翌朝の叫び
「いやぁー!」
クリフォードの部屋には家政婦長であるレイとエマがいた。彼はソファーに小さくなって座っている。彼の左頬は少し赤くなっていた。
「クリフォード様、何故叩かれたかおわかりですか」
レイは睨むようにクリフォードを見下ろしている。彼女の右手もまた少し赤い。彼女はアルフレッドより彼の養育について任されており、手をあげる事も許容されている。年齢差的には母というよりは祖母代理である。
「あんなに嫌がるとは思っていなかったんだよ」
「何故先に起こさなかったのですか。サラ様は御一人で入浴されると聞いています」
今朝、使用人達が朝の仕事に追われていた頃、サラの悲鳴が屋敷に響き渡った。サラの部屋にいたエマが慌てて廊下に飛び出すと、そこにはクリフォードと彼に横抱きにされて真っ赤になっているサラがいた。サラは敷布に包まれており下ろしてとクリフォードを叩き、それを彼は落とさないよう必死で抱えていた。エマは眩暈がしそうになるのを耐えてサラに近付き、とにかくこのまま浴室まで我慢して下さい、その後の事は任せて下さい、と言いくるめて今の状況である。
「いや、もう一緒に入ってくれるかなって」
「ですから何故先に起こして尋ねないのです。勝手に決めてはいけません」
「だって嫌って言われるの嫌だったから」
「嫌と言われるのわかってらっしゃったのですか? それなのにわざとされたのですか?」
レイに鬼の形相で責められ、クリフォードはより小さくなる。
「ごめんなさい」
「それは私ではなくサラ様に仰って下さい。エマ、サラ様のご様子は?」
「自室のベッドに籠っておられます。今メアリーが宥めています」
レイはため息を吐いた。
「本日は旦那様がお戻りになるのですよ。その前までに仲直りして下さい」
「俺は父上が帰ってくるとは聞いてないんだけど」
「私はお戻りになると聞いています。とにかくいいですか? きちんと謝って下さい。そしてもう私の手を煩わせないで下さい。こちらも色々と忙しいのですから」
レイはそう言うとクリフォードの部屋から出て行った。エマも一礼して後に続こうとしたが、それをクリフォードが引き止める。
「ちょっと待って、エマは一緒に行って。で、何か俺が判断を間違えそうなら助けて」
クリフォードの縋るような視線にエマは仕方なく頷いた。
「サラ様、今日は授業がないとはいえ一日中こうしているわけにはいきませんよ」
メアリーは優しい声で掛布に潜っているサラに声を掛けた。
「初めてだと上手くいかない事もあります。でもそのうちよくなりますから」
サラは掛布から顔だけ出した。
「メアリー、何を言っているの?」
「夫婦の営みの話ではないのですか?」
「違うわ。クリフが寝ている私を勝手にお風呂へ連れて行こうとするから恥ずかしくて」
「営んだ後なら恥ずかしいも何もないと思いますけれど」
「メアリーの馬鹿!」
サラは再び掛布に潜った。彼女はクリフォードに浴室まで運ばれ、その後エマが彼を連れて行ってくれたので一人で入浴出来たわけだが、折角痣が消えたと思った身体に違う跡があちこちにあり、それが昨夜の情事を思い出させていた。そもそも目が覚めた時に敷布に包んで横抱きされているのが恥ずかしくて叫んだのに、こんな身体を見られる所だったのかと思うと更に恥ずかしかった。メアリーが全身を覆うワンピースを脱衣所まで運んできてくれたので、着替えた後は急いで自室へ向かいベッドに潜りこんだのである。
メアリーが対応に困っていると扉をノックする音がした。
「エマです。クリフォード様がおみえですが宜しいでしょうか」
サラは掛布に潜ったまま動こうとはしない。メアリーはサラの傍から離れ、静かに扉を開けた。
「ごめんなさい、説得に失敗したわ。サラ様の感性が私と違ったみたいで」
「メアリー、何を言ったのよ」
「だってまさか横抱きにされて浴室に連れて行かれそうになった事が嫌だとは思わなくて。どちらかというと嬉しくない?」
「私に同意を求めないで。ヘンリーさんはそういう人ではないから」
メアリーは確かにと言わんばかりに頷いた。そんな二人のやり取りをクリフォードは黙って聞いた後、部屋の中に入りベッドの方へ近付いていく。メアリーはそれを止めようとしたが、エマがそれを制止した。
「サラ、ごめん。そんなに嫌がると思わなかったんだ」
