友情と愛情と勘違い
サラは自室のソファーで項垂れていた。
「サラ様、大丈夫ですよ。そんなに気にされなくても」
「そうですよ。誰にでも不得意な事はありますから」
エマとメアリーは必死にサラを励ましていた。サラはそれに力なく頷くも、どうしても気にせずにはいられなかった。
クリフの気持ちを理解し、翌日の時間割はサラの得意とする政治経済で楽しく過ごしていた午後、またリリーから翌日のお茶会への招待状が届いた。サラはもう別に話す事はないはずなのにと思いながらも、やはり断るのは失礼だろうと先程抑えめの服装で出かけた。
マレット侯爵家の中庭には先日と同じ人達が集まっていた。サラは特技を生かし一人一人丁寧に挨拶をした。相手は一度で名前を覚えた事に驚きを隠せていなかったが、サラはそれを得意気にはせず、柔らかく微笑んでいた。
「サラ様は刺繍がお得意だと伺いました。是非見せて頂きたいわ」
リリーの言葉にサラは硬直した。彼女が苦手と知ってて言っているのか、男爵令嬢には刺繍など出来ないと思って言っているのかはわからなかったが、彼女には辛い一言である。
「皆様の前で披露出来るような腕前ではございません」
サラはなんとかその場を逃げようと必死に取り繕ったものの、それをリリーは見逃さずサラに刺繍道具を渡して早く見せてと迫る。他の女性達もこのやり取りを冷たい笑いを浮かべながら見ている。サラは仕方なく先日教わったばかりのアウトラインステッチで刺繍をしたものの針の進む間隔がまばらで、一針縫う毎に聞こえる笑い声に、最終的には今日はこれで失礼しますと言って途中で投げ出して帰ってきたのである。
「次から絶対からかわれるわ。もうどうしたらいいの」
サラは罰が当たったと思っていた。クリフォードをからかっていたからこんな事になったのだと。
「本来お茶会で刺繍などしないものですよ」
「でも次はレースを編めと言われるかもしれない」
今朝はレース編みの授業だった。刺繍を苦手とするサラがレースを綺麗に編めるはずもなく、基本から始めようと太めの糸とかぎ針を用意したのだが、それでも鎖編みをする時に力の入れ方がまばらで縫い付けている布を引っ張り、何の模様を想定して編んでいるのかがわからない状態であった。
「まだ始めたばかりではありませんか。練習を重ねれば上達しますよ」
エマが優しくサラを宥める。サラは顔を上げた。
「上達するかしら? 私は昔から手先が不器用なの」
「練習すれば大丈夫ですよ。御令嬢の皆様も最初から出来た訳ではないと思います。ただサラ様が学校へ通われている間に練習されていたから出来ると言うだけですよ」
この国では本来女性は学校など通わない。何故なら学校は将来国の為に働く男性にその基礎を教える場所だからである。サラはその点でも特例であったのだ。将来働くわけでもない女性を学校に通わせる貴族などいない。しかし彼女は女性初の授業料免除となる特例生徒として学校に通っていた。それは勿論彼女が家にいたくなかったからである。ちなみに成績も優秀で、クリフォードよりサラの方が上である。この点をアルフレッドは重要視していた。
「わかった。頑張ってみる。暇な時間はずっと練習するわ。早速刺繍道具を持ってきてくれる?」
所詮趣味のひとつなので出来なくてもそこまで問題になるわけではなかったが、サラは意地になっていた。ヘンリーに初日言われた言葉が頭に残っていたのである。出来ないではいけない。最低限普通までは出来るようにならないといけない。サラはエマが取り出してきた刺繍道具を手にすると、たどたどしい手つきでアウトラインステッチの練習を始めた。
「先日の私の話を理解しなかったのか」
「いや、だから上手くいかないんだって。話くらい聞いてよ」
エリオットはクリフォードを玄関から奥に入れないよう無表情で立っている。
「言いたい事を言って上手くいかなかったという事?」
「もう何を言えばいいのかわからないくらい混乱してる」
クリフォードは目を細め首を傾げて首の後ろをかいた。この癖はエリオットも知っている。エリオットはため息を吐くと踵を返して廊下を歩いて行く。クリフォードもエリオットの後ろについていく。二人は居間に入るとソファーに向い合せに腰掛けた。
「何に混乱しているの?」
「サラの言動がおかしいというか、理解出来ないんだよ」
「どういう風に?」
エリオットはテーブルの上に置いてある水差しからグラスに水を注ぐとクリフォードの前に置いた。クリフォードはそれを手に取ると一口飲んだ。
