第119話 モラトリアムは霧の中 14
「どうして?」
私は覚醒した。
だが、疑問は尽きない。
超越者と言っても、万能の存在ではない。むしろ、それは管理者の方だ。私は、万能を覆す特化型。だから、一つの事以外は無能に近しい。
それでも、私はちゃんとやっていたはずなのに。
「どうして、私の権能から抜け出せたの? ねぇ、異界渡りのミサキ?」
「さて、どうしてだと思う?」
私はミサキの手を振り払い、確かな敵意を持ってミサキを睨みつける。
だが、ミサキは飄々とした様子で肩を竦めるのみ。
…………私は知っている。
異界渡りのミサキ。
彼女――――否、彼が、数多の世界を股にかけて旅をして来た歴戦の異界渡りであることを、悪魔から教えられている。
私と同類、超越者すら殺せる異能の持ち主であることも、知っている。
そして、その異能と私の権能の相性はとても良く、良すぎるぐらいに噛み合っていて、まともに戦えば私が勝つことも、ミサキが現在、私の権能の影響下であることも、知っているんだ。現に、ミサキは私が課した童女の姿から元に戻れていない。
大丈夫、大丈夫だ、まだ、私が圧倒的に有利。
「記憶は完全に戻ったの? 封印した相方とは会えたの? それとも、あの時、私を殺さなかったことを今更になって後悔――」
「藤崎小夜子に会いに行かないのか?」
言葉が止まった。
強いとか、弱いとか、そういうこと以前に、ミサキが完全に私の急所を理解していることが、存外ショックだったらしい。
「霧の悪魔の制約で、そうなっているんだろう? あいつらは大概、悪趣味だからな。いや、悪趣味な行動しか出来ない、と言い換えても良いか。どうせ、この繰り返す夢の中で、アンタが正気を保ったまま、藤崎小夜子に会えるのは『最終日』だけ、みたいな条件があるんだろう? しかも、毎回のループで藤崎小夜子は倒すべき敵役を担わされている。まったく、本来、誰よりも味方しなければならない相手を、敵対者として定めるなんざ、腐っても悪魔ってところかね? あるいは、そういう条件付けでもしなけば、なりたての超越者をフォローできなかったのかもな?」
だ、駄目だ、駄目だ駄目だぁ!
ミサキが軽妙な語り口で、私の事情を刃の如く抉り出していく。
いつの間に、私の事を調べたんだ? そんな暇はなかったはず。
「う、うううっ……」
この街の中に――私の夢の中に――入ってきた時、私は意識を覚醒させて、悪魔と共にミサキを迎え撃った。ミサキはとても強敵だったけれど、悪魔が私に対する攻撃を全部肩代わりして、ボロボロになったおかげで、なんとか私の影響下に置くことが出来た。
肉体を変化させて、意識を曖昧にして、役柄も『黄昏教団の巫女』としてきちんと割り当てして、夢の中に取り込めたはずだったんだよ、そもそも!
なのに、夢に取り込まれてもミサキは恐るべき気合いで意識を保って、私を殺しに来たのはとても驚いた。絶好の機会なのに、私を殺そうとしなかったと同じぐらい驚いた。
だから、本当は推奨できない行動だったけど、無意識下で覚めている私が、微睡んでいる私を動かして、キスをした。直接触れ合い、唇を重ねるという行為を経ることで、私に近しい立場の配役にして、完全に記憶を曇らせていたはずだったのに。
「――――動くなぁ!!」
「おおっ」
私は歯を食いしばって、迷いを断ち切る。
ここで躊躇っていたら、駄目だ。どんな原因でミサキが記憶を取り戻したとしても、私はこの『夢』を辞めるわけにはいかない。そして、ここが私の支配する夢の中である以上、ミサキは碌に抵抗も出来ないはず。
そうだ、現に、私が想像……もとい、創造した鎖に縛られて動けなくなっているじゃん。
「強く、信じろ。あれは絶対に壊れない。あれで縛ったら、動けなくなる。抵抗も出来なくなる、そういう凄い鎖なんだ」
ミサキを拘束した私は、強く、強く、鎖が千切れず、ミサキの動きを止める姿をイメージする。意志を注ぎ込む。私が強く信じる限り、この夢の中ではそれが現実となる。だけど、私が揺らいでしまうと、その強度も揺らぐ。
逆に言えば、揺らがない限り、私は夢の中では最強だ。
「む、矛盾を超える刃をここに!」
「ほうほう」
強く、強く、なんでも切り裂けるナイフを手元に。
…………ほ、包丁が出て出て来たんですけど! そういえば私、ちゃんとしたナイフを実物で視たことないや、おのれ。自分の貧困な想像力ぅ……で、でも大丈夫だから! 姿形はホームセンターで売ってそうな包丁だけど、威力はまさに、どんな防御も切り裂く無類の刃。
さぁ、これで、ミサキを…………み、ミサキを、刺すの? 殺すの? 直接?
「ひ、ふ、ふぅううううっ! ふぅうううううううう!!」
呼吸が荒い。切っ先が定まらない。手が震える。胃が痛い。
クソ、どうして? どうして、どうしてだよ? 今まで、夢の中でたくさんの人を死なせて来たじゃないか。悪魔と契約して、ひどい事を散々見逃して来た。
なのに、今、どうして、この包丁をミサキに突き刺すっていう、とても簡単なことが、私には出来ないんだ?
