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愛おしい馬鹿

 夕食後、クリフォードとサラは居間に移動していた。彼女はあえてソファーの端の方に座ったのだが、彼はそこから距離を置いて座ったにもかかわらず、そのまま身体を背もたれに預けた。彼女は彼の行動の意図を探ろうと思ったが、彼が彼女を見ようとしないので目が見えない。しかしわざわざ覗くのもおかしいので、彼女は暫く彼の横顔を見ていた。その視線にやっと気付いた彼は身体を起こして彼女を見た。

「何?」

「膝枕はいいのかなと思って」

 クリフォードとやっと目が合ったが、何を考えているかなどサラにはわからなかった。そして合ったと思った視線はすぐに彼が外してしまった。

「いいよ。急がない事にしたから」

 クリフォードは再びソファーに身体を預けた。サラは届きそうで届かない微妙な距離が嫌だった。急がないでと確かにお願いしたが、遠ざかって欲しいとは思っていない。少しずつ距離を縮めたいのだ。

「ねぇクリフ。クリフの好きな色は何?」

 サラは出来るだけ明るめの声を出した。クリフォードは彼女の方を向かなかった。

「どうしたの、急に」

「私はクリフの事を何も知らないから、ひとつひとつ知る事から始めようと思って。クリフが今どんな仕事をしているのか、どの食べ物が好きか、そういう事を教えて欲しいの」

「それを知ってどうするの?」

「クリフの事を知りたいと思うのはおかしい? それとも今日も疲れてる? 話すのも嫌?」

 クリフォードは身体を起こしてサラを見つめた。彼女は彼の瞳に迷いがあるように見えた。

「疲れているならここで少し寝てもいいわよ」

 サラは自分の膝を軽く叩いた。クリフォードは首を横に振る。

「疲れてない。書類整理とか簡単な事しかしてないから」

「書類整理? お義父様は財務大臣だから国家予算の書類?」

「俺が今整理してるのは徴税の書類。こんな話を聞いて楽しい?」

 クリフォードの質問にサラは笑顔で頷く。

「クリフの事なら何でもいいの。もっとよく知れば、もう少し夫婦みたいに振る舞えるかなと思って。クリフはお仕事を頑張っているのだから、私もクリフの為に出来る事をしたいの」

 サラは微笑みながらまっすぐクリフォードを見つめた。彼の瞳にはまだ迷いがあるように見える。しかしそれが何なのかまでは彼女にはわからなかった。

「何かあったの? いつもそんなに目を見ないよね?」

「あぁ、エマが目を見るとヘンリーの思ってる事がわかると言うから私も試してるの。でも難しいわね」

「ヘンリーは何も言わないから読む必要があるかもしれないけど、俺は別に聞かれたら答えるよ」

「本当に? 一昨日から急に態度変わった理由を教えてくれる? 何が大丈夫なの?」

 クリフォードが大人しいとサラは自分の間で彼と話せる事に気付いた。彼が焦るからこちらも上手く対応出来ないだけで、彼が落ち着いていれば自分も落ち着いて話せる。

「それは、サラは気にしなくて大丈夫だよ」

「だから何が大丈夫なのかわからないから聞いているの」

「いや、それは言葉にするのは嫌って言うか、ひっそり思うのと言葉にするのは違うじゃん?」

 サラは眉を顰めた。クリフォードが何を思っているのか見当がついた。彼は勘違いしたままなのだ。まだ彼女はエリオットの事を好きだと。そこから彼に気持ちを切り替えるのに時間が必要なのだと思い込んでいるのだ。彼女は深いため息を吐いた。

「そう。それならいいわよ」

 サラはクリフォードから視線を外すと顔を背けた。この馬鹿につける薬なんかない。人の気も知らないで勝手に勘違いしていればいい。本来なら関係ないエリオットを勝手に恋敵と思って、一人で戦って一人で落ち込んでいればいい。そう思う反面、その考えを抱えたまま自分を妻に迎えた心境を推し量っていた。青色が半分を占める衣裳部屋。きっとそれは自分の事を思って用意した物だ。もしかしたら彼自身が公爵家という肩書しかないと思っているのかもしれない。いつかエリオットの所に逃げていくのではないかと思って彼は必死に側にいて欲しいと口にしているのか。それを繰り返せば嫌がられる事にまで頭が回らないほど必死に? そしてそれに気付いて今は黙っている?

 サラは心の中で笑った。この考えが当たっているのなら何て馬鹿で愛おしいのだろう。今すぐクリフォードを抱きしめたい衝動を彼女は抑えた。彼の中の固定観念をまず壊さなければいけない。順序を間違えるとこの馬鹿は手が付けられなくなるかもしれない。

 エマが声を掛けるまで、二人は居間のソファーの端に腰掛けたまま話す事はなかった。



 今日も寝室にはクリフォードの姿はない。男のくせに長風呂とはと思いながら、サラが長時間浴槽に浸かっていられないだけなので、自分が早いだけかと思い直した。彼女はソファーに腰掛けながら寝衣の袖を捲る。痣はまだ消えていない。多分あと一週間前後かかるだろう。その間に彼の固定観念を壊していけばいいわけだが、簡単に出来る気もしない。そもそも彼女はエリオットに対し告白した時点でけじめはついており、それは態度に出ていたはずなのだ。それをわかっていない彼にどうわからせるのか、彼女は袖を直して悩んでいた。

