第124話 情けは人の為ならず、と彼は笑った 1
異界渡りという仕事を始めた時、俺の心の大半を占めていた感情がある。
それは、期待ではない。
それは、歓喜ではない。
それは――――胸を焼き焦がすほどの、怒りだった。
「あははは、だって仕方ないじゃん。僕しか適格者が居ないんだからさぁ。え? 君? 君は駄目だよ、絶対に駄目。だって、神奈の場合は取り返しがつかないだろう? だから、取り返しがつく上に、とても有能なこの僕が仕方なくこの役割を引き受けているからさ。うん、いわゆる、後は任せたって奴だね」
大戦と呼ばれるほどの、壮絶な戦いは終わった。
討伐や無力化、もしくは追放、互いの利益を求める契約を結び、超越者による全ての脅威は取り除いたはずだったのである。
最後の最後、世界の行く末を決める決戦において、戦闘の余波で世界自体に大きなダメージが入らなければ。
「私の異能をもっても修復は不可能よ。新たなる管理者を戴かなければ、世界は修繕出来ない。そして、管理者の代役を担えるのは『絆』の異能を持つ彼以外、有り得ない。貴方? 馬鹿ね、貴方には契約があるでしょう? 契約を敗れは、あの道化師との殺し合いで今度こそ、世界が破滅するのよ? わかるでしょ? ねぇ、わかってよ」
気に食わない戦友は俺に、告げた。
もうこれしか方法が無いのだと。だからこそ、忌々しい。戦友が、では無く、何も出来ない自分自身の無力が。既に限界に近しい肉体が。仇敵の肉体を借り受けなければ、まともに世界を渡ることも出来ないの己の弱さが。
…………いいや、正直に言おう。綺麗に取り繕うのではなくて、正々堂々と白状しよう。実の所、俺は忌々しくは思わなくとも、怒りは抱いていた。
何もかもが、苛立たしく、気に食わなかった。
誰よりも奔放である癖に、誰よりも世界を救うことを躊躇わない親友も。
誰よりも泣きたい癖に、誰よりも気丈に振舞う戦友も。
けれど、やはり、一番腹立たしいのは己だった。
「待ってろ、待ってろよ、ハル! すぐに、ああ、すぐにでも難民問題なんざ解決してやる。そうすれば、俺はようやくゆっくり眠れるし、お前は気ままに一人旅を満喫できるんだ! そうだ、そうだとも、この俺は英雄だ。お前と同じく、英雄なんだ。だから、存分に期待して、待ってろ」
果たして、ホームの世界を最初に旅立つ時、親友に言った言葉は啖呵だったのか? それとも、負け惜しみのような、強がりだったのか。
あの時は様々な感情が混ざり過ぎていて、はっきりとは覚えていない。
ただ、怒りに満ちたまま異世界を渡っていたあの日々は、正直に言うと、何も面白くはなかった。面白いことなど、何も無かった。
「報酬を寄越せ。その報酬に見合う分だけ、戦ってやる」
異界渡りとして、俺が売りにしたのは戦闘力だった。
俺は、大戦を乗り越えた英雄であったが、逆に言えば、英雄でしか無かった。それ以外に異界渡りとして稼ぐ方法が分からなかったし、とにかく、つまらない依頼もたくさん受けた。
最低限のモラルとして、どうしようもない悪党の依頼だけは避けて。
自分が自分で居られない屑みたいな依頼だけは受け入れず。
ただ、野良犬のように戦っていた。
当時は相棒も無く。
借りものの肉体で。
荒んだ目を仮面で隠して。
世界を渡り続けて、戦うだけの日々だったのだ。
「見つけたぞ、気高き獣よ! さぁ、我が軍門に下るといい!」
「…………はぁ?」
ナルシストで、お節介焼きの異界渡りと出会うまでは。
●●●
[ろ:123番]世界で唯一存在する孤児院。
その孤児院に、似つかわしくない豪奢な軍服を纏ったイケメンがやってきている。要件はもちろん、この孤児院に所属している子供たちの将来について。
「はっはっは! 何も案ずることはないぞ、神父よ! 何せ、この俺は数多の世界の孤児を保護、収容し、その子の希望と適性をすり合わせて、適した世界への進学を行えるように取り計らうシステムを作り上げた超天才なのだからな! この俺が経営する『学園』は、多くの子供たちの未来を保証するものだ! 安心して委ねると良い!」
「…………ふむ、なるほど。確かに、これは本当ならばとても素晴らしい施設ですね」
テーブルに学園についての資料を広げ、軍服姿のイケメン――シン先輩と、胡散臭い笑みを浮かべる神父――シェムは子供たちの処遇について語り合っている。
この応接間には今、俺と彼らを含めた三人しか存在しない。
シン先輩は、当事者である子供たちの居る場所で、きちんと彼ら自身の目で自分を見極めて欲しいと思っているようだが、シェムはまだシン先輩を信用しきれていないので、まずは、何が合っても対応が可能な自身で面談を行っているらしい。
ん? オウルとかミウや、ミユキ、オウカなどの他の面子? 居ても喧しくなるだけなので、別室で子供たちの相手をさせているよ。奴らはこういうやり取りは向いていないからね。いや、オウカは辛うじて大丈夫だろうけど、悪い意味でシン先輩に影響されたらいけないし。
「ですが、大切な子供たちを預けるための施設です。疑うわけでは無いのですが、その素晴らしさを確認するために、視察に伺っても?」
