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第103話 勿忘草を摘みに行こう 10

 勿忘草を摘み取った瞬間、俺の頭の中で失ったはずの記憶が再生された。


「ごめんね、ヘーゾー。もう、一緒には居られない」


 小学校の卒業式。

 卒業証書を受け取った俺は、そのままの足で沙耶へと会いに行ったのである。

 なんの変哲もない、紙切れ一つ。

 特に、偉業を成し遂げたわけでもない、ただの卒業証書。

 けれど、俺にはそれが輝いて見えた。誰だって貰えるはずの卒業証書が、俺には、人間としての証明書のように感じたのを、覚えている。思い出した。


「……えっ?」


 これも全て、沙耶のおかげだと当時の俺は感じていた。

 何せ、最悪だらけの人生だったのが、沙耶と出会ってから、何かが切り替えられたみたいに素晴らしい物へと変わっていったのだから。

 きちんと、言葉を学んだ。

 他者を労わることを学んだ。

 他者を偽ることも、学んだ。

 友達の作り方を、一生懸命に考えた。

 入学当時は腫れ物扱いだった俺が、卒業時には皆から囲まれて涙を流されるぐらいには慕われるようになっていた。

 俺は、沙耶と出会ったからこそ、人間になれたのだと思っていた。

 だからこそ、俺は誇らしさを胸に秘めて、その卒業証書を沙耶に見せたのである。


「もう、ヘーゾーは私が居なくても大丈夫だよ」


 なのに、どうしてこうなるんだよ?

 あの時の俺の心境を言葉にすることは難しい。沙耶の言葉を受けた俺は、もはや何も考えることが出来ず、真っ白な思考を抱えて、現実逃避をするしか出来なかった。


「……うそ、だよな? はは、なんだよ、やめてくれよ、沙耶。一応、俺の卒業式なんだぜ? こんな日に、そんな悪質な冗談――」

「冗談、なんかでこんなことは言わない。私はね、ヘーゾー。子供を守る神様なの。子供を守って、送り出してあげる神様。だから、大人になるまでに忘れるべきなの」


 口から出た言葉は、頭で思考した物ではなく、脊髄反射で思わず出てしまった命乞いに等しい。だって、その時の俺にとってはほとんど沙耶の存在が全てだった。それが失われることなんて、考えることも出来なかった。


「い、一緒に居るって! 大人になっても、一緒に!」

「私のことを、覚えて居られたら、ね?」

「約束は! 俺は、約束を――――」

「ごめんね、あれは私の未練だった。うん、だからね? 忘れた方が良い約束もあるんだよ、ヘーゾー。もしも、思い出すことがあったら、私の事はいくらでも恨んでいいから」


 沙耶は笑っていた。

 その時の沙耶は笑っていたのだが、何故かその目からは涙が流れて、止まらない。なんで、なんで泣くんだよ? 泣くのは止めてくれ。お前が泣くことよりも嫌なことなんて、世の中に無いんじゃないかってぐらい、俺はお前に泣いて欲しくない。

 どうしてだ? 今すぐ、その涙を拭いたいのに、俺の体は動かない。

 そう、『あの時』俺の体は動かなかった。動けなかった。多分、沙耶の力による物だったんだろう。


「ヘーゾー。こんな悪い神様の事は忘れちゃって、早く好きな女の子を作りなさい。恋をして、愛し合って、子供を作って、幸せに過ごしなさい」

「沙耶ぁ! 好きなんだ! 俺は、誰よりも、お前の事が! お前が、好きなんだ!」

「ふふふっ、私も好きだよ、ヘーゾー。好きだから、離れなきゃなの」


 ゆっくりと、沙耶の指先が近づいて、そっと頬に触れて来たのが、最後の感触だった。


「ばいばい、ヘーゾー。私のことは、忘れて生きて」


 ぶつん、と何かが途切れるイメージ。

 そうだ、そうだっ。俺はこの時に、大切な物を失い、何者でもなくなって、揺蕩うように人生を生きて来たのだった。

 その場しのぎを繰り返して、適当に何もかもをやり過ごして。

 何をする時も、ずっと何かが欠けているような喪失感を抱いて。

 退屈な人生を過ごしてしまった。

 幸せに生きて欲しいと、願われたはずだったのに。


『ごめんね、ヘーゾー。ごめん、ごめんね』


 失われた記憶の再生が終わった後に聞こえたのは、悔恨の言葉。


『一緒に居てあげられなくて、ごめんね、ヘーゾー。貴方を依存させてしまって、ごめん。貴方に依存してしまって、ごめん。折角、素敵な男の子になったのに、貴方はあのままじゃ、私に縛られたまま生きて行かなくちゃいけなかった……だから』