 ノックする音がした後クリフォードは寝室に入ってくるとベッドへと一直線に向かった。

「疲れてないと言ったのは嘘だったの?」

 サラは立ち上がりベッドへと近付く。クリフォードは既にベッドに潜り込んで彼女に背を向けていた。

「疲れてなくても眠い事はあるよ」

「そう。それならクリフがゆっくり眠れるように私は自分の部屋で寝るわね」

 サラはそう言うとベッドから離れようとした。クリフォードは慌てて起き上がる。

「何で? 一緒のベッドで寝るのは嫌じゃないって言ったじゃん」

「嫌ではないわよ。でも端と端で寝るのなら一緒の必要性もないでしょう?」

「必要性はあるよ。ここにサラがいると感じられればそれでいいから」

 サラはクリフォードの目をじっと見つめた。縋るようなその目は困惑の色を映している。

「背中を向けないでくれるならここで寝るわ」

「や、それはちょっと」

「私の顔を見るのが嫌なのでしょう? だからゆっくり一人で眠ればいいわ」

「違うってば。サラの顔を見ると抱きしめたくなるからで、嫌なはずない」

 クリフォードは目を細め首を傾げて首の後ろをかいた。彼は多分無駄に戦っているのだ。耐えなくてもいい事に耐えているのだ。いや、サラが欲しいと言った時間分は耐えるべきなのかもしれないが。

「それなら抱きしめればいいわ。誰も抱きしめるなとは言ってないでしょう?」

 クリフォードの目が輝く。サラは彼の目はこんなにわかりやすかったのかと心の中で思っていた。確かにエマの言う通り、よく見れば感情の変化がわかる。

「いいの? 抱き締めて寝ていいの?」

「抱きしめたまま寝るの? それで眠れる?」

「やってみないとわからないけど多分眠れる」

 サラはゆっくりとベッドに入った。初夜の時にそんな事を言っていた。あれはきっとクリフォードの願望だ。急かすなと言ったはずなのに全く聞かない彼に、彼女もどこか諦めていた。彼は加減がわからないのだ。いいか悪いかであり、徐々にというものがない。こればかりは付き合うしかないかと彼女は心の中で覚悟した。

 しかしクリフォードはどうぞと言わんばかりに横になったサラを目の前に、そのままベッドの上で座っていた。彼なりに何か考えているようで視線があちこちに飛んでいる。

「どうしたの? 試さないの?」

「いや、何でそんなに積極的なの。俺の思考が追いつかないんだけど」

「だからクリフの事を知りたいと言ったでしょう? クリフが望む事も少しずつ対応しようと思って」

 サラの言葉にクリフォードは嫌そうな顔をする。

「義務感とか、そういうのは要らない」

「そんなつもりはないけど、そう思うのなら一人で寝れば?」

 サラは起き上がりベッドを降りて立ち上がった。それをクリフォードは慌てて引き止める。

「待って、ごめん。出ていかないで」

 クリフォードに背を向けながらサラは微笑んでいた。彼をからかうのは案外楽しいと思えてきた。勘違いしている彼が悪いのだ。そもそも彼が勘違いしたままでは彼女の気持ちに気付かない。それが彼女の心に余裕を持たせた。

「俺はサラの嫌がる事はしたくないんだよ。嫌われるのは辛いから」

「もう鬱陶しいわね。抱きしめるか一人で寝るか決めて」

 サラは振り返りクリフォードの目を真っ直ぐ捉えた。彼は困惑を浮かべたまま暫く無言だったが、視線を外して俯いた。

「後ろからでもいい?」

「いいわよ」

 クリフォードは顔を上げてサラを見つめた。彼女は微笑んでいる。つられて彼も微笑む。彼女は再びベッドに戻ると彼に背を向けるように横になった。彼は彼女を包むように背後から腕を伸ばした。それはどこか遠慮がちで、身体は密着しておらず果たして抱きしめているのか彼女にはわからなかった。彼の額が彼女の後頭部に、彼の腕が彼女の下腹部に軽く触れていただけである。

「クリフはこれでいいの?」

 サラは思わず尋ねた。結婚初日の勢いを考えると寝苦しいくらい抱きしめられると思っていた。一人で寝たくないから抱きしめるを選択して、やむを得ずと言う感じがして嫌だった。

「少しだけ、でしょ?」

 クリフォードの答えでサラは気付いた。彼は嫌なのではない。結婚初日に少しだけと言った彼女の言葉を優先しようとしているのだ。それで最初はあんなに目を輝かせたのに、それを思い出して少しだけの加減がわからず悩んだ結果が今の状況なのだ。

 サラは思わず笑った。クリフォードが愛おしくて堪らない。自己中心的な彼が多分今一番優先しているのが彼女に嫌われない事なのだ。それならそれを逆手に取ろうと彼女は思った。

「少し過ぎるわよ。惜しみない愛は随分と遠慮がちね。それとももう愛が冷めたのかしら」

「冷めてないよ。俺は一生サラに飽きない自信があるから」

「それならもう少し上手く表現してよ。今の状況だと嫌々な感じとしか伝わってこないわ」

 クリフォードはサラの挑発に乗るように腕の力をぐっと入れ、彼女の背中が彼の身体に引き寄せられた。彼女は満足そうに微笑む。

「これくらい?」

「うん。これくらいなら眠れそう。おやすみなさい」

「おやすみ」

 クリフォードの顔が見えないので彼がどういう表情かはわからない。しかしサラは背中から抱きしめられるのが案外心地よく、毎晩これでもいいなと一人満足しながら眠りについた。

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