第120話 モラトリアムは霧の中 15
「残念ですが、私は貴方の要求に答えることは出来ません」
この世界の神様を惑わし、捕らえた時、私は真っ先に小夜子の事を願った。
小夜子を助けて欲しいと。
神様だったらきっと、小夜子がもしも致命傷を負っていたとしても、凄い力で何かこう、ふわっと助けてくれると思ったのである。
けれど、そんな私の願いに対して、神様の答えは素っ気なかった。
「私は管理者として、個人単位で人類に干渉することを禁じています。なので、例え貴方がこの世界を滅ぼす結果になろうとも、私は貴方個人のために、管理者としての力を使うことは絶対に無いでしょう」
なんて融通の効かない神様なのだと思った。
明らかに、私の願いを聞いた方が合理的だ。ここで意地や主義を貫き通して、結果、私みたいな超越者の手に落ちるなんて、本末転倒じゃないか。
これには霧の悪魔も、ドン引きを通り越して真顔になっていた。まるで、十三連勤後の休暇に、突然、休日出勤の予定を入れられた父さんみたいな顔をしていた。
だから、私は仕方なく、神様を私と近しい立場に配役して、ずっと惑わし続けてきた。
担任の教師として、私が微睡んでいる間、私を導く役割を与えたのである。
合法ロリの姿は私の趣味だ。
もっとも、神様を完全に封じ切れるとは思っていなかったので、一応、常に霧の悪魔と私は共にあるようにした。親友という立場で、高原祈里という名前を与えて。
「では、今日の授業を始めましょう」
けれど、私たちの予想に反して、神様は私の与えた配役に忠実だったと思う。
私と祈里が拍子抜けするほどに、教師としての役割を逸脱しない。
仮に、世界の危機が目の前で起こっても、何もせずに見逃していた。ただ、教師としての役割にのみ、殉じていた。
だから私たちは、『ひょっとしたら、完全に管理者を掌握しているかもしれない』と思って、何回目かの繰り返しの時に、『私の友達を助けてください』と願ったことがある。制約上、その周回を全て破棄して、小夜子に会える機会も捨てて。
私は、願い、命じたことがある。
「それは、貴方自身がやるべきことでしょう、桐生結実」
神様の答えは、皆森先生の答えは、相変わらず、素っ気なかった。
「このモラトリアムの先に、貴方が為すべきことです。それを、他人に任せるのは感心しません。例え、この私が貴方が言う所の神様だったとしても」
素っ気なく、でも、何よりも正しい答えだったと思う。
だって、結局のところ、私がやりたいことも、やらなきゃいけないことも、それだけだったんだから。
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――――ガガガガガガガガォン!
空間が破壊される音が、幾度も響く。
それは、決してミサキからは視界が通らないはずの濃霧の中でも、正確に祈里を狙い、確実にこちらへダメージを与えてくる攻撃だ。
「あははははは! 前回苦労したんだから、霧対策はしているに決まっているだろうが!」
《対象の魂にマーキング済みです。これで、千里の距離を隔てようとも、幻惑の霧でこちらを狂わせようとも、逃れることは出来ません》
「はっはー! 俺の相棒が優秀過ぎて、困っちゃうぜぇ!」
美しくも、悪辣な声が霧の中から聞こえて来た。
あれが、あんなに可愛かったミサキの声かと思うと、涙を流したくなる気持ちだけれど、同時に、成長したミサキの姿も超絶美人で滾る、という想いもあるから困る。おのれ、こんな状況でなければ、土下座してローアングルを堪能しつつ、踏んでもらうのに!
「結実、変態な妄想をしていないで私をさっさと援護! アンタの補助が無ければ、はっきり言って、私単独であいつに勝つのはむぼぎょ」
「うわぁああああ!? 祈里の頭がガォン! ってぇ!?」
『ふぅううう、死ぬかと思ったわ、マジで』
「死んでなかったの!? むしろ、どこから声を出しているの、それ!? 顔があった部分が、全部霧になっているけど」
『前に言ったでしょ? 私のこの姿はあくまでも仮初。本体はこの惑星全てに拡散させている霧自体なんだって。だから、直接的な攻撃で死ぬことはまず、無いわ。というか、貴方が一瞬、死んだと錯覚した所為で、この夢の世界で本当に死にそうになったけれどね?』
「え、ごめん」
『もっと真剣に謝りなさ――――あ、やばいやばい、なんか世界各地に散らばせた私の霧が、一斉に晴らされ始めているわ。んんんー、現地民の抵抗がやばーい、放っておくとマジで死ぬかも』
「うわぁああああ! 大ピンチだぁ!?」
私たちは霧の街の中を、必死で逃げ回る。
必死に色んなイメージを描いて、ミサキを捕らえようとするけれど、全部は無駄。どうやら、私は心のどこかで『ミサキなら何でもやってきそうだ』と思ってしまっているらしい。その所為で、私が夢の中で創り上げた何もかもが、ミサキには通用しない。
「無駄無駄無駄ァ! そんな気合いの入ってない干渉で、俺は揺るがない!」
ミサキの哄笑が響く中、確実に、祈里の力は削られて行って…………このままだと、本当に負けちゃう?
