第113話 モラトリアムは霧の中 8
GWも終わるので、多分、隔日投稿になるかとー。
健康を取り戻して、問題無ければ毎日連載に戻ります。
音楽は好きだ。
そこそこ好きだ。
カラオケが好きだから、同学年の仲間たちと流行の話を合わせるのが楽だから、音楽は好きだ。でも、好きすぎるって程じゃない。
プロの曲を聞いて、心がじぃん、と震えることはある。
だけど、泣くほどじゃない。
泣くほど音楽で感動しない。
…………そういえば、漫画やアニメでも、そういう風に泣くほど感動した時なんて無かった気がする。冷めているっていうのかな? 感情が無いわけじゃないと思うんだけどさ。どこか、感受性が鈍くて、人がボロボロ涙を流している物を見ても『んー、こんな感じか』みたいに、ちょっと期待外れだと思ってしまったり。
期待すると、駄目なんだと思う。
期待し過ぎてしまうから。
まるで、漫画やアニメ――そう、フィクションの中に存在する誇張表現みたいに、魂全部が震えてしまうほどの感動を、私は求めているんだ、きっと。
だから、ミサキと出会った時、本当に私はおかしくなった。
ミサキの美しさに、生まれて初めて魂が震えるほどの感動を覚えたから。
うん、その影響でちょっと性癖が拗れて、変態っぽくなってしまったけれど、とても素晴らしい体験が出来たので、全然気にしていない。
…………あー、その、うん、つまり、ね? 正直に、正直に言うとね? 馬鹿にしてやろうという気持ちがどこかにあったかもしれないね。
「インディーズ? んんー、ちょっとよく分からなかったかな? ライブハウスにも初めて行ったから、緊張していてリラックスできなかったから、その所為なのかもだけど」
心の中では、言い訳を探していた。
未知で怖いことに対して、自分が合わない理由を探していた。一歩踏み出して、確かめようともせずに、怯える自分を隠すための言い訳ばかり探していたんだ。
――――永劫ブレイカーというバンドのライブを聞くまでは。
「お、おぉ……」
口が半開きになって、馬鹿みたいな顔を晒しているんだろうなぁ、という自覚はある。でも、止めるつもりはない。そんなことよりも今は、この歌を、演奏を聞いて居たかった。
何かが違うという予感は確かにあった。
素人の癖に、「ちょっとは楽しめるかな?」みたいな上から目線での期待もあったと思う。
そんな、そんなちっぽけな私の予想を覆すほど、彼らの歌は素晴らしかった。
『踏み出していけ、少年! 手を伸ばせ、少女! 天晴ボーイ・ミーツ・ガール! 二人が出会わなきゃ、物語が始まらない! 物語が始まったら、駆けていけ。後ろなんか見るなよ、おい! さぁ! 安全運転で、二人、手を取って走り出せ!』
最初の音から、他とは違っていたと思う。
ぼんやりとした他の音とは違って、大きくない音なのに、はっきりと霧が晴れるかのようにその演奏は聞こえて来た。
次いで、ギターボーカルのイケメンの声が、叫ぶような歌声が、妙に私の心を、魂を揺さぶってくるのだ。
彼の歌が、上手とか、下手とか、そういうのはよくわからない。
でも、こんなにはっきりと聞こえる歌声は初めてだった。一つの音まで、息遣いまではっきりと聞こえてくるのがとても不思議で、曲に合わせて勝手に体が動き出す。
停滞していた何かが動き始めるみたいに、私の心と体が、小さくリズムを刻んでいく。
「ほ、わぁ……」
気づけば、圧倒されていた。
意思の込められた音の奔流に、私は飲み込まれていた。
だけど、それは決して息苦しく無くて、むしろ、深海に沈んでもがいている自分が突然、明るくて息がしやすい場所に連れてこられたみたいに感じた。
室内にいるはずなのに、どこまでも先が見渡させるような。
準備万端で、見知らぬ道を歩き出す時のような、わくわくがずっと続いていた。
『フゥー! どうも、永劫ブレイカーでしたっ! サンキュー!!』
『『『いえぇええええええええええええっ!!』』』
ライブが終わったと気づいたのは、肌に振動が伝わってくるほどの歓声が響いてから。
私は白昼夢から目覚めたみたいに、ぱちくりと瞬きを繰り返す。
なんだろう? この感覚。凄く、体がふわふわしているのに、世界がとても鮮明に見える。頭が冴え渡っている。胸のどきどきが、まだ収まらない。
もっと聴いていたいという気持ちと、今すぐこの場から駆け出して、思いっきり体を動かしてみたいという相反した欲望がずっと体中で渦巻いている。
「な? 凄かっただろ?」
「…………うん、凄かった。とっても」
得意げなミサキの言葉に、私は微笑んで答えた。
いつの間にか、楽しめなかった言い訳ばかり考えていた私の思考が、楽しかった感想をどうやって言葉にして伝えよう? という物に変わっていた。
なんだか悔しい気がするけれど、うん、そうだね。
