第118話 モラトリアムは霧の中 13
藤崎小夜子。
私の学校の後輩。
高校一年生で、この春に入学した女の子。
成績は優秀。運動神経も悪くない。ただ、何が悪いかと言うと、機嫌が悪い。そう、性格が悪いというよりは、あれは機嫌が悪いのだと思う。常に、小夜子は不機嫌な猫みたいな行動で、周りから孤立していたから。
「は? なんですか、いきなり。先輩だからって、気安く話しかけないでください」
最初はそりゃあ、ひどかったと思う。
何せ、自主的に距離を取るために敬語を使っていたからね、あの子。
体全体から、不機嫌なオーラを漂わせていたもん。なんというか、背景に『私と関わるな』という文字が浮かび上がっているみたいで、露骨過ぎて笑えた。
そんなんだから、小夜子は同じクラスで……いいや、同学年で友達が居ない。皆無だ。むしろ、本人が必要ないとすら思っている。
後から、小夜子本人に聞いた話だと、白髪という珍しい外見で、周囲からは奇異の視線で視られて、ひどい時だと苛めに発展したこともあったのだとか。もっとも、いじめの発展した場合は、小夜子本人がいじめの実行犯を半殺しにして格の違いを分からせてやったから、被害がどうこうは無かったらしいのだけれども、ともかく、小夜子は自分が周囲に馴染む必要も無いし、馴染めるわけもないと思って生きていたんだ。
そんな彼女と、私が友達になれた理由は簡単。
――――そう、小夜子の外見や言動が、私の奇妙な萌えポイントというか、性癖にストライクしていたからである。
「小夜子ちゃん、今日は何を読んでいるの?」
「気安く話しかけないでください」
「小夜子、推理小説とか読むんだ」
「…………」
「実は、その探偵の助手が――」
「ネタバレしようとすんなぁ!」
小夜子との出会いは、特に運命的な物は何もなくとても平凡な物だった。
簡単に言ってしまえば、私と小夜子は同じ部活、文芸部に所属していたのだ。小夜子も私も、同じく幽霊部員だけれど、小夜子は私よりも熱心な読書家で、文芸部の部室で、よく持ちこみの本を読んでいたりした。
小夜子は性格に似合わず、とても可愛らしい外見をしているので、入部当初は文芸部の男子や、他の部活の男子などが声を掛けることもあったのだが、あまりに辛辣な塩対応で、思春期の男子の繊細なハートは次々と折られていった。
女子はもう、当然の如く、小夜子の態度が気に食わないとばかりに近寄らない。一年生の内、気の強い女の子は同調圧力をかけに行こうとしたけれど、無言のボディーブローに打ちのめされて以来、誰も小夜子に関わろうとすることは無くなっていた。
この、私以外は。
「小夜子、今日は一緒に帰らない?」
「一人で帰れ。というか、友達居ないの?」
「居るよ、小夜子と違って!」
「うざい」
「でも、今は小夜子と一緒に帰りたい気分なの、駄目かな?」
「死ね」
「わぁい、『もう、馬鹿馬鹿! そんな恥ずかしいことを言うなぁ、死ね! でも、いいよ! 一緒に帰ろう!』なんて、シャイだなぁ、小夜子は」
「なんで二文字の言葉から、誇大妄想を繰り広げるの? この人は」
どれだけ、小夜子から罵倒を受けようとも私は全然気にしない。
むしろ、性癖的にご褒美みたいな物だったので、当時の小夜子からすれば、攻撃を受ければ受けるほど体力が回復する謎の先輩扱いだったのかもしれない。
「小夜子、何時もコンビニご飯とか、菓子パンだけじゃ健康に悪いよ! お弁当作って来たから、一緒に食べよう?」
「うざい。というか、なんなんだよ、アンタ。何の目的で、私に絡む?」
「いや、普通に小夜子と仲良くなりたくて」
「…………はっ。わざとらしい答えじゃない。んじゃあ、私の足を舐めたら、仲良くなってあげてもいいって言ったら、アンタは舐めるの? 言っておくけど、アンタの事情なんて私は知らないし、まったく仲良くなるつもりなんて――」
「じゅるり」
「え、ちょ、やめ、やめなさい! 涎を垂らしながら、私の靴を脱がそうと……靴下に手をかけるなぁ! なんなのよ、もう!」
時々、理解しがたい思考の謎生物を見る目を向けられていた気もするけれど、多分、勘違いだろう。
そんなわけで、小夜子の罵倒で毎日リフレッシュしながら過ごしていたら、段々と小夜子の方が折れて来て、一か月も経つ頃には普通の友人関係にまで発展していた。
これに関しては、特別なイベントがあったわけじゃない。
漫画やアニメみたいに、劇的に関係性を進める何かなんて中々現実には存在しない。
だけど、毎日誠実に向き合って付き合っていけば、よほど致命的に相性が悪く無ければ、大体仲良くなれるものらしい。私はそれを、小夜子との関係性で証明した。
「おはよー、小夜子! はい、今日のお弁当」
「…………あの、なんでひつまぶし? しかも、きっちり出汁を魔法瓶に入れて、保温しているし。お弁当箱とは別に茶碗を手渡しされるし」
「何度も試行錯誤を重ねた結果、それが一番美味しいスタイルだと分かった」
「なんでこの先輩は、弁当作りに奇策で挑むような真似をしているんだか……まぁ、美味しいから、別にいいけど」
ああ、でも恋愛ゲームとかその手の類は意外と真理を突いているかも?
