………汚らわしい」
されど、異形たちもまた、その数を大きく減らしていた。
その原因は、たった一人の異形殺しによるもの。
全身に特性の魔法陣を刻み、あらゆる干渉を受け付けず、また、寝食すら必要となくなり、異形を殺すことが存在意義となった者。
それが異形殺し。
かつて、出来損ないの王子と呼ばれていた男だった。
「もうすぐ、もうすぐ終わるよ、皆」
既に、彼に仲間は居ない。全員死んでしまったからだ。
大剣豪は燃え盛る王都から逃げ出すときに、殿を務めて。
博士は、侵食者の解析と対策を練った後、正気を失わないうちに自害して。
魔術師は、博士が作り上げた対抗策を彼に施すために自らの命を使った。
従者は、魔術師が彼に刻んだ術式が効果を発揮するまで、ずっと彼を守り続けて、最後は彼の腕の中で息絶えた。
そして、彼が異形殺しとなって、やっと王都に向かう頃には、既に人類は滅んでいた。
街や村を跋扈するのは、人ならぬ異形の怪物のみ。
少なくとも、彼がどれだけ探してもまともな形をした動物は見つからなかったので、早々にかつての王都へと向かうことにしたのだった。
『■■■■ィ、■■■■ィ』
鉄腕王の統治の下、栄華を誇った美しい街並みは既に存在しなかった。
一年前に焼け落ちた街並みの上に、新しくそびえ立ったのは、憎々しい生物素材で出来た、『すすり泣く城塞』だ。
しかも、異形殺しである彼が一歩、王都だった場所に足を踏み入れると、鬼面の巨人が、即座に鉄腕を振るってくる始末。彼が出来損ないの王子のままであったら、この時点でなすすべなく死んでいただろう。
「消えろ、父上の紛い物よ」
異形殺しとなった彼は、その名の通りに、鬼面の巨人を一撃で葬り去った。
振り下ろされた鉄腕ごと、巨人の肉体を自らの拳で吹き飛ばしたのである。正確にいうのであれば、彼の肉体に刻まれた術式が、彼の拳から打ち出された結果、そうなった。
「…………父上は、こんなに弱くなかった」
小さく嘆きの言葉をこぼした後、彼は『すすり泣く城塞』へと足を踏み入れる。
膨大な肉壁で構築された城塞は、まるで、歓迎するかのように、彼へ最上階まで続く道を示した。
もっとも、道中では彼の兄弟――その成れの果てが、彼を殺そうと待ち構えていたが。
「……違う、違う。僕の兄弟は、こんなに愚かでも、弱くもない!」
かつての身内を殺すたびに、彼の心に湧き上がるのは怒りと悲しみだった。
自分よりも遥かに強いはずの存在が、あっけなく散っていく悲しみ。兄弟が積み上げてきた強さを台無しにした、侵食者に対する怒り。
あの時、あの時見捨てておけば、良かったと何度も後悔しながら、彼は悍ましい肉で出来た蠢く階段を上って、ようやくたどり着いた。
「あっ、シン! 久しぶりです! 遊びに来てくれたのですか?」
「…………は?」
たどり着いた彼を迎えたのは、罪悪感が一切感じられない少女の微笑み。
そこに、強い感情はなかった。自分が醜悪な行為をしているという自覚もなく、また、シンに対する感情は『友達が久しぶりに自宅に遊びに来てくれた』ぐらいのノリだ。異常な愛情や、強い信念すらも、感じられない。
「ふ、ふざけるなぁ!!」
彼はそんな少女の態度が癪に障ったのか、怒りの赴くままに、罵詈雑言を浴びせかけた。
どれだけひどく、醜悪な行為をやったのかを分からせるために、何度も、何度も、分かりやすく、時に落ち着いた口調で、怒りを抑えて説明する。そんなことをするぐらいであれば、隙だらけの少女を即座に殺せばよかったというのに、自分の怒りを、世界の嘆きを、犠牲になった人たちの想いを知れ、とばかりに懇切丁寧に少女へ言葉をぶつけた。
「ああ、なるほど。つまり、シンは私を殺したいのですね? ふふ、良いですよ。前は私を助けてくれましたし、今度は私の番です! 貴方の愛を、私は受け入れます!」
全て、無意味だった。
博士の分析通り、少女は致命的なまでにずれていた。
言葉を交わすことができるのに、意思疎通だってほとんど可能だというのに、致命的なまでに何かがずれている。そのため、シンの怒りは一切、少女へ伝わっていない。
ただ、少女は満面の笑みを浮かべて、シンから与えられる死を受け入れようと、両腕を広げていた。
「ねぇ、王子様。私を愛して?」
それは、純朴な少女の冗談のようで。
あるいは、妖艶な悪女の誘いのようでもあった。
「あ、あぁあああああああああああああっ!!」
結局のところ、彼は状況に振り回されていただけだった。
少女を救ったが故に、世界は滅びた。
けれど、少女を救ったが故に、少女は『友達』の願いを聞き入れる。既に、『友達』となっている者にはもう、浸食の力は使わず、死にすら抗うことはない。
絶叫と共に振り抜かれる彼の拳を、少女は無抵抗に受け入れた。
「――――――やっぱり、僕は愚かで弱い、出来損ないだったよ、ミィ姉」
後に残ったのは、虚しさを抱いた一人の出来損ないのみ。
崩れ行く城塞の中で、彼は何もする気力も湧かず、崩落と共に消えていった。