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婚約

 エマの来訪より三日後、ウォーグレイヴ家より正式な使者がラディーナ家を訪れていた。サラは予想外の早さに驚きながら、父と共にその使者に会った。

「ウォーグレイヴ家の家宰ヘンリーと申します。本日はこちらを当主アルフレッドより預かって参りました」

 貴族の結婚は恋愛結婚であろうと政略結婚であろうと、まずは書類の交換で始まる。

 恋愛結婚の場合は形式だけになるのでよいのだが、政略結婚になると親同士の間で決まり、結婚式まで相手がどのような人なのか知らされない場合も多い。だからせめて顔と雰囲気だけはと舞踏会が催されるようになったのだが。

 サラの父親は書類を受け取ると中を確認した。

「書類、確かにお預かり致しました。お返事は後日また改めてさせて頂きます」

「かしこまりました。よいお返事をお待ちしております」

 サラの父親は即答を避けた。書類を受け取ってから即答する必要はないので何も問題はない。

 だがサラの中に嫌な予感が漂っていた。公爵家という申し分ない申込みをすぐに受けないとはやはり彼の出生のせいなのだろうか?



 ヘンリーを見送った後、サラと父親は居間に向かい合わせに座った。

「全く、難しい相手からの申込みがきたものだ」

 サラの父親はソファーの肘掛けにもたれ、溜め息を吐いた。

「何故でしょうか? 今までの中で一番いいお話ではありませんか」

 サラはわざと明るい声を出した。ここまできた以上何がなんでも話を纏めなければならない。

「確かにアルフレッド様は将来宰相になられるであろうと言われている、今国内で一番力のあるお方だ。だがその息子は……」

 そこまで言うとサラの父親は黙り込んだ。

「トーマ様より条件は遙かによろしいと思いますけれど」

「いや、また解消されるかもしれぬ。第一母親は誰かわからず、本人も好色ときては……」

 トーマも好色で有名だがクリフォードはそれ以上に噂になっているらしい。余程短期間で遊び過ぎたのだろう。

 サラは改めてクリフォードの印象が悪い事を実感し、今更ながらエマの言葉の本当の理由を理解した。

「私はいい人だと思いますけれど」

「ん? もしかして同級生か? 以前から彼を知っているのか?」

 サラの父親は書類の学歴の欄に目を留めたようだ。サラは微笑みを浮かべる。

「えぇ、同級生です。階級を気にされない、珍しいお方ですよ」

 父親に刺激を与えないようにサラは探りながら言葉を選んだ。

「ふぅむ。確かにアルフレッド様と親族になれるという事は夢のような話だが」

 サラの父親は一呼吸おくと、体を起こし座り直した。

「サラ。このクリフォードという男は信用出来るのか?」

 サラは父親の質問の意味が理解出来なかった。書類に何か約束でも書いてあるのだろうか? しかし書類はあくまで親同士の交換であり、彼女はその内容を見る事は出来ない。

「えぇ、嘘を吐く方ではないと思いますけれど」

「ふむ。お前はこの男との結婚は嫌ではないのか?」

 サラにとって難しい質問であった。父親の機嫌を取る言葉も簡単に選べないし、評判の悪い男と進んで結婚するというのも不自然な気がした。

「悪い人ではないと思いますので、嫌ではありません」

「わかった。前向きに考えてみよう」

 サラの父親は難しい表情ではなくなっていた。サラは何とか上手く事が運ぶように祈る他なかった。



 一方、ウォーグレイヴ家。

「ヘンリー、どうであった?」

 珍しくアルフレッドはクリフォードと共に帰宅し、戻るなり家宰に尋ねた。

「よくも悪くもといった所でしょうか。どうやらクリフォード様の噂は貴族全体にまで広まっている模様でございます」

 ヘンリーの言葉を聞きながらアルフレッドはソファーに腰掛けた。クリフォードもそれに続き彼の斜め前のソファーに腰掛けた。

「ふむ、ご苦労であった。次に連絡があった時もすぐ報告してくれ」

「かしこまりました」

「下がっていいぞ」

「それでは失礼致します」

 ヘンリーが扉を閉めるのと同時にアルフレッドはクリフォードの脛を蹴った。

「痛っ」

「お前が悪いんだろう? 普通なら即答する内容だ」

