第1話 賢者への贈り物 1
前作虚無ったので、新作始めました。
虚無るまでは、大体毎日更新予定です。
闇があった。
無明の闇だ。
どれだけ目を凝らしても、何も見通せない。
匂いを嗅ぐ。無臭。何もない。
声を出す。音響が不安定だ。眼前に壁があるかの如く響いたかと思いきや、とても遠くの場所でようやく音が帰って来たかのような不安定。
ごくり、と喉を鳴らして、俺は眼前へと手を伸ばす。
壁は存在しない。手は空を切った。安心して一歩踏み出そうと足を動かす。そう、右足からだ。ゆっくりと右足を動かすと、がくん、と段差を踏み抜いたかのような一瞬の浮遊感が体を襲う。
しまった、足場が不安定なのか?
この素体に備わった優秀なバランサーが復帰しようと体勢を制御するが、しかし、ここでまた不可解がある。足を踏み抜いたと思い、慌てて左足を動かしてみたのだが、そうすると、今度は逆に足場が安定している。段差などは無く、真っ直ぐ平らに続く地面の感触があるだけ。まるで、先ほどの事が嘘のように、踏み外した右足も安定した地面を踏みしめていた。
「なるほど、大体分かったぞ」
あんまり分かっていないが、とりあえず、そう言葉に出してみる。勿論、強がりではあるが、強がりは大事だ、ああ、とても。
《ミサキ。この閉鎖空間のトラップを理解できたのですか?》
俺が強がりの言葉を吐くと、素直な返答が帰って来た。
骨伝導ですらなく、脳内に直接響く、俺の相棒の声。落ち着いた女性の声。機械的ではあるが、そこに魂が感じられる、人間と機械の中間に位置する声。
――――ナビゲーター、オウルからの通信だ。
「まぁね。これでも俺は歴戦の戦士であったからね。この手のトラップにはちょっとばかり詳しいのさ。解説、欲しいかい? オウル」
《はい。解説をお願いします、ミサキ。その空間は高度なジャミングにより、全容が把握できません》
「ふふん、素直でよろしい」
さて、思いっきり見栄を張ってしまったが、どうしよう? うん、どうにかしようか。
俺は数秒の思案の後、大して考えてもいない持論を展開してみせる。
「闇、とはどういう状態であるか、わかるかな?」
《はい。即ち、光が存在しない状態です。視覚による情報が取得できません》
「うん、正しい。だから、もう一つ尋ねよう。生まれてから視覚を持たない人間には、闇が存在しないのか?」
《…………まったく、光を感じないほどの盲目であるということですか?》
「そうだね、そういう仮定だ。視覚が全くないと考えてくれ」
《そうなると、最初から闇の中に居る、という状態になるのではないでしょうか?》
「そうかもしれない。だがね、オウル。人は視覚を失うと、その分、他の感覚器官が強化されるという事例があるよ。つまり、嗅覚と聴覚、さらに触覚だ。それらが強化された人は、ある意味、視覚に頼り過ぎている我々よりも物事を『見通している』かもしれない」
《つまり、闇の中に居るわけではないと?》
「少なくとも、手を伸ばし、足を踏み出すことにずっと躊躇いを覚えているわけじゃないはずだ。何故なら、彼らは彼らの方法で周囲の状況を把握しているのだから」
《なるほど》
感心の声が脳内に響く。
俺はふふふ、と含み笑いをしてみるが、ここからどうやって話を纏めようか必死だ。大丈夫、この素体の電脳は優秀だ。ムカつくことに優秀だ。だから物凄く気合いを入れたら、高速思考も出来るはず。
うぉおおおお、何とか上手く話を纏めるんだ、俺ェ!
