第129話 情けは人の為ならず、と彼は笑った 6
時が経つのは速い。
いや、実際に速い。子供たちを教育していた場所では、五十倍の速度で時が流れるように設定してあるので、単純計算で現実時間で一日過ごすと、その場所では五十日ほどの時が流れるのだ。
しかし、ただ時間の速さだけを調整しただけでは片手落ちもいいところだ。
日の巡り。
天気の変化。
季節の移り変わり。
夜空の風景。
様々な要素で子供たちが違和感に気付く恐れがあったので、環境操作は念入りに行い、結果、子供たちの中でもよほど勘が鋭い者でもなければ、最後のネタ晴らしまで気付くことはなかったと思う。
なお、この時の経験が後々、俺の一番弟子であるカインズを育てる際に使ったトレーニングルームとい特殊空間の制作に一役買うことになったのだが、それはまた別の話である。
「…………なんだ、ありゃ」
時間の進みが速いということは、現実世界に居る者から見れば、子供たちが異常な速度で成長しているように見えるといことだ。
そのことに一番驚愕し、肝を冷やしたのは恐らく、シン先輩から監査役として連れてこられた街の上役だろう。そう、シン先輩に引きずり出されて、言質を取られてしまった、ある意味、憐れな強面のファンタジー世界のヤクザだ。
「な、なぁ、嬢ちゃん」
「なんだよ、おっさん」
「俺の見間違いでなけりゃあ、あのガキども。たった二日見ないうちに、こう、魔術とか使えるようになってないか? しかも、初歩的な魔術だけじゃねぇ、中位の魔術にも手をかけてやがる……あ? しかも、一端に武術をやっているようなガキもいるじゃねーか、おい」
「子供の成長は早いからな」
「早すぎだろうが。神童と呼ばれた奴でも、もうちょっとゆっくり成長するわ。つーか、なんだよ、あの地獄の訓練。おかしくねーか? なんであんな荒んだ……いや、ちげぇな。覚悟を、そう、覚悟を決めた顔でやってんだよ。兵士じゃねーんだぞ、あいつらは」
「常に限界ギリギリよりも少し上のラインを達成するように定められ、途中で倒れても無理やり回復させて、強制的に達成させるというサイクルを百回以上繰り返すとああなるらしいぞ? ちなみに、途中で心が折れかけたガキもいたが、俺がカウンセリングの真似事をしたら、あっさりと立ち直ったあたり、スラム育ちは根性あるな」
「えぇ……」
街の上役は、子供たちの成長具合にドン引きしていた。
シン先輩から案内されてやってきた時は明らかに、『いちゃもんの一つや二つでも付けて、偽善者どもをからかってやるか』みたいな不敵な笑みを浮かべていたのに、一通りの説明を受けた後はもう、真顔になっていた。
どうやら、想像の斜め上を行き過ぎていたらしい。
「……なぁ、嬢ちゃん」
「なんだよ、おっさん」
「これは別に、貶めるつもりはねぇんだが……いや、わりぃ、やっぱり貶めているかもしれんが、言わせてくれ。あの伊達男は、馬鹿だろ?」
「ああ、馬鹿だね。多分、真正の馬鹿だよ、度し難いほどに」
「だよな。よかったぜ、意見が合って、安心した」
身の丈三メートル以上の一つ目の巨人相手に、四人一組で連携して確実に殺していく子供たちの、壮絶な雄たけび。
その隣で、頭に水瓶を置いたまま、微動だにせず、瞑想を続ける魔術師見習いの清廉さ。
けらけらと笑いながら、片手で通貨を握りしめて、仲間たちとサイコロ遊びに興じるの子供の無邪気な笑み。
防音の結界を張り、テントの中で泥のように眠る子供たちの静かな休息。
それらが同時展開している混沌は、毎日見ている俺からすれば、もう日常風景に過ぎないのだが、街の上役からすれば、度肝を抜かれるものだったようだ。
