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第114話 モラトリアムは霧の中 9

 夢を見ていた。

 ずっと、霧の中を歩いていく夢。

 そこは見慣れた街並みのはずなのに、私以外誰一人も居ない。まるで、世界が終わったみたいに、静かな街の中を、私は歩いていく。

 歩いて、歩いて、ずっと歩いていくと、私の足音以外に誰かの声が聞こえて来た。


『そっちは止めておいた方がいいんじゃない? 思い出さなくてもいいことよ? 忘れていた方が、楽しく過ごせるよ?』


 私は誰かの声に対して、「それでも」と答える。

 楽しくても、何も辛いことが無かったとしても、ずっと『眠っている』わけにはいかないと思うから。

 私は、一歩踏み出す。


『あーあ、なんで人の親切を素直に受け取らないんだか。ま、私としては、どちらでもいいのだけれどね? 貴方が楽しもうとも、苦しもうとも。貴方と共にあることこそが、私の契約なのだから』


 愚かしい者に呆れるような声。

 愚かしい者を愛しいと思う声。

 その声を背に受けて、私は霧の向こう側へと足を踏み入れた。


「ねぇ、桐生先輩。どうして、貴方は私に優しくしてくれるの?」


 霧を抜けた先にあったのは、学校だった。

 私が通っている高校。

 楽しいはずの日常がある場所。


「桐生先輩、もう私に近づかない方が良いよ? ほら、私の両親っておかしいから。だから、仕方ないの、これは」


 声が、声が聞こえる。

 忘れていたはずの、声が。


「…………ねぇ、同情なの? 可哀そうな私を助けて、自分の中を偽善で満たしているの? 言っておくけど、そんな情けなんて私は要らな――――あ、ごめんなさい、はい。やめて、ねぇ、やめて。気持ちを示すとか言って、私のスカートに手をかけてないで、ごめんなさい。お互いそういう趣味じゃないと信じさせてください、お願いします」


 文芸部の部室。

 そこで、懐かしい記憶を見た。

 私はそこで、放っておけない誰かと共に日常を過ごしたと思う。周囲からの奇異の目を避けるように、誰の視線も無い場所を探して、毎日彷徨っていた。

 さながら、安住の土地を探す放浪者みたいに。


「馬鹿みたいでしょ? 魔術師なんて。悪魔崇拝なんて。おかしいでしょ? いや、ガチでおかしいの。ある日を境に、会社を辞めちゃって。それでずっと、変な研究をしているの。悪魔を召喚するとか、しかも、それを動画配信するんだって」


 風景が切り替わる。

 学校じゃなくて、駅前のファミレス。

 テーブルの上にあるのは、山盛りフライドポテト。お金があんまり無いから、二人でそれを頼んで、分け合って食べていた。流石にそれ一つだけで時間を粘るのは申し訳ないから、二人してドリンクバーも頼んでいたけれど。


「桐生先輩。そういえば、私、普通にタメ口だけれど、いいの? 敬語とか使わなくて。え? むしろ、それがいい? 後輩から気安くタメ口を使われるのがいいの? ふ、ふぅん、そうなんだー……あの、それって私と仲良くなりたいってことよね? 純粋な友情……ふぇ、親愛? 踏まれても良い? や、やめてよ、時々変態になるの……」


 あの子は、どんな顔をしていたっけ?

 多分、生意気で可愛らしい顔。

 あの子は、どんな髪をしていたっけ?

 多分、現代日本では珍しい白髪。

 あの子は、どんな目をしていたっけ?

 多分、琥珀に似ていた。

 あの子は、どんな名前だっけ?

 ――――思い、出せない。


「ちょっと大変なことになったの、桐生先輩。そう……うん、私の両親。おかしいとは思っていたけど、『本当におかしくなったの』よ。こんなの、信じてもらえないかと思うけど、使ったの、魔術。何もないところから、化物を出したの。ああ、でも、その化物はすぐに処理されてね――――そう、魔術で燃やされて処理されたの。魔術で召喚した化物を、魔術で焼いて処理したの。おかしいでしょ? しかも、それを動画にして配信したの。あんまりネットをやらない桐生先輩は知らないかもだけど、凄く、話題になってて。今度こそ、悪魔を召喚してやるって、予告までしちゃって。でも、私ね、なんとなくわかっちゃうの。ああ、絶対、ろくでもないことになるって。最悪に最悪を重ねた災厄が起きるって、わかっちゃったの」