 何度も繰り返される謝罪の言葉は、常に悲しみと憂いで湿っていた。

 正しいと信じて為したはずの事を、とても悔やんでいる少女の声だった。


『だから、寂しくても、苦しくても、恨まれても――――これで、いいの』


 良くない。

 何も、良くない。

 震えた声で呟かれる悔恨に対して、俺は否定の言葉を叫びたかった。

 正しくなくとも、誤っていたとしても! 俺は貴方を泣かせたくなかった、と。貴方の事を忘れたくなかった、と。

 せめて、俺の事を忘れ去っても良いから、幸せに過ごして欲しかったのだと、俺は叫びたかった。この声の持ち主を――沙耶を抱きしめて、言ってやりたかった。


【罰されなければならない。愚かなる神には、相応しい罰を】


 そして、悔恨の言葉の後に聞こえたのは、悍ましき誘いの声。

 人間の声を数百人単位で無理やり合成して、不快な部分だけ抽出したかのような、醜悪な声。


【苦しめ、嘆け、零落せよ。貴様の罪は、貴様の苦痛でしか贖えない】

『あぁ、そうなんだ。やっぱり私は、忘れ去られた方が良い神様だったんだ』


 聞こえた。

 確かに、聞こえた、俺の愛しい存在を貶める声が。


【そうだとも。さぁ、お前の愛しい子供のために贖罪を始めよう】

『わ、私は、私は――』


 全てを台無しにするような、悪意に満ちた声が、沙耶を惑わしている。

 かつての俺のように、自戒と自傷を繰り返して、沙耶は己を殺そうとしている。

 なら、俺がやることは何だ? 俺は、何をやりたい? 出来るとか、出来ないとかじゃなくて、何をやりたい?

 ――――は、ははははっ、答えなんて、最初から決まっているだろうが。


「ごちゃごちゃうるせぇえええええええええええええええっ!!」


 俺は何もかもを吹き飛ばしてやるつもりで、声を張り上げた。


「いいか、良く聞け! 沙耶も! 黒幕のクソッタレも! 良く聞け! 俺は! 俺は、全然何も気にしちゃいねぇ! 罪!? 贖罪!? 神様と人間の関係性!? うるせぇ、全部知るかよ、黙ってろ! 誰が何を言おうと! どんなに偉い奴が文句を言おうとも! 例え、俺の何もかもが間違っていたとしても! 俺は胸を張って言ってやる! 伝えてやる!」


 この束の間の夢を覚ますように。

 悪夢を促す、霧を払うように。

 偽りも、常識も、俺の意識をお上品に変換する理性のフィルターも外して、俺は叫んだ。


「沙耶っ! 俺は、お前を愛しているっ!! それが依存だろうが、刷り込みだろうが、知ったことか! 一緒に居るぞ、この馬鹿っ! お前と一緒なら、ロリコンの汚名だろうが、一生背負って生きてやるわ! むしろ、望むところだ、こんちくしょう!」


 そして、叫びと共に俺の視界は現実の物へと切り替わる。



●●●



「ヘーゾーは本当に、しょうがない子だよね」


 現実に戻った瞬間、腕の中に懐かしい温かさを感じた。

 見下ろすと、流しながらずっと俺を見つめる愛おしい土地神の姿が。

 沙耶の、姿が俺の腕の中にあった。


「ばぁーか、俺はもう一人前の男だっての。今後はそういう風に扱えよな?」

「あ、あははは、そーだねぇ。そうしなきゃだね」

「とりあえず、記憶を消したことはちょっと怒っているから、その分は体で補填してくれ」

「きゃ、きゃらだ!? へ、変態っ! ヘーゾーの変態っ! 私の、こんな体に欲情するの!?」

「ああ!」

「いい笑顔で肯定されたぁ!?」


 沙耶が例え、無機質や植物になったとしても欲情する自信があるぞ、俺は! というか、ここでがっつり男というイメージを植え付けておかないと、後々、また面倒なことになりそうだからな、お互いの気性的に!


【お、おっぉおおおおおお怨怨怨怨怨怨ぉっ!】


 ……このまま呑気に、沙耶とイチャイチャしたい気分だったけど、どうにも、そうはいかないらしいぜ。

 偽物の方はなんかもう、原型が留まっていないというか、体の内側から蒸気……いや、霧か、あれは。そう、霧だ。霧が噴出して、んでもって、村の中から霧がごうごうと竜巻のようなひどい風を起こして、集まって。

 ――――気付くと、見上げるほどの大きさの白い巨人が現れていた。


「ごめん、ヘーゾー。今の私だと、あの『悪夢の欠片』対抗できない……逃げないと!」


 腕の中の沙耶は焦ったように声を出す。

 うんうん、ここで『私に任せて逃げて!』なんて言い出さない所が素敵だ。そう言われたら。俺も再び、ブチ切れていたかもしれない。


「いや、大丈夫だぜ、沙耶。何せ、こういう時のためにスタンバイしていた奴がいるからな」

「ふえっ?」

「俺はあくまで囮だったんだ。そうさ、本命は違う。あいつは、見崎の奴は! 黒幕をぶん殴ってやるために、今まで隠れて準備していたんだからさ!」


 ぴしり、と何かがひび割れる音が聞こえた。

 それは空から降ってくるような音だった。

 ぴしぴしぴしぃ、とその音は連続して聞こえて来て、音が鳴る度、真っ白な霧の巨人は姿が揺らぎ、姿形が薄れていく。


「行くぞ、オウル。この悪夢を終らせる」

《了解です、ミサキ。権能解放。悪夢の先兵に、覚醒の時を告げてください》


 やがて、二つの声が聞こえる頃に、俺はそれを見た。


「――――あぁ」


 悪夢の終わりを告げる、眩いほどの陽光が差し込む瞬間を。

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