重い愛
サラは今朝も遅かったかと心の中で落胆する。
「おはよう、クリフ。離して」
「おはよう、サラ」
クリフォードはサラに口付けをする。一度では飽き足らず何度も繰り返す。それを彼女は必死で抵抗する。
「朝はやめてと何度も言ったでしょう?」
「えー。いいじゃん、少しくらい」
「少しではないからやめてと言っているの」
サラは目覚めた原因であるクリフォードの手を抓った。毎朝身体のどこかをクリフォードに弄られて起きる事が日課になっているのが受け入れがたかった。
「本当はしたいのに我慢してるんだよ。もう少し優しくしてほしいな」
「意味がわからない。夜しているんだから朝はいいでしょう?」
「全然足りないの。俺一日中こうしてサラと一緒がいい」
「私はそんな堕落した生活は嫌。とりあえず離して」
「サラの体温を感じたいから抱きしめ返して」
サラは嫌そうな表情になりそうなのを必死に耐える。
「そうしたら体中触るのをやめてくれる?」
サラの言葉に満面の笑みでクリフォードが頷く。結局彼女は彼のこの笑顔に勝てない。仕方なくエマが呼びに来るまで抱きしめ合った。
サラはため息を吐いた。決して今日の刺繍の授業で成長が感じられなかったからではない。毎日繰り返されるクリフォードとのやり取りに心底疲れていたのだ。
「サラ様、今日は甘い紅茶に致しました」
「ありがとう、メアリー」
メアリーはティーカップをサラの前に置くと、エマと共に自分のティーカップを持ってサラの前のソファーに腰掛ける。二人もサラがため息を吐いた原因を知っていた。流石に夜のやり取りはわからないが、朝のやり取りは知っていた。扉の向こうから声を掛けるからか、寝室と衣裳部屋の壁は薄く、毎朝クリフォードがサラに絡んでいる様子が聞く気がなくても聞こえてくるのである。
「クリフはレイにしか起こせないと聞いたのに」
「実際私がここに来てからは一度もご自分で目を覚まされなかったのですよ。レイさんが言うには精神的なものだから、多分もう大丈夫だろうと」
「私にとっては大丈夫ではないのよ」
サラはため息を吐くと紅茶を口に運ぶ。そして美味しそうに微笑む。
「エマには本当感謝してるわ。私はこの時間がなかったら精神を病んでいたかもしれない」
「そんな大袈裟な」
サラは自分の覚悟の甘さを後悔していた。少しという加減のわからないクリフォードに心も身体も許してしまった以上もう後戻りは出来ない。調子に乗せたつもりはないのだが、彼は明らかに調子に乗っている。嫌だと言っても聞いてくれない。それは心底嫌そうな顔をしていないからかもしれないが、そんな表情を向けるとそれもまた面倒そうで、彼女はその選択肢を捨てていた。エリオットに忠告を受けた時は軽く聞き流したけれど、本当に大変で頑張る気力も徐々に削られていた。
「今日は夜会ですから、慣れない事をしてクリフォード様もお疲れになるかもしれません」
サラが嫁いで初めて、夫婦揃って夜会に出席する事になっていた。それは国王の即位十年の記念式典であり、国中の貴族達が城に集まる大規模な夜会である。彼女はそれに備えて時間割の空き時間にヘンリーから貴族達の名前を覚えさせられていた。
「でも明日はクリフが休みなのよ」
「あー。どこかお茶会にでも参加されますか?」
「そうね。そういう交友関係も作っていかなければいけないとは思っているわ」
サラは再び紅茶を口に運んだ。夜会の準備の為、今日のお茶会講座の時間はいつもより短い。沢山あるドレスにやっと一着袖を通すのだ。
「お付き合いのお茶会とクリフォード様の絡み、どちらがましなのですか?」
メアリーにそう聞かれサラは困った顔をした。正直に言えばどちらも面倒臭い。
「クリフがもう少し遠慮をしてくれればそれでいいのだけど」
「クリフォード様は本当に重いですよね」
「ヘンリーくらい冷たくていいわ、私」
サラの言葉にエマは驚く。
「ヘンリーさんは決して冷たくありません。私にとっては勿体ないくらいの素敵な人で」