「だからもうやめたではないですか」

「簡単にやめられる遊びなら、最初からしなければよかったのだ。違うか?」

 アルフレッドに責められて、クリフォードは視線を逸らした。

「違いません。申し訳ありません」

 アルフレッドは溜め息を吐いた。

「これだけ噂が広まってるお前の所に嫁に来る彼女の気持ちも考えてみろ。普通なら引くぞ?」

「そういうものなのですか?」

 何もわからないといった様子のクリフォードの脛をアルフレッドはもう一度蹴った。

「もっと周囲を気にしろ! 毎晩毎晩違う娼婦と遊んでいい印象なんかある訳がないだろう? 全く、誰に似たんだか」

「さぁ? 私は誰の子か知りませんから」

 クリフォードの言葉を聞き終えるか否かでアルフレッドは立ち上がると力を込めて彼の頭を叩いた。

「他人だったらここまでするか!」

 アルフレッドは言い終わるとソファーにふんぞり返った。クリフォードは叩かれた頭をさすっている。

「冗談ですよ。諦めてた私に機会をくれた事は感謝しています」

「婚約なぞ壊す事は容易だ。この結婚が纏まったら向こうも手を引かせるしな」

「父上は悪知恵が働きますね」

「悪は余計だ。お前にとっては救いの知恵であったろう?」

 アルフレッドは右口角を少し上げ悪人っぽい表情を向けた。

「まだ結果は出ていませんけどね」

「俺を侮るな。何人も動かして綿密に練ったのだから、必ず成功する」

 そこまで言うとアルフレッドは少し間を置き、嫌味な表情を浮かべた。

「彼女の気持ちが変わらなければ、な」

「一番痛い所を突きますね」

 クリフォードの表情が曇る。アルフレッドは微笑むと彼の肩を叩いた。

「俺はそれだけが心配だが、まぁ何とかなるだろう。さて、夕食にするか」

「はい」



 ヘンリーが書類を持っていってから五日後。ウォーグレイヴ家に一人の男性が書類を持って訪れた。

 ヘンリーは書類を受け取ると至急ガレス城まで使いを走らせた。知らせを受けたアルフレッドとクリフォードは一緒に夕食前に帰宅した。

「五日も待たせやがって。ヘンリー、早く書類を」

 アルフレッドはソファーに機嫌悪く腰掛けた。ヘンリーは彼に封書とペーパーナイフを渡した。アルフレッドは受け取るなり勢いよく封を切り、書類を取り出し読み始めた。

 書類に目を通して暫く、アルフレッドは肘掛けに身体を預け無言だった。その沈黙がクリフォードの心をざわつかせる。

「何と書いてあると思う?」

 沈黙を破ったアルフレッドはクリフォードに神妙な顔付きで尋ねた。

「何……って父上は自信がおありだったのではないのですか?」

「彼女の心変わり以外はな」

 アルフレッドの言葉がクリフォードを少しずつ不安へと誘っていく。彼はそれに抵抗しようと声を荒げた。

「サラは一度決めた事を簡単に変えたりする女性ではありません」

「彼女がこの家に嫁いでくれると信じてる訳か?」

 クリフォードは不安から今すぐにでも逃れたい気分だった。

「サラはずっと傍にいてくれると約束をしてくれた。だから悪い返事の訳がない!」

「クリフォード様、言葉遣いが正しくありませんね。感情的になられても気を付けて頂かないと」

 無言で二人のやりとりを見ていたヘンリーは冷静な口調で父子の会話に割り込んだ。

「以後気を付けます。申し訳ありません」

 クリフォードは冷静さを取り戻し、アルフレッドに頭を下げた。

「今度彼女に会う時は感謝しろよ」

「それでは」

「彼女の心変わりがなければ絶対成功すると言ったろ? 高くついたが婚約成立だ」

 アルフレッドは右口角を少し上げた。クリフォードは不安から解放され力なくソファーにもたれかかった。

「しかし父と娘のバランスが非常に悪い家だな。ヘンリー、母親はどんな人物だ?」

「調査では物静かで婿養子である夫に従順と」

「こんな男を婿養子にして従順か、変な家だ。元々この男は商人だろう?」

「商人の方が男爵家より裕福というのは珍しい話ではありません。むしろ旦那様が身分を問われる事の方が私には変に思います」

「はは。そうだな。もしかするとこの母親は強かなだけかも知れぬしな」

「サラ様も強かかと存じます」

「ヘンリー、サラの悪口を言うなよ」

「褒めたつもりですけれども。強かでなければクリフォード様の妻など務まらないかと」

