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第10話 黒竜よ、眠れ 8

 戦況は当然、俺が有利だった。


『がぁああああああ!!?』

「おせぇ、おせぇ、おせぇ! 真面目にやってんのか!? あああん!?」


 黒竜が繰り出す爪、尾による攻撃は、細かく刻むように移動する空間転移で回避。じれったくなってドラゴンブレスを吐こうとすれば、集中を乱すようにきつい一発を。

 なぁに、空間ごと破砕する拳ならば、黒竜といえどしんどいだろ? なぁ?


『誰だ!? 誰だ!? 光主からの刺客か!? 常闇の『恐るべき子供たち』か!? だが、だが、我は死なん! 死んでは、ならぬのだぁ!!』

「はっ、理由あるから死なないって? おいおい、勘違いするなよ、蜥蜴野郎。どんなに崇高な理由があってもなぁ――死ぬんだよ、何か足りなければさ」

『ぐ、がぁああああああああ!!?』


 黒竜が振るった爪を、その前足ごと、切り飛ばした。

 空間ごと切断する、我が権能。例え、どれだけの強度、魔力密度を持とうとも、この刃からの逃れる術はない。せめて、概念レベルの防御術式でなければ。


「さて…………おいおい、いいのか? このままだと、俺が決めちゃうぜ?」


 のたうち回る黒竜を冷めた目で見下しながら、俺は領域外へ言葉を放つ。


「いいのか? リズ。このままだと、『突然やって来たよくわからない奴が、よくわからないまま、お前の宿敵を倒す』なーんて、ひどい事になるぜ? 因縁も何もない、ただの事故みたいにこいつが死ぬことになるんだ。アンタは、それを許容するのか?」

『が、ああ、な、舐めるなぁ――』

「やかましい」


 空間に重圧をかけて、黒竜を地面に押し付ける。身動きを封じる。

 時間を稼ぎ、俺は再度、遠くで座り込み、涙を流す少女へと問いかける。


「答えろ、リズ! お前は、こんな結末を許容するのか!?」

「――――だって!」


 やっと、返答があった。

 それは、泣き喚く子供の如き言葉だった。


「だって、どうにもならないじゃないですか! 頑張っても、勝てないじゃないですか!? なのに、どうしろっていうんですか!? それに、ミサキさんはずるいです! 本当は強いじゃないですか!? とっても! 一人で黒竜を倒せるぐらいに!」

「ああ、そうだ、俺は強い! そして、お前の推察通り――単独でも、いいや、単独の方が黒竜を確実に倒せる力を持っている!」

「だったら! だったら、最初から一人で倒せばいいじゃないですか!? 私なんかを誘わなくても! 一人で! 勝手にっ!!」

「――――だから、お前はそれでいいのかと聞いているんだ、『黒剣背負いのリズ』っ!! こんな終わりを許容するのか!? もっと、違う終わり方を求めていたんじゃないのか!?」

「…………そんなの、そんなのっ! 当たり前じゃないですかぁ!!」


 リズの、血を吐くような慟哭が、広大な空間に響き渡る。


「嫌ですよ、嫌に決まってます、こんな結末! 本当は、本当はずっと、私が終わらせたかった! 過去の過ちを正すなんて、大義名分じゃなくて! 昔からずっと聞いていたあの話の終わりを! もうちょっとマシな物にしたかった! だから、だから、私は剣を取ったんです! 本当は私、ただのパン屋さんだったけど! お休みを取って! いっぱい練習して! この黒剣を、黒竜の墓標にしたかった! ただ、殺すんじゃなくて――――安らかに、眠らせてあげたかったんですよ、私は!」


 まるで、小さな子供の我侭のようだ。

 理不尽な現実を認められなくて、絶対に損すると分かっていても、どうにか抗いたい。どうにもならない何かを変えたいと願う、子供の我侭だ。

 だが、だからこそ、リズの叫びは聞く者の心を揺らす。


「だったら、そうしろ! こんな結末を捻じ伏せろ! 己の欲望を突き通せ!」

「…………でも、でも、私には、そんな力が――」

「ここにあるだろうがっ!」


 そう、俺が応えるに値する。

 採算度外視の無茶をやらかすのに値する、素晴らしい欲望だ、それは。


「何もかも全部、一人でやらなきゃいけないわけがないだろう。近くに強い奴がいるなら、頼れ。頼み込め。自分がこの物語を終わらせたいと、願ってみろ。案外、応えてくれるかもしれないぜ?」

