新しい侍女
サラとクリフォードが結婚して約半年が過ぎた。ヘンリーの用意した時間割も刺繍とレース編み以外は全て終わっており、サラは自由な時間を使って公爵家の嫁としてお茶会に参加をしたり、文通をしたりと地道な努力を続け、公爵家の人らしく振舞えるようになっていた。
今日はシーン伯爵夫人よりワインと手紙が届いたので、サラは手紙を自室で読んでいた。国王即位十年の式典でアルフレッドの横にいた彼女を遠く感じて声を掛けられなかった事、その式典でシーン伯爵となった彼女の父は居心地悪く感じ領地に籠った事、今は領民と共に商人時代の知識を生かしてワインの販促に力を入れている事が書かれていた。彼女は母が父と幸せそうに暮らしているのが手紙から読み取れて安心していた。手紙には彼女を心配している部分もあったので、彼女は暴力を振るわれる事なく幸せに暮らしているという旨の返信をしたためた。ペンを置いた後、愛情の押しつけもある意味暴力だろうかと考えてみたものの、身体や心に痛みがあるわけではないのでこれでいいと手紙を封筒に入れて封印をした。
サラの両親はこの結婚が恋愛感情あっての事とは知らない。夜会で彼女の父が居心地悪く感じたのは、娘と引き換えに伯爵の地位および領地を手に入れたと周囲に言われたからであろう。そう言われるのは父の普段の行いがよくなかったせいでもあり、彼女は同情する気はなかった。しかし貴族になりたいと憧れ男爵家に婿養子に入った父が、伯爵家に成り上がってワインを販促しているというのが不思議に思えた。結局父は貴族になりたかったのか、商人のままでいたかったのか。暴力に怯え、父と向かい合う事を避けた為に父が何を望んでいたのか彼女にはわからない。ただ逃げたくて仕方がなかったのに、幸せならそれでいいと思えるようになっただけでも自分が成長したような気になり、この結婚をしてよかったなと改めて実感していた。
ノックする音でサラは物思いから現実に引き戻された。時計に目をやると茶会講座の時間である。茶会講座の時間はこの半年ずっと続いていた。今日はエマとメアリー以外にもう一人女性が一緒に部屋に入ってきた。サラは屋敷の使用人全てを把握していたが、その女性は見覚えがなかった。
「初めて見る子ね」
「初めまして。サラ様の侍女をさせて頂く事になりましたアリシアと申します。以後宜しくお願い致します」
アリシアと名乗った女性は緊張の面持ちで一礼した。サラは優しく微笑んだ。
「サラよ。宜しくね。そんなに緊張しなくていいわ。でも突然どうして?」
サラは何故侍女が今増えるのかがわからなかった。彼女は相変わらず着替えも入浴も一人で対応しており、侍女の手を煩わせているとは思っていなかった。メアリーが黙々と紅茶を淹れる横でエマが恥ずかしそうに微笑んだ。
「私事で恐縮なのですけれども子供を授かりましたので、アリシアに来て貰う事になりました」
「まぁ、そうなの。おめでとう」
サラはエマを本当に友人のように思っているので笑顔で祝福した。エマから結婚して六年経っても子供には恵まれないのだと以前聞いていたので、本当に嬉しかったのだ。
「エマは無理しなくてもいいわよ。私は自分の事をやろうと思えば一人で出来るから」
「それではアリシアが困ってしまいます」
エマにそう言われ、サラがアリシアの方を見ると彼女は困った表情をしていた。サラは申し訳なさそうに微笑んだ。
「ごめんなさい。そんなつもりで言ったわけではないの。でも気楽にね」
メアリーがサラの前にティーカップを置く。サラの部屋のソファーは2人掛けのものがテーブルを挟んで二脚である。四人で腰掛けようとすると誰かがサラの横に腰掛けなければいけない。しかしサラの悩みなど気にせずエマがサラの横にティーカップを持って腰掛ける。メアリーもアリシアにティーカップを持つように指示してサラの前のソファーに腰掛け、アリシアも空いている場所に腰掛けた。アリシアは状況が掴めていない様子だ。
「この時間は基本サラ様の惚気を聞く時間だから気楽にね」
メアリーの言葉にサラが訝しげな表情で彼女を睨む。
「私は惚気なんて言ってないわよ」
