第111話 モラトリアムは霧の中 6
いつの時代でも、麻疹のように流行する物がある。
それが、終末論。
この世界は終わってしまう。
もうすぐ、何か途轍もない出来事が起きて、世界が終わってしまうけれど、条件を満たした者たちだけは新しい世界に行くことが出来る。
こういう感じの終末論は多分、ずっと昔から繰り返されてきて、今もあると思う。
正しい行いをして、神様を信じている者は救われる。そうじゃない者は罰を受けて、死んでしまうというシンプルな構造の宗教観。
基本的に宗教なんて、全部大体似たような物だと思う。
その宗教が定める神様の規律を守れば、善。破れば悪。善人であれば、救われて、悪人であれば罰せられる。大抵がこのパターン。というか、神様をルールや法律に置き換えれば、法治国家の仕組みに早変わりなので、大体の社会の信賞必罰の仕組みはこんな感じじゃない?
…………と、話がズレちゃったから元に戻そう。
そう、終末論だっけ? 世界の終わりに関して記述している宗教は結構あるけど、具体的にその日時が書かれてある物は多くない。何故なら、遥か未来に設定すれば嘘っぽく、下手に近い未来に設定してしまえば、明確な根拠を求めて、その根拠をもっともらしく言わなければ、信者などは集まらないから。
逆に言えば、説得力のある言葉で遠くない終末を予言すれば、人は集まる。
恐ろしいほどに、早く。
不気味なほど、多く。
終末から逃れようと、人は藁の如き救いの糸を掴もうとするのだ。
『微睡の霧に惑わされるな。停滞の檻を壊せ。終焉の獣はすぐそこに。黄昏を望み、黄昏の先へ進み、生まれ変われ』
そして、救いの糸を垂らすペテン師共の集団を、『黄昏教団』という。
黄昏教団はここ数年で台頭してきた新興宗教だ。
今年の夏、八月三十一日に世界が終わると予言し、その滅びを乗り越えるために人々に教えを授けている、みたいなはた迷惑な教義で色んな人を惑わしている奴ら。
んもう、本当に迷惑、迷惑過ぎる。
何が迷惑って言うと――――『本物』っぽく見えてしまうのが、一番迷惑なのだ。
「ふぅ、間一髪だったわね、結実。あのまま通り過ぎようとすると、変な集団に巻き込まれそうだし」
「うん、ありがとう祈里…………うわ、やっぱりあれに絡んでいく人がいる」
「典型的なヤンキーたちだねぇ、可愛そうに」
ぶつぶつと、『警句』らしい言葉を唱えて駅前からぞろぞろと歩いてくる黄昏教団の信者たち。そんな信者たちに対して、多分、この近くの工業高校の制服を着たヤンキーたちが威勢よく絡んでいく。
「おいおいおい、邪魔じゃね? ねぇ、邪魔だって」
「つーか、何そのコスプレ? うけるんですけど?」
「本当にカミサマとか信じてる? 頭おかしいって自覚ないの?」
喫茶店の窓越しに、私たちは信者たちに絡んでいくヤンキーの姿を見る。
……もしも、絡んでいる相手が黄昏教団の信者たちでなければ、ヤンキーたちの方を止めようと、私は近くの交番に駆けて行ったかもしれない。そもそも、態々予定を変更して、喫茶店の中に避難までしなかったと思う。
だから、これはある意味、見殺しにしたみたいな物だ。
『――――盲を晴らせ』
「…………あ?」
しゃらん、という妙に冷たい錫杖が鳴る音が響く。
しゃらん、しゃらん、しゃらん、と幾度も音が鳴り響く。
信者たちのスタイルは、基本的に白い宗教装束に、片手に錫杖。顔に『二重丸』が書かれた無貌の仮面を被るという物だ。
そして、錫杖は基本的に鳴らさない。
ぞろぞろと歩いている内に『鳴ってしまう』ことはあるけれど、意図的に鳴らすことはほとんどない。
鳴らす時があるとすれば、それは恐らく、『勧誘』の時に限られる。