「挑発的なんだよ。俺の気持ちを試してるみたいな」
「昔はしつこいくらいサラに好きだと言っていたけど、今は?」
「サラを困らせるみたいだから今は言ってない。俺の愛は重いんだよね?」
「そこまでサラに執着していて軽いわけがないだろう?」
エリオットは淡々としている。クリフォードは口を尖らせた。
「だからなるべく重くならないようにしようと思ってるんだけど、それはそれで嫌みたいで。俺はもう辛いんだよ。こっちは嫌われないよう我慢してるのに、サラは遠慮なくて」
サラに寝る時に抱きしめていいと言われたのもクリフォードにとって衝撃的だったのだが、抱き寄せないと彼女は納得しない。彼はどの力加減なら嫌われないのかわからないまま彼女の言いなりになっていた。しかも彼女は納得するとそのまま寝てしまう。彼は悶々としたまま、彼女の甘い香りが気になって寝付くのに時間がかかるようになっていた。
「それなら遠慮しなければいい。サラはそう仕向けていると思う」
エリオットの言葉にクリフォードは眉を顰める。
「サラが俺を利用しているって事?」
エリオットはため息を吐いた。クリフォードの話だけでエリオットはおおよその二人の関係を理解していた。クリフォードはサラの気持ちを一切理解していない。流石にサラが不憫になっていた。
「何なら私がサラと話をしようか」
エリオットの申し出にクリフォードは複雑そうな表情をする。クリフォードが悩むだろうというのを見越してエリオットはそう言った。それとエリオットもサラの事は気にかかっていたのだ。
「何を話すの?」
「サラがクリフと今後どうしていきたいかについて」
クリフォードは視線を伏せた。エリオットがサラに友情以上の感情を抱いていない事はわかっていた。友人であるクリフォードに遠慮したわけではなく、最初から恋愛対象としてサラを見ていない。クリフォードにはそれが不思議で仕方がなかったのだが、それ故にサラの事を今まで相談出来たのである。
「もうじき王都を離れる。その挨拶もしたいし」
「え? そんなに早く出立するの?」
「手続きが終わったら行くよ。この話を友人としてサラにしてもいいだろう?」
エリオットの言葉にクリフォードは頷いた。
「うん。急にいなくなったらサラも悲しむだろうしね。夕食に招待するよ」
「それは嬉しいな。ウォーグレイヴ家の夕食は絶品だから」
エリオットは微笑んだ。クリフォードも複雑な心境のまま頷いた。
「サラ、どうかした?」
夕食後クリフォードとサラは居間にいた。今日も少し距離を置いて二人はソファーに座っている。サラは美味しい夕食だったにもかかわらず、どうしても気持ちが上がっていなかった。クリフォードが帰ってくるまで練習していた刺繍が本当に上手くなるとは思えなかったのだ。
「自分の不器用さが嫌になっただけ。刺繍が下手なのよ」
サラはクリフォードにリリーのお茶会に今日誘われた事は言っていなかった。一回目行った後もその内容を聞かれる事もなく、彼は多分興味がないのだろうと思い、彼女もわざわざ言わなかった。
「刺繍? 別にそんなの出来なくてもいいんじゃない?」
「嗜みとして普通くらいには出来ないといけないの」
「サラがやりたいならやればいいけど、別に無理しなくていいと思うよ」
クリフォードの言葉にサラは微笑む。
「ありがとう。無理のない程度に頑張る」
そこで会話は途切れた。サラはクリフォードの気持ちを理解はしたが、その勘違いを崩す方法は未だに見つけられないでいた。微妙な距離を縮めようと思うのに彼はそれを拒否しているかのようで、よっぽど結婚初日の方が上手く話せていたと思う。
「あ、明日エリオットを夕食に招待したよ」
クリフォードの言葉にサラは嬉しそうな表情を彼に向けた。それは自分の気持ちを知っているエリオットなら何かいい打開策を考えてくれると期待しての表情だったのだが、クリフォードはそうは取らなかった。
「本当? 久しぶりね。元気にしているの?」
「元気だよ。仕事で王都を離れるからその挨拶をしたいって」
「王都を離れる? エリオットは何の仕事をしているの?」
サラはエリオットが何の仕事をしているか知らなかった。彼は自分の事は基本的に話したがらず、彼女はあえてそれを聞き出すような事はしなかった。
「明日直接聞いたらいいよ。俺も詳細は知らないから」
「そう。わかったわ」
ここで再び会話は途切れた。メアリーが呼びに来るまで居間は沈黙に包まれた。