もう、小夜子と会えなくなっちゃうの?
――――そんなのは、嫌だ。
『ふふふ、そうよ、結実。貴方の力は意志の力。そして、ここは貴方が造り上げた悪夢の世界。貴方が望む限り、貴方は誰にも負けない。負けられない。さぁ、超越者としての権能を思う存分、振いなさい。そう、世界を喰らう『原初の悪意』の因子を持つ、貴方の力を!』
「あ、あああああああああああああああああぁあああっ!!」
私は覚悟した。
私は決意した。
この夢の世界の維持を、街の中だけに留めて、違和感も、矛盾も全て許容して、管理者の開放や、後々に現地民による反撃を受けるとしても。
今、この時を凌がなければ、話にならない。
――――いや、違う。今まで、少なくない数の異界渡りが、私の世界にやって来た。でも、その全ては私の権能に抗えず、夢の中で微睡んだ。でも、ミサキだけは夢の中でも、私と対等以上に渡り合おうとしている。
脅威だ、間違いなく。
だから、私は無傷で勝とうなんて思わない。
「祈里ぃ! 私の精神に、多元世界の中で、最も世界を滅ぼした恐ろしき怪物の姿を投影! 私は、いや、私がそれに成る!」
『無茶をやるわね。でも、いいわ。親友として、共犯者として見届けてあげる』
次の瞬間、私の脳髄に刻まれたのは滅びの記憶だった。
――黒い人型。
――無数の牙を持つ者。
――翼はボロボロの蝙蝠の如く。
――飢餓の赴くまま、全てを食らう絶対者。
「がぁ、あああああああああああああああっ!!」
絶叫と共に、私の肉体が変化する。
それは、巨大な影法師に見えたかもしれない。まるで、遠近法を間違えた絵の如く巨大で、なおかつ、全てを喰らう黒色の人型だった。人型でありながら、体の至る部分を瞬時に牙ある物へと変化させ、あらゆる物を喰らう化物。
世界を喰らう、終末の獣。
きっと、悪魔という言葉が似合う姿に、私は成っているだろう。
【「ミサキぃいいいいいいいいいっ!!」】
お腹空いた、お腹空いた、食べたい、食べたい食べる喰う、全部、全部ぅ!
あ、ああ、理性が、もたな、あああ、あああああああっ! で、でも、私は、小夜子を、小夜子を守るために、抗って!!! 私はぁ!!!
【「ガァアアアアアアアアアッ!!!」】
ミニチュアのような街を砕く。
あらゆる物体を噛み砕いて、飲み下す。
ああ、それはなんて気分が良いことなんだろう!?
『…………あー、やっぱり、こうなったのね』
「お前は本当に余計な事しかしないな、悪魔。こうなることは分かっていた癖に」
『でしょうね、でも、私は止められないし、止めようとも思わない。人を破滅へと導くの私たち悪魔の役割だもの』
「その割には、色々と隙が多いな。つーか、俺達の行動をよくもまぁ、見逃したもんだ」
『ふふ、結局、私はどちらでもいいのよ。結実が破滅するのなら、悪魔としての私は嬉しい。喝采してその結末を受け入れましょう。けれど、高原祈里としての私ならば、そうね。共犯者を裏切るというのも、悪くないわ』
「お前が元凶の癖に、何をカッコいい台詞を言ってんだよ?」
『ふ、ふふふふ、元凶の元凶はどちらかと言えば――――いえ、後にしましょう。折角、やり易くなったのだから。全てが覚める前に、終わらせてくれる?』
「ちっ。後で絶対、生まれてきたことを後悔させてやるから覚悟しろ」
あらゆる足掻きを踏み潰す快感。
世界を喰らう甘美な味。
私の内部に植え付けられていた何かが、私の中で芽吹こうとしていた。
このままだと、私は完全に全てを喰らう化物になっていただろう。
大切なことも忘れて、自分の愚かさによって、何もかもを失って破滅していたかもしれない。
「オウルっ! 音量最大拡散っ! 世界にロックンロールを響かせろぉ!」
《了解。権能の応用により、この街全てに音楽を響かせましょう》
永劫を砕く、あの音楽が聞こえてこなければ。