「…………起きないと」
「あぁ、目覚めないと」
「黄昏を、超えなければ」
信者たちに錫杖を鳴らされたヤンキーたちは、しばらくきょとんと目を丸くしていたけれど、いつの間にか、スイッチでも切り替わったかのように様子が変貌していた。
突然、女神から魔王討伐の天啓を受けた勇者の如く、その瞳は使命感に燃え、けれど、その情熱を表に出すことなく自分の胸に抑え込む、そんな覚悟を決めた顔をしていた。
はっきり言って、傍から見ているとキモかった。
『停滞の檻を壊せ』
『円環から抜け出せ』
『微睡の霧を晴らせ』
やがて、ヤンキーたちは信者たちによって手渡された予備らしき仮面を被ると、そのまま行列の後ろに並ぶ。並んで、足並みを揃えて、共に警句を唱えつつ何処かへ消えて行った。
「…………ふうーう、行ったかぁ」
時間にすれば、十分も経っていない。けれど、もう信者たちの姿は見えず、先ほどまで立ち込めていた霧もいつの間にか綺麗に消え去っていた。
まるで、夏の日に白昼夢でも見てしまったかのような感覚。
ほんと、悪い夢みたいな連中だよ、もう。
「ねー、祈里。あいつらなんで警察に捕まらないの? 明らかにヤバそうじゃん。さっきのアレなんて、明らかに洗脳じゃん」
「んーっとね、結実。明らかにカルトみたいな集団でも、犯罪はやってないのよね、あいつら。さっきのもあくまで『自主的に付いていく』みたいな感じになってんの。だって、錫杖を鳴らしただけで、碌に会話もしていないから脅迫どころか、勧誘に値するかも怪しいんだって。しかも、未成年はちゃんと門限前に家に帰すようにしているし」
「明らかにヤバそうなのに、活動内容は健全なんだ」
「少なくとも、法律には引っかからないようにしているらしいわ」
「……ふぅん」
この国は平和で、法治国家だ。
それはとても素晴らしいことで、尊い事なのだけれども、代わりに宗教や思想を縛る法律なんかも存在しない。犯罪を侵していない限り、いくら傍から見ても『あれはヤバい』と思う宗教団体でも取り締まることが出来ないのだ。
いずれ、何かが起きてしまうその時までは。
「ま、あんな辛気臭い奴らは置いといて! ほら、喫茶店で頼んだコーヒー飲んだら、さっさとカラオケに行こ? 防音の効いた個室で、愛を語り合いましょうよ、結実」
「耳元で囁くなぁ! ガチだと疑いたくなるだろ、んもう!」
私たちはその後、特に何事も予定が変わることなく、カラオケで思う存分歌いまくった。
胸の中に生まれた、ほんの僅かな不安を払うかのように。
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ここら辺で勘違いしている方も居るかもしれないから訂正しておくと、私は変態じゃない。
無差別に幼い女の子に欲情するような変態と一緒にされたくない。そんな奴は犯罪だ。私はただ、ミサキの美しさに心を奪われてしまった結果、ちょっとハッスルしてしまっただけの女子高生であって、間違っても犯罪に手を染めるようなことはしていない。そして、これからも絶対にしないと両親の前で誓うことも出来る。
「ええと、ここ? ここを踏まれて気持ちいいの? え? マジで」
「えへへへー」
「大丈夫? なぁ、マジで大丈夫? 取り返しのつかないレベルにまで性癖拗れてない? この後、ちゃんと社会復帰できる?」
「らーいじょーぶぅ」
だから、例えミサキに巫女服を着てもらって、側頭部を踏みつけて貰っている現状でも、私は躊躇わず断言できる。
私は変態じゃない。
踏まれながらでも、ミサキの表情が見たいがために狐面を脱いでほしいとリクエストしたとしても、変態ではないのだ。
