友人の企み
来客を知らせる鐘が鳴り響いた。この鐘は門を誰かが通ったという合図である。サラはクリフォードとエリオットは一緒に来ると思っていたので、こんな時間に誰だろうと不思議に思ったが、その疑問を発する前にエマが口を開いた。
「サラ様、エリオット様がいらっしゃいます。お出迎えされますか?」
「一人で? クリフは?」
「この音ですと御一人ですね。如何致しますか」
サラは鐘の音が複数あるのはわかっているのだが、まだ聞き分けられない。そして彼女は二人は一緒だと思っていたので出迎え方など考えておらず、困って暫し考えた。
「客間に通して貰えるかしら」
「かしこまりました。ではエリオット様を客間へご案内してから再びこちらへ参ります」
「宜しくね」
エマは一礼した後部屋を出た。メアリーも立ち上がるとテーブルの茶器を片付け、カートを押してエマに続き退室した。サラはエリオットが一人で来てくれたのなら何から相談しようと考える。暫くしてノックする音が響き、エマが扉を開けた。
「少し早い気がするけれど」
サラはそう言いながら立ち上がるとエマの方へ歩いた。
「エリオット様は当家の厩舎に馬を預けられておりますので、門から乗馬でおみえになりますから」
サラはエリオットが馬に乗れるとは知らなかった。貴族は普通馬車を使うので馬に乗れない。勿論趣味としての乗馬は上流貴族では普通である。趣味に限られる理由は馬が高いからであり、故に男爵家の人間が乗れるというのはとても珍しい事だ。
部屋を出た二人は階段を降り客間へと向かった。二人が客間に着くと丁度メアリーが淹れ直した紅茶を運んできた所だった。
「エマさん、ここは私一人で」
「ありがとうございます。それでは失礼致します」
エマは一礼すると食堂の方へ歩いていった。メアリーは客間の扉をノックしてから開けた。サラはそこを通り抜けて部屋へと入る。メアリーもサラに続き室内に入った。
「お待たせしてごめんなさい」
サラはエリオットの顔を見て自然と笑顔が溢れた。エリオットも微笑み返す。
「久しぶり、元気そうで何よりだよ」
二人が挨拶している間メアリーは手際良く紅茶を淹れると一礼して客間を出ていった。
「本当に久しぶり。エリオットは少し逞しくなったかしら」
「あぁ。今身体を鍛えているから」
「身体を鍛えてるなんて一体何の仕事をしているの?」
「今騎士階級に戻る手続き中で、完了次第国境に向かう予定」
サラはエリオットの言葉に眉を顰めた。
「私の家は元々騎士階級で父が殉死して爵位を貰ったのだけど、父の跡を継ぎたくて」
「そういえばお義父様が後見人だと」
「あぁ、私の父は将軍で当時外務大臣だったアルフレッド様と親交があった縁でね」
ガレス王国は隣国レヴィ王国と長らく戦争をしている。まさかその戦争でエリオットの父が亡くなっていたとはサラは思いもしなかった。
「大丈夫なの? 戦況は悪くはないのでしょうけど」
「心配しなくても大丈夫だよ。アルフレッド様のお陰で馬にも乗れるし剣も扱えるから」
「全然知らなかったわ。学校には何故?」
「アルフレッド様の希望でクリフの学友としてね。流石に学費を払って貰うわけにはいかないから特例生徒制度を利用しただけ」
学校でクリフォードがいじめられないようにというアルフレッドの配慮で、エリオットは一緒に通学していた。そしてその代わりにエリオットは馬術も剣術も習う環境を与えられていたのだ。
「私の事は後でもいい。先にサラの話を聞くよ」
「クリフは何か言ってた?」
サラは紅茶を口に運んだ。
「サラの言動がおかしいと」
サラは困った表情を浮かべ、ティーカップをテーブルに置いた。
「クリフはサラとの距離を測りかねてる。サラは?」
「私は自分の思うがまま対応しているわよ。クリフが勝手に勘違いしているの」
「あぁ、確かにクリフは勘違いしているな。まだ私とサラの事を気にしている」
「そうね。だからエリオットは一人で来ないと思っていたわ」
「私も一緒に来るつもりだったのだけど、仕事が遅れてると言われて。きっとしなくていい心配をして手が進まなかったんだろう」
そう言いながらエリオットは紅茶を口に運ぶ。
「クリフは馬鹿なのよ。私の気持ちに気付かないなんて」
「クリフは言葉にしないと伝わらないよ。直接的な事は言ってないんだろう?」
「そんな恥ずかしい事は言わないわよ。でも悟れるくらいの空気感は出しているからね」
「それを悟ってるから混乱しているんだろう。私の事が好きなサラの言動がおかしいと」
エリオットの言葉にサラは呆れ顔を返す。
「どうしてそこで私の気持ちがエリオットにないという所へ辿り着かないのかしら」
「馬鹿だからじゃない?」
エリオットの言葉にサラは笑った。馬鹿という言葉は決して冷たい言い方ではなく、どこか愛情が感じられるもので少し懐かしく思えた。学生時代はまだ数ヶ月前の事なのに、エリオットとのこんな会話が何年ぶりかの気さえした。
「そうね。どうしたらいいの、あの馬鹿は」
「私が王都を出立する前にもう一度夕食に招いてほしい」
「それは構わないけど、どうして?」
「私も二人が上手くいかないまま王都を出立するのは気掛かりだから」
サラは困ったように微笑む。
「別に何かしなくてもいい。私とはあくまでも友人、その態度だけで。それをどう見るかのクリフを確認して、もう一度来たい」
「それで上手くいくの?」
「多分。それでクリフを限界まで追い込もう」
エリオットの淡々とした言葉にサラは驚いた。
「限界までなんて大丈夫なの?」
「十年来の付き合いだからわかる。本来クリフは嘘を吐くのが苦手だ。それでもサラに嫌われないように自分の気持ちを押し殺してる。それが如何に無意味かわからせないと」
エリオットの言葉を聞いてサラは暫し考えた。確かに今のクリフォードは気持ちを押し殺している雰囲気がある。笑顔もなくなり、しつこく言っていたどうしたら愛してくれるかの質問もなく、ただ嫌われないように取り繕っている感じだった。
「わかったわ。エリオットに任せる。正直私はどうしていいかわからないし」
「私も正直驚いてる。サラに出会ってからクリフは変わったんだよ。よく笑うようになったし、何だかんだ言って楽しそうだった。一回おかしくなったけど、この結婚の話が動き出してからは戻ったのに、今は出口を見失ったような感じだ」
サラはクリフォードが変わったと言われても実感がない。しかし異母姉達に存在を否定されて育った彼が明るい性格だったとは考え難く、少しは自分の存在が彼にとっていい方向に進むきっかけになったならば嬉しいと思った。
「私はクリフに幸せになって欲しいの。それはずっと変わらないのに上手くいかなくて。私の言い方も悪いのでしょうけれど」
「お互い想っているのに傷付きたくないと思うから拗れるんだよ。クリフの思考もわからなくはないけど」
その時鐘の音が鳴り響いた。クリフォードが帰ってきたのである。
「ごめんなさい、出迎えないと」
「クリフはきっと勝手に沈んでるよ。笑顔で対応したら追い込めると思う」
サラはエリオットの言いたい意味がわからず首を傾げた。しかし彼は柔らかく微笑んだだけだった。彼女は納得出来ないままクリフォードを出迎えに客間を出た。