「クリフォード様に対する愚痴は全部惚気です」
サラは言葉に詰まった。惚気ている気はないのだが、そうはっきり言われると返す言葉がなかった。
「半年経つというのにクリフォード様は相変わらずですよね。毎朝よく飽きないなと正直思っています」
「だから早く呼んでと言ってるでしょう? 声がかかるまで離してくれないのだから」
サラはため息を吐いた。未だにクリフォードに身体のどこかを弄られて目を覚ます生活が続いており、彼女は結局彼より早く起きた事がこれまでなかった。
「それは難しいです。最中の時に声は流石に掛けられません」
「それはクリフが仕事に行かないと言うから……って聞こえてるのね、やはり」
サラは項垂れた。エマやメアリーが他の誰かに言いふらすとは思っていないが、やはり聞かれているのは恥ずかしい。しかしクリフォードはそれを別段恥ずかしいとは思っておらず、気分で誘うので彼女も時間に余裕がある時は応えているのである。
「夫婦仲がいいのは宜しい事でございますよ。そのうち妊娠されれば変わるかもしれませんし」
「妊娠すれば楽になるかもと最近は思うのだけど、こればかりは授かりものだから」
サラは紅茶を口に運ぶ。今日は一番好きなオーティスだったので彼女は自然と微笑みを零した。彼女はリデルが一番美味しいのはわかっているがどうしても高級紅茶の印象が強く、アルフレッドの許可があっても一人で飲む事はなかった。
「でもそう言えばサラ様、最近きました?」
エマの問いにサラは首を傾げる。メアリーははっとする。
「確かに。月のものが来てないのではないですか? クリフォード様の朝の態度に最近変化がないですし」
サラも月のものが来ている時はクリフォードに夫婦の営みは遠慮して欲しいとお願いしていた。彼も頭ではわかっているので受け入れてはくれているのだが、その期間の朝は物足りないとなかなか離してくれず揉めるのだ。
「エマはどのように気付いたの?」
サラは指摘されて確かにもう来ていてもおかしくない月のものが来ていない事に気付き、隣のエマを見る。エマは困ったように微笑んだ。
「私は元々月のものが不定期なので遅れていても気にしなかったのです。ヘンリーさんに言われるまで気付かなくて。先日見て貰ったら妊娠四ヶ月と言われました」
「つわりらしいのもなかったらしくて気付かなかったと言うのですけど、四ヶ月も気付かないなんて強者ですよね。ヘンリーさんが慌てている姿を私は初めて見ました」
「何、その貴重な姿。どのような感じだったの?」
「エマが何かしようとしても私が全部やります、みたいな。アリシアの件も勝手に話を進めたのです。もう働かなくていいと言って」
サラは笑った。あの無表情のヘンリーが慌てている様子がどうしても想像出来なかったが、傍から見ていたら微笑ましい一幕だっただろうと思えた。
「ですから私はこの茶会講座以外の仕事を取り上げられてしまったのです。この時間は仕事と言っていいのかわからないのですけれど」
「これは仕事でいいのよ。私の精神が病まないようにする為の時間なんだから。でもヘンリーもあんなに淡々としているのに、エマの事になると態度が違うのね」
「そうなのですよ。私には今まで以上に働けと言うんです。アリシアの教育も全部任せる、でも給料は据え置きなんてやってられません」
メアリーは不満そうにそう言った。それを聞いて横でアリシアは小さくなっていた。
「そんなに嫌ならメアリーも紅茶だけ淹れてくれたらいいわよ。アリシアには私がお願いしたい事だけ伝えればいいわけだから」
サラはにっこり微笑んだ。メアリーは慌てて頭を下げる。
「いえ、決してそう言う意味では」
「そう? 不満を口にするのは構わないけど周囲の事は考えてね。アリシアが仕事し難く感じたらメアリーもやり難いでしょう?」
「いえ、私はその、まだ何も出来ませんし、大丈夫です」
アリシアがたどたどしく必死にサラに訴える。サラはそんなアリシアに優しく微笑む。
「最初から遠慮していると疲れるわよ。メアリーは悪気はないけど思った事口にしてしまうから、気にし過ぎたら駄目。私の事は金で買われた癖に偉そうにと言っても構わないけど」