「最初は、どこの貴族のお遊びかと思った。善意や慈悲なんてものは、この世界じゃ絶滅危惧種だ。甘やかされて育ったクソ野郎が、テメェの自己満足のために、孤児っていう分かりやすい記号を持つガキどもを引き取って、適当に金や飯を与えてんだろうな、と思っていた。最善で、孤児院でも設立して、クソ真面目に経営してんだろうなぁ、と考えていたさ。でもよ、あれはいくら何でも無いだろ? 確かに、そうだ、ありゃ自己満足だ。ガキどもの事情なんざ知ったことじゃねぇとばかりに捕まえて、強制的に学ばせて、成長させて、敵意や殺意をものともせず、跳ね除けて」
遠い目をしながら、街の上役はぶつぶつ呟く。
「器が、ちげぇよ。なんだよ、あの馬鹿は。あれで、どこかの兵隊にするってわけでもねぇんだろ? 自分の一党に加えるでもなく、好き勝手に将来を選ばせて、生きていくための力を与えるんだろ? んだよ、そりゃあ」
結局、街の上役は最後までこちらに何かしらの文句を言ってくることはなかった。それよりも、シン先輩という馬鹿の存在に圧倒され、何も言えなくなって帰ってしまったのである。
「救いってのは、案外ああいう物なのかもな。荒々しくて、理不尽で、けれど、確かに根こそぎ奪うように掬い取っていきやがる」
シン先輩に連れられて、この場から転移する直前。
彼が皮肉交じりに残した言葉は、確かに俺がずっとシン先輩に感じていたものと共感していた。
最初、俺はシン先輩が孤児を無理やり拉致する時、当然のように難色を示した。
救うと口では言っているが、実際にやることはただの拉致。確かに、彼らに衣食住を無償で与えて、さらには高度なスキルや知識を無償で教えるという破格の条件ではあるものの、大抵の孤児たちは頷くであろうことも予想できたものの、それでも、何かしらの事情があったり、こちらが単純に気に食わなかった場合、申し出を受け入れられない可能性もあったのだ。
そして、申し出を受けない場合、この荒んだ世界観の中でも、さらに醜悪と最悪が煮詰まったスラム街で、子供たちが生き延びる目は非常に少ない。それを考慮すれば、安易に説得や選択肢を与えて選ばせるよりも、最初から強引に拉致した方が効率的だし、『零れ落ちる』者も存在しなくなる。
…………なにより、スラム街という環境で育った孤児たちの固定観念をぶち壊すのは、そちらの方が断然良かった。
「ね、ねぇ、お姉さん。助けてよ、僕を助けてよ!」
「くそが! 寄越せ、俺にそれを寄越しやがれ!」
「え、えへへへ、お姉さんってこういう趣味ある? よかったら、内緒で私を助けてくれないかな?」
さて、孤児という言葉のイメージから連想されるのは、『可哀そう』とかだったり、『憐れ』とか、人の憐憫を誘う物が多いと思う。けれど、実際のところ、孤児として育ってきた彼らは逞しい。ただし、極めて自己中心的で、自分の弱さすらも哀れみと油断を誘うのに使う程度には、強かなのである。
なので、最初の頃はよく、『甘そう』とのことで俺へのすり寄りが多かった。
「懲罰実行! 改心推奨!」
「ぎゃあ!? いったあぁ!? びりっとしたぁ!?」
「ごめ、ごめんなさいぃいいいいい!?」
「ぎゃく、虐待だぁ!? げぼっ!?」
最も、常に俺を監視しているメイドのミウが即座に子供たちへ、健康に害が出ない程度の懲罰を執行するので、そのようなことは数日経てばすぐに収まったが。
ついでに、この合宿場所での窃盗や脅迫行為などの、モラルが著しく損なわれる行為は、即座に結界のセンサーに引っかかって天罰術式での懲罰が行われるので、否応なしにでも品行方正に過ごさなければならない。
この合宿所はいわば、一種の管理社会となっているのだ。
独裁と言い換えてもいい。
シン先輩の判断が優先されて、子供たちに自由などはあまりなく、提示された目標をクリアするまでは決して、外に出すことはない。
「……悪徳を排するには、時に、理不尽なまでのリーダーシップが必要、か」
されど、正しき独裁者は時に、どうしようもないような灰色の悪意すら消し飛ばすのだと。
理不尽を持って、理不尽を覆すことはできるのだと。