いや、仮に変態だったとしても、ミサキに害を与えることのない道徳心溢れる変態である。
「なんでこの人は、俺の踏まれるために期末テストで自己ベストを超えたんだろう?」
「ふ、ふふふ! まだミサキには分からないかもしれないけど、これが愛だよ。人はね? 愛の為だったら自分の限界をいつでも超えることができるの」
「これが愛かぁ」
「ミサキももうちょっと大人になればわかるわ」
「えぇ、大人になりたくないなぁ」
「大丈夫! 成長したミサキもきっと、私は大好きよ!」
「そういうことじゃなくて……というか、俺が成長する度に性癖のストライクゾーンも広がっていくの、この人? 成長する変態とか、厄介過ぎる」
失礼な! 私はただ、ミサキの事が大好きなだけだし。
そう、頬に感じる足袋の肌触りの良い感触と、布越しでも感じるミサキの体温には確かに興奮するが。ミサキがドン引きしながらも私を見下すシュチエーションは背筋に電気が走るみたいにゾクゾクするが。袴の隙間からちらりと見える幼くも美しい足のラインに思わず涎が出てしまっているが、私は変態じゃない。
ただちょっと、愛が溢れてしまっただけの人間なんだ。
「…………なんか虚しい気分になったから、やめてもいいかな? 結実姉さん」
「ふふふ、しょうがないけど、いいよ! その代わり、明日、ミサキと一緒に服を買いに行きましょう! 私ってば思ったの、まだまだミサキの可愛らしさは発展途上だって! いろんな服を着てもらって、更なる美を目指すのが私に課せられた使命だと感じたわ」
「勝手に使命感を持たないで欲しい」
「ま、半分は冗談だけど、何時まで経っても私のお下がりばかりじゃ駄目だと思うの、やっぱり」
「……自分で選んで買いに行くから良いのに」
「駄目っ! ミサキ一人で選んだら、きっとジャージとか運動着とか、お洒落よりも機能性重視になっちゃうでしょ? 一つぐらいならそういう服も必要だけど、女の子なんだからちゃんとお洒落しなきゃ」
「んんー」
「ね? お願い」
「元々畳に寝転がっていたからといって、抵抗なく土下座しないでくれ、結実姉さん」
ミサキの可憐な姿を見ることが出来るのなら、私にはどこまでもプライドを捨てる覚悟があるのだ。
「…………はぁ。んじゃあ、一緒に買い物は良いよ、明日でも」
「やったぁ!」
「ただし、その代わり、俺は買い物の後に用事があるから、それに付き合ってよ」
「えへへ、いいよ! 一体、どんな用事があるの?」
私の問いかけに、ミサキはちょっと考える素振りを見せた後、なんでも無いように言う。
「ライブハウスにちょっとね。お気に入りのバンドを見つけたから、ライブを聞きに行くんだ」
「ライブハウスなんてお洒落な物、うちの街にあったんだ……ええと、それで、お気に入りのバンドってどんなの?」
ミサキが何を考えたのかは、よくわからない。
だけど、ミサキがそのバンド名を口に出した時、何故か、彼女はちょっと誇らしげな表情をしていた。
「『永劫ブレイカー』っていうバンドでね、イケメンのギターボーカルとメイドのベース。お坊さんのドラムという奇抜な三人組なんだ」
「奇抜過ぎる」
「でも、実力派のロックバンドなんだぜ?」
誇らしげな表情のミサキから紡がれた、永劫ブレイカーという名前のロックバンド。
警戒する必要なんてまるでないはずなのに、私はバンド名を聞いた途端、妙な不安感に襲われた。
不思議なことに、まったく共通点など無いはずなのに。
「ふふふ、それじゃあ、ミサキと一緒にライブハウスに行くのを楽しみにしているね」
感じた不安はどこか、黄昏教団の信者たちを見つけてしまった時と、似通っていた。