「私もそう言えるようになる日が来るかしら。クリフは決して重くないのよ? 私にとっては勿体ないくらい……無理、絶対重いわ」
サラはため息を吐いた。クリフォードはサラに触れる事で愛を育んでいると思ってるのかもしれないが、彼女の中ではこの数日で愛が育めたような気はしていなかった。彼のしつこさに辟易する方が勝っていたのである。
「ですが何だかんだ言ってもサラ様はクリフォード様の事を好きですよね。抵抗の仕方に愛情があると言うか」
「クリフに悪気がないのはわかっているから強く出られないのよ。またぎこちない感じになるのも困るし。というか聞こえているなら止めて。朝から疲れるのよ、あれ」
困った表情でサラは言った。エマとメアリーは顔を合わせて笑う。
「邪魔するのも悪いですし、ねぇ?」
「クリフォード様は楽しそうですし、ねぇ?」
サラはつまらなさそうな表情をして紅茶を口に運んだ。
「サラはその恰好で行くの? 本気で?」
「どこかおかしいでしょうか」
サラは今日のドレスをエマとメアリーと相談して決めた。派手になり過ぎないようにと気を遣ったつもりだったのに、目の前のクリフォードは不満そうである。
「だってそんなに綺麗にして行ったら皆サラを見ちゃうじゃん」
サラはため息を吐く。綺麗だと褒められている気がせず彼女には面白くなかった。
「誰も私に興味を持ちませんから、くだらない事を言わずに早く準備して下さい」
「そんな事はないよ。皆がサラを見るってば」
「マシュー、クリフォード様を宜しく」
マシューは一礼すると文句を言い続けるクリフォードを自室へと引っ張っていく。準備に時間がかかるだろうと先に着替えたのは失敗だったかなとサラは後悔した。
「サラ様、ドレス姿で立っているのは疲れますから一旦こちらで御待ち下さい」
エマが玄関から一番近くの客間に案内する。サラは案内されるままにその客間に入り、ソファーに腰掛けた。
「綺麗にしない方がいいのかしら?」
サラは寂しそうにそう言った。彼女は自分の為に着飾ったわけではない。クリフォードの隣に立つ為に、公爵家の人間に見えるように着飾ったのだ。それを否定されたようで彼女の心境は複雑だった。
「そのような事はありません。ウォーグレイブ家の若奥様は綺麗だときっと評判になりますよ。お二人で並ばれれば美男美女ですから皆様注目して下さいます」
クリフォードは性格があれなので残念な感じがするが、黙っていれば美男なのである。しかも金髪碧眼で身長もサラより頭一つ分高い。黙っていれば格好良いのに勿体ないとサラは常日頃思っていた。勿論彼女は彼に一目惚れしたわけでもなく、顔が好みというわけではないのだが。
暫くして着替えの終わったクリフォードが客間に入ってきた。彼の正装は結婚式以来である。
「サラは俺の妻だからね。誰かに言い寄られても全部断ってね」
「まだそのような事を仰っていたのですか。クリフォード様がそのような態度を改められた方が早いと思いますよ」
「どうやって?」
「俺の妻に手を出すな、くらい強気で私の腰に手を回しておけば宜しいではないですか」
サラの言葉にクリフォードは納得した。
「そうか。俺が堂々としていればいいんだね。見せびらかせるように途中口付けもする?」
「それは絶対に遠慮して下さい」
サラはクリフォードを睨んだ。彼は口を尖らせて彼女に手を差し出す。彼女はそこに手を添えて立ち上がった。そして二人は玄関へと向かう。玄関の扉を使用人が開けると、そこには馬車が待ち構えていた。その横にヘンリーが立っている。
「クリフォード様、サラ様。本日は御結婚されてから初めての公の場。決して失礼のないようにお願い致します。特にクリフォード様、本当にお願いしますね」
「俺は信用されてないなぁ」
「えぇ、信用しておりません。サラ様、クリフォード様が何か場違いな事をしそうになったら、上手く誤魔化して頂けると助かります」
「難しい事を言うわね。出来る限り頑張るわよ」
「宜しくお願い致します。それではいってらっしゃいませ」
クリフォードとサラを乗せた馬車は城へと向かった。




