お茶会
馬車が止まり、従僕が足場を置いて屋形の扉を開けた。サラは教わったように優雅に従僕の手を借りて馬車を降りる。
マレット侯爵家。領地は持たないが常に政治の中心にいる名門貴族。昨年当主が病気で亡くなり、現在はリリーの夫が若いながらも当主を務めている。マレット侯爵家のお茶会は政治家の夫を持つ夫人達が集う場所である。クリフォードもアルフレッドの元で仕事をしているとはいえ、まだ政治家見習いである為本来なら呼ばれる事はない。
「あら、ようこそいらっしゃいました。御待ちしておりましたのよ」
使用人に中庭へと案内されたサラは甲高い声の女性に会釈をした。メアリーに聞いた特徴から言ってこの女性がリリーだろうと思った。
「お初にお目にかかります。サラと申します。以後宜しくお願い致します」
「こんな所で立ち話もあれですから、あちらへどうぞ」
名乗らないのはどういう事かとサラは不審に思いながらリリーの後をついていく。中庭には大きなテーブルが置いてありそこには既に六人の女性が腰掛けていた。指定された時間より少し早く着いたはずなのに、自分が最後とは最初からやりにくいと彼女は思った。
「皆様、私の義妹にあたりますサラ様です。宜しくしてあげて下さいませ」
「お初にお目にかかります。サラと申します。以後宜しくお願い致します」
サラは会釈をした。するとテーブルに腰掛けていた女性が一人一人名乗りだした。彼女は必死でそれを記憶していく。挨拶が終わると彼女は空いていた末席に腰掛けた。
「サラ様のご主人は何の仕事をされていらっしゃるのかしら」
突然の質問にサラは驚いた。昨日メアリーやエマと練った対策の中にこれはなかった。まさか役に立つのが結婚式の日にヘンリーから説明された方だとは思わなかった。
「今は財務大臣である義父の手伝いをしております」
「あら、宜しいわね。立派な父親がいると楽で」
リリーの声に棘がある。他の夫人たちの瞳もこちらの味方とは思えない。先程の紹介で公爵令嬢であり今はマレット侯爵夫人のリリーに逆らえる感じの夫人はいなかったから仕方がない。元々無援で戦わなければいけない事など百も承知である。
「リリー様のお父様ですもの。立派で当然ではありませんか」
サラは負けじと微笑んだ。クリフォードは頑張っている。こき使われていると言っていたのだから厳しく鍛えられているに違いない。彼の努力を血縁だから当然のように言われるのは悔しかったが、波風を立ててはいけない。
「今の父はどうかしら。貴女のような人をお金で買うなんて理解が出来ませんの。正直貴女もお金に目が眩んだだけでしょう? 公爵家での生活はいかが?」
サラは表情を崩さないよう必死で堪えた。リリーは上から目線でサラを見据えている。周りの夫人達も冷ややかな視線だ。自分はお金で買われた、それを徹底しろとヘンリーに言われている。多分自分がお金に目が眩んだと言う視点は避けなければならない。あくまでもこの結婚はクリフォードの我儘をアルフレッドが実現したというものなのだ。
「公爵家から結婚を申し込まれて私に断る術はございません。結婚してまだ日も浅く、公爵家での暮らしもよくわかっていない状況で申し訳ございません」
サラは表情に出ないように必死に取り繕って頭を下げた。今まで父のご機嫌伺いの為に表情などいくらでも作ってきた。これくらいの事は何でもない。そんな彼女の対応をリリーは面白いと思わなかった。
「あらそう? ではベッドの中はどう? あの噂の人ですもの、凄いのではなくて?」
リリーの言葉に周りの夫人達もくすくすと笑う。昼下がりにこんな話をしなくてはいけないなんてサラには信じられなかった。だがこれはメアリーが想定していた事であり、彼女は微笑みながら視線を伏せた。
「それは夫婦の秘密にしておきたいのでご容赦下さいませ。皆様もお話されたりしませんよね?」
リリーの顔が不機嫌になるのをサラは見逃さなかった。きっと何も知らないであろう男爵家の娘を恥晒しするつもりだったのだろうが、サラは侮蔑の視線を投げられる事に慣れていた。父親が元商人せいで周囲の男爵家からもいい眼では見られていなかったのだ。それ故に彼女は幼い頃からの友人がいない。だからかそういう目で見られるのは仕方がないと簡単に受け入れられたのである。
