第133話 情けは人の為ならず、と彼は笑った 10
何かおかしいなと思ったら、一つ、掲載する話を飛ばしていた模様です、大変申し訳ありませんでした。
出来損ないの王子は世界を旅して、仲間と共に様々な困難を乗り越えた。
それは決して楽しいだけの旅路ではなかったが、けれども、王子にとってはそれまでの人生の中で一番幸福で、楽しい時間だったのだろう。
仲間の不足を補い、仲間に不足を補ってもらう。
自分一人だけ強くなるのではなくて、誰かと共に絆を育み、単純な足し算以上の力を発揮する。
世界を旅をすることによって成長した王子は、もう自分のことを出来損ないなどと卑下しない。何故なら、それは自分を信頼してくれている仲間に対して失礼になるから。
だから、王子は自分の役割をようやく見つけられた。
偉大なる父王のようには生きられない、その能力も才能も無い。きっと、父王の後は優秀な兄弟が継ぎ、自分はそれを補佐する立場になるのだろうと。
でも、それでいいのだ。
何故なら、生まれた時から強くて、優秀な兄弟たちには見えない者があるから、その分、自分が補佐をして手助けをすればいい。弱くて、出来損ないだった自分だからこそ、出来ることがあるのだと、自信をもって言えるようになったのである。
それは、王としての資質は別として、人と人を結びつかせて、調和する者としての資質の片鱗だったのかもしれない。
旅を終え、そのまま何事もなく王都へと戻っていれば、そんな未来もあったのかもしれない。
「……ぐすっ、ひぐ」
「おや、どうしてこんなところで泣いているんだい?」
旅の途中、王子がたった一人の少女へ、救いの手を差し伸べなければ。
「ごべ、ごべんなざい……わだ、わだじは、いきてじゃ、いけないにんげん、なんれすぅ」
「……え、ええと?」
「ひぐうううううう!」
「んんー、困ったなぁ。とりあえず、その、お腹減ってない? ご飯を奢るから、何があったのか、お兄さんに話してみてよ?」
王子がある日、街の片隅で出会った少女は泣いていた。
なんの変哲もない、茶色の顔をした普通の幼い女の子。ちょっと服装は奇妙なところがあったけれど、世界中を旅をしている王子はそれを『民族的な衣装』だと思って不審には思わなかった。
「ず、ずずずっ、うう、美味しい。このスープとても美味しいれすぅ」
「それは良かった。ここのスズナキドリの野菜スープは絶品でね。あ、中に入っている鶏肉は骨ごと噛み砕いて食べられるから、試してみて?」
「ばりぼり、むしゃむしゃ……んんー、ワイルドな美味しさ!」
「ふふ、どう? ちょっとは元気出たかな?」
「は、はひ! ありがとぉ、ございますぅ」
王子は泣いている少女を上等な宿屋に連れて行ってあげて、たっぷりのご飯を食べさせた。
暖かいスープ。
柔らかくて甘いパン。
程よく噛み応えのあるウサギ肉のソテー。
その場に従者が居たのならば、『見知らぬ他人に金をかけすぎ! 助けるなとは言わねぇけど、もうちょっと自重しろ!』と怒鳴るほどの待遇で、少女に慈悲を掛けたのである。
そう、この時、王子たちは各自、自由行動としてバラバラに動いていた。
これは別に、珍しいことではない。どれだけ仲が良い旅の仲間だとしても、四六時中ずっと一緒に居るのは息が詰まる。だからこそ、大きな街に着いた時は、さほど忙しくなければ二日三日ほど自由行動の時間を取るのが、彼らの旅のスタイルだったのだ。
「それで、一体どうして君は泣いていたの? 何が、つらいことがあった?」
「…………わ、私は、その、生きてちゃいけない人間なんです」
「んー、ええと、詳しく聞いても?」
「詳しくは、話せないんです。私が、話せば、それは『力』になっちゃうから。でも、私はたくさんの人とお話ししたくて。でも、それはいけないって、怒られて。たくさん、殴られて。私は、生まれてはいけない存在で」
少女の話はしどろもどろで、支離滅裂。
真面目に話を聞いていた王子ですらも、内容を詳しく理解できなかった。
いや、この時の少女はあえて、そうしていたのだろう。自分の中の『力』を自覚し、戸惑っていたが故に、正しく言葉を伝えるのを恐れていたのだ。
もっとも、その時の王子にはそれは伝わらなかった。
代わりに、王子は少女の心の奥底にある嘆きを感じ取っていた。感じ取って、しまっていた。そう、自分の中にある罪悪感と劣等感……それでも、人と繋がり、誰かの隣に居たいという欲望を。
「ううん、控えめに言っても全然わからない……」
「で、ですよね、あはは……も、もう大丈夫です……助けてくれてありがとうございます。お腹もいっぱいになったし、これで――」
「だけど、生きていちゃいけない人間なんてそんなに居ないさ」
