第109話 モラトリアムは霧の中 4
私が好きな物は三つある。
一つ目、カラオケ。
一人カラオケでも、友達と一緒に騒ぐカラオケでも、どっちでもいい。とにかく、思いっきり声を出して歌えればそれでいいのだ。まぁ、上手いかどうかは微妙というか、どちらかと言えば下手な方なんだけど、周囲からは『可愛らしい下手。あざとい』とか言われるんだけど、楽しければそれでいいと思う。
二つ目、漫画。
漫画は良い、とてもいい。小説とかも読まないわけじゃないけど、漫画の方が好き。時間を潰すのは小説の方が良い感じだけど、小説はどうしても文字を読むのに少なからず気力を使っちゃうからずっとは読めない。けれど、面白い漫画だったら私は、ずっと読んでいられる。シリアスなバトルも、コミカルな日常劇も、あるいはグロテスクでナンセンスな恐怖劇も、私は話の質自体が高ければどれも好きなのである。
そして、三つ目。
肉。豚肉、鶏肉、牛肉、クジラ肉、熊肉、馬肉、鹿肉。
美味しいお肉が大歓迎。
大体のお肉は大好き。ご飯が無くても、お肉だけでも食べちゃえる。
あ、そうそう、もちろん魚肉も大好きだよ。刺身とか最高だよね? 焼いたのもグッド。
「お、おおおお……」
だから、私は食卓に出されたその分厚いステーキ肉に、思わず感動した。
ひょっとしたら、ちょっと涙目になっていたかもしれない。でも、しょうがないよね? 幻想の産物だとしか思ってなかった物が目の前にあるんだから。
「お待たせ。奈落への門を守護する緑竜グロロッコドゥルンのテールステーキでございます」
私の趣味でメイド服を着てもらっているミサキは、けれど、執事のように恭しく頭を下げて、自慢げに私に料理の説明を始めた。
「これは化物共が闊歩する地底と人類生存圏の境界を守護するドラゴンの肉でね? このドラゴンに課せられた試練をクリアしなければ、奈落へと足を踏み入れることは出来ないんだ。ただし、試練をクリアすれば、ドラゴンから相応の餞別がもらえたりするんだよ。その中でも、最難関の試練がドラゴンとの直接対決。地を裂き、湖すら一息で枯らす恐ろしきドラゴンに一太刀でもまともに入れることが出来たら、勇者の証として尻尾の肉を貰えるんだよ」
「由来が仰々しい! というか、記憶戻ってない!?」
「残念ながら。『これはどういう物か?』というのはすぐわかるんだけど、『どこで手に入れた?』とか、『どういう風に手に入れた?』みたいなことは分からないらしい」
「そっか……あ、それはそれとして、直ぐ食べてもいいんだよね!?」
「ん、ちょいまちー」
私がそわそわと肉の前で挙動不審になっていると、ミサキは苦笑しながら最後の味付けとばかりに、グレープフルーツにも似た真っ赤な果肉の果物の果汁を絞って、ステーキにかけて見せた。その後、黒胡椒と岩塩を合わせてたっぷり肉へと振りかける。
「よし。これをやらないと最悪、結実姉さんの肉体が大変なことになっちゃうからね」
「え? そんな劇物なの、これ!?」
「はっはっは、大丈夫、大丈夫、調理の過程を間違えるとちょっと人知を超えた力を手に入れちゃうだけだから」
「最悪、人間を超えちゃうの!? 私、すっかり気楽な晩御飯気分だったんだけど!?」
「ちゃんと料理したから大丈夫。もしも、変な感じになっていても、隣に俺が居ればすぐに治療できるし」
「お、思ったよりもリスキーなお肉体験になりそう……」
だけど、今更引くことなんて出来ない。
正直、今でもドラゴンの肉なんて半信半疑で、どこからか適当なお肉をミサキが調達して来たのかもしれないという考えがあるのだけれども、もしも、本物だったら? というわくわく感が私を突き動かした。
そうだ、さっきのミサキの語りが嘘だったら、可憐な美少女に悪戯されたということで気分が良い。ついでにリスキーなお肉を食べなくて安心。
正真正銘、本物のドラゴンの肉だったなら、リスクを前提としても食べるに値する。
つまり、どちらにせよ、私にとっては得ってことだ!