その後、リリーはサラを弄るのを諦め、完全に自分の話しかしなくなった。それに周囲の夫人達が相槌を打っていた。サラはその特に面白くない話をいつ振られるかわからないので一応聞きながら、こんな茶会に今後も参加するのは嫌だなと思っていた。
「おかえりなさいませ」
玄関でエマとメアリーがサラを出迎えた。サラは笑顔でそれに応じた。
「ただいま。何とか乗り切れたわよ」
サラの言葉にエマとメアリーが安堵の表情を浮かべる。そして三人はサラの自室へと向かった。サラは宝飾品を外して訪問着を脱ぎ、部屋着であるワンピースに着替えた。
「今夜は是非クリフォード様の事を考えてあげて下さいませ。昨夜悪い事をしてしまいましたから」
「エマはクリフォード様の事を気にし過ぎよ。別に一日くらい大丈夫でしょう?」
エマとメアリーは仲がよく見えるのにクリフォードの事になると意見が合わない。メアリーはリリーとローズの侍女をしていたので、紅茶の件を含め彼の事を好きになれないのは仕方がないのかもしれない。
「でも先日様子がおかしかったでしょう? 多分考え事をされていると思うの」
「それなら考えさせておけばいいわ。サラ様は今日お疲れなのよ」
二人の会話をサラはソファーに腰掛けながら聞いていた。今日はお茶会に出かけたので今は茶会講座の時間ではないのだが、どうやらクリフォードが戻ってくるまではその時間になっているようだ。
「二人とも心配してくれてありがとう。大丈夫。そこまで疲れていないわ」
サラはもう少しクリフォードの事を侮蔑されるような表現があるかと思っていた。しかし例の噂を少し弄られただけだ。彼女は想定より簡単に引き下がったリリーに対して、むしろ拍子抜けしていた。なので別段疲れてはいない。ただ言われた事が悔しかった。
「でもお金に目が眩んだだけでしょうと言われたのが悔しくて。私は何を言われても構わないけれど、クリフを馬鹿にされるのは嫌で。この場合は何と返せばよかったのかしら」
サラの質問にエマとメアリーは目をぱちくりとさせた。
「それはサラ様に言われた言葉ではないのですか?」
「表面上はそうでしょうけど、クリフには公爵家の肩書しかないみたいに言われたのが悔しかったの。私が嫁いだ事でクリフがより肩身の狭い立場になってしまったのかと思うと、もうどうしたらいいのかわからなくて」
困惑の表情を浮かべるサラにエマは微笑んだ。
「クリフォード様は周囲の言う事など気にされませんよ。サラ様がこの家にいるのならそれで宜しい方なのですから」
「でもここに私が嫁ぐのに結構なお金が動いたのは確かでしょう? その分の働きはしなければいけないのに、クリフの印象をよくするまでは出来なかった」
「ヘンリーさんがお金で買ったのだと伝えたはずです。今サラ様が身に着けている物もサラ様が選ばれたものではありません。この結婚は全てウォーグレイヴ家が勝手にやった事。サラ様はそれに逆らう力がなかった。それで宜しいのです」
「何故?」
「サラ様の印象を悪くしない為です。公爵家のどうしようもない跡取息子が綺麗な男爵令嬢を無理矢理手に入れた、あの嫁は可哀想だ、それでいいのですよ」
エマの言っている事がサラには理解出来ず眉を顰めた。
「この結婚は恋愛結婚ではなく、お金で仕組まれた結婚です。学生時代からしつこく求婚していたのをお金で解決した、対外的にはこれでお願いします。そして結婚してからあの跡取息子が変わった、例の嫁は実はすごい人だったのだとなり、最終的には仲睦まじい夫婦になって頂ければ宜しいのです」
「エマ、そのような話は初めて聞いたのだけど」
「私もヘンリーさんを見ていて、あらすじはこうだと勝手に決めつけているだけなのだけれどね」
エマの言葉にメアリーはため息を吐く。
「本当にわからない。何でエマはヘンリーさんを見ているだけで考えている事がわかるの? 直接話し合ったわけではないのよね?」
「ヘンリーさんは秘密主義だもの。聞いても教えてくれないから感じるしかないでしょう?」
「見ているだけで感じるなんてすごいわね。私もクリフの事を感じられるようになるかしら」
「大丈夫ですよ、愛しい相手の瞳を見れば言いたい事なんて何でもわかります」
エマは微笑んだ。サラは今夜クリフォードの目をじっと見てみようと思った。