「そして、オウル。恐らくだけどね、この閉鎖空間では、先ほど話した『最初から視覚を持たない人間』も、闇に捕らわれてしまう。この意味が、分かるかい?」
《はい。その閉鎖空間では高度なジャミングが展開されています。即ち、五感が乱されて正常な情報取得が出来ないということです》
「そう、即ち――――闇とは不可解であると俺は考えている。一寸先ですら、何があるのかを正確に判別できない。情報が不確かで、把握できていない。この状態が闇であると、俺は考えている。だから、この空間では恐らく、あらゆる方法でこちらの知覚を妨害して来るのだろう」
《なるほど。不確かな情報しか取得できない状態、それが闇ですか……攻略の手立ては?》
「安心してくれ、もう考え付いている」
そう、必死で考えて三秒前に攻略法を思いついたのだ。
俺はその攻略法を、あたかも最初から分かっていたという風に語り始める。
「闇とは不確かだ。そして、闇とは恐怖だ。古来、人々が闇を恐れたのはそこに何があるか分からないから、恐れた。闇の中から、とてつもない未知が襲い掛かってくるのではないかと、恐れていたんだ。だが、ここであえて逆に考えてみよう。何があるか分からない状態を闇と呼ぶのならば、それは、何が起こってもおかしくはない状態では無いだろうか?」
《ミサキ、それは暴論です。愚か者の考えです。足を踏み出した先に、とてつもない罠が貴方を待ち受けているかもしれない》
「そうだな、暴論だ。愚かだ。下手をすればとても痛い目に遭うかもしれない。だが、覚えておくんだな、オウル。いつの時代も、愚者が踏み出したからこそ何かが始まるんだ」
オウルからの忠告を聞き入れず、俺は一歩踏み出す。確かな地面があると信じて、踏み出す。すると、思った通りの地面の感触を足の裏から得た。
だから、俺は大きく息を吸い、己の願望を言葉にする。
不確かなものを、形にする。
「俺の前には、扉がある!」
音も無く、風も無く、けれど、確かにさほどまで感じられなかった何かが眼前に現れた。
確信を持って、手を伸ばす。きっと、金属製の重い扉だ。硬く、重い扉が、目の前にある。触れた。あった。冷たく、重い扉の感触が。
そして、扉ならば当然、違う空間に通じている。そう信じる。確信する。
「この扉は、出口に通じている!」
再び、確信と共に手を動かす。今度は、重い扉を動かすため、思い切り力を込めて。普通の人間ならば、重くてこの扉は開けられないかもしれない。
だが、この素体は、肉体は、人間の身体能力を遥かに超えた性能を持つ。
故に、開けられないはずがない。
否――――『俺は扉を開ける』、そう、出口の扉を。
「ふ、やはりな」
開いた扉の先からは光が溢れた。
眩しくて一瞬目が眩むが、直ぐに光量は調節され、正常な視界を得る。正常な視界を得た、のだが、どうにも、今度は違う意味で視界が通らない状態らしい。
白。
ミルクの海に落とされたかのような、白が周囲を包んでいる。
そう、闇を抜けた先にあったのは、一寸先すらも見通せない真っ白な濃霧だった。
「オウル。周囲の探知可能か?」
《…………気を付けてください。複数の熱源が確認されています。いえ、でも、これは?》
「ふぅむ、なるほど、なるほど、ねぇ」
よく理解できていないが、とりあえず、分かった風を装う俺。
今日は適当に言ってみた答えが正解して、今の所カッコいい状態を保持しているので、出来ればこのまま仕事を終わらせたいところ。
『…………恐れよ、畏れよ』
どこかで聞いたような女の声と共に、人影が一つ、濃霧の中に浮かび上がった。
それは段々と俺に近づいてきて、姿を露にしていく。
まず、初めに目についたのは狐の仮面だ。デフォルメされた奴では無く、極めて狐の頭部に近しい、獣を象った仮面。その仮面が、華奢で小柄な肉体を持つ少女らしき顔を隠している。若草色のオーバーコートに身を包み、クリーム色のパンツルックではあるが、俺はそいつが少女であることを一目で看破した。
何故ならば、俺はそいつの姿を良く知っていたからだ。
未知ではなく、既知だったからだ。
《ミサキ、警戒を。一つだけではありません、周囲に反応多数です》
「ああ、理解しているとも」
俺は、ニヒルな笑みを浮かべて応えた。
――――『狐の仮面の下』で、ニヒルな笑みを浮かべて、応えた。
『恐れよ』
『畏れよ』
『己の内に秘めたる』
『己の罪悪こそ』
『汝の命脈を断つのだと』
次々と霧の中から浮かんでくる人影は、全て同じ姿になった。
狐面を付けた、黒のショートヘアの少女。
それらは、現在の俺と同じ姿形をしていた。