「み、ミサキさん! だけど! 私には、貴方に対して支払える物なんて何もないです!」

「いいや、あるね。リズ、お前が支払うのはこの物語そのものだ」


 リズの戸惑いに、俺は嘘偽りなく答えた。

 俺が望む対価は、俺が必要とするものは、救いある物語であることだと。


「お前がこの物語を終わらせることが、俺にとっての最高の対価だ!」

「――――そんな、でもっ!」

「それでも足りないとお前が感じたのなら、そうだな」


 少し考えた後に、俺は仮面の下で悪戯っぽく微笑んで告げる。


「物語を終わらせた英雄からの、キスがあれば、最高だなっ!」

「ひ、ひゃう!? な、なにを!?」

「はっはー! さぁ、どうする!? やるか、やらないか!? やるんだったら、俺も死ぬ気で手伝ってやるよ!」

「――――――わかりました、わかりましたよ、もう! 私は! 『黒剣背負いのリズ』は! この物語を終わらせる英雄になります! 頑張ります!」


 そして、言葉と共に、ついに本命がやって来た。

 広大な空間を全速力で走り抜け、躊躇うことなく戦闘領域に飛び込んできた馬鹿が、俺の隣に降り立ったのである。


「よく聞いてください、『黒竜アーグ』よ! 私はリズ! 『黒剣背負いのリズ』です! 貴方と、貴方の相棒の物語を終わらせるために登場した、最高に格好いい英雄です! その魂に刻んで、安らかに眠ってください!」


 黒剣を抜き放ち、黒竜にその切っ先を向けるリズの姿に、もはや迷いはない。震えも無い。気負う物など何もない。

 ただ、己が欲望を通すための、がむしゃらな姿が、そこにはあった。


『…………ふん』

「おっと、やるなぁ」


 黒竜はそんなリズに対して、鼻を一回鳴らすと、俺からの空間重圧を弾いて見せた。

 力任せでは無く、叡智による理にかなった最適な魔術による中和。

 見ると、黒竜の赤い瞳には、理性の光が灯っている。


『餓鬼が、身の程を弁えぬ餓鬼が――――やれるものならば、やってみせろ。この我の、生涯最高の一撃を、叩き切って見せろ』


 傲慢でありながら、威厳ある声と共に、黒竜は大きく顎を開けて魔力を集束し始めた。

 それは、恐らくは文字通り、生涯最高で、生涯最後となるドラゴンブレス。先ほどまでのそれとは比べものにならぬ、繊細かつ、魂を燃料にするような無謀極まる魔力操作。

 仮に、先ほどまでと同じように俺が妨害しようとも、もはや止まらないだろう。


「もちろん、受けて立ちます! だから、ミサキさん!」

「ああ、その欲望、願い……叶えるための力を、お前にやろう」


 だが、こちらとしても止めるつもりはない。

 最高の一撃を叩き切って、全てを終らせる。リズが、終わらせる。

 そのためも、俺も覚悟を決めなければならない。


「オウル。俺を介しての、権能の一時的な譲渡を頼む」

《音声会話で何を言っているのですが、この愚か者。そんなことをしたら、最悪、貴方さえもドラゴンブレスに巻き込まれた時は死んで――》

「頼むよ、オウル」

《…………条件は一つだけ。何が何でも、生存して、帰還すること》

「はは、なんだ、いつも通りじゃん」


 俺が無茶をして、オウルがフォローする。

 それが俺達のいつも通りだ。だから、俺はいつも通り無茶をして、いつも通り終わらせてやる。


「んじゃ、行くぞ、リズ。ここから先は運命共同体だ。俺の命、預けたぜ?」

「はい、預かりました!」


 黒剣を構えるリズの背中に、俺は右手を添える。掌を肩甲骨よりも少し下の部位に添えて、精神を集中する。

 この時、この場に限り、俺は巨大な力を上手く通すための部品に成り下がる。


『行くぞ、餓鬼』

「どうぞ、蜥蜴野郎!」


 言葉の後に、俺の視界は真っ白に染まった。だが、その真っ白な視界の中でたった一つ、光を全て奪い去るが如く黒が、真っ直ぐに振り下ろされて。

 そして――――――――――長い物語に、ようやく、終止符が打たれた。



●●●



 頭上には、輝くような黄昏がある。

 都合よく解釈をすれば、俺たちを祝福しているかの如き朝焼けであるが、実際はただの結果論に過ぎない。

 何故なら、あの激突の後、構築されていた異界は崩壊して、その余波が天井を砕き、空へと放たれたのだから。結果、ここら一帯の雲が掻き消えて、都合よく日の出が始まったというだけの偶然である。そう、ただの偶然、偶然ではあるが。


