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第107話 モラトリアムは霧の中 2

 夏の空は、なんか特別だ。

 春よりも綺麗で。

 秋よりも近くて。

 冬よりも命を感じる。

 物語が、始まる予感がするんだ。

 例えば、種の付いた風船を思い切り空に不法投棄してみるのも悪くない。風の都合で、そんなに遠くへ飛ばないかもだけど、もしかしたら、蝶の羽ばたきが地球の裏側では台風になるみたいに、これがきっかけで誰かの物語が始まるかもしれない。

 夏は、青春だ。

 青春が始まる季節って感じがする。

 胸の奥がこそばゆくなるような、焦燥感と期待が入り混じったような落ち着かない感覚。

 私は、この感覚が嫌いじゃない。


「おーっす! なぁに、黄昏てんのさ、結実!」

「みぎゃお!?」


 などと、教室の窓際で物思いに耽っていたら、急に背中を叩かれた。

 この声と、いきなり人の背中を割と容赦なく叩いてくるという暴力的コミュニケーションには覚えがある。

 高原たかはら 祈里いのり

 中学時代からの私の親友で、私よりも全然イケているリア充の権化だ。

 まったく、この親友は時々、こっちの空気をあえて読まずに突っ込んでくるところがあるから、困るよ。


「んもー、痛いよ、祈里ぃいいいいいいいっ!?」

「あっはっは、どーしたの? そんな急に声を上げて」


 私は声の方向を振り返って、何時ものように異議を申し立ててやろうとしたのだけれど、そこで思わず声が上擦って変な感じになってしまった。

 でも、しょうがない。だって、何時もは茶髪やピアス、学則の範囲内で緩く改造している制服などで、如何にも垢抜けた雰囲気を出している祈里が、今日に限って痛々しい姿をしていたのだから。

 と言っても、中二病とか、ファッションセンスが突然変わったわけじゃない。

 腕と頭には軽く包帯が巻かれていて。

 顔のあちこちには、ガーゼが。開けた首元から覗くのは、シップのような何か。

 スカートから伸びる美脚にも、青痣が幾つも。

 そう、私の親友はちょっと見ない間に、明らかに軽傷とは呼べない怪我を負っていた。


「どうしたのはこっちの台詞! なにその怪我!?」

「ん、ああ、これはちょっと――」

「誰にやられたの!? 事と次第によっては、野球部の連中を集めるわ! もちろん、金属バッドを装備させた状態でね!」

「落ち着きなさい」

「わかった、野球ボールも持って来させる。遠距離武器も必要だからね!」

「やめなさい。野球部に暴力事件を起こさせようとしないの。彼らにはこの夏が待っているのよ?」

「でも、地方予選で一回戦負けだったよ」

「それは仕方ないわね、うちの野球部は弱小だから……じゃなくて、えいっ」

「みぎゃっ!?」


 ぺちこんっ、としょぼい音の割には威力の高いデコピンが私の額を襲う。

 何さ、何さ、人が心配してんのにぃ!


「とにかく、落ち着け! 私の怪我は家の階段で盛大に転んだだけ! 誰に何かをされたってわけじゃないの、んもう! 早合点しない!」

「えぇ、階段……? 階段でそんなになる?」

「手強い階段だったのよ。まさか、溶けたアイスの欠片がちょうど足元にジャストフィットして、スタントマンドン引きの階段落ちをかましてしまうなんて、ね。ふふふ、やはり、歩きながら『エッチな棒アイスの舐め方』なんて模索するもんじゃないわ」

「色んな意味で頭大丈夫?」

「大丈夫、ちゃんと病院で検査して異常無しだって」

「それはよかった」


 祈里はちょっと馬鹿だ。

 いや、成績は優秀なんだよ? でも、本質的に馬鹿。

 お洒落で、社交的で、大人びた美少女みたいな雰囲気なのに、行動原理が男子小学生の部分が多々あったりするのだ。

 この前だって、態々バイトで貯めたお金でウーマンスーツを買って、堂々と本屋で成人指定のエロ本を買ってくるなど、そういう馬鹿なことを時々やっている。んでもって、何故か、とても活き活きとした笑顔で私に報告して来る。まるで、獲物をしとめた猫が、手柄を報告して来るみたいに。

 祈里はちょっと馬鹿だ。

 でも、そう言う所が可愛いと思う。


「んもう、命に係わるような馬鹿だけはやめてよね?」

「はいはい、気を付けます。それより……ねぇ、結実。なんだかぼうっとしていたけど、どうしたの?」

「え、いや、朝だからこれくらい普通だよぉ。強いて言うなら、寝不足? みたいな」

「結実……気持ちは分かるけど、あんまりやり過ぎると健康に悪いよ?」

「その不快な手のジェスチャーを止めろ」


 にまにまと、楽しげに笑みを浮かべる祈里。

 なんで朝から下ネタを振ってくるかな、この子は。


「えー、違うのー?」

「違う、違う。仮に合っていたとしても、私は頷かない。というか、そんなことよりも、私は一限目の数学の課題の答え合わせを――」

「じゃあ、恋でもしたの?」

「んぎゅ」


 笑みはそのままで、口調だけ変えて祈里が訊いてくる。

 あまりにも予想外の質問だったで、変な動物の鳴き声みたいな物が口から出てしまったけど、セーフ。まだセーフ、全然怪しまれていない。

 ここは花の女子高生らしく、さらりと流して見せますとも。


「あははは、恋? 恋かぁ、したいねぇ、恋。でも、今のところ、こう? 胸がドキドキくるような出会いがないからさー。でも、こんなことを言っていると、結局、高校を卒業するまで彼氏なんて作れずに終わっちゃいそうで――」