クリフォードはサラのベッド横で声を掛けた。彼女は掛布を被ったまま顔を出す気はない。
「俺、嬉しくて。目が覚めた時にサラが横で寝てたのは初めてだったから夢みたいで、少し調子に乗りました。ごめんなさい」
クリフォードは頭を下げながら申し訳なさそうな声でそう言った。サラは目から上だけを掛布から出して彼を見る。彼は彼女の視線に気付き顔を上げた。
「もうしない?」
「サラが嫌がる事はしないよ。だから何が嫌だったか教えて。横抱き?」
サラは首を横に振った。
「敷布で包んだ事?」
サラは頷いた。
「それとお風呂は一人がいいの。一緒は嫌」
「えー。それは後々善処して欲しい。俺は一緒がいい」
「無理」
サラは強めの声で否定した。クリフォードはしゅんと項垂れた。が、次の瞬間彼女の目を見つめる。
「毎日じゃなくてもいいよ。たまに、週一とか」
「週一はたまにではなくて結構な頻度だと思うから無理」
サラはクリフォードのしつこさに呆れ始めていた。無理だと言われるのは辛いと言っておきながら譲らない。だから余程入りたいのだろうというのは伝わった。
「じゃあとりあえず一回だけ入ってよ。入る前から無理って言わないで」
「そこまで言うならわかったわよ。身体の痣が消えたら一回だけね」
「痣? 痣はもう綺麗に消えてたと思うけど」
サラはクリフォードを睨む。彼はその視線にはっとする。
「あー、あれも嫌だったって事?」
サラはクリフォードを睨んだまま頷く。
「あれは愛情表現の一部と言うか、気分が高揚して無意識と言うか。ごめんなさい」
クリフォードはサラの鋭い視線に耐えかねて頭を下げた。
「もうしない?」
「気を付ける。だからもう仲直りしよう。ね?」
「うん。私も急に叫んでごめんね」
サラはそう言うと起き上がった。クリフォードは笑うと彼女の頬に手を添えて軽く口付けた。彼女は驚き彼の胸を押して抵抗した。
「何で? 仲直りの口付けだよ?」
「仲直りにそれは必要ないでしょう?」
「いや口付けか抱擁は絶対必要だから。区切り大事」
サラは何故こんな男を好きなのかと自問したものの、このどうしようもない感じが憎めない所が愛おしいと思ってしまうのだから仕方がない。それに確かに区切りは必要かもしれないとも思えた。素直になれず上手く言えない時に誤魔化す手段にもなる。
サラはそう思うとクリフォードを抱きしめた。
「わかった、抵抗してごめんなさい」
クリフォードは笑顔でサラを抱きしめ返す。
「うん。サラ大好き。皆を待たせちゃってるから朝食にしよう」
「待たせてる?」
「そう。俺達が終わらないと皆が食べられない。あれ? 誰も説明してないのか。あんなに朝食の種類があるのは俺達だけじゃなくて、皆の分も置いてるからだよ」
サラは驚いた。使用人が貴族と同じものを食べるなんて信じられなかった。しかも残したものではなく、取り分けた後である。無駄にテーブルが長いと思っていたが、使用人達が一度にそこで食べられるようにという意味だったのかと彼女は感心していた。
「何なら抱き上げて連れて行こうか?」
「いいわよ、歩けるから」
サラの返事にクリフォードはつまらなさそうな表情をする。彼女はそれを気にせずベッドから立ち上がった。そして部屋を出ようとして、扉の近くでエマとメアリーが控えている事に気付いた。ベッドの近くに衝立が置いてあるのでサラからは二人が見えず、また存在を忘れていたのだ。
「もう嫌」
サラは顔を両手で覆うとその場に座り込んだ。今のやり取りの一部始終を聞かれていたと思うと恥ずかしくて仕方がなかった。しかしそんな彼女の心境をクリフォードは汲み取れない。
「どうしたの? やっぱり抱えていこうか?」
「暫く黙って頂けませんか」
サラは今更遅いとわかっていても、せめて言葉遣いを変えなければ気持ちを切り替えられなかった。エマとメアリーはサラの心境を察したのか、一礼して部屋を出て行った。サラは扉の開閉の音を聞いてから立ち上がる。
「お願いだからクリフ、二人きりの時以外に口付けをしないで」
「えぇ? 今更何を言ってるの。送り迎えで抱擁してるのを皆見てるのに」
それとこれは違うとサラは思ったが、目の前で笑顔を向けているクリフォードには伝わる気がしなかった。彼女は小さくため息を吐くと朝食の為に部屋を出た。