「…………ミサキさん」

「んー、なんだ?」

「私、勝ちましたか?」

「負けてたら今頃、生きてねぇよ」

「え、えへへへへ、そうですよね! えへへへへっ!」


 一つの物語の終わりとしてはちょうどいい。


「勝った、勝ったんだ……本当に、私が、私たちが終わらせたんだ!」


 黒竜の全身全霊を叩き切り、周囲の瓦礫を消し飛ばし、洞窟すらも崩壊させ、果てに、夜闇も切り払った少女は、力強く地面に己の獲物を突き刺した。

 即ち、ずっと背負って来た黒剣を、かつての黄昏の街の中央に、突き立てたのである。


「眠れ、『黒竜アーグ』――――もう夜明けです」


 少女の、リズの言葉に応える存在は居ない。

 黒竜は文字通り、己の存在全てをドラゴンブレスに収束させて撃ち出したため、それが叩き切られた時点で消滅していた。

 三百年、狂い続けて来た黒竜は、もう存在しない。


『そうか。もう、そんな時間か――――随分、待ったぞ』


 だから、最後に聞こえたその声は、きっと気のせいなのだろう。

 けれども、それでいいのだ。気のせいだろうが、何だろうが、肝心なのは俺たちがそう聞こえたことで。


「――――――っ」


 一人で頑張り続けて来た少女が、言葉無き叫びを上げることが出来た。

 ただ、それだけが、この物語の終わりに相応しい。



●●●



故に、これはただの蛇足である。


「それじゃあ、送っていただき、ありがとうございます、ミサキさん」

「いやいや、構わないよ。どうせ、俺にとっては千里も百メートル先も同じような物だからさ」


 全てが終わった後、俺はリズを故郷の街まで送り届けていた。

 リズは既に己の目的を果たしたため、冒険者家業を辞めて、元のパン屋に戻るようだった。だから、その背中に背負う物は既に無く、ただ、彼女の胸の中には確かな誇りが秘められているのみ。


「本当に、本当に、ミサキさんにはお世話になりました……」

「気にするなって。俺は俺のやりたいようにやっただけだ。だから、俺に恩を感じる必要なんてない。よくわからない、変な魔術師が英雄の手助けをしたとでも思っておけよ」

「ふふっ、そうですねー。結局、ミサキさんの正体とか、私、さっぱりですもん」

「少々、ミステリアスな方が女はモテるんだぜ? 知らんけど」


 くっくっく、と俺が仮面の下で含み笑うと、何故か、リズが唇を尖らせた。


「ミサキさんに事情があるのは分かります。だけど、それでも、お別れの挨拶ぐらいは、もう一度素顔で言って欲しかったです」

「う、ぐ」

「…………だめ、ですか?」

「む、むむむ」


 上目遣いでにじり寄るリズの迫力に耐えきれず、俺は大きくため息を吐く。

 そして、観念したように狐面を取って素顔を晒した。

 リズは俺が仮面を外した瞬間から、嬉々として俺に顔を近づけてはしゃいでいる。まったく、この顔は出来るだけ晒したくないんだけどなぁ。


「はぁ、これでいいか?」

「はい。それが、それがちょうどいいです!」

「ん、あ、何が、ちょうどいいって――――んぐっ!?」


 俺が疑問の声を上げた瞬間だった、急に口先に柔らかい物が当たって息が止まる。

 ふにぃ、という柔らかい感触が唇を塞いで、俺は混乱と共に声を上げようとした。だが、口を僅かに開くと、そこからにゅるりと、軟体で粘液が絡んだ何かが口内に侵入して来る。


「ん、んん、んんー♪」

「――――――!!!!?」


 そこからたっぷり一分間、俺の口内は謎のにゅるにゅるに蹂躙された。逃れようにも、怪力で顔を固定されているので動けない。だから、俺は地面の上で溺れながら、妙に気持ち良くて、死ぬほど恥ずかしい思いをした。

 多分、一生忘れられない思い出として魂に刻まれたと思う。


「ぷはっ。ふ、ふふふふ♪」

「ひ、ふにゃあ」


 ようやく解放された頃には、俺は情けない声を出して地面にへたり込む。完全に不意討ちだったので、もはや骨抜き状態だ。

 ああもう、顔が、顔があっつい!


「とりあえず、これが最初のお礼ですよ、ミサキさん!」


 俺がふにゃふにゃになっていると、リズは悪戯な笑みを浮かべて俺に告げた。

 そして、んべぇ、と先ほどまで俺を蹂躙していた舌先を見せつけた後、「あははは!」と大声で笑いながらリズは駆けていく。照れ隠しのように。息を切らせながら、走って、走って。


「次は、もっともっとすごいキスをしましょうねーっ!」


 最後に、振り向きざまに物凄いことを宣言して、リズは街の中へ消えて行った。

 …………もっとすごいキスって何だよ、おい。


《あの、ミサキ? あれだけ恰好付けた割にはヘタレ過ぎませんか? 完全にあちらの手玉に取られていましたが》

「う、ぐ」


 俺が呆然と立ち尽くしていると、事の成り行きを観察していたオウルから厳しい指摘が入った。いや、いやいやいや、あれは仕方ない、仕方ないだろ。


「だ、だって、俺――――あれが、ファーストキスだったんだもん!」

《えぇ……》

「ううう、凄い体験をしてしまった…………ど、どうしよう? オウル! 次は俺、色々と耐えられる気がしないんだけどぉ!?」

《とりあえず、街の門番たちが『尊い……』とか言って拝んでますから、さっさと退散してください。その美貌で今の蕩け顔だと、容易く人の理性を崩壊させますので》

「う、うああああああ! 見られてたぁ!!?」


 俺は慌ててその場から駆け出す。

 今の心理状況じゃ、空間転移なんて出来ないので、何度も、何度も、足を縺れさせながら、目じりに涙を浮かべて逃げ出す。


《やれやれ、これでは英雄も形無しですね、ミサキ》


 ああもう、本当に、まったく。

 物語みたいに、綺麗に終われないもんだなぁ、ちくしょう。

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尊い、素晴らしく尊い。
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