「よぉし、いただきます!」
私は覚悟を決めて、ナイフとフォークを取る。
まず、驚いたのが、意外と肉質が柔らかいことだ。ドラゴンの肉というから、ジビエの肉よりもよほど筋肉質で固いのかと思ったのだけれど、意外とすんなりナイフの刃が通っていく。それでいて、脂身は少なく、ほとんど赤身の肉。
料理方法の工夫で、ここまで柔らかくなったのかな? 筋切りとか、果汁に浸けてたんぱく質を分解しておく手法もあるけど、ミサキはどんな料理法で肉を柔らかくしたんだろう? 生肉状態のドラゴン肉を見せてもらったけど、緑の混じった赤い肉は、見るからに筋肉質で固い肉に見えたのだけど。
「あむ、んぐ…………んんー♪」
思考を巡らせながらある程度、食べやすい大きさに肉を切り分けたので、いよいよフォークで肉片を口内へと運ぶ。
かぶり、と肉片を噛んだ瞬間に口内に広がるのは旨みと香辛料が混じった肉汁。噛み応えは、結構あるのだが、顎が疲れるほどじゃない。肝心の味は、豚やイノシシ類よりもどっしりとした味わいがあるのだけど、清流で育った魚肉の如く肉の臭みがほとんど無い。
今まで食べたことのない肉の味だ。
強いて言うなら、クジラやマグロの一番上等な部位に似ている。赤身の方が多いのに、決してぱさついてなくて、しっかりと脂の混じった旨みが舌に馴染む。
ただ、上品というわけではない。
肉に振りかけられた香辛料と岩塩が混ざって、どんどんと食欲が増してくるような味。そう、人類が遠い昔に忘れて来たような、野生を呼び覚ましてくれる味だ。
「がつがつ、むぐむぐ、むしゃむしゃ、ぷはぁ! ごちそうさまでした!」
「はい、お粗末様」
頭の中では冷静だったつもりだけど、いつの間にか私は皿の上に会った肉を全部平らげてしまっていた。恐らく、時間にして五分も掛かっていないと思う。
うーん、年頃の乙女としてはちょっと恥ずかしいところを見せてしまったかな? でも、食事を堪能できればそれでオッケーだよね!
「とても美味しかった! ありがとうね、ミサキ! まさか、こんなファンタジーな食事体験ができるとは!」
「そりゃよかった。まぁ、アイテムボックス内になんか保存されてあった肉を早めに処分したかったし、結実姉さんも喜んでくれて一石二鳥だな」
「ねぇねぇ、ミサキ! このドラゴンの肉以外にも、なんか食べられそうな肉とかあるの? もしよければ、それも味見したいな!」
「ステーキ肉一枚平らげておいて、この食欲よ……んんー、肉、肉かぁ。ああ、これなんてどう? 人魚の肉」
「人魚の肉!? さ、魚部分なら辛うじて!」
「効能は不老不死の紛い物と、水中での自由呼吸だ。最悪の場合、声とか理性を失う可能性もあるけど、うん、味見程度ならきっと大丈夫――」
「リスクの無い肉で! しばらくはリスクの無い肉でお願いします!」
…………前提として、食べても安全という保障が欲しいけど。
やっぱり、食品衛生って大事だよね、うん。
●●●
ミサキは私の想像以上に、特別な存在だった。
本人は記憶を失っているものの、『自分に何が出来るか』という知識はしっかりと所持しているらしく、色々と訊ねたところ、主に二つの能力がミサキにはあるようだった。
まずは、空間を支配する能力。
これに関してはほとんど、漫画やアニメに出てくる感じの空間操作系の異能者を想像してもらえればいい。ただし、ほとんど無消費で自在に空間転移を繰り返したり、空間ごと内部の物質を破壊するできたり、空間を遮断してどんな攻撃も受けないようにするとか、半ば、反則のようなレベルの能力だけれど。