 思い出せるのは、あの子の不安な表情。

 私に抱き付いて、俯いたまま、弱音を吐くあの子の姿。

 覚えている。記憶している。

 私は、あの子を助けたかったんだ。


「ねぇ、桐生先輩…………私と一緒に、遠くまで逃げてくれる?」


 今にも泣き出しそうなあの子の瞳を、これ以上見てられなくなって。

 私はあの子の手を取った。あの子の手を取って、出来る限り貯金を下ろして、世界の果てまで二人で逃げようとしたんだと思う。


「なんだか駆け落ちみたいで、ちょっと笑えるね」


 あの子は、新幹線に乗っている時、ようやく笑った。

 窓の向こう側には、何処までも晴れ渡っている青空があって。

当然だけど、どれだけ誰かが苦しんだり、笑ったりしても、人の気持ちで天気は変わらないんだなぁ、と思った。

 悲しむのでもなく、ただ、なんとなくそう思った。

 そして、そして、私は、私たちは――――――


『あーあ、予想外に次ぐ予想外ね、もう。やってられないわ、まったく』


 ノイズ交じりの記憶。

 甲高い悲鳴みたいな、ブレーキ音。

 血塗れの座席。

 空からミルクを注がれたみたいな、濃霧。

 手の中にある温もりは、もうすぐ失われてしまいそうで。私は、私は、それをどうしても認められなくて。


『それで、貴方はどうする? 言っておくけど、この場で決定権があるのは私じゃない、貴方よ。貴方が、この世界の……いえ、その子の運命を定めなさい』


 私は、世界を否定することにした。


『悪魔と契約してでも、悪逆を為しても、助けたいかどうか、決めなさい』


 悪魔と――――『霧の悪魔』と契約することにした。



●●●



「う、あ?」


 どんな夢を見ていたのかは直ぐに忘れてしまったけど、多分、ろくでもない悪夢を見ていたのだと私はすぐに思い至った。

 だって、目が覚めたらボロボロと涙を流して、枕を湿らせている朝なんて、失恋したての女子高生でも無ければ、有り得ない。男子高校生? あれは泣くのかな? 失恋して泣くのかな?失恋して泣いたとしても、多分、枕は濡らさないと思う。


「うー、ひっどいなぁ」


 ティッシュで顔を拭いて、私はとりあえず洗面所に向かった。

 洗面所に写る私の顔は結構酷い有様だ。目元が赤い上に、むくんでいる。涙を流し過ぎて、物凄く惨めな女みたいな顔になっている。


「学校に行くまでに、何とかマシになればいいんだけど」


 私はいつもより時間をかけて、身支度を済ませた。

 少しでも、この情けない顔を学校の友達に――それ以上に、ミサキに見せたくなかったのかもしれない。

 こういう時、ミサキの狐面がちょっとだけ羨ましくなる。

 ああいう仮面を持っていて、周囲を気にせず被ることが出来たのなら、きっと、どんなにひどい顔をしていたとしても、ちゃんと向き合うべき人に向き合えるのに。


「……なーに、考えているんだか」


 なんだか思考にノイズが走って、よくわからないことを考えているみたい。お腹が空いて、頭に栄養が回っていないのかも? 

 うん、こういう時は朝食をきっちりと食べて、栄養補給が一番だね。


「母さん、ミサキ、おはよー! 今日の朝ご飯はなにー?」

「おっと、寝坊助の娘が起きて来たわよ、ミサキちゃん。高校生になってからは碌に、食事の準備も手伝わなくなった娘が」

「そうですねぇ、お母さん。夜ふかしは健康に良くないと忠告しておいたのに、俺の忠告を無視して、案の定、体調を崩してそうなお子さんがやってきましたねぇ」

「わぁ! 朝一番から、正論の刃で滅多刺しだよ、私!」


 私は母さんとミサキからの嫌味を苦笑で受け流しながら、食卓に着く。

 こういう時、少しは拗ねたり、怒ったりするものかもしれないが、それよりも、私はミサキがこの家に馴染んでくれるのがとても嬉しかった。嬉しかったのから、お前も家事を手伝え、と母さんからは文句を言われそうだが、それとこれとは別なのである。

 …………ミサキは、目を離すといつの間にかいなくなってしまいそうな不安定さがあるから、恐いんだよ、少しだけ。


「ぷはーっ! ごちそうさまでした! いやぁ、ミサキが作った料理は美味しいなぁ! いつもありがとうね、ミサキ!」

「偉大なる母に感謝は?」

「ありがとう、偉大なるお母様!」

「よろしい」

「ナチュラルにこういう会話が飛び交うから、面白いんだよな、この親子」


 私の心配を知っているのか、知らないのか、ミサキは私の事を時々、珍獣扱いして来る時もあるのだけれど。

 まー、そういう超然としたところもミサキの魅力だよね!


「んじゃ、いってきまーす!」

「はいはい、事故に気を付けなさいね、結実」


 そして、私は母さんの忠告を背に受けて、学校へ向かって出発する。

 うっすらと、街の中に漂う霧を振り切って、歩いていく。


 ――――街が『晴れない霧』に包まれてから、三日が過ぎようとしていた。

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