「アンタには無理だよ、結実姉さん」
「ふ、ふっ、そ、そんなのっ!」
「だって、アンタは優しいからな。少なくとも、短くない時を共に過ごした居候を殺せるほど、アンタの心は鉄で出来ていないし、腐っても居ない」
鎖に縛られ、どんな防御も貫く刃を向けられているのに、ミサキの余裕は崩れない。それとも、狐面の下では焦っているのだろうか? これは、必死の演技?
――――いや、ミサキなら、私が知っているミサキなら、どんな時でも笑って、平然と困難を踏み砕いて見せるだろう。
「……認めるよ、ミサキ。確かに、確かに、私には貴方を殺せない。だったら、だったら! 殺せる奴を呼べばいい!」
だから、私は禁じ手を使う。
ここまで覚めてしまったら、『残り時間』もヤバいけど、このままミサキを放置しておくことの方がリスクが高いと判断した。
だから、私は悪魔を呼ぶ。
「来い、祈里ぃいいいいいいいいっ!!」
親友の皮を被った、否、親友というポジションを埋めるために擬態した、霧の悪魔を呼び出すことにした。
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「それしか、方法が無いのね?」
『少なくとも、私からはそれしか教えられない。そういう存在なんだ、私は。人を苦しめるようにしか出来ていない。だから、貴方に教えられるのは、『全員を不幸にする方法』だけ。全部を全部不幸にして、死を先延ばしにしましょう。多分、貴方は多くから恨まれると思うし、肝心の親友ちゃんから複雑な想いを抱かれるかもしれないけど。それでも、私から提供する延命方法はそれしかない』
「…………わかった、契約しよう、悪魔」
『本当にいいの? 絶対後悔するよ、絶対に』
「構わない」
『何度も言うけど、私は悪魔。この災厄をもたらして、貴方に捕まって、仕方なく契約しているだけの存在。そんな奴に頼るだなんて間違っている。ひょっとしたら、もっと、素敵な提案をしてくれる人が現れるかもしれない』
「だけど、夢を解除すれば、その時、私はシュレーディンガーの箱を開けなければならない。小夜子が生きているのか、死んでいるのか、判断しなければならない。そうでしょ? だったら、私は確実に延命できる方法を選ぶ。例え、それがとんでもない悪手だったとしても。私は、万が一にでも小夜子を失いたくない」
『ああ、そう。んじゃあ、これからよろしく、結実。私の契約者にして、愚かなる人』
「うん、よろしく。憎たらしい悪魔。私の、共犯者」
●●●
「まったく、悪魔使いが荒いわよね。かつての我が主に匹敵するわ。ねぇ、貴方もそう思わない? 我が主を殺した、超越者殺しさん?」
「お? なになに、お礼? だったら、この状況をどうにかして欲しいなぁ。こうやって押し倒されるのは趣味じゃない」
「あっはっは、総受けっぽい魂の色している癖に」
「どんな魂の色だよ、おい!」
高原祈里。
それが、夢の中で悪魔に与えた配役だ。
役柄は親友。私と共に在り、常に、私の近しい場所で、契約者として私を守る悪魔。だからこそ、私が一つ声を上げれば、直ぐに祈里(悪魔)はやってくる。
事実、祈里の行動は早かった。
霧と共に現れた祈里は、私の躊躇いなど知ったとばかりに、私から包丁を奪って、そのままミサキを刺し殺そうとしたのである。
そう、刺し殺そうとして――――止められたのだ、鎖を引きちぎった、ミサキによって。
「ちょっと、結実。捕まえていたんじゃなかったの?」
「え、あ、その、ごめん! 思いっきり、頑丈にしていたつもりだったんだけど!」
「本当に気を付けてよね! じゃないと……ほら、もう、容赦ない」
「いえぇええええい! 死ね!」
「死なないわよ、バーカ!」
私の目では追いつけない体術の応酬の果てに、ミサキが包丁を奪い去って、祈里の横っ腹に突き刺した。でも、それは私が造り出した刃。例え、突き刺したとしても祈里にダメージはハイあらない……と思ってたのに、え? なんで、祈里、血が流れ、て?
「ああもう、放心してるぅ! 我が契約者ってば実践経験が皆無だから! 処女だから! こういう事には弱いの! もっと手加減してあげてよ、ミサキ君!」
「ははははは! 前とは違って、死にやすい形をしているなぁ、霧の悪魔ぁ!」
「力の大半を奪って、幼女化させてもこれか! 本当に嫌になるわ……でも、まだ、私の方が強い!」
ずがん、と私の部屋の一部ごと、ミサキが外に吹っ飛んでいく。
見ると、祈里の右腕が異形化していて、巨大な化物の一部を底に移植したみたいになっている。あれはキモいからやめてと言ってたけど、今は緊急事態だから仕方ない、か。
「……やった?」
「やっているわけがないでしょう。ほら、さっさと立ち上がる――――どうやら、あちらに援軍が来たみたいよ?」
呆れるような祈里の声。
祈りが指差すその先には、濃霧を切り裂いて飛ぶ、一羽の姿が。
オウルが、祈里が吹き飛ばした瓦礫の中に降り立って。
「休暇は楽しかったか?」
《ええ、とても充実していましたよ? 貴方の隣が恋しくなる程度には》
「ははは、そりゃよかった」
次の瞬間、キィン、という小気味良い金属音と共に、天使が現れた。
私たちの眼前に。
ありとあらゆる障害を無視して。
狐の仮面を被り、黒のショートヘアを風に靡かせて。
若草色のオーバーコートを纏い、背中には、黒いガラス片を繋ぎ合わせて作ったような硬質的な三対の翼を背負って。
「さぁて、リターンマッチだ」
異界渡りのミサキは、私たちの前に立ちふさがる。
封じたはずの、本来の姿で。