もう、あれだよね? 異能力バトル漫画とかでも、幹部とかラスボスクラスじゃない? これ、どうやって勝つの? というレベルの反則っぷり。
この子に一時期でも命を狙われていたという事実に、今更ながら震えが止まらない。
しかも、ミサキの凄いところはこれだけじゃないのだ。
「うえええん、ミサキぃ! 期末テストの結果が悪いと、お母さんがお小遣い減らすってガチのトーンで脅して来たよぉ!」
「へぇ。勉強すれば」
「私は私の知性を信用できない!」
「友達に教えてもらえば?」
「前に勉強の途中で、ソシャゲをやり始めたら『その性根が治らない限り二度と教えぬ』とい言って怒らせちゃって」
「諦めれば?」
「諦めたくない!」
「……ふぅ、しょうがないなぁ、結実姉さんは」
ミサキが所有する『アイテムボックス』という謎の異空間の中には、数多の特別なアイテムが保存させている。
それらはたった一つだけでも、世界の経済を覆してしまいそうな恐ろしい効果を持つ物や、こんな物一体、どういう場面で使えばいいの? と思わず首を傾げてしまいたくなるほど用途不明のアイテムも会ったりするのだ。
ミサキは、これらのアイテムの効果を知識として全て覚えているらしい。
「え? なんとかしてくれるの?」
「他でもない結実姉さんの為だからね、アイテムボックスからとっておきの物を出してあげようか」
「わぁい! まさか高校生にもなって未来からやって来た猫型ロボットと一緒に生活している気分を味わえるとは! それで、どんな素敵なアイテムを出してくれるの?」
「はい、割とどの世界でも使える換金用の宝石類」
「うわぁ! 私の頭を良くする方じゃなくて、お金を用意する方向に!?」
「別に勉強が出来なくてもいいんじゃない? この国は治安が良いから、まとまったお金さえあれば生きていけるよ、社会不適合者でも」
「シビアなお言葉!」
ただし、ミサキは影響力の強いアイテムを進んで使おうとはしないみたい。使うとしても、玩具みたいな性能や、周囲に大きな影響を及ぼさない物限定。
しばらく一緒に暮らしてみて分かったんだけど、ミサキは外見の幼さに話して、その中身は大人びていると思う。節度のある判断とか、立ち振る舞いの落ち着きとか。それでいて、気まぐれにノリが良くなって馬鹿をやることもあるので、一緒に居て楽しい。
「違う、違うの! 私はもっと自分のやる気がモリモリになったり、頭が良くなったりして、テストで良い点を取ってどや顔したいの!」
「お手軽な力で成績を上げても、地力が低ければ虚しいだけだぞ?」
「正論なんて聞きたくない! 悪魔の誘惑だけ聞きたい!」
「じゃあ、テストで良い点を取ったらなんかしてあげるよ」
「…………そ、それは、その、例えば、一緒にお風呂とか! 一緒にお布団とか! スクール水着を着てもらって、一緒にプールとか、そういうのでもいいのですか!?」
「うーん、まぁ、そっちが良いなら別に断らないけど」
「ひゃっほー!」
楽しい、本当に楽しい。
ミサキと一緒に暮らすようになってから、毎日がさらに楽しい。
今はミサキが生活に慣れるまで待っているけど、将来的には祈里や他の友達とも一緒に、ミサキと遊べたら良いと思う。
そうすれば、そうすればきっと、今よりももっと楽しい毎日が待っているはずだから。
「ただし、要求のレベルによっては俺から結実姉さんに対する好感度が下がることになるので悪しからず」
「そんなー! んじゃあ、メイド服を着てもらって、私の頭を足蹴にしてもらうのはセーフになるかな!?」
「大分アウトだよ、人として」
ああ、こんなに楽しい日々が、ずっと続けばいいのに。