誰かと関係を深めたいのなら、まずは、その人の事を良く理解すること。その人のために時間を取れるように、自分のスケジュールを組むこと。プレゼントは、ある程度仲良くなってから、行うこと。選択肢を間違えないこと。あくまでも、自分の為に動くこと。間違っても、『仲良くなってあげよう』なんて上から目線で接したところで、深い関係性を築けるわけがない。
「小夜子、その、ええと、一緒に帰ろう?」
「なんでこの人は、初期の時よりも、仲良くなってからの方が躊躇っているの?」
「最初から望みが薄いところに挑むよりも、勝機が充分ある時に断られるのが、ダメージ大きいからに決まっているでしょ! 後、罵倒されながらツンツンされるのは良いけど、仲良くなってから断られるのは普通に泣く!」
「はいはい。別に、桐生先輩を泣かせる予定は無いっての…………それで、帰りにその、駅近くの図書館に寄って行かない?」
「うん! 行こう、行こう!」
大体、一か月ぐらいかけて私は小夜子と友達になった。
小夜子は当初、純粋に私を迷惑そうに追い払っていたが、何度も会って、挨拶を交わすところから、ちょっと強引に隣に座って一緒に読書をしたりなど、交流を重ねていくにつれて、少しずつ心を開いてくれていたのである。
ただ、友達になってからも小夜子とはひと悶着があった。
それは、小夜子の両親の問題。
「…………うちの両親の事、薄々噂で聞いているでしょ? 頭おかしいのよ、あの人達。魔術とか、悪魔召喚とか、馬鹿馬鹿しい。桐生先輩も、無理して私に関わらない方が良いから」
小夜子の両親は控えめに言っても、頭がおかしかった。
本気でオカルトに傾倒していて、趣味として認められる範囲を完全に逸脱していた。なぜならば、小夜子の両親は、小夜子が入学するほんの少し前から、仕事さえも辞めて、オカルトの研究に没頭していたらしい。
それまでは、一般家庭のサラリーマンと主婦という、ごく普通の家庭で、娘の容姿が隔世遺伝でちょっと変わっている以外はこれと言って問題は無かったのだとか。
けれど、何がきっかけか不明であるが、ある日を境に、両親は『何者かに憑りつかれた』ように行動がおかしくなってしまった。
ご近所付き合いや、仕事上の付き合いなど……果てには娘との関係性すら断ち切るように、自室に籠ってオカルトの研究。娘である小夜子が唯一顔を合わせるのは、両親がトイレや入浴の為に部屋から出てくる時のみ。
明らかに、何かがおかしかった。
そして、小夜子はそのおかしい何かに、私を巻き込みたくなかったのだろう。仲良くなった私を、あえて遠ざけるような言動をするようになってしまった。
「わ、わかった、わかった、もう、わざと嫌われようとするようなことは言わない! 言わないから、スカートから手を離して! へそを重点的に撫でようとしないで! この変態っ!」
ただ、私は小夜子と離れたくなかったので、多少強引な手段を使って小夜子と一緒に居られるように説得した。
この頃からかもしれない、私が将来について真面目に考えるようになったのは。
小夜子は明らかに、ネグレクトの被害を受けている。でも、直接暴力を振われたわけじゃないので、被害届は出しづらい。小夜子も、両親がまともだった時の方が長いので、警察やそういう施設に連絡するのを躊躇っていた。
だけど、小夜子は生活費を渡されておらず、自分の口座から貯金を引き出して何とか生活費を賄っているという状況だったので、いつまでも躊躇ってなど居られなかった。
私は、どうすれば将来、一緒に小夜子と共に居られるかを考えていた。
お金の問題を解決するために、少しでも何かの手助けになればと、バイトを始めようかとも考えた。小夜子も、一緒にバイトをやると言ってくれた。
でも、それよりもまずは、ネグレクトの問題をどうにかしなければならない。最悪、小夜子が両親から離れることになった場合、私はどのように両親を説得して、小夜子を自宅に住まわせるかなど、色々と準備を整えていた。
最終目標は、色々な問題が全部解決して、小夜子と一緒にどこかのアパートで暮らすこと。
大学はお金がかかるから行かない。
それよりも、資格をたくさん取って、労働条件が良い場所に就職して、お給金がそんなに多くなくてもいいから、二人一緒のささやかな平穏を過ごせれば、それで。
小夜子を色んなしがらみから、開放してあげられれば、それでよかったんだ。
「ねぇ、桐生先輩…………私と一緒に、遠くまで逃げてくれる?」
準備を重ねている内に、手遅れになってしまった。
まるで、出来の悪い喜劇でも観ているみたいな感覚だったと思う。まさか、小夜子の両親が、オカルト研究の末に、『本物』に辿り着くことになってしまうなんて。
私と小夜子は、嫌な予感から逃げるように、二人きりで逃げ出した。駆け落ちみたいに。
快速の新幹線に乗って、遠く、遠く、出来るだけ遠くへ。
『■■■■ッ―――■■■■■!!!』
逃げ切れなかった。
衝撃と、ブレーキ音。
空を割るような、化物の絶叫。
前すら見えない濃霧。
血濡れらた座席…………その席に座っていたのは、小夜子。
彼女の白い髪は、鮮血に濡れて。
温かい彼女の体温はどんどんと、薄れていって。
だから、だから、私は【これは夢なのだ】と、強く現実逃避をしてしまった。
――――現実を、夢の中に閉じ込めてしまうほど、強く。
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「ああ、覚めちゃった」
こうして、私は目を覚ます。
ようやく、私は覚醒する。
悪夢を司る超越者、桐生結実として。