「何だよ、俺をけなしてたのかよ」

 クリフォードの問い掛けにヘンリーは無言を通した。アルフレッドはそんな態度の彼に意地悪な微笑みを向けた。

「過保護も大概にしとけよ。エマまで巻き込んで」

「エマが過保護なのですよ。私はクリフォード様を世間知らずにお育てしてしまった事への償いに過ぎません」

「それを言うな。何故こう育ってしまったのか、俺にもわからんよ」

「妙に頑固なのは両親譲りのようですから、一生直らないのではないでしょうか」

 ヘンリーは相変わらず無表情のままであったが、声色が少し嫌みを含んでいた。

「俺は別に頑固じゃない。あいつは妙に頑固だがな」

 アルフレッドの口から予想していなかった言葉が出てきて、クリフォードは耳を疑った。

「何でヘンリーが俺も知らない母上を知ってるんだよ」

「私も直接お会いした事はございません。旦那様からお伺いした話からの想像に過ぎません」

「話って何だよ? 俺は今まで一度だって聞いた事がないのに」

 ヘンリーにくってかかるクリフォードの膝をアルフレッドは軽く叩いた。

「俺がヘンリーならと、この男にしか話してない事。追及するな」

「何故父上はそういつも母上の話になると必ず聞くなと仰るのですか」

「お前の母親が絶対に話すなと言ったからだ」

 真剣な眼差しでアルフレッドはクリフォードを見つめた。あまりの真剣さにクリフォードは一瞬言葉を発せなくなった。

「それだけの理由で、今までずっと黙っていたのですか?」

 暫くしてクリフォードはやっとの思いで言葉を発した。そんな彼にアルフレッドは微笑を向けた。

「今まで色々言われただろうし、悪いとは思ってる。だがお前の為にもそれが一番いい選択肢だと信じている」

「それは母上が貴族ではなく、違う階級だからですか?」

「悪いが答えられない」

 アルフレッドは真剣な表情のままクリフォードを見据えた。クリフォードはその視線から逃げられず言葉を発せられなかった。

「それだけ旦那様はクリフォード様とクリフォード様のお母様を愛してらっしゃるという事ですよ」

 張り詰めた空間にヘンリーの無機質な声が響いた。アルフレッドはそんな彼を睨み付けた。

「冷静に人の心理を分析して淡々と勝手に話すな」

 しかしヘンリーは動じず、アルフレッドの視線を軽くかわした。

「何も話されないから誤解を招くのです。クリフォード様は言葉で伝えなければ理解しません」

「ちょっ、また俺を馬鹿にしたな?」

「馬鹿にされたとおわかりならその性格をお直し下さい。クリフォード様の為を思っているからこそ、再三申し上げているのですよ」

 クリフォードは言葉に詰まった。何年も言われ続けていても、どうしても彼は相手の気持ちを汲む事を苦手としていた。また言葉を何でも鵜呑みにしてしまう短所もあった。

「それで旦那様の跡を継げるとお思いですか? せめて本音と建て前の使い分けくらいそろそろ覚えて下さい」

「お前は本当に顔に出るよなぁ。嘘が吐けないのは致命的だ」

「この家では嘘をつく必要性がないので、仕方がないではありませんか」

 クリフォードはまるで子供のように不機嫌そうにそっぽを向いた。アルフレッドとヘンリーは顔を合わせ苦笑を零した。

「確かに家の中では必要ない。しかし仕事上は必要なのだよ」

「それはわかっているので頑張って直そうとは思っています」

「直せないと諦めてますから無理されなくても結構です。そのような性格の政治家も必要な時代かもしれませんし」

 ヘンリーは相変わらず無表情で冷ややかな声だった。

「何だよ。その言い方」

「ヘンリーはお前とは真逆で本心を素直に言えないんだよ。な?」

 アルフレッドはふっと笑いながらヘンリーを見た。それをヘンリーは無表情で受け止める。

「必要な事だけ伝えれば問題ありません」

「はは。まぁいい。今夜は前祝いとして飲み明かそうじゃないか」

「そう仰ると思い高級ワインを用意してあります」

「それは楽しみだな」

 アルフレッドは笑顔でそう言いながら立ち上がった。クリフォードもそれに続き立ち上がり、三人は食堂へと向かった。

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