第13話 エロ本長者には成れない 3
俺の手元には、真っ赤な果実がちょうどよく熟れた状態で置かれてある。
一見すると、ただの林檎だ。異世界にも林檎はあるのか? という疑問はよく、同じ世界からやってきた新米異界渡りから訊かれるのだが、普通にある。なんというか、世界の構造にはいくつかの原型があり、その原型を元に造られた世界は、基本的に動植物などは似たような物が生まれる。人類の言語も、似たり寄ったりである。文字を覚えるのは苦労するだろうが、文法などを学ぶのはそこまで難しくない。俺の世界の言語学者であるのならば、一か月も実地で学べば、日常生活に支障ないレベルで会話や読み書きを覚えることが可能だろう。
ちなみに、俺はその世界の管理者に頼み込んで、直々に翻訳プログラムを貰っているので勉強する必要は無い。ただ、読み書きはともかく、会話だとニュアンスを伝えること重視の設定になっているので、時々すれ違いが生じることがあるが、それはコミュ力でカバーである。
「…………ふぅむ」
おっと、話がずれてしまった、元に戻そう。
さて、この俺の手元にある一見すると林檎な果物であるが、実は普通の果物ではない。それどころか、果物であるかどうかも疑わしい。何せこれは、先日、冒険者たちから受け取った秘宝の内の一つなのだから。
「どうなされたんですか? 光使様。その果物が何か?」
「んんー、ちょっとね」
俺が果実をしげしげと観察していると、泊っている宿の看板娘から声を掛けられる。
まー、光使の役職を背負っている奴が、朝っぱらから食堂のカウンターで林檎を眺めていたら確かに気になるわな。
「あー、そういえば、看板娘ちゃん。君のお名前は?」
「は、はい! ミミス、ミミスと言います」
「なるほど、みーちゃんね」
「光使様がフレンドリー過ぎる……っ!」
看板娘のみーちゃんが恐れおののいている。
いや、確かに、そうだよね。自分よりも圧倒的に身分が上の相手にフレンドリーにされたら、どんな対応していいのか困るよね、恐縮するよね。
まったく、おちおち世間話も出来やしない。かなり質の良いホテルだから、仮面を付けての宿泊で怪しまれないように身分を明かしたけど、やはり良し悪しもあるか。
「みーちゃんはさ、何か夢とか、大きな目標とかある? ああ、そんなに必死に考えなくてもいいんだよ。ただの世間話って奴さ、気楽に答えて」
「き、気楽にですか? が、頑張ります……全身全霊で気楽になります……」
「落ち着きなさいな、みーちゃん。はい、深呼吸」
「すー、はぁー!」
みーちゃんは、何度か深呼吸した後、声の震えを落ち着かせて、会話を再開させた。
「そう、ですね。夢、というほどではありませんけど、色んな場所や景色を見て回りたいと思っています。今は、この宿で働かせていただいて、その時までの資金を貯めているのです」
「ほほう、そりゃいいね。俺も仕事柄、色んな所を見て回るよ。良いもんだよ、旅は。色んな景色、色んな人たちと出会える」
「で、ですよね! 旅は素敵ですよね!」
「ただし、その分、危険もたくさんあるけどね。君みたいな可愛い娘だと、特に危険になる場所もあるかもしれない」
「う、うう、そうですよねぇ」
しゅん、と肩を落として露骨に落ち込む、みーちゃん。
やはり世間知らずでは無い。相応に現実も知って、それでいてなお、前向きに努力を重ねている。この宿で働いている資金の中には恐らく、信頼できる護衛を雇う分の金額も込みで考えられているのだろう。
…………うむ、いいね、いい、実によろしい。
そういう諦めぬ心こそが、前に進む意思こそが、世界を面白くしてくれるのだ。
「ふふふ、脅かしてすまないね? お詫びと言っては何だが、これを上げよう」
「…………あの、これは?」
「お守りのような物さ。もしも、君が旅に出る時が来たら、肌身離さず身に着けているといい。きっと、君の助けになってくれるから」
だからこそ、これを渡すに相応しい。
俺はさながら手品の如く、虚空から大きなつばのとんがり帽子を取り出す。真っ黒なそれは、さながら魔女の帽子のようであるが、実際、旅をする上では利便性は高い。強い日差しや、突然の落下物、あるいは人々の視線から自分を守ってくれる優れものだ。
俺はそれを、みーちゃんの頭にぽん、と優しく被せる。
「わ、わぷ……あの、ありがとうございます、光使様。で、でも、どうして、こんなに私に良くしてくださるのですか?」
「はっはー、さてね? 何でだろうね? きっと、ただの気まぐれさ。強いて言うなら、何か良いことがあったのかもしれない」
「ふふっ、自分の事なのに、他人行儀なんですね、光使様」
「自分の事ほど、わからないものさ」
俺がお道化て肩を竦めると、みーちゃんは朗らかに笑みを浮かべた。
そう、自分のことほど意外とよくわからない物さ。例えば、この宿に最初に入った時、明らかに不審者な俺を最初に庇ってくれた時の嬉しさとか。俺が光使だと分かってからも、恐縮しながらも、その根底には俺への親しみがあったことへのむずがゆさとか、さ。
それが、ついつい手元から秘宝を零れ落とすほどの物だったとは。
中々わからないもんだよねぇ、まったく。
「ふふふ、それじゃあ、光使様から頂いた大切な帽子をしまってきますね! いつか、旅に出る時まで、大切に手入れしたり、時々被ったりしながら堪能します」
「自由にするといい。それはもう、君の手の中……いや、頭の上にあるのが相応しい」
ぱたぱたと嬉しそうに小走りしていく、みーちゃんの背中を見守りつつ、俺は満足げに頷いた。秘宝が俺の手の中から零れ落ちたというのに、まったく惜しいという気持ちは無く、むしろ清々しい気分に満ちている。
そうか、これが断捨離効果――――っ!