ここは素直に認めておこうか。
未知で、恐怖で、近寄りがたかったけど――――案外、ライブハウスも悪くない。
●●●
永劫ブレイカーというバンドが結局、ライブハウスで聴いた中では一番印象に残った。けれど、それ以外が全部駄目だったわけじゃない。永劫ブレイカーの後で聞いたバンドの曲も充分楽しめたし、今思い返してみれば、最初の二組のバンドだってそんなに悪い演奏はしていなかったと思う。
もちろん、全部のバンドに対して『凄いなぁ』とか『上手いなぁ』という感心を持てたわけではなくて、中にはさっぱり合わないバンドも合った。
まー、良し悪しがあるのなんて、何事においても当たり前だろうから、これに関して特に悲観するつもりはない。むしろ、安心した。だって、下手くそなバンドも下手くそなまま甘んじているんじゃなくて、演奏しながら『もっと上手くなりてぇ!』という声なき叫びが聞こえて来た気がするから。
だから、うん、悪くない。
少なくとも、私が今後、ライブハウス関係を偏見に満ちた目で見ることは無いと思う。上手い人達に対して、難癖をつけるような気持ちでそっぽを向くことも、もう無いはずだ。
「んー、思ってたよりも楽しめたよ。今日はありがとうね、ミサキ」
「それは何よりだ、結実姉さん。俺も生で永劫ブレイカーの曲を聞けたから大満足」
「ふふっ、本当に好きなんだね、そのバンド。というか、いつの間に見つけたの? ネットの動画のランキングとかにも無かったから私はさっぱり知らなかったんだけど、ひょっとしてインディーズでは有名だったりするの?」
「インディーズというよりは、この街限定で有名らしいんだよ。この街出身の三人が集まって、この街のライブハウスだけで演奏しているバンドだから」
「へぇ、もったいない。あれだけ凄かったら、メジャーデビューも夢じゃないのに」
「んんー、ホームページで色々読んだ限りだとプロは目指していないらしいよ。ただ、この街のライブハウスだけでやっているのは、この街でやるべき使命があるからなんだってさ」
「ふぅん、使命ねー」
私とミサキはライブハウスを出てから、二人並んで夜の街並みを歩いていた。
未成年の女子が二人、並んで歩くと少々補導の危険がある時間帯である。だけど、そのことに関して私は一切の心配をしていなかった。
何故なら、私の隣にいるミサキは、そういう物を誤魔化す魔術を使える特別な存在なのだ。ミサキ曰く、「普段から仮面の違和感を消しているから、その延長線で行ける」とのことだったので、今日の私は私服警官の視線に怯えることなく夜の街並みを楽しめる。
「ねぇ、ミサキ。折角だから、ちょっと良い店でご飯食べていこうか?」
「お金は大丈夫か? 結実姉さん」
「…………だ、大丈夫。後で貯金を崩せばきっと」
ミサキの問いかけに、私はそっと目を逸らした。
ライブハウスの費用と、ミサキに可愛らしい洋服を貢いだために、私の所持金は非常に心もとない。
「服を買ってもらったし、今回は俺が奢るよ」
「や、その、年下の女の子に奢ってもらうのは、なけなしのプライドが……そもそも、ミサキはお金持ってるの? 母さんから貰ったの?」
「宝石類を君のお母さんに渡して換金を頼んだからな」
「へ、下手したら私の全財産よりもお金持ってそう……と、んん?」
ふと、違和感を覚えて、私は夜空を見上げる。
見上げると分かったのだが、何か、大きな雲の塊のような物が空に浮かんでいた。さらに、その雲の塊みたいな物は、こちらに落ちてくるかのように――――いや、まるで風船のようにその大きさが段々と膨らんでいく。
ふわふわと、まるで、放っておけば、そのまま世界全てがあれに包み込まれてしまうんじゃないか? という不安が急に胸の中に生まれた。
――――ガォン!!
生まれたのだが、次の瞬間、それは先ほどまでの光景が嘘のように消え去った。
ペイントツールで落書きを消去するかの如く、一気に、空間ごと削り取ったみたいに。
そして、残されたのは星々が瞬く、澄んだ夜空。
明るい夜の街から見上げてもなお、星光が汚れない、美しい景色。
――――ゴーン、ゴーン、ゴーン。
後は、何処からか響いてくる鐘の音が、静かに響き渡っていた。
「…………ねぇ、ミサキ」
「なに?」
「何か、した?」
「さぁ?」
「…………そっかぁ」
あっけからんと言うミサキの姿からは、どんな感情も読み取れない。
狐の仮面を剥がしてもきっと、私が分かることなんてほとんど無いだろう。
「でも、なんかありがとうね?」
「……ん」
私はまだ、何も分かっていない。
ミサキが私を殺そうとした理由も。
それを止めた理由も。
ミサキが持つ力の意味も。
だから、そろそろ、私も踏み出さなきゃいけないのだ、きっと。
退屈と停滞を砕けと叫んでいた、あのバンドの歌のように。