俺はシン先輩の所業から学んだのだった。
●●●
現実世界で一週間。
合宿所で約一年近くも経てば、『卒業』する者もちらほら見えてきた。
「ひゃっはぁ! 山のヌシを単独討伐完了ぉ! これで卒業資格ゲットだぜぇ!」
「え? お前も山のヌシ討伐したの? 俺も昨日、討伐したんだけど?」
「量産型なの? 山のヌシ」
「大方、あのクソ教官あたりが量産してんだろ。俺らの個人ごとで、性能も全然違うらしいしな」
合宿所を卒業する条件はいくつかある。
まずは、『魔の山』に存在する――という体で作り上げた魔改造モンスター――山のヌシを単独で倒せるだけの武力を示すこと。
次に、合宿所で行われている最難関の卒業試験を突破すること。
他には、異界渡りというこちらの正体を看破して、異世界への移住を希望すること。正確にはそれを納得させるだけの理由を示して、こちらを説得すること。合宿所内で、何かしらの目立った結果を示すこと。
とにかく、きちんと外に出てもやっていくことができるという実力を目に見える形で示すことができれば、合宿所は卒業することができる。
「じゃあな、ミサキ。アンタには世話になったぜ。クソ教官は死ね」
「ばいばい、ミサキぃ! 他の世界であったら、今度は対等に遊ぼうね! あはは、クソ教官はさっさとくたばれ」
「ま、またね……また、会えるよね? あ、クソ教官とは二度と会わねぇから、絶対」
「ミサキー、次会ったときに借りていた漫画返すわー。あ、クソ教官殿は、これからもどうぞよろしく」
卒業していった子供たちの行く先は、千差万別。
この世界に残って、一旗揚げようとする者。
異世界に移住して、望む職業への就職活動を行う者。
さらなる知識や技術を求めて、シン先輩が運営する『学園』への進学を望む者。
――――多くの別れがあった。けれども、卒業する際、誰しも皆、俺に笑顔を向けて別れていった。シン先輩には、大部分の子供たちが親愛なる罵倒を叩きつけていたけど。
そして、現実世界で二週間。
合宿所の時間で二年ほど経たないぐらいに、最後の一人が卒業して、シン先輩は『孤児を全員引き取って、育て上げる』という約束を見事に果たして見せたのである。
「…………いいのか? シン先輩」
「ふむ、何がだね?」
「なんだかんだ憎まれてはいないだろうが、それでも、大部分のガキどもはアンタのことが嫌いだったと思うぞ? アンタが一番、あいつらのために骨を折っただろうに」
「はっはっは、それは違うな、ミサキ。俺は常に自己満足のために行動しているのだよ。だから、これでいい」
「そうか」
「ああ、そうだとも。未熟なる異界渡りに、人を育てることに関して示せたことだし」
「ん、まぁ、勉強にはなったさ」
全ての子供――生徒たちを送り出した後、俺とシン先輩は思い出話を語り合いながら、合宿所での短くない生活を振り返っていた。
様々なことがあった。
二百人超の子供たちと共に暮らせば、それなりに毎日がイベントだらけで退屈しなかった。
子供たちと交流していると、いつの間にか、荒んだ心がマシになっていた。
そして、二年間も同じ空間で顔を突き合わせていれば、シン先輩がどういう存在なのかも、その頃の俺は良く理解できていたと思う。
「はっはっは、そうか、それはよかった――――――では、次は君の番だな、ミサキ。安心するがいい、この俺がワンツーマンできっちりと鍛え上げてやろう、何があったとしても!」
「我が主、報告。ミサキ、逃走。ダミー、気配偽装」
「なるほど、先ほどまでのミサキは遠隔操作のダミーでとっくに逃げ出していると。ふむ、成長が著しくてとても素晴らしい! まぁ、逃がさないがね!」
そう、生徒たちの後に血反吐を吐くような地獄の特訓を受けるのは、この俺だと。
そんなわけで、俺が正式にシン先輩の弟子として活動するのは、七つの世界を股にかけた逃走劇の後だったりする。