「はひ?」
だから、王子は自分と重ねてしまったのかもしれない。
出来損ないとして生まれて、他の兄弟へ劣等感を覚え、生きていることが罪悪であると感じていた時のことを思い出して、少女と自分を重ねてしまったのかもしれない。
「君の事情は、僕にはよくわからない。でも、誰かを仲良くなりたいと言って泣いている君が、そこまで悪い存在だとはとても思えない。少なくとも、一人で寂しく泣き続けないといけない人間だとは、とても、ね」
「……で、でも、私は」
「僕もさ、以前は君みたいに自分を責めて、『こんな自分なんてさっさと消えてしまえ』と毎日思っていたことがあるんだ」
「えっ?」
「だけど、世界中を旅して、いろんな仲間と出会って、たくさんの出来事を共に過ごしていく内に、考えが変わったよ。こんな自分でも必要としてくれる人がいる。お前が居てよかった、と思ってくれる人がいる。だから、僕は僕自身を卑下するのをやめたんだ」
王子は少女へ語り掛ける。
自分の境遇をぼかしながらも、少女が共感しやすいように話を整えて。今までの旅路を、困難と栄光が織り交ぜられた、愉快なエピソードを語って聞かせる。
少女は最初、困惑していたものの、話が進むにつれて少女の顔に笑みが戻っていく。
痛快な冒険譚は、萎えていた少女の心を奮い立たせて。
落ちこぼれだった彼が、仲間と共に困難を乗り越える英雄譚に、少女の諦観が薄れていく。
「い、良いんですかね? こんな、こんな私でも、誰かと友達になりたいって。誰かと仲良くなりたいと思っても」
「おいおい、君は何を言っているんだ? 僕と君はもう、友達だろ? 何せ、一緒にご飯を食べて、短くない自慢話に付き合って貰ったんだからさ」
やがて、少女の瞳には希望の光が灯っていた。
生きることを諦めていた少女は、もう居ない。
…………この時、王子の仲間が居れば気付いたことだろう。
魔術師が居れば、この少女が持つ魔力の不穏さに。
大剣豪が居れば、直観的にこの少女の脅威に。
博士が居れば、少女の服の意匠が『異世界のデザイン』と似通っていたことに。
従者が居れば――――『助ける相手を選べ』と彼女の鑑定眼にて、少女の本質を読み取っていただろう。
「じゃあ、友達になったから改めて自己紹介しようか。僕はシン。ただの旅人で、冒険者をやっているよ。君は?」
「わ、私は、その……」
あるいは、もう少し王子が他者に優しくなかったら、『少女の名前を覚えていられないほど、後悔しなかった』かもしれない。
けれど、それはもうあり得ないイフの話だ。
これは『そうならなかった』話。
出来損ないの王子が、幸福を手に入れて、愚かにも自らの行動がきっかけで全てを失っていく凋落の物語。
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三か月。
三か月あれば、人は何ができるだろうか?
ダイエットを三か月続ければ、それはもう習慣となって一定の効果を出すかもしれない。
真面目に三か月働き続ければ、愛しい人への指輪の一つも買えるかもしれない。
三か月修業をすれば、劇的ではないにせよ、人は少しだけ強くなれるかもしれない。
三か月という時間は決して短くないが、長くはない。
大それたことを成し遂げるのには難しく、身の回りの小さなことであれば、何か一つや二つは成し遂げることができる期間だ。
そう、だから。
「あはっ、あははははははっ! わぁい、友達がいっぱいだぁ!!」
たった三か月で、世界を滅ぼせる存在は間違いなく人ではない。
「……どうして? どうして、こんなことに?」
王子は嘆く。
灼熱の紅蓮に染まった王都を眺め、茫然と呟く。
一体、何が悪かったのか? と。
身元不明な少女を信じた挙句、王子のコネを使って王都へ就職先を紹介したのが駄目だったのか? 奉公先が王侯貴族も愛用する有名な服飾店だったのが駄目だったのか? 少女の異常なまでに有能な働きぶりに疑問を覚えなかったことが愚かだったのか?
ただ一つ、どれだけ愚かだったとしても王子が理解しているのは、疑問をいくら重ねたところで過去は変えられないということ。
燃える王都も。
醜悪な怪物となり果てた民も。
偉大なる鉄腕王が討ち取られたという事実も。
「今日から私が、この世界の女王様だよ! でも、安心して? 私がちゃんと友達が仲良く過ごせる世界を作ってあげるから! だから、遠慮なく私を愛してね?」
か弱く泣いていた少女が、悍ましき女王となり果てたことも、変えることはできないのだ。
これは、幸福だった出来損ないの王子が、凋落する物語。
あるいは、『侵食』を司る超越者による、ありふれた蹂躙劇だ。