「無論、構わんよ! 御身が子供たちを想う心に嘘はあるまい。それに、この孤児院の子供たちの教育レベルは総じて高い。下手な教育機関に入ることで、返って将来の可能性を狭めてしまうか心配なのだろう?」
「いえいえ、そんな滅相もありません。私の上司になるであろう、ミサキさんからご紹介された方が経営なさっている学園でしょう? ならば、レベルの高さは保証されているような物ですとも、ええ」
「ふふふ、ミサキの名前を出されたのならば、尚更自信をもって説明せねばな!」
シェムの方は朗らかに、けれど言葉の裏に含みを持たせて。
シン先輩の方は尊大に、けれど真っ直ぐな言葉で躊躇いなく。
…………うん、やっぱり二人の相性は悪くないみたいだな。
「やれ、どうやらこれで一安心できそうだ」
俺は二人の様子を眺めて、密かに安堵の息を吐いた。
シン先輩は異界渡りとして俺の先輩であり、なおかつ、頭がおかしいんじゃないか? と心配したくなるほどのお人好しである。
異界渡りという職業を続けていると、どうしても『孤児』や、どうしようもない理由で未来を閉されてしまった子供たちを見つけてしまう。例えるのなら、数多の国を渡り歩くジャーナリストが、どのようなスタイルでも少なからず、そういう子供たちを見つけてしまうように。
どれだけ裕福な世界だったとしても、探せば、そういう子供は居る。
荒廃した世界ならば、探さなくてもそういう子供たちが、うじゃうじゃ居る。
そして、大抵の異界渡りは自分の余裕の範疇でしか、そういう子供たちを手助けすることはない。無論、この俺も。
助けられる人の余裕は、財布の余裕の分だけ。
誰かを助けることを、自分の目的にはしたりしない。仮にそれが目的になることがあるとすれば、自分に利益があるか、たまたま自分が見逃せない子供のみ。
誰かの不幸や悲劇を丸ごと背負い、それを失くしてやろうなどとはまるで思わない。
――――このお人よし、シン・エルフォード・唐沢・ヴォルケーノ以外は。
「なるほど。シンさんの経営理念、学園の環境についてはよくわかりました」
「ふはははは! 存分に感心するがいいとも!」
「なので、最後の一つ。これだけは訊いておきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「うむ、どんとこい!」
「…………貴方は、何の目的でこのような慈善活動を行っているのですか? 何故、己の身銭を削ってまで、他者を救おうとするのです?」
「ほほう、それを俺に訊ねるかよ、神父。ならば、良い。耳をかっぽじってよく聞くがいい」
わざとらしく固く、冷たいトーンでのシェムの問い。今までの軟派な印象で油断していた物なら、思わず怖気づいてしまうような問いかけ。さながら、眼前に刃を突きつけるが如く。
だが、シン先輩の態度は変わらない。
例え、本物の刃を眼前に突きつけられようとも、変わらないだろう。
「それはずばり! 自分の気分が良いからだな! 誰かを救ったり、助けたりすると、俺は気分が良くなる! うむ、つまるところ俺にとって人助けとは、人生を賭けた趣味みたいな物だ」
「…………つまり、自分の欲望のために、自己満足のために誰かを助けていると?」
「そうだとも」
「助けを拒否されたことも、多いでしょうに。拒否したその人は見捨てるのですか?」
「拒否される理由を聞くぞ。納得が行けば尊重する。納得が行かなければ、無理やりにでも何とかしてみせる。その過程で殺されかけたことも多いが、まぁ、些細な問題だろうよ」
「貴方は、ええと、自分が善人だと思いますか?」
「ふっ、小さいなぁ、神父よ。この俺が善悪の範疇で捕われる存在だとでも? だが、強いて言うのであればこうだな! 自分が正しいと思うことを実行する俺は善人、いや、善人を超えた超善人だ! 俺が為すことは大体正しい!」
「では、その、もしも間違えた時はどうするのです?」
「頭を下げて、謝るぞ。謝っても取り返しのつかないことなら、とても後悔する。後悔して、反省して、次からは間違えないように気を付ける。当たり前だろう?」
「………………なる、ほど」
何故なら、シン先輩は馬鹿だからだ。
愚直なほどの、馬鹿だからだ。
だから、躊躇わない。誰かを救うことを。
だから、間違わない。その時の自分の最善を。間違ってしまう事すらも、糧にして前に進む馬鹿であるから。
でも、それ故に、シン先輩は己の芯を揺るがさない。
人助けこそ己の享楽という、傲慢で尊大で、とても優しい信条を曲げない。
「わかりました、シンさん」
そんなシン先輩であるからこそ、この胡散臭い神父でさえも、毒気を抜かれたような表情になってしまったのだろうさ。
「一先ずは、貴方を信用してやり取りするとしましょう」
「おお、存分に信用すると良いぞ! 俺は多分、裏切らないからな!」
「そこは絶対じゃないんですね」
「出会ったばかりの相手に、絶対など保証されても疑わしいだけだろう?」
「まぁ、そりゃそうですけどね」
微妙な表情をするシェムと、自信満々の笑みを浮かべるシン先輩のやり取りを眺めて、俺は思わず苦笑する。
二人のやり取りは不思議と、俺とシン先輩が出会った時のそれに似ていたから。