《ミサキ》
『はい』
《以前、現地民に無暗な施しはいけないと私に説明しましたが、さっきの件はセーフなのですか? それともアウトなのですか?》
『いや、違うんだよ、オウル』
《アウトですね?》
『あれは無暗な施しじゃなくてだな?』
《対価も無く、秘宝を与えてしまうのは明らかにアウトですね?》
『――――――仮面で視線を隠しながら、ずっとお尻を眺めていた時があるから、その時の罪悪感を消すためには必要な処理だったんだよ』
《どうしてミサキは、自分を貶める嘘を吐くのですか?》
うわぁい、流石だぜ、相棒。
適度に事実も含めた嘘を即座に見抜くなんて、俺への理解が高まってきたかな?
《素直に、親切にされたのが嬉しいから恩返しでいいじゃないですか。何をそんなに恥ずかしがっているのですか?》
『う、うう、だって、ハードボイルドな俺のイメージが』
《ハードボイルドぉ?》
『何その嘲りボイス、新しい』
《学習の成果ですとも。さて、私はミサキがプレゼントしたのならば別に意義は無いのですが、それでも大盤振る舞い過ぎでは? あれは確か、『叡智の帽子』でしょう?》
『そうだよ、冒険者から貰った秘宝の内の一つだ』
『叡智の帽子』と呼ばれるそれは、意思を持つ魔導具だ。
帽子に宿っている人格は、あらゆる叡智を収めているとされている賢者の劣化コピーである。だが、劣化と言えど、広い分野で様々な知識を持つ人格からの助言は非常に有意義だ。また、非常に優れた知性を持つため、仮に知らない事柄を発見したとしても勝手に分析して勝手に理解するので、未知の場所を旅する時でも、いや、そういう時にこそ頼れる魔導具である。
さらに、帽子に編み込まれた特殊な術式により、自力で勝手に魔力を補給し続けて、使用者に負担をかけない仕様なので、魔力量が少ない一般人でも安心だ。
《あれが手元にあれば、今後の異界渡りとしての仕事は楽になったのでは?》
『んんー、でもなー、あれはぶっちゃけそんなに必要ないからな。元々、誰かにプレゼントするように考えて受け取った奴なんだよ』
《何故です? 何か代わりになるようなマジックアイテムなどを既に手に入れていたのですか? ミサキ》
『いや、だって、オウルがいるじゃん、俺には』
《…………は?》
『だからさ。オウルがずっと俺をサポートしてくれるんだから、今更必要ないじゃん、って』
確かに、叡智を元に助言してくれる魔導具は貴重かつ、有意義かもしれない。
けれども、それには既にオウルが居るのだ。『夜の賢者』が居るのだ。だから、他の奴は必要ない。
《…………愚かですね、ミサキ。三人寄れば文殊の知恵とも言うでしょう? 意見が多いほど、得られる情報の精度は高くなるものです》
『かもな? けど、そんな愚か者がお前の相棒だ、諦めてくれ』
《ええ、もうとっくの昔に諦めています。なので、今後も貴方から離れるつもりはありません》
淡々と紡がれる冷たい声色が、何故か、今は暖かく感じた。
サポートAI相手に何を言ってんだ? とは思われるかもしれないが、良いじゃないか、浪漫を求めても。
オウルが俺を気遣ってくれていると思っても、悪くないはずだ。
『んじゃ、早速で悪いけど、オウル。愚か者からの提案が一つ』
《聞きたくありませんが、聞いてあげます。何でしょうか?》
『俺が今、持て余している秘宝の扱いについて、良いことを思いついたんだよ。名付けて、『世界一周秘宝を託す人材探し!』ってね。さっきのみーちゃん相手にやったみたいに、秘宝を託すに対する人材を探して、世界をぐるっと回ってみるのさ』
《その移動にかかる魔力消費は膨大になると予測されますが、それは?》
『ああ、それについては問題ないよ』
オウルへの返答と共に、俺は勢いよく林檎に齧りついた。
しゃり、とした心地良い歯ごたえと共に、甘い果汁が口内へと広がり――――そして、俺の肉体に、魔力が溢れた。膨大な魔力が。それこそ、本来の肉体の持ち主が入っていた時と同等レベルにまで、この肉体の隅々まで魔力が満ちて、充実している。
この秘宝の名前は『太陽樹の千年果実』という。文字通り、この世界に存在する太陽樹という、光主が手ずから管理する巨大な樹に、千年に一度だけ生るという特別な果実だ。
この果実を食べれば、太陽樹の加護を受けて、この世界に居る間は魔力の消費に困らなくなるらしい。
『これで、いくらはしゃいでも、赤字にはならない――――ああでも、世界規模でやらかすと流石に怒れるからそこは自重して行く方針で』
《やれ、つくづく本当に…………愚かですね、ミサキは》
『賢くは無いからね、残念ながら』
相棒からの呆れに対して、俺は笑みで返す。
「だけど、何も為さない賢者よりも、俺は馬鹿をやらかす愚者でいたいから、これでいいのさ」
さて、きっちり悩み抜いたことだし、悩んだ分だけ、思いっきりはっちゃけるとしようか。
なぁに、最終的な儲けは秘宝が一つや二つ残っていれば大丈夫さ…………うん、俺が調子に乗り過ぎて、色々やらかさなければ、だけどね。