茶会講座
ヘンリーはサラを連れて屋敷内を隅々案内し、場所場所で働いている使用人を見かけたら挨拶を交わした。
「広いお屋敷だわ。皆慣れるまで時間がかかった事でしょうね」
「屋敷の作りは単純明快でございますし、同じ扉がいくつも並んでいる二階は花瓶を扉の両脇に置いて目印にしておりますので然程かからないかと存じます」
ヘンリーの言葉にサラは二階の部屋を思い出していた。確かに青い花瓶を目印にと昨夜エマに言われたし、自分の部屋の扉の両脇には白い花瓶が置いてあった。
「花瓶が扉の両脇に置いてある部屋が現在使っている部屋という事?」
「さようでございます。空き部屋は掃除しか致しませんので花を飾る必要がございません故」
ヘンリーは屋敷一階の突き当たりの扉をゆっくり開けた。サラはそこを通り抜け、彼は後に続く。そこは屋根はあるが壁はない廊下であり、真っ直ぐと右に曲がる道とに分かれている。
「真っ直ぐ行った所が書斎になります。右手には私達の住居がございます」
右手に見えるのはサラの実家より少し大きめの建物であった。クリフォードが小さいと言った意味をサラは理解した。これが敷地内にあるのなら確かに彼女の家は小さくも感じるだろう。
「あの建物に使用人全てが暮らしているの?」
「はい。一人一人に部屋を与えられております」
「実家では使用人達の部屋が地下にあったわ。階級の違いがこのような所にも表れるのね」
「いえ、一般的な貴族及び騎士階級の屋敷で奉公している者の扱いはサラ様の実家の方でしょう。他家から当家へ奉公に来た者は皆驚きますよ」
「ヘンリーも驚いたの?」
「私の実家も使用人の部屋は地下でした。ですから伯爵家の次男として生まれたにしては、いい生活をしている方です」
貴族に生まれたと言えど、爵位を継ぐ長男以外はいずれ平民になる。それが嫌なら政治家や役人となり自力で男爵などの爵位を手に入れるか、女性しかいない家に婿養子に入るか、ヘンリーのように上流貴族の家で働き出世するかである。ヘンリーは元々アルフレッドの従者としてこの家に入り、その働きが認められ副執事、執事と昇格し今は家宰を務めている。肩書は平民ではあるが子爵家当主くらいの収入はある。
「家宰になると従者もついたりするの?」
「つける事は出来ますが私にはいません」
「それもそうね。世話はエマがしてくれるわよね」
サラは何気なくそう言ったのだがヘンリーは無表情ながら瞳の奥が不満気だった。
「エマが何か余計な事を言いましたか?」
「何も。結婚しているというから相手を聞いただけよ。正直エマとヘンリーが夫婦だなんてしっくりきてないわ」
サラは余計な事を言ったと後悔した。本当に私生活については一切触れられたくないのだろう。無表情でも機嫌が悪そうなのは彼女にもわかった。
「特に夫婦と思って頂かなくて結構です。其々ただの使用人として接して頂きたくお願い申し上げます」
本当にこんな男のどこがいいのかサラには全くわからなかった。公私をわけているのだからエマの前でだけしか見せない面もあるのかもしれない。そう思うと少し興味がわいたが、目の前の男がそんな事を教えてくれるとは到底思えず、彼女はため息を吐いた。
「ごめんなさい、そう思う事にするわ」
屋敷の案内が終わり、サラは一人自室に戻っていた。今日の午後の時間割には茶会講座と書かれている。彼女には一体何をするものなのか見当がつかなかった。
「サラ様、宜しいでしょうか?」
ノックをした後そう声を掛けられ、サラがどうぞと返事をするとすぐに扉が開き、エマとメアリーが入ってきた。メアリーはカートを押している。
「茶会講座は二人が担当なの?」
サラの質問にエマは微笑む。
「私がヘンリーさんに交渉して捻じ込んだのです。この時間は休憩みたいなものだと思って下さい」
「勿論、何もしないと後が怖いので、紅茶の銘柄説明や今流行の事などを押さえて、お茶会に呼ばれた時に困らないようには致しますよ」
そう言いながらメアリーは紅茶を注ぐ。カートにはティーカップが三客あった。
「三人で友人のようにお茶を楽しむ時間と思っていいの?」
「サラ様がそれをお望みでしたら」
エマの言葉にサラは嬉しそうに微笑む。昨日ヘンリーに友人と思うなと言われたが、サラの中でエマは既に友人になっていたのだ。
「えぇ、是非そうして。私は侍女という仕事がわかってないのだけど、出来れば二人には友人のようにしていて欲しいわ。だから座って」
サラは二人にソファーに座るように勧めた。メアリーはティーカップをサラの前に置き、エマとメアリーは其々自分のティーカップを持ってソファーに腰掛けた。
「今回はオーティスではありません。是非何の紅茶か想像してみて下さい」
メアリーに言われサラは紅茶を口に運ぶ。しかしそれは飲んだ事のない味だった。味が濃くあまり好みではない。
「ごめんなさい、知らない味だわ。そしてあまり好みでないわ」
メアリーは立ち上がりカートの上から陶器の容器を手に取ると、ソファーに座り直してテーブルに置いた。
「こちらには牛乳が入っています。是非こちらを入れてもう一度飲んでみて下さい」
サラは言われるがまま紅茶に牛乳を注ぎスプーンでかき混ぜて口に運んだ。すると先程濃いと思った味が中和され、ほんのり甘さが広がった。
「紅茶に牛乳なんて初めて入れたけど美味しいわね。これは牛乳を入れるべきだわ」
「えぇ、サムナーは牛乳を入れる事によりその良さがわかります」