「年上? 年下?」

「あ、あのぉ」

「年下か。それで、どんな人? 可愛い系? 格好良い系? 面白い系?」

「その、ですね、祈里」

「年下の綺麗系かー…………どれくらい年下なの? まさか、小学生ぐらいってことは無いよね? え? まさか、ショタコン――」

「やめろぉ! もうやめろぉ!」


 私は顔面を両手で覆い、呻くように机に突っ伏した。

 親友のプロファイリング能力が怖い、怖すぎる。そんなに露骨な反応をしたつもりじゃないのに、いつの間にかかなりやばい所まで情報を抜かれているのが怖い。


「もう無理。この話題を止めないと、今日は私、このスタイルで生きていく」

「マジ? 授業はどうするの?」

「心の目で黒板を見る」

「確実に怒られる奴じゃん、それ。あーもう、結実は可愛いねぇ。必死になって隠しちゃって」

「きしゃあ!」

「はいはい、ごめんごめん、もう言わない。だから涙目で首筋に噛みつこうとしないで? なんで余裕がなくなると結実は行動が野生化するの?」

「下手に考えるよりも、本能に身を任せた方が良いこともあるからだよ」


 …………まぁ、つい最近、それでちょっと性癖を拗らせてしまった自覚はあるけれど。

 そう、性癖。うーん、性癖? でも、恋という感じの感情とは違うような? 親愛? 独占欲? よくわからないけど、うん。


「ともかく、この件については私の心の整理が付いたら報告します。それまでノータッチ!」

「えー、恋愛ネタで友達を弄るのは愉悦なのに」

「イケメンの彼氏が居る奴は、これだから!」


 よくわからないこの気持ちの名前が分かるまでは、親友にも詳しい事情は教えないようにしようか。

 だって、この夏に始まった私の物語は、ちょっとばかりファンタジーなのだから。



●●●



 私は帰宅部だ。

 正確に言えば、文芸部の幽霊部員であるのだけれど、文芸部は二十年前から代々続く幽霊部員たちの巣窟なのだ。だから、帰宅部という主張は間違いではない。年に二度ほど、何かの文学的な作品を収めて置けば、それでオッケーみたいな感じの緩い縛りで、ほとんど部活動に参加しなくでも大丈夫なので、気楽な物だ。

 ただ、帰宅部だからと言って、即座に家に直行するとは限らない。

 そうなった場合、私は母さんの家事などを手伝わないといけなくなってしまったり、部屋でごろごろしていると何かしらの用事を申し付けられる可能性も出てくるからだ。

 なので、優秀な帰宅部である私は適度な時間つぶしをした後に、家に帰るようにしている。

 もちろん、私は夜遅くまで遊ぶようなヤンチャなガールではない。晩ご飯だって、ほぼ毎食家で食べているし。友達との外食なんて、休日以外は難しい。学校帰りに、駅前のファミレスでちょっと軽食、なーんてことをしているとあっという間にお金が無くなるし、おまけに太っちゃうからね。


 だから、私のおすすめは大型チェーン店の古本屋か、図書館。

 古本屋は大抵、立ち読みを遠慮なくすることが出来るし、古くても面白い本が百円コーナーに並んでいるから、とてもリーズナブルな暇つぶしスポットなのだ。

 図書館は無料で本が読めるけど、どうしても地方の図書館だと最新のエンタメ小説は入荷数が少なくて、予約していてもまともに読めるのが発売一か月後もよくある。そういうストレスを回避したいなら、古くて誰も借りそうにない、だけど、結構面白そうな感じの本を探すしかない。面白そうな本を探している間に、時間が結構潰れていたりもするから一石二鳥。

 …………あれ? ひょっとして私、真面目に部室に行くよりも文芸部らしい活動しているのかも? いや、まともに小説とか書いたことが無い私が言うことじゃないよね。


 そんなわけで、何も予定が無い日はそうやって時間を潰してから家に帰るんだけど、今日からは多分、違う。真っ直ぐ、出来るだけ早く家に帰ろうと思って自転車を走らせる。息を切らして、額から汗を流して、さながら帰宅部のエースにでもなるのかと言わんばかりの帰宅っぷりを発揮しつつ、私は家に帰るのだ。


「たっだいまぁー! 私が居ない間、寂しかったでしょ、ミサキ!?」

「おかえり、結実姉さん。普通にアンタのお母さんが居るから寂しくは無いよ」


 だって、今日からは違うから。

 私の部屋に戻ると、狐の仮面を被った、とてもミステリアスで、可憐で、抱きしめるとなんだかいい匂いのする美少女が、私を待っていてくれるのだから。


「またまたぁ! ふふふ、さぁ、お姉さんが一緒に遊んであげましょうねー」

「結実姉さん、制服が皺になって面倒だから離せ。暑苦しい」

「うへへへー」

「…………なんだか、釈然としない」


 そう、かつて私の命を狙っていた美少女が。

 ――――現在は、『記憶喪失の居候』として、私を待っていてくれるのだから。

 だから、私は急いで帰る。

 胸がどきどきする、物語の続きを始めるために。

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