「いえ、そのような事は決して」
「ねぇ、アリシア。正直に答えて。この家の噂を色々聞いてきたと思うけど、私にどういう印象を持ってこの仕事に就こうと思ったの?」
サラは優しく微笑んでいる。アリシアは俯きがちに口を開いた。
「私は子爵家の三女で行儀見習いを兼ねています。サラ様のお噂は確かに色々聞き及びましたけれども、リリー様のお茶会に参加している姉が、豊富な知識をお持ちの方だから学校へ通うつもりで務めなさいと勧めて貰いこちらに伺いました」
サラは驚いた。あの初めての夜会以降、リリーは時々サラをお茶会に誘うようになっていた。もう以前のような意地悪はなく、夫の仕事についてやこの国の状況について話し合う場であり、今では招待状が来るのを楽しみにしていた。
「まぁ。そんな縁があったなんて。でもこの時間は政治経済の話をしないのよ。エマもメアリーも興味がないから。けれど折角だからたまにはそういう機会も設けましょう」
「ありがとうございます」
アリシアは嬉しそうに微笑んだ。サラも笑顔で応える。自分の努力が少しでも実を結んだようで嬉しかった。男爵家出身の女性の元に子爵家の娘を侍女として仕えさせるなど、自尊心の高い貴族なら普通はしない。彼女が男爵家出身から公爵家の人と認識されてきている証拠である。
「ですがクリフォード様が一方的に好意を抱いていると聞いていたので、惚気を聞く事になるとは思っておらず、その、どう対応したらいいのか私にはわかりません」
アリシアは不安そうに言った。きっと根が真面目なのだろうが、サラは惚気を言っているつもりはないので何と返していいのかわからない。
「聞き流していればいいの。最初のうちは朝から何してるの、この夫婦と感じると思うけど、そのうち慣れるから大丈夫」
「朝から?」
アリシアはメアリーの説明がよくわからず首を傾げた。アリシアはまだ十四・五歳に見える。こんな話を純情そうな子に聞かせたくないとサラは思った。
「明日からクリフの口に布を巻いておこうかしら」
「窒息したら大変ですから駄目ですよ」
「鼻で呼吸は出来るでしょう?」
「そういう問題ではありません」
エマが必死でサラを宥める。多分サラは本気で布を巻きかねないと思っているのだろう。
「でも黙らないもの。あ、そうだ。朝から政治経済の話をする事にするわ。そうしたら嫌がって逃げていくかもしれないし」
「それは逆効果になると思いますよ」
エマが冷めた目でサラを見る。
「逆効果?」
「多分口を塞がれると思います」
エマの言葉にサラが落胆する。クリフォードが唇で口を塞ぐのを簡単に想像出来てしまったのだ。メアリーが間違いないと言って笑う横で、アリシアは状況が掴めずきょとんとしていた。
「アリシアもそのうちわかるわよ。でもサラ様の名誉の為に言っておくけど、クリフォード様の愛が重いの。サラ様はその重さに耐えられるように受け入れているだけ」
「たまにサラ様がきつめの言葉をクリフォード様にかけられるけど、それも気にしないでね。クリフォード様の重さに苛つきながらも、傷付けない言葉を選ばれているから」
サラがクリフォードの事を好きで嫁いできた事はこの三人の秘密になっていた。他の使用人達はクリフォードのしつこさにサラが折れたと解釈しているのである。クリフォードは秘密にする気がなくずっと愛し合っているからと言って憚らないが、傍から見ればクリフォードの一方通行に見える為、誰もそれを信用していない。それだけ夫婦二人きり以外の時のサラの態度は淡々としてるのである。勿論それは恥ずかしさを隠す為なのだが。
「もう二人とも好き勝手に言わないで。クリフが重いだけでいいのよ、説明は」
アリシアはやはり状況が呑み込めなかった。侍女二人と女主人がまるで友達のように会話している事が不思議で仕方がなかった。
「アリシア、ごめんなさいね。私の侍女との距離感に違和感があるでしょう? でもこれが私の普通だから慣れてね」
サラにそう微笑みながら言われてアリシアは頷くのが精一杯だった。