「サムナー。初めて聞くわ。こうやって色々教えてくれるの?」
サラはちらりと時間割に目をやった。午後には必ず茶会講座の時間が設けられていた。メアリーは自分とエマのティーカップにも牛乳を注ぐ。
「紅茶の説明は簡単に。後はサラ様の息抜きの時間です」
エマはそう言いながら微笑んだ。サラが嫁ぐ前に時間割表を見てエマはヘンリーに文句を言っていた。あのクリフォードと一緒にいて休まるはずがない、昼間も詰め込んで若奥様を精神的に病ませる気なのかと。普段自分の主張を譲らないヘンリーだが、クリフォードと一緒だと休まらないと言うのは納得したようで、午後に二時間だけ休憩時間を入れる事を了承した。しかしそれが休憩ではなく茶会講座となっているのはヘンリーらしく、エマもお茶会に呼ばれた時の作法などは少しずつ伝えると約束した。
「息抜きしていていいのかしら。私はこの家に早く相応しくならないといけないのに」
「徐々にで宜しいのでございます。それに私達も侍女としてサラ様の事をもっと知りたいのです。主人の事を把握するのは大切な事ですから。クリフォード様の愚痴も伺いますよ」
メアリーはエマとサラの関係を知らない。勿論サラの気持ちも知らない。
「クリフ……ォード様の愚痴なんて」
「私達の前では様付でなくて宜しいですよ。御友人だった事は伺っています」
「いいの?」
「ヘンリーさん以外は誰も気にしないと思います。あの人は煩いので気を付けて下さいませ、ねぇエマ」
「ヘンリーさんは真面目なのです。決して意地悪をしているわけではございません。それだけは理解してもらえると嬉しいです」
エマの言葉にサラは微笑む。
「えぇ、わかっているわよ。家宰としてすべき事をしているのよね。だから私もクリフの妻として振る舞わなければいけないとは思うのだけど、上手く出来なくて」
サラは視線を伏せた。クリフォードとどうやったら上手く接する事が出来るのだろう。今夜は彼に怯える事なく過ごせるかさえも不安だった。
「上手くしなくて宜しいのですよ。サラ様は無理矢理結婚させられたのですから、クリフォード様の事なんて適当にあしらっておけばいいのです」
「ちょっとメアリー、言っていい事と悪い事があるでしょう?」
エマは慌てた。しかしサラの気持ちを知らないメアリーは黙らない。
「でもサラ様には別に好きな方がいらっしゃるのでしょう? それをお金の力で何とかする旦那様もどうかと思うのです。お金で心が買えると思ったら大間違いです。私はサラ様の味方ですからね。あんな我儘男は無視しておけば宜しいのですよ」
サラは困った表情を浮かべた。一体どこからこういう話になったのか。そしてこの話は屋敷中の人がそう思っているのか。それだと今後生活し難いと彼女は思った。
「サラ様、違うのです。メアリーはお嬢様方の侍女経験もあり侍女としては申し分ないのですよ。気分を害さないで下さいませ」
「エマは邪魔をしないで。私はサラ様の気持ちを慮って話しているのよ」
目の前でメアリーとエマが喧嘩しそうな雰囲気になりサラは慌てた。
「メアリー、気持ちは嬉しいけど違うの。他に好きな人なんていないのよ」
メアリーはサラに驚いた表情を向ける。メアリーはエマからサラの事を聞いていた。しかしそれは手紙配達前の事であり、サラはエリオットに片思いしているというクリフォード視点のものだった。
「私はクリフが好きだから嫁いできたの。お金で買われたように見えるだろうけど、私は望んでここにいるのよ。ただ自分の気持ちを上手く表現出来なくて困っているだけ」
メアリーは眉を顰めた。
「サラ様、今朝クリフォード様に抱きしめられた時、困っていましたよね?」
「皆の前であのような事は恥ずかしいでしょう?」
メアリーは少し離れた所で二人の様子を窺っていたのだが、サラが嫌がっているように見えていた。まさか恥ずかしくて困っていたとは思いもしなかった。メアリーにわからないのだから、クリフォードにわかるはずがない。
「つまりクリフォード様はサラ様の気持ちに気付いておられないのですか?」
メアリーに尋ねられ、サラは卒業式でのやり取りを二人に話した。
「私としてはこれで伝えたつもりなのだけど、クリフには伝わらなかったの」
「普通はわかりそうですけど、どうなのエマ。クリフォード様は鈍いの?」
「言葉を表面通り以上に読む事は出来ない人です。はっきりと言わない限り伝わらないかと」
エマの答えにメアリーは微笑む。
「それなら内緒にしましょう。クリフォード様が気付くまで黙っていらしたら宜しいのですよ」
「でもそれはクリフを傷付ける事にならないかしら」
「この結婚は旦那様がお金で解決したのでしょう? クリフォード様はサラ様の気持ちを手に入れる為に努力されるようになるはずです。その努力にサラ様の心が少しずつ動いたという感じで、ゆっくり態度を変えていけば宜しいではありませんか」
昨夜のクリフォードの態度は確かに今までとは違った。サラの事を考えているのがとても伝わってきた。その彼の努力にゆっくり応えるのであれば傷付けたりはしないかもしれない。
「急に態度を変えられるよりはその方がクリフォード様の為かもしれませんね」
クリフォードの話し相手であったと言うエマも肯定したので、サラはその意見を聞き入れる事にした。
「わかったわ。焦らないでそうする。ありがとう、